rev5-30 世界樹の根元で響く声
特別な世界樹の根元では、食後のお茶を楽しんでいる土轟王様がおられた。
世界樹の根のひとつに腰掛けて、隣のヨルムさんが淹れたお茶を啜られていた。
「ふぅ、やはりヨルムのお茶は美味しい」
「ありがとうございます、我が君」
ヨルムさんは静かにお辞儀をしていた。お辞儀をしているんだが、現在のヨルムさんはなんとも言えない状態になっていた。
「おぉー、たかーいの。おとーさんよりも、じっじのほうがぜんぜんたかいの」
「もう、ベティ。じっじが優しいからって、迷惑になるんだから、早く降りなよ」
「……そないなプロキオンちゃんも、おんぶしてもろうとったら、ベティちゃんのこと言えへん思うけど?」
「ほっほっほ、構いませんぞ、フブキ殿。私のことを「じっじ」と呼び、慕ってくださるおふたりのためであれば、この老骨、この程度の負荷など容易に超えてみせましょうぞ」
「……はぁ」
現在のヨルムさんは、ベティを肩車しつつ、プロキオンをおぶっている。そのうえで土轟王様のお世話をしていた。
そんなヨルムさんをフブキちゃんは絶句しながら、すぐ近くで見上げている。
俺とタマちゃんはなにを言えばいいかわからなかったので、とりあえずヨルムさんを視界から外すことにした。
そしてそれは土轟王様も同じようで、ヨルムさんの淹れたお茶を啜り、美味しいと感想を口にしつつも、ヨルムさんからは視線を外されていた。
というか、視線を外さないと現在の状況をどう捉えていいのかわからないようだった。お労しいと言いたいところなんだけど、そうなった原因がうちの愛娘ズにあるため、俺からはなにも言えないんだよねぇ。
「……ところで、姐さんは行かれたのかい?」
「……ええ。つい数時間ほど前に」
「そうか。満足そうだったかな?」
「ええ。とても穏やかなご様子でした」
「なら、いい。で、君たちもそろそろ出立するんだろう?」
土轟王様は俺とタマちゃんを交互に見やりながら尋ねられた。
この場に来たのは、タマちゃんから朝であれば土轟王様はここにいるという話を聞いたからだ。
土轟王様に会いに来たのも、挨拶を、アンジュの故郷であるコサージュ村に向かうことを伝えるためだった。
「はい。とは言っても、今日これからというわけじゃないですけど、準備もありますからね」
「そうだね。ここからは陸路を使うことになるだろうから、一ヶ月ほどかな」
「一ヶ月ですか」
「あぁ。ここは水路もないところだからね。ここから氷結王殿が眠られている山へと向かうには、本来陸路で行くしかない。そしてその陸路で掛かる時間が約一ヶ月だね」
土轟王様はお茶を啜られながら、コサージュ村まで辿り着く期間を語られた。陸路で一ヶ月。俺もこの世界で散々旅をしてきたけれど、陸路を使うのは久しぶりだった。
最後に陸路を使ったのは、コサージュ村から旅立ったとき以来になる。
あのときは、まだアンジュといまの関係になるとは思っていなかったし、プロキオンもまだそばにいなかった頃だ。
時間にしてみれば、まだ数ヶ月ほどだというのに、すっかりと俺の周囲は様変わりしてしまっていた。
「君の奥方から話を聞いたが、コサージュ村ほか、辺境の村を覆う溶けない氷は、氷結王殿の力の一端であることは間違いない。氷結王殿が目覚めて力を貸してくだされば、容易に辺境の村々を覆う氷は溶けることになるだろうね」
「やはり、ですか」
「あぁ。聞けば、そこのプロキオンが暴走してしまったことで起きた災厄らしいが、その災厄も元は「古き神」と呼ばれる魔物の力を一時的に利用したものだとも。加えて、その霊山にある辺りは氷結王殿が眠られた地でもある。状況的に踏まえれば、氷結王殿が「古き神」であることは、おそらく間違いない」
「「古き神」が、ですか」
「そういえば、レンはコサージュ村に滞在していたらしいね? 「古き神」の逸話はどこまで知っているのかな?」
土轟王様に話を振られ、俺は当時の、コサージュ村に滞在していた頃のことを振り返るも、「古き神」について知っていることはあまり多くない。
「村によって、伝承が変わっていました。ある村では偉大なる存在とも、別の村では強大な魔物とも。辺境の各村によって伝承は異なっていましたが、どの伝承でも共通しているのは、「人智の及ばない強大な存在」であること。それくらいですね」
「ふむ、なるほど。つまりは、ほとんど知らないということか。だが、それは僕たちも同じことだけどね。僕を始めとした「四竜王」はこの世界における、自分たちの伝承を知らない。せいぜいが「原初の竜王」であるということくらいだね」
土轟王様は脚を組みながら、ご自身を含めた「四竜王」陛下方の逸話についてを語られるも、伝承についてはほとんど知らないと仰られた。
考えてみれば、この世界は「四竜王」陛下方にとっては、本来の世界ではないし、いまのいままで眠り続けられていたことを踏まえれば、伝承の内容を知らないというのも無理もないことだった。
「でも、それはあくまでも僕はだけどね? ねぇ、ヨルム?」
土轟王様はヨルムさんを、ベティとプロキオンを事実上あやしていたヨルムさんを見やり──。
「ばぅ~! じっじ、すごいの~! すごくたかいの!」
「がぅ! すごい、すごいすごい! こんなに高いの初めて! がぅ~!」
「は、はわわわわ! なんでうちまでぇぇぇぇーっ!?」
──ベティ、プロキオン、フブキちゃんの三人を空高くまで、まるでお手玉のように飛ばすヨルムさんの姿に絶句された。
ベティとプロキオンは空高くまで飛ばされても楽しげなのに対して、フブキちゃんは巫女服の袴の裾を抑えながら涙目になっているのが対照的だった。
「……君、なにやってんの、ヨルム?」
「いえ、ベティちゃんに「高い高い」をしてほしいとねだられましてな。最初は一般的な方法をしていたのですが、プロキオンちゃんが羨ましそうに見ておられまして」
「それで巻きこんだと?」
「人聞きが悪いですなぁ~。あくまでも同時に「高い高い」をするためですぞ」
「……まぁ、別にふたりはいいさ。なぜフブキちゃんまで?」
「いえ、ひとりだけのけ者にするのはかわいそうかと思いまして」
「かわいそう、ねぇ」
ヨルムさんの言葉を聞いて、土轟王様が頭上を見上げられる。俺とタマちゃんも倣って空を見上げるが、そこには已然として涙目になりながら叫び続けるフブキちゃんがいた。
「も、もう勘弁しとぉくれやすぅぅぅぅぅ、ヨルム様ぁぁぁぁぁぁーっ!」
「フブキおねーちゃん、うれしそうなの~」
「もっと、もっと楽しもう、フブキ!」
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!?」
無邪気に空高く飛ばされることを楽しむ愛娘ズとは対照的に、完全に怯えきった様子で叫び続けるフブキちゃん。
なんだか非常に申し訳ない気分だった。
「……そろそろやめてあげたら、ヨルム?」
「そうですか? 楽しそうに見えるのですが」
「……あれで? 彼女、泣いているけど?」
「はて?」
ひとり泣き叫ぶフブキちゃんを見て、土轟王様は気の毒そうに、ヨルムさんは理解できないように首を傾げられながら、うちの愛娘ズWithフブキちゃんはそれからしばらくの間、空中浮遊(強制)を堪能させられることになった。
「も、もう勘弁してぇぇぇぇぇーっ!?」
……その間、ひとり泣き叫ぶフブキちゃんの声は、土轟王様の居城内で、早朝の教場内でいつまでもこだましていたことは、言うまでもない。




