rev5-29 森の中にこだまする声
深緑の森の中をゆっくりと練り歩く。
先導するのはフブキちゃんで、その隣をベティとプロキオンが着いていた。俺とタマちゃんはその後を並んでいた。
焦炎王様が消えられて、はや数時間。朝食を済ませてから俺たちは湖畔から離れた。
タマちゃんとフブキちゃんはこれまで湖畔の周囲で生活していたみたいだけど、これからは俺たちとともに旅をしてくれることになっている。
タマちゃんとは一度旅をしたことはあるけれど、フブキちゃんとは本格的な旅は今回が初めてだった。
そもそも、フブキちゃんは旅をすること自体が初めてみたいで、森の中を先導する背中はどことなく楽しそうだ。その証拠にフブキちゃんの尻尾は緩やかに揺れている。
もっとも、尻尾を揺らしているのはフブキちゃんだけではなく、うちの愛娘たちも同じだった。
特に尻尾を揺らしているのは、ベティだ。
フブキちゃんとプロキオンの間で、ふたりと手を繋ぎながら森の中を歩いている。それもフブキちゃんを見上げながらだ。
「ほら、ベティ。ちゃんと前を見て歩かないと危ないよ?」
プロキオンはフブキちゃんを見上げるばかりで、前を見ていないベティを注意するも、ベティは「はーい」と上の空な返事だけをし、そんなベティにプロキオンは「この子は」と困っているようだ。
「まぁまぁ、プロキオンちゃん、うちらが見たったらいけるで」
対してフブキちゃんは、言うことを聞かないベティに苦戦中のプロキオンに、自分たちが見ていればいいと言ってくれていた。
「それはそうだけどさ、フブキ。ベティだってちゃんと見ていないと危ないよ」
「言いたいことはわかるけど、言いつけるだけじゃ喧嘩になるだけやねん」
「そうでもしないと、ベティが言うことを聞かないからだよ」
「プロキオンちゃんは言い方強すぎるんやで。「反発しとぉくれやす」って言っているようなものやわぁ。ベティちゃんが大切なんはわかるけど、もう少し優しゅうしたらんと」
「べ、別に、ベティが大切だなんて言っていないし」
「……ほっぺを真っ赤にしながら言うてもねぇ。なぁ、ベティちゃん?」
「ばぅん。おねーちゃん、おかおまっかなの」
「そうやなぁ。真っ赤やさかいねぇ」
「なのー」
「こ、こら、ふたりとも!」
「きゃー、おねーちゃんがおこったのー」
「怒りん坊はんやなぁ」
「も、もー!」
フブキちゃんとベティにからかわれながら、プロキオンが顔を真っ赤にして地団駄を打っていた。
大人びたところがあるプロキオンだけど、見た目は同年代であるフブキちゃんがいると、自然と年相応の姿になっていた。
ベティだけだと「お姉ちゃん」として振る舞いがちなあの子が、いまは年頃の女の子になっている。その姿はとても新鮮だった。
いまアンジュがこの場にいれば、たまらず抱きしめてあげているだろうね。
それくらい、いまのプロキオンはかわいらしい。まぁ、プロキオンがかわいくないことなんてありえないわけだが。
「……レンさん、すごく顔がキモいです」
隣にいたタマちゃんが、顔を逸らしながらひどいことを言ってくれた。
「ちょっと、顔がキモいってなによ?」
「そのままの意味です。主にあの子たちを見詰めているときが」
「俺は愛娘たちのかわいさに悶えているだけですが?」
「それがキモいんですよ。……シリウスちゃんにも散々言われていたじゃないですか」
「……それを言われるとなにも言い返せなくなるから、やめてくれないかな?」
「事実ですし」
「この親友、ひどい」
「なにをいまさら」
はっと吐き捨てるようにタマちゃんが、意地の悪そうな笑みを浮かべている。
見た目は変わってしまったけれど、時折かつての姿と重なって見えた。いまも、かつてのタマちゃんの姿といまのタマちゃんが重なって見えていた。
「ところで、タマちゃんや」
「はい?」
「うちの愛娘たち、かわいいでしょう?」
「……希望がこの場にいなくてよかったですよ。親バカもいい加減にしろって殴っていますよ、あの子だったら」
「……否定できないのがなんとも言えませんです、はい」
「でしょうね」
再びタマちゃんに吐き捨てられてしまう。やり取りだけを見れば、辛辣かつ素っ気ないものだけど、その実俺もタマちゃんもこのやり取りを楽しんでいる。
まるで昔に戻ったみたいにだ。
「……おとーさんとタマモおねーちゃん、なかよしさんなの?」
「……お姉ちゃんもわかんない」
「あれがあのおふたりのデフォルトって奴やなぁ~」
気付けば、娘たちとフブキちゃんが俺とタマちゃんのやり取りに対して、なにやら話していた。
傍から見ればわかりづらいだろうとは思っていたけれど、うちの娘たちでも俺とタマちゃんの関係はわかりづらいみたいだ。
が、フブキちゃんは慣れ親しんだやり取りでしかないので、おかしそうに笑っている。フブキちゃんの反応にプロキオンとベティはそれぞれに反応を見せる。
「そーなの?」
「そや。昔からあないな感じなんやんなぁ」
「そーなんだ。へぇ」
ベティは意外そうな顔をして、俺とタマちゃんんを見ている。
が、こっちばかり見ているためか、前方不注意状態になってしまっていた。
危ないよ、って言おうとした矢先にベティは躓いてしまう。
でも、プロキオンとフブキちゃんと手を繋いでいたことで顔から地面にダイブすることはなかったが、足が宙に浮くことになった。
「……うかつすぎんで、ベティちゃん?」
「……ばぅ、ありがとーなの」
「どういたしまして」
間一髪を脱したベティが素直にフブキちゃんにお礼を言う中、ひとりプロキオンだけが無言を貫いている。
フブキちゃんが「プロキオンちゃん?」と首を傾げると同時に、プロキオンが口を開いた。
「……むぅ。フブキが私の知らないパパを知っているの、なんかやだ」
「そこはそれ、付き合いの長さやわぁ。そやけど、安心して? ……レン様が愛されているのはプロキオンちゃんたちやさかいね」
プロキオンの知らない俺を知っているというのが、プロキオンはお気に召さなかったようだった。もっと言えば、フブキちゃんにヤキモチを妬いていたみたいだ。
フブキちゃんは一瞬きょとんとするもすぐに破顔して、巫女服の袖で口元を隠しながらくすくすと笑うとプロキオンの耳元に顔を寄せてなにやら囁いていた。
その囁きにプロキオンは立ち耳をぴんと立たせると、恐る恐ると振り返ってきた。
「ぱ、パパ」
「うん?」
「わ、私のこと、あ、あい、あい、あい」
「……アイアイ?」
「いや、そんなところでボケないでくださいよ、レンさん」
タマちゃんに真顔で呆れられてしまうが、こればかりは致し方がない。
というか、プロキオンがかわいすぎて困る。「愛してくれている?」と言いたいんだろうけれど、はっきり言うのが恥ずかしいんだろう。顔どころか、全身真っ赤にしている。めちゃんこかわいい。
かわいいが、いまのままにしておくのもかわいそうなのであえてはっきりと言っておこうか。
「うん、愛しているよ。プロキオンだけじゃなくベティもね」
「それじゃ、ベティ、おまけみたいなのー」
「あははは、ごめんごめん。でも、言わないとベティは拗ねちゃうだろう?」
「ひていはしないの」
「だから、一緒に言ったんだよ」
「むぅ、しょーがないの。ベティはおとなのれでぃーだからがまんしてあげるの~」
プロキオンだけではなく、ベティも愛していると言ってあげたら、ベティが少し拗ねてしまうも、最終的には納得してくれた。
当のプロキオンは、どういうわけか無言だった。
どうしたんだろうと思っていると、突然視界が反転し、背中を強かに打ち付けてしまう。
「がぅがぅがぅ~。パパ、大好き大好き大好き~!」
背中の痛みに堪える俺をまるっと無視して、プロキオンが俺の胸にぐりぐりと顔を埋めていた。
どうやら嬉しさのキャパシティーを超えてしまい、若干暴走してしまっているようだ。……本当にかわいい娘様だこと。
「むぅ! おねーちゃんばっかりずるいの! ベティもなの! とぉぉぉぉ!」
が、今度はさすがにライン超えだったのか、ベティはフブキちゃんから手を離すと、すかさずジャンプして俺の上に飛び乗ってきた。ご丁寧にプロキオンに重ならないようにだ。
「ぐぇっ」と物が潰れたような声がつい出てしまう。いくらベティが軽いとはいえ、勢いよく飛び乗られたら、さすがにキツかった。……よく朝食を戻さなかったと自分で自分を褒めたい気分だよ。
「ふたりとも甘えん坊はんやなぁ」
フブキちゃんはふたりの甘えっぷりを見て、穏やかに笑っている。俺の隣にいるタマちゃんは「相変わらずですねぇ」と苦笑いしていた。
ふたりの笑い声が朝の森の中にこだましていく。こだまする笑い声を聞きながら、俺はしばらくの間愛娘たちにされるがままになっていた。
その後、たっぷりと充電し終わったふたりに上から退いて貰い、俺たちは再び森の中を練り歩き、そして──。
「やぁ、おはよう、レン。よい朝だね」
──特別な世界樹の根元でヨルムさん手製の食後のお茶を堪能していたであろう土轟王様の元へと辿り着いたんだ。




