rev5-75 惨劇を乗り越えて
赤黒く染まっていた。
青白いはずの御山の地下空間は、そこだけが赤黒く染まっていた。
惨劇の痕跡によって、青白い空間はそこだけが穢れ汚れていた。
惨劇を為した主はもういない。たったひとつの小さな足跡を残して。
そう、そこにはもう誰もいなかった。
私が伸ばした手の先には、誰もいなかった。
掴むはずだったものは、プロキオンの手を私は掴むことができなかった。
私が掴めたのは、なにもない。
私の手の中にあるのは、空っぽだ。
がらんどうとした手を見ることしかできない。
もし、この場にいるのがカレンであれば。
私ではなく、カレンがいてくれれば、きっとこんなことにはならなかった。
カレンではなく、私が犠牲になっていれば、きっとプロキオンを取り戻せた。
私だったから、あの子を取り戻すことができなかった。
愕然となりながら、その場で膝を突く。
膝を突いたところで、なんの意味もないのはわかっている。
ただの感傷でしかないことはわかっている。
それでも、私は膝を突いていた。
自分の無力さを嘆きながら、プロキオンが立っていたそこに目を向けていた。
「ふぅ。あの子を手に入れられませんでしたが、この状況で生き残られたのであれば、よしとしましょうか」
無力感に打ちのめされていると、恋香の声が聞こえてきた。
何気なく声の聞こえた方を見やれば、私たちから遠く離れた場所で、この地下空間の入り口前で、大きな扉の前に立つ恋香がいた。
「最良の結果にはなりえませんでしたが、まぁ、お姉ちゃんを殺せたことでよしとしましょうかね」
恋香はくすくすと笑いながら、扉を開いていく。
扉の先には見慣れぬ一室が見えた。その一室ではスカイディアとアルクがテーブルに腰掛けて、優雅にティータイムをしていた。
「あら、遅かったわね、恋香」
「お疲れ、恋香姉ちゃん」
「ええ、お待たせしました。あの子を手に入れることはできませんでしたが、障害となるお姉ちゃんは始末できました」
「あら、そう。それは残念だけど、仕方がないわね」
「そっかぁ。香恋姉ちゃんと一緒にいたかったけれど、香恋姉ちゃんはおかしくなっちゃっていたから、仕方ないよね」
「ええ、仕方がありませんでした」
恋香たちは私たちを置いてけぼりにして、おかしなことを話していた。
カレンを殺したことを、「仕方がない」で済ませていた。
カレンを殺したことへの罪悪感も忌避感さえもない。
それどころか、笑っている。
まるで団らんの際の、楽しげな会話のようだ。
カレンを殺したことのなにが楽しいのかが、私にはわからなかった。
「でも、母様ならなんとでもなりますよね?」
「あぁ、そういえばそうか。ならなにも問題ないね。そうだよね、母さん?」
「ええ、問題ないわ。どうせなら、理想の香恋を作りましょうか? あなたたちにもとっても優しく、私を誰よりも大切にしてくれる。理想の香恋をね?」
「あぁ、それはいいね! 元の香恋姉ちゃんよりも、とっても優しい香恋姉ちゃんにしてよ、母さん!」
「アルクの言うとおりです。私たちのためになんでもしてくれる、優しいお姉ちゃんにしてください、母様」
「ええ、任せてちょうだい。最高の香恋を作ってあげるわ」
恋香の言葉を皮切りに、連中はおかしなことを話していく。
まるで今日の献立についてを話しているかのように、三人の会話事態は穏やかなものだった。
けれど、傍から聞けばそれは理解不能な内容。狂人同士の会話のようにしか聞こえなかった。
「なに、言ってんのよ」
私は呆然となりながら、連中の言葉に対して一言を告げた。
でも、その声は連中には届かない。それどころか、連中は楽しげに会話を続けていた。
「どうせなら、香恋姉ちゃんをもっと大人びた姿にしない? ほら、恋香姉ちゃんとは髪の色の違いがあるけれど、それだけだとちょっとわかりづらいし」
「どうせ、あなたの趣味でしょう、アルク? お姉ちゃんをあなた好みの体型にしたいだけでしょう?」
「そ、そんなことないよ!」
「言い淀んでいる時点で、曝露しているようなものですよ、アルク」
「う、うぅ」
「こらこら、恋香。あんまりアルクを虐めちゃダメよ?」
「ですが、母様。アルクの言っていることは私に対して喧嘩を売っているようなものですが?」
「そういうところも含めて、アルクなのよ。お姉ちゃんなんだから我慢してあげなさい」
「……むぅ、仕方ありませんね。ですが、アルク好みの体型なお姉ちゃんは絶対拒否です」
「それは安心なさい。アルク好みの体型の香恋は私だって作りたくないし。というか、想像がしづらいわ」
「……なんでしょう。虐げられていないのに、母様に虐げられた気分です」
「気のせいよ」
団らんの会話は続いていた。
その会話の内容は、どうでもいいものだ。どうでもいいけれど、その内容は、香恋を新しく作るという前提の会話が私の怒りを加速させる。
「なに言ってんのよ、おまえら」
転がっていた「鳴轟」を拾う。
「鳴轟」の刀身に私自身の力を付与させていく。付与させていたのはほぼ無意識だった。
無意識に刀身に力を付与させながら、私は静かに「鳴轟」を構える。
「飛雷刃」、いや「飛空刃」の構えを取る。狙いはバカなことを言い続ける連中。その首辺りを狙って「鳴轟」を構えていく。
「待って、香恋さん」
構えている途中で、アンジュに肩を叩かれた。
若干の苛立ちを憶えつつ、振り返るとそこにはいままで見たことがないほどに怒ったアンジュがいた。
「あなただけで終わらせない。私にもさせて」
苛立った様子でアンジュは言う。見れば、腕の中にいるベティも唇を噛み締めていた。
いや、ふたりだけじゃない。
この場にいる全員があの連中に対して苛立ちを感じている。
私だけじゃなかった。
全員がカレンの死を悼んでいる。……正確にはまだ死んでいない。
私の中にまだカレンはいる。ただ死すれすれの所でどうにか維持しているので、いまは意識がない。
……あいつの意識がいつ回復するかはわからない。
下手をすれば、もう二度とという可能性も否定はできない。
でも、諦めるものですか。
私はあいつの姉なのだから。
諦めることを諦めた、あのドバカの姉なのよ。
その私がこんなところで諦めてたまるもんですか。
だからこそ、連中には「お礼」をしないといけない。
たった一度拒絶されたくらいで、茫然自失となってしまっていた。
たった一度プロキオンに拒絶されたくらいで、自棄になりかけていた。
あぁ、まったく情けないわ。
この程度のことで落ちこんでしまうなんてね。
「だからこそ、感謝しているわ。私のありようを思い出させてくれてね。その「お礼」をしてあげようじゃない!」
アンジュに肩に触れて貰いながら、流れ込んでくるアンジュの力も用いて全力で「鳴轟」を薙ぐ。
薙ぎ払った瞬間、「鳴轟」の切っ先から三日月の形をした光が、「飛空刃」が放たれた。
放たれた「飛空刃」はまっすぐに連中のいる扉へと飛んでいく。
恋香とアルクは「飛空刃」に気付くと、それぞれに身構えた。
が、そんなふたりを守るようにしてスカイディアが立ちはだかった。
「ふふふ、危ないじゃないの、香恋?」
立ちはだかったスカイディアは、「飛空刃」をたやすく打ち消した。
無意識だったからこそ、全力で力を込めたうえに、アンジュの力も用いたのだけど、その一撃をスカイディアはたやすく打ち消してくれた。
「巨獣殿」で戦ったときよりも、明らかに強くなっていた。
「……少し見ない間に強くなったのね、おばさま」
「お母様、でしょう?」
「何度も。何度でも言うわ。あんたは私の、私たちの母さんじゃない!」
「鳴轟」の切っ先をスカイディアへと向けた。
スカイディアは「鳴轟」の切っ先を突き付けられても笑っていた。
「そう。でも、その程度の力じゃ、「虚空」では私に抗うことはできないと思うけど?」
「「虚空」? なにを言っているの、私の力は」
「いいえ、違うわ。香恋。あの力はその程度じゃない。あなたの力は「虚空」属性。それがいまはっきりとわかったわ」
スカイディアは私を見下して笑っていた。
スカイディアの言いたいことがまるでわからなかった。
だけど、実際、私の力はスカイディアに通じていない。
だからって諦める気はない。
私は諦めることを諦めたカレンの姉なのだ。あいつの姉である私がこんな程度で諦めるなんてあっていいわけがなかった。
「ふふふ、カレンとともにいるのであれば、恐ろしくもあったけれど、いまのあなた程度であれば私の敵ではない。せいぜい抗ってみなさい? 無駄だけどね?」
あははは、と高笑いするスカイディア。その笑い声とともに開いていた扉が徐々に閉じていく。
飛びこんでいきたいところだけど、あちらは敵地。飛びこんだところで生き残ることさえ難しい。
「無駄かどうかはおまえが決めることじゃない。おまえは私が、いえ、私たちが倒す!」
私だけでは難しいかもしれない。
でも、私には、カレンの仲間たちがいる。彼女たちが力を貸してくれるのであれば、必ず打倒できる。
カレンであれば、きっとそういうだろうから。
「ふ、ふふふ、あはははは! いいわ、いいわよ! あなたのそういうところ、最っ高に滑稽でかわいらしいわ! そんな貴女を跪かせられたら最高よねぇ。楽しみだわぁ」
スカイディアは嗤っていた。
その笑顔をまぶたの裏に焼き付けながら、私は「鳴轟」を突き付け続けた。
スカイディアの姿が見えなくなるまで、「鳴轟」を突き付けて宣戦布告をし続けた。
やがて、スカイディアの姿は見えなくなった。
地下空間に静寂が戻った。
惨劇の痕と、カレンとプロキオンを失ったという結果を残しながら。
 




