rev5-46 かつての名を
コサージュ村を始めとした、「アヴァンシア」の辺境の村を擁する霊山。
その霊山の山頂にある禁足地にして、「古き神」と称された魔物を祭るお社の内部。その内部に俺たちはいる。
お社の内部は数人が横一列に並べるほどに広く、入り口から最奥が見えないほどに奥行きがあった。
お社自体は岩と岩の隙間を利用して作られたというのに、入り口の狭さとは裏腹に内部はとても広々としていた。
その広々としたお社の内部を進んだ結果、いま俺たちの目の前に「古き神」はその姿を現していた。
お社の最奥に現れた氷の分厚い壁。その壁の向こう側に「古き神」は眠っていた。
その体は半透明な氷に覆われていて、一目では氷でできた竜のように見える。
でも、実際は分厚い氷という名の鎧を身につけた一頭の竜。
その竜は背中の翼を折りたたんだ状態で、出っ張った岩に腰掛けるようにして眠っていた。その体を覆う氷よりもさらに厚い氷の壁の中でひとり眠っていた。
「氷の竜っているんだね」
「古き神」を見て、プロキオンは感嘆とした声を上げていた。その目はいつものようにきらきらと輝いていた。実にプロキオンらしい反応だった。
感嘆としているのはプロキオンだけではなく、アンジュたちも同じだった。
「これが「古き神」ですか。思ったよりも小柄ではありますが、眠っている状態でも肌を刺すようなとてもつもなく強大な魔力を感じますね」
プロキオンに続いてリアクションしたのは、ルクレで、彼女は氷の壁に触れながら、向こう側にいる「古き神」を見て衝撃を受けていた。
「……寝ているだけなのに、まるでリヴァイアサン様と、凄まれているときのリヴァイアサン様と対面しているような気分です」
「古き神」は氷の中で眠っている。だというのにルクレにとっては、リヴァイアサン様が圧を掛けてきたときのように感じられているようだ。
『まぁ、たしかにそうかもしれないね。僕とこの方にはそれだけの差があるのだから』
ルクレの感想をリヴァイアサン様は神妙な様子で頷かれていた。
リヴァイアサン様も「古き神」とご自身には圧倒的な差があると認められていた。それは無言で「古き神」を見つめるルリも同じようで「わかっているつもりだったが、やはり格が違いすぎるな」と冷や汗を流していた。
「ルリ様でも、ですか?」
「……うむ。さしもの我とてこの方の足元にも及ばぬよ。炎王様とてこの方の前では赤子同然であるのだ。炎王様に軽く捻られる我や七のでは、この方に敵うわけがない」
「……それほど、でしたか」
イリアは興味本位で尋ねていたようだったけれど、最終的にはルリの言葉に打ちのめされてしまった。
でも、気持ちはわかる。
目の前にいる存在はそれほどまでに規格外だ。ルリやリヴァイアサン様もこの世界における規格外の一角であるのに、そのふたりよりもはるかに格上な存在が目の前にいる「古き神」なのだから。
「……あぁ、お会いできる日が来るなんて夢のようですねぇ」
「古き神」の実力に打ちのめされる中、サラはひとり感涙していた。サラの様子にそばにいたティアリカは驚いたように目を見開いていた。
「サラさん? どうされたのですか」
「あぁ、すみません。つい感動してしまいました。竜族にとって「原初の王」陛下方は特別な存在なのです。それこそ「双竜」様方とお会いする以上にです。その一角にあらせられるお方とこうして見えることができた。竜族にとってこれ以上の希望はありません」
サラははっきりと断言しながら、ティアリカが差し出してくれたハンカチで目元を拭いていく。
若干大げさじゃないかと思わなくもないが、「四竜王」陛下方がこの世界において、神獣様たちを凌駕する地位にあることを踏まえれば、サラの反応は当然なことなのかもしれない。
そんなサラ以上の反応を見せていたのがメアさんとティアリさんのふたりだった。
ふたりは無言で「古き神」の前で跪き、両手を組んで祈りを捧げている。
「偉大なる王よ。お目にかかれて誠に光栄でございます」
「どうか、いま一時だけこの場に滞在することをお許しください」
ふたりの祈りは真摯なものだった。心の底から目の前にいる「古き神」への祈りを捧げている。恐れと畏れの両方を抱くからこその祈りなのだろう。その証拠にふたりの体はかすかに震えていた。
神器を持つルクレでさえも愕然とする魔力を漂わせているのだから、ロードクラス手前とはいえ、Bランクであるふたりにしてみれば、「古き神」との対峙は相当に精神を蝕むもののはずだ。
それでもふたりは決して下がることなく、その場で祈りを続けている。そして祈りを捧げているのはふたりだけではなかった。
「ばぅ。おひさしぶりなのです、おうさま。ベティはあれからたいへんなめにあったけれど、それいじょうにたのしいのです」
メアさんとティアリさんに挟まれるような形でベティも祈りを捧げていた。
考えてみれば、ベティの一族はこの御山を中心とした山脈に棲んでいた。となれば、ベティの一族も折りをみて、「古き神」に祈りを捧げていてもおかしくはなかった。
ベティは舌足らずではあるけれど、メアさんたちと同じくらいに真摯な気持ちを込めて「古き神」への祈りを捧げていた。
ルクレが真っ先にリアクションを起こしたのも、ベティがルクレの腕の中から飛び降りて祈りを捧げ始めたからなんだ。
とはいえ、あの分厚い壁に直接触れるというのはどうかとは思うんだが、ベティはもちろん、メアさんとティアリさんも気にはしていない。
信仰を捧げるのであれば、「古き神」が眠るその壁に触れることは畏れ多いこととされそうなものだけど、三人の様子を見る限り、分厚い氷の壁に関しては信仰の対象外ということなのかしれない。
これが人間社会であれば、あの分厚い氷の壁も聖遺物扱いされて、触れること自体が畏れ多いということになりそうだけど、魔物社会にとっては信仰対象がその中で眠っているというだけのただの氷壁にしかすぎないんだろうね。
「タマモ様。どうぞ」
「……ありがとう、フブキ」
ベティたちが祈りを捧げる中、タマちゃんはフブキちゃんに手渡されたハンカチで目元を拭っていた。
タマちゃんの頬は大粒の涙で濡れていた。その涙は止めどなく溢れ続けていて、いまも頬を濡らし続けている。
頬を濡らしながらも、タマちゃんの視線は「古き神」へと向けられている。
アンジュもまたタマちゃんと同じように、「古き神」へと視線を向けていた。視線を向けながらも、アンジュは氷壁と向かって進み、ルクレと同じようにそっと氷壁へと触れていた。
「……初めまして、偉大なるお方。私はこの霊山が擁する辺境の村のひとつであるコサージュで育ったアンジュと申します。本来なら禁足地であるこの場に足を踏み入れることは許されざることではありますが、今回ばかりはご容赦ください。……私がこれからすることもまた」
そう言ってアンジュがそっと額を氷壁へと当てた。
すると、アンジュの体が真っ白な炎に覆われた。
「アンジュ!?」
ルクレが驚いた顔をするも、アンジュは「離れていて」とだけ言うと、真っ白な炎を覆ったまま、氷壁へと触れた。
アンジュの体を覆っていた炎が氷壁へと伝わり、その炎によって氷壁は溶けていく。
「力業ですね」
氷壁を溶かすアンジュを見て、タマちゃんが呆れたように言うけれど、タマちゃんはあえて止めるつもりはないようだった。
止めるつもりはないようだけど、その目は鋭く「古き神」へと向けられている。
「……ずいぶんと厚いね」
氷壁は白い炎によってつぎつぎに溶けていくのだけど、それでもまだ半分にも至っていないようだった。
分厚いことはわかっていたけれど、どうやら想像以上の厚みがあったようだ。それこそメートル単位の厚さはあるのかもしれない。
その壁をアンジュは真っ正面から溶かしていく。この調子だとそこまで時間は掛からず、「古き神」にたどり着ける。そう思った矢先のことだった。
『……止まれ、娘よ』
氷壁の中にいた「古き神」の目が見開かれ、「古き神」の声がお社の内部で響き渡ったんだ。
「古き神」の目は青みがかった金色で、縦に割けた、爬虫類じみた目をしていた。
反響によるものか、それとも元からなのはわからなかったが、「古き神」の声は二重に聞こえていた。
その声と視線を浴び、にアンジュは足を止め、白い炎を消した。
「お目覚めになられましたか?」
『無理矢理起こしておいてよく言う。……「解放の巫女」の血筋であるか。いや、「解放の巫女」の血筋だけではなく、「変化の巫女」の血筋もいるようだな』
「古き神」はぎょろりと視線を動かして、アンジュだけではなくルクレも見つめていた。「古き神」に見据えられてルクレはとっさにカーテンシーを行った。
「……お初にお目に掛かります、偉大なる方よ。「変化の巫女」の末裔にして、リヴァイアクス王国の女王ルクレティアと申します。此度は御身のご寝所を荒しましたことを、深くお詫びいたします」
『……よい。我は我が主のご寝所の門番である。この身の眠りを妨げた程度で怒ることはない』
「ご寛恕、誠に感謝いたします。……アンジュ」
「失礼いたしました、偉大なる方。どうかお許しください」
「古き神」の許しを得て、ルクレはほっと一息を吐くも、アンジュに目配せをした。アンジュはその目配せを受けて、ルクレ同様にカーテンシーを行い、謝罪を口にした。
『構わぬ。そなたの方が我よりも格は上である。むしろ、許せというのであれば、我のセリフであろう。いや、そもそもこのような振る舞い自体が許されざることではあるのかもしれぬ』
「そのようなことはありません。お聞きいただいていたかはわかりませんが、私はコサージュ村の者です。あなたが擁するこの御山の実りによって生きながらえてきました。御山の主たるあなたに対して、尊大な態度をどうして取れましょうか」
『……我としては、この山の主は我が主であると言いたいところだが、この辺境周辺では、たしか我を「古き神」と称していたな。この矮小の存在を「神」などと畏れ多いのだがな』
「古き神」は困ったような口振りだったが、やはり目の前にいる存在が「古き神」であることは間違いないようだった。
そしてその口調と声は、こうして聞いているとたしかに憶えがあった。
二重に聞こえてきたことですぐにはわからなかったけれど、いまははっきりとわかった。「古き神」が誰であるのかを。
「アンジュ、代わってくれ」
「でも」
「いいんだ。頼む」
「古き神」と接しているアンジュの側によって、代わって欲しいと頼んだ。アンジュは少し悩んでいたが、「……じゃあ、お願いするね」と言って下がってくれた。
アンジュが下がるとルクレも自然と下がってくれた。ふたりが下がるのと入れ替わる形でタマちゃんが俺の隣に立った。
俺とタマちゃんは隣り合わせで立ちながら、「古き神」を見つめた。
「古き神」は俺とタマちゃんを見て、「そなたたちは?」と怪訝そうな顔をしていたのだけど、すぐに目を見開き、懐かしそう声で笑いかけてくれた。
『ははは、最初は誰だと思ったが、なるほど。ずいぶんと見違えたではないか』
「それは私たちのセリフですよ。……氷結王様のお姿を真似られているとは思っていなかったですし」
『許せ。我が主のご意向であってな。我などでは畏れ多いと申したのだが、聞き入れてくださらなかったのでな』
「でも、かえってその姿と口調だとちょうどいいと思いますよ?」
『そうか? だが、そなたはまるで合っておらんな? それが実際の姿なのであろう?』
「……よく言われます」
『ははは! 冗談だよ。かつての懐かしき友と出会ってしまったのでな。つい、からかいたくなっただけだ。許してくれ』
「……本当にそういうところは相変わらずですね、シュトロームさん」
『ふふふ、その名を呼ばれるのはどれほど振りかな? あぁ、本当に懐かしい』
「古き神」、いや、シュトロームさんは表情を緩めて笑っていた。
「シュトロームさん、話もありますから、そこから出てきて貰えますか?」
『あぁ、そうだな。そなたたちであれば、問題なかろう。少し待ってくれ』
タマちゃんの言葉にシュトロームさんは頷くと、眼前の氷壁へと手を向けると、氷壁は瞬く間に消え、シュトロームさんはその体を起こしながら、擬態を解いていった。
「……がぅ、本当にスライムさんなんだ」
氷結王様を真似た擬態を、氷の鎧を纏った竜の姿から、巨大な透明な水まんじゅうに、まるで落書きのような顔の懐かしい姿となって、地面に降り立った。
降り立ったシュトロームさんを見て、プロキオンは興奮してシュトロームさんを見つめていた。その視線と言葉を聞いて、シュトロームさんはプロキオンを見つめた。
「ほう? ロード・クロノス・オリジンか。この目で見るのは初めてだな」
「がぅ、わかるの?」
「うむ。こう見えても「古き神」と讃えられていたゆえな。そなたはレンの仲間か?」
「パパとママの娘です」
「……パパとママ、と言うと?」
「ここにいるパパと、さっきまで氷の壁を溶かしていた人がママです」
プロキオンは俺の腕を取りながら、アンジュを見やる。プロキオンの視線を追いかけたシュトロームさんはあ然とした顔をしていた。
「……レンがヒナギク以外を嫁にするとは。まこと驚いたな」
信じられないと言わんばかりのシュトロームさん。俺とタマちゃんは苦笑いしかできなかったが、俺たちの様子を見て、シュトロームさんは「まぁ、よいか」と頷かれると咳払いをされた。
「さて、妖狐とレンとの話にあったが、紹介させてもらおう。我が名はシュトローム。氷結王様の眷属の長をさせてもらっている、エンシェントスライムのシュトロームである。以後よろしく頼む」
シュトロームさんは魅惑のぷよぷよボディを揺らしながら、自己紹介された。
こうして俺は数年ぶりとなるシュトロームさんとの再会を果たすことになったんだ。




