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rev5-72 自慢の愚妹

 命が漏れ出していく。


 はっきりとわかった。


 カレンの命が急速に失われていくのがわかってしまった。


『カレン! しっかりしなさい、カレン!』


 プロキオンに寄りかかりながら、動かなくなったカレン。


 いつもなら「うるせえ」とか、「ぎゃーぎゃー騒ぐなよ」とか口汚い言葉を返してくるはずなのに、いまのカレンはなにも言わない。


 ぽっかりと空いた左胸から血を流しながら、なにも言わない。


 なにも言葉を返してくれない。


『ふざけないでよ、カレン! 寝ていないで起きなさいよ、あんた!』


 カレンがどんな状況にあるのかなんて考えるまでもない。


 左胸を、心臓を貫かれれば、どんな生物だって生きていることなんてできない。


 たとえ神子である私たちとて、それは変わらない。


 私は実体がないから、私には損傷はない。


 でも、実体のあるカレンは、私たちの体をメインに使っているカレンには、恋香からの不意討ちは致命的だった。


 いや、致命的ではあったけれど、恋香はおそらくカレンを殺す気はなかったはずだ。


 姉と称する相手の胸を後ろから突き刺しておいて、殺す気がなかったなんてどの口で言うのかという話だけども。


 でも、実際に殺す気はなかったんだと思う。


 実際、恋香はカレンの心臓から逸れた場所を狙っていた。


 あくまでもまともに戦闘ができない程度に留めるつもりだったんでしょう。


 だけど、その軌道上はちょうどプロキオンの心臓だった。


 カレンの心臓からは逸れていても、プロキオンの心臓には直撃する軌道だった。


 だから、カレンはとっさに位置を微調整した。

 

 自分の体を以て、プロキオンの盾となるように動いていた。


 そのとっさな動きを見て私は「やめなさい!」と叫んだ。


 だけど、カレンはやめなかった。


 ……考えてみれば、当然なことよね。


 こいつはド級の親バカだもの。


 自分の命と愛娘の命を天秤に掛けたら、どちらに傾くなんて考えるまでもない。


 シリウスとカティを喪い、親バカっぷりは加速した。


 当時でも、シリウスとカティがいた頃でも、同じような状況に陥っていたら、同じ行動をしていたでしょう。


 あの子たちを喪ったいまなら、なおさら、自身の命を省みないなんてことは容易に想像できる。


 そしてその通りに、このバカは行動してしまった。


 プロキオンには怪我はない。


 せいぜい、このバカの血に塗れてしまっているくらい。


 それ以外に変わりはない。


 そのことを確認して、このバカは意識を手放した。


 あれからもう何度も声を掛け続けているけれど、一向に返事はない。


 返事がないなんて当然よね。


 だって、カレンはもう──。


『っ! ふざけんな、私! なに諦めてんのよ、バカ野郎!』


 ──危ないところだった。


 たかが心臓ひとつを貫かれた程度で、このバカが死ぬなんて、なに弱気になってんのよ、私は。


 このバカのバカ具合が筋金入りなことなんて、私が誰よりもわかっていることでしょうが。


 誰よりも近くでこのバカと寄り添っていたのは誰だと思ってんのよ!


 だから、わかる。


 だから、知っている。


 鈴木カレンはこの程度で死ぬようなバカじゃないってことは。


 愚かで。鈍感で。不器用で。でも、誰よりもまっすぐで。とても穏やかで。大切な人をなにがなんでも守ろうとする。


 こいつは私の、鈴木香恋の自慢の妹だ! その自慢の妹がこんな中途半端なところで死ぬなんてあるわけがないでしょう!?


 そうよ。


 私とこいつの旅はまだ終わっていない。


 まだ途中だ。


 そんな途中でこの愚妹が死ぬなんてあるわけがない。あっていいわけがないのよ!


 私をひとりにするなんてあるわけがないんだから!


『いい加減起きろ、バカカレン!』


 お腹の底から叫び声を上げる。


 でも、カレンからの声は聞こえない。


 動いてもくれない。


 プロキオンに寄りかかったまま、身動きひとつさえ取らない。


 いや、もう寄りかかってなんて態勢じゃない。


 いまはもうプロキオンがカレンを抱きしめている。


 カレンを抱きしめたまま、恋香に詰め寄っていた。


 いや、詰め寄るなんてレベルじゃないわね。


 プロキオンは恋香を殺すつもりだ。


 いま、恋香の片方の耳を引きちぎったところを見る限り、恋香をカレンの、私たちの妹だと思ってはいないようね。


 大好きなパパを殺した憎い相手としか思っていない。


 実際、恋香はカレンの仇だ。


 その仇相手に手心を加えるなんて、早々あるわけがない。


 特にいまのプロキオンであれば。


 いまのプロキオンはひどく流動的だった。


 ロード・クロノス・オリジンであるからこそ、あまりにも絶大的な「刻」の力を行使できるこの子だからこそ、「フェンリル化」してしまったら、もう手が付けられなくなる。


 神獣フェンリルはもともと「刻」の力を司る存在。でも、あまりにも強大すぎたからこそ、スカイディアに危険因子として葬られてしまった。


 その怒りと嘆き、そして憎しみが神獣フェンリルや神獣王シリウスの子孫たるウルフたちに連綿と受け継がれてしまった。


 そしていつからか、ウルフたちは怒りと嘆き、憎しみのどれかが臨界点を超えると、「フェンリル化」することになった。


 神獣フェンリルではなく、最悪の化け物と称された魔獣フェンリルへと変貌してしまう。


 通常のウルフが「フェンリル化」しただけでも、最悪の化け物と称される理由をこれでもかと理解できるほどの強さを得る。


 ロード・クロノス・オリジンにまで至ったプロキオンが「フェンリル化」してしまえば、神獣さえも凌駕するのは目に見えていた。


 それこそ、原初の竜王である焦炎王様方に比肩する、いや、下手をすればそれ以上になる可能性さえあった。


「混沌の胚」とやらで、恋香はプロキオンを抑えられると考えていたようだけど、氷結王様には半ば破られているもので、それ以上の存在になる可能性のあるプロキオンを完璧に抑え込めるわけがない。


 その結果が「邪神フェンリル」と称したいまのプロキオンだ。


 最低でも焦炎王様クラス。最悪が神レベルという私の予想は当たってしまっていた。それも最悪の形で。


 でも、それもカレンのお陰で回避できていたというのに、恋香の奴はなにを考えているのよ。


 プロキオンのストッパーであり、心の支えのひとりであるカレンを手に掛けてしまった。


 そうなれば、邪神たる力のすべてを自身に向けられるのは明らかだというのに。


 それともこの期に及んでまだプロキオンを手駒にしようとバカなことを考えているのかしら?


 どちらにしろ、無謀なことだ。


 その無謀の報いがその命を刈られる。


 もう私にもどうしようもない。


 ……どうにかしようにも体がないのだから、そもそもどうすることもできなかったわけなのだけど。


 私にできるのは結局カレンの中で、ただ見守ることだけ。


 力はある。


 でも、その力を振るう術がない。


 なんて無力なのかしらね、私は。


 これじゃカレンを愚妹なんて言えないわ。


 誰よりも愚かなのは──。


「体ならあるだろう?」


 ──え?


「体ならここにある。だから、あの子を止めてあげてくれないか? 俺はもうできそうにないからさ。頼むよ、香恋」


 声が聞こえた。


 もう聞けないかと思っていた声が、たしかに私の耳に届いた。


「カレン、あんたなの?」


「俺以外に誰がいるんだよ」


「あのむかつく英雄とか」


「あれは、出てこないよ。あんたもわかっているだろう?」


「それは」


 そう、私とカレンの体の中にはもうひとつの人格がある。


 英雄エレン。


 この世界における英雄ベルセリオスの次代の英雄にして、私とカレンの前世とされている存在。


 でも、あの女はどういうわけか、なかなか起きてこない。


 あの日からずっとあの女は眠り続けている。いまも私たちが、私でさえも把握していないどこかで眠っている。


 そのエレンがいまさら出てくるとは思えない。


 となれば、この声は間違いなくカレンのものだ。


 そもそも、私がカレンとエレンの声を聞き間違えるわけがない。


 私とカレンは近しい存在なのだから、聞き間違えるわけがない。


 双子よりももっと近い存在。それが私とカレンなのだから。


「それよりももう時間がない。早く表に出てくれ、香恋」


 カレンが私を急かしていた。


 急かすのもわかる。


 プロキオンは恋香を殺すべく拳を握りしめている。


 いまのこの子が本気で殺す気になって攻撃すれば、恋香とて耐えることはできないでしょう。一撃で殺されるわ。


 けれど、それは自業自得。


 すべて恋香自身が招いた結果。


 むしろ、私としてはさっさと始末しろとプロキオンの背を押したいところで──。


「恋香を助けてあげてほしいんだ」


「……は?」


 言われた言葉の意味がわからなかった。


 よりにもよって恋香を助けろと言ったの? なにを言っているのよ、こいつは。


「なんで私が」


「俺たちの妹だろ、恋香は」


「……それはそうだけど。でも」


「頼むよ」


「……なんでそこまですんのよ? 恋香はあんたの仇で」


「仇であっても、妹であることには変わりない。それになによりも」


 カレンは一度言葉を切ると、おバカなことを言ってくれた。


「俺はプロキオンにこれ以上手を染めて欲しくないんだ。いまそれができるのはあんただけなんだ。だから、頼むよ、姉さん」


 姉貴ではなく、姉さんとカレンは言った。


 その言葉に私はなにも言えなくなってしまった。


 恋香を助ける義務なんてない。義理さえも本当はない。


 でも。


 でも、カレンの言うとおり、私もプロキオンがこれ以上手を染めるところを見たくなかった。


 あぁ、本当に腹が立つ。


 腹が立って仕方がない。


 でも。


 でも、誰よりもあんたがそういうのであれば。


 誰よりも私に近しく、誰よりも私とそばにいた、あんたの願いであるのであれば。


「……叶えないなんて選択できるわけないじゃない」


「ありがとう、姉さん。……あとは頼むね」


 そう言ってカレンの声は消えた。


 呼びかけてももう声は聞こえない。


 完全に消えたのか。


 それともエレン同様に眠ってしまったのかはわからない。


 わからないけれど、あの愚妹がこんな簡単に死ぬわけがない。


 きっと休眠状態になってしまったのだと思う。


 傷が癒えるまであいつは眠り続けるのでしょう。


 それがいつになるのかはわからない。


 その代わりを私は託された。


 なら、その代わりとして、あいつの願いを叶えないなんて選択をできるわけがなかった。


 だから、私は──。


「──やめなさい、プロキオン。あなたは魔道に堕ちてはダメ。そんなことをカレンは望んでなんかいないのだから」


 ──カレンの代わりに、かわいい姪っ子を止めよう。


 その手をそれ以上血で染めさせないために。


 ある限りの力を以て、この子を止めよう。


 それが私の自慢の愚妹の最後の願いなのだから。


(見ていなさい、カレン。あんたの姉のすごさをさ)


 眠ってしまったカレンへと語りかけながら、私は私のするべきことを始めた。

https://kakuyomu.jp/works/16818093080456940494

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