rev5-74 掴めぬ手
カレンから託された。
おバカすぎる愚妹から、私は託された。あいつが愛する者を守ることを、私は託された。
だというのに、これはどういうことなんだろう。
「『──どうしてパパの体を使っているの?』」
プロキオンは私を睨み付けるように言う。
睨み付けられる理由がわからなかった。
まったくと言っていいほどではないけど、なんとなくは察した。
プロキオンは勘違いをしている。
「パパの体を使っているの?」という言葉の時点で、この子が勘違いをしていることは明らか。
他の相手なら面倒だなぁと思うけれど、相手はプロキオン。あのバカの愛娘で、私のかわいい姪のひとり。
それに私に矛先が向けば、プロキオンが恋香に攻撃を仕掛けることはなくなる。
私ばかり損害を受けることになるけれど、カレンは恋香を助けたいと願っていた。その願いを無碍にすることなんて私にはできなかった。
正直なことを言えば、なんで私がとも思う。
思うけれど、あのバカの願いなら叶えてあげたかった。
……わざわざ、私のために残った力を振り絞って、心臓の治療までするバカな妹のために、私は私のできることを全うしようとしたかった。
だけど──。
「『パパを最初から騙すつもりだったの? パパの体を最初から奪い取るつもりだったの?』」
──その気持ちは、プロキオンの言葉にあっさりと踏みにじられてしまった。
プロキオンは騙すとか、奪い取るとか言っていた。
言われた言葉の意味をすぐに理解することはできなかった。
そもそも、なんの話なのかがわからなかった。
どうして、私がカレンを騙すのか、どうしてカレンから体を奪い取るなんて話になるのか。
どうしたら、そんな発想になるのかがまるでわからなかった。
あまりにも一方的すぎる言葉に、私の思考は止まってしまっていた。
……きっと、それが悪かったのかもしれない。
プロキオンの誤解が加速してしまったのは、私が思考を止めてしまったのが悪かったんだ。
「『答えて、お姉様上。なんで、パパの体を使っているの? どうして、パパを助けてくれなかったの? なぜ、パパを見殺しにしたの?』」
どうして助けてくれなかったのかと。
なぜ、見殺しにしたのかと。
プロキオンは詰問した。
言われた言葉のひとつひとつが私の胸を突き刺さっていく。
助けてくれなかった?
見殺しにした?
そんなの、そんなの私が一番言いたいわよ。
……どうして私は助けられなかった?
どうして私は見ていることしかできなかった?
ずっと、ずっとそんな言葉が私の中で渦巻いている。
その答えが決して出ることはない。答えが出ないまま、私は呆然と立ち尽くしていた。
そんな私にプロキオンは追撃してくれた。
「『……許さない』」
「え?」
「『よくも、よくも、よくも! パパを殺したな! 私はおまえを絶対に許さない!』」
「なにを、なにを言っているの!? どうして私がカレンを殺さないといけないのよ!?」
「『じゃあ、なんで、おまえはパパの体を使っているんだ!? なんで、パパの心臓の傷がふさがっていくんだ!? すべておまえとこの女の策略だからだろう!?』」
「違うの。話を、話を聞いてちょうだい、プロキオン! 私は、私はただカレンに──」
「『おまえがパパの名前を口にするな! 裏切り者!』」
策略。
プロキオンがはっきりと口にした言葉に、気を失いそうになった。
つまり、この子は私と恋香が策謀して、カレンを殺したのだと言いたいのだろう。
そんなことあるわけがないというのに。
どうして、私があのバカを、カレンを殺さないといけないのか。
意味がわからない。
でも、状況を俯瞰的に見れば、そう見えるのも事実だった。
特に私の心臓の傷が塞がっていくところなんて、作為的にも見えるでしょう。
カレンの気遣いがかえって私を追いつめてくれていた。あいつにそんなつもりはなかったとしても、事実上、私は追い詰められていく。
それでも、どうにかプロキオンに話を聞いてもらいたかった。
聞いて貰うために伸ばした手は、プロキオン自身の手によって振り払われてしまった。
乾いた音と手に走る痛みが、一層に私を追い込んでいく。
呆然となっていると、プロキオンは突如として、氷結王様に向かって手を伸ばした。
なにをするつもりなのだろうと思っていると、プロキオンは忌々しそうに顔を歪めながら、『おやつくらいにしかならないけれど』」と言った。
なんのことを言っているのだろうと思っていたら、プロキオンの手の中に黒いぶよぶよが、「混沌の胚」が現れた。
「ぬぅ! こ、これは!?」
「氷結王!?」
出所は氷結王様の反応を見る限り明らかだった。
なぜ、いきなりと思ったけれど、寸前にプロキオンが口にした言葉と、その後の行動、「混沌の胚」に食らいついたことを踏まえれば理由はすぐにわかった。
プロキオンは栄養を欲しがっている。いや、栄養じゃない。プロキオンは力を欲しがっているのだと。
「フェンリル化」したことで、力のほとんどを消耗しているんだろう。
考えてみれば、「フェンリル化」してから、プロキオンはお腹を空かせているような言動が目立っていた。
おそらくは、「フェンリル化」する際に、エネルギーを消耗していたんだろう。
その消耗を食事という形で補おうとしているんだと思う。
カレンやアンジュを「贄」と言っていたのも、プロキオンを絶望に落とすこと以上に、消耗を少しでも補いたかったのでしょうね。
この場にいる誰よりも、カレンとアンジュは力を持っている。その力を欲していたんだと思う。
でも、いまのプロキオンは自我を取り戻した。
それでも、あえて「混沌の胚」を喰らった理由。考えられるのはひとつだけだった。
この子の最終的な目標は私を殺して、カレンの体を取り戻すこと。
でも、私の力ははっきりと言えば、カレン以上だ。
いまの消耗したプロキオンでは私を殺すことはできない。
仮に殺せるだけの力があったとしても、最愛のパパを想わせる私に手を掛けることは難しい。
となれば、プロキオンが「混沌の胚」を喰らった理由は──。
「『──私はおまえを絶対に許さない。パパを騙したおまえだけは絶対に許さんぞ、裏切り者め!』」
──この場からの離脱。
「混沌の胚」を喰らって戻った力で、この場から少しでも遠くに離れるために転移すること。それ以外には考えられない。
でも、決して肯んずることはできない。
だって、そんなことを許せば、カレンの願いが叶えられない。それに誤解を解くことができなくなってしまう。
「……違う。違うの、プロキオン。お願いだから、話を聞いて」
私は必死になってプロキオンに声を掛ける。
少しでいい。
ほんの少しでいいから、私の話を聞いてほしかった。
誤解であることを知って欲しかった。
「『おまえと話すことなんて、なにもない!』」
だけど、プロキオンは私と会話をするつもりはなかった。
私の投げ掛けた言葉はプロキオンには届かない。届いてくれなかった。
もし、この場にいるのが私ではなく、カレンであれば。
カレンだったら、プロキオンは話を聞いてくれたでしょう。
ううん、カレンだったら、こんなことにはならかった。
私だからこそ、こんなことになってしまっていた。
その事実が私をより追い詰めていく。
事実を突き付けられたせいで、私の初動は遅れてしまった。
……それが致命的な結果を生むことになってしまった。
「『おまえたちの好き勝手にはさせない。絶対にパパの仇を取ってやる! それまでせいぜい首を洗って待っていろ!』」
プロキオンは私の動きが止まっている間に、魔法陣を展開させた。
その魔法陣がどういう術式なのかは、考えるまでもないことだった。
「プロキオン、待って。待ってちょうだい! 私の話を」
聞いて欲しい。
そう叫んだ。
でも、その叫びをプロキオンは耳を貸してくれなかった。
伸ばした手は、必死に伸ばした手は虚空を掴んだ。
そこにいたはずのプロキオンの姿は忽然と消えてしまった。
守ると決めたのに。
カレンの分まで守ると決めていたはずだったのに。
私は守ることができないどころか、土俵にも上がらせて貰えなかった。
なにもできないまま、私は呆然と立ち尽くしていた。
カレンなら掴めたものを、私には掴めなかった。
(……私はなにを掴めるの?)
いなくなってしまった姪を想いながら、私は私の無力感を嘆くことしかできなかった。
 




