rev5-28 焦炎王の災難
複雑な色に染まっていた空が、青一色に変わった頃、眠っていたプロキオンたちが完全に起き出してきた。
「おとーさん、おはよー、なの」
大きく口を開けてあくびをするベティ。あくびをしていたのはベティだけではなく、プロキオンとフブキちゃんも同じだった。
昨日の夜に出会ってから、すっかりと仲良しになってくれたなと思いつつ、そろそろ気付くだろうかと思ったとき。
「ばぁばは?」
起き出したベティが朝の挨拶の後に言ったのは、焦炎王様のことだった。
この二週間近くは、プロキオンともども焦炎王様にべったりだったこともあって、目を覚ましたらあの方がいないことに首を傾げていた。
でも、その質問にどう応えればいいのかがわからなかった。
ごまかすのも無理があるし、かといって正直に伝えるのはそれはそれで心苦しかった。
「どうしておこしてくれなかったの?」と言われるのは目に見えていた。
焦炎王様がそう望まれたと言えばいいんだろうが、そうすれば、今度は焦炎王様に矛先が向いてしまう。
が、焦炎王様は謝っておいてくれと言われていたので、その言葉をそのまま伝えるしかないとそう思っていた矢先──。
「ベティ。ばぁばはね。帰っちゃったんだよ」
──プロキオンが首を傾げるベティを抱っこしながらそう言ってくれた。ベティは「かえっちゃった?」とプロキオンの言葉をオウム返ししていた。プロキオンは「うん、そうだよ」と頷いた。
「お日様が出た頃にね、帰っちゃったの。だから当分は会えないんだよ」
「……そー、なの?」
「うん。そうなんだよ」
ベティの頭を撫でつつ、プロキオンは目尻に涙を溜めていく。その涙につられたのか、ベティの顔はあっというまにくしゃくしゃの泣き顔になってしまった。
「……ベティ、おわかれ、いえていないの」
「……うん。ベティはぐっすり寝ていたから」
「……おねーちゃんはなんでしっているの?」
「たまたま、起きたんだ」
「……どうして、ベティをおこしてくれなかったの? ベティもばぁばにおわかれしたかったの」
ベティの目尻から涙が零れる。零れた涙を拭いながらプロキオンは「ごめんね」と言うと、「お姉ちゃんも半分寝ていたから」と事実を伝えた。
事実ではあるけれど、ベティが納得するものじゃなかった。
ベティは泣きながら、「それでもおこしてほしかったの」と唇を尖らせながら、ぽろぽろと涙を溢れさせていた。
さすがのプロキオンもこれ以上はどう言えばいいかわらず、狼狽えてしまっていたし、目尻に溜まっていた涙を溢れさせてしまっている。
それでもプロキオンはどうにかベティをあやそうとするが、プロキオン自身が泣いているのだから、感情が溢れてしまっているんだ。
そんな状態でベティをあやすことなどできるわけもなく、プロキオンも次第に言葉をなくして焦炎王様を呼びながら泣き出してしまうまでに時間は掛からなかった。
「ふたりとも、本当に泣き虫さんだな」
泣きじゃくる愛娘ふたりの側によって、揃って抱きしめてあげると、ふたりは「おとーさん」「パパ」と涙声になりながら俺を見詰めていた。
二対の紅い瞳が、涙に濡れた紅い瞳が俺をまっすぐに見詰めている。その瞳を見詰め返しながら、俺はふたりを抱きしめたまま、その場に腰を下ろした。
「本当はね。焦炎王様はふたりに黙って帰られるつもりだったんだよ」
「どーして?」
「お別れさせてくれなかったの?」
しゃくり上げながら、ふたりが疑問を口にする。その疑問に俺は焦炎王様のご意志を汲む答えを口にした。
「焦炎王様ご自身が望まれたからだよ」
「ばぁばが?」
「なんで? 私とベティのこと、嫌いなの?」
「やだ。ベティ、ばぁばのことすきだもん」
「そんなの私だって同じだよ」
「でも、なら、なんで」
「それは……それは……」
焦炎王様が望まれたと言うと、ふたりはよからぬ方へと思考を転換させてしまった。ちょっと、いや、言葉が足りなさすぎたなと猛省しつつ、俺は続きを告げていく。
「理由は簡単だよ。焦炎王様はふたりとお別れするのが辛かったからさ」
「つらい?」
「なんで?」
「……それだけ焦炎王様にとって、ふたりが大切だから。大好きな孫娘が泣いてしまうのを見たくなかった。だから黙って帰ろうとされていたんだよ。まぁ、それもプロキオンが起きてしまったから、できなかったわけだけど」
ふたりに説明しながら、本当に困ったお師匠様だとつくづぐ思う。
でも、焦炎王様にふたりは懐き、焦炎王様もこれ以上とないほどの愛情をふたりに注がれていた。
二週間もない日々だったけれど、その日々でたしかな絆を焦炎王様はこの子たちと築かれた。
だからこそ、こうしてふたりは泣いてしまっている。……その後始末を俺に任せられた。弟子として、そしてこの子らの親としてちゃんと後始末をしないといけない。
そうしないと、この子たちが焦炎王様を嫌ってしまうかもしれない。
「弱点になってしまった」とご自身で認められたこの子たちから嫌われるなんて、焦炎王様にとってはあってほしくないはず。
ならその気持ちを汲むのもまた弟子の役目だろうと思うから。
「いいかい、ふたりとも。焦炎王様はふたりを嫌っていないよ。さっきも言ったけれど、大好きだからこそ、ふたりに泣かれながらお別れしたくなかったのさ」
「……ベティはそれでもよかったの」
「……私も、半分寝ていた状態じゃ嫌だった。ちゃんと起きてお別れしたかったよ」
ふたりがそれぞれに唇を尖らせて、ちゃんとお別れがしたかったと言う。
焦炎王様が大好きだからこそ泣かれたくないと言うのもわかる。
プロキオンたちが泣きながらでもいいから、お別れがしたかったというのもわかる。
焦炎王様もプロキオンたちも好き合っているからこそ、対極な答えを出している。同じ想いだからこそ、すれ違ってしまう。
一度すれ違ってしまえば、そのまますれ違いは続いてしまうものだけど、この場には俺が、いや、俺と香恋がいる。
だから、悲しいすれ違いは起こらないし、起こさせる気はない。
『あのね、ふたりとも。あなたたちがそう言うのがわかっているからこそ、我が師はあなたたちを起こさなかったの。あの方にとって、あなたたちの涙を見ることこそがなによりも辛いことなのだから』
「……おねーさまうえ」
「でも、お姉様上。それでも私とベティは」
『そうね。わかっているわ。わかっているからこそ、いまはその気持ちは抑えておきなさいな。次にお会いしたときにその気持ちを爆発させるために、ね?』
くすくすと香恋が笑う。その言葉にふたりは涙を流しながら、きょとんと唖然となった表情を浮かべていた。
「ばくはつ?」
「どういうこと、お姉様上?」
『簡単なことよ。次に我が師とお会いしたときに、今回のことを言ってあげればいいのよ。「ちゃんとお別れしたかったのに」と言って差し上げれば、あの方、てんてこ舞いになるわよ? ふたりとも見たくないかしら?』
とても意地の悪いことを言う香恋に、プロキオンもベティも「でも」とためらっていた。そんなふたりに香恋はおかしそうに笑った。
『あなたたちって、本当にいい子よねぇ~。うちの愚妹、あなたたちのおとーさんとは大違いだわ。でもね。もうちょっと悪辣、いえ、もう少しお転婆になっても問題ないのよ? むしろ、少しお転婆になっても、あの方はあなたたちを嫌うことはないわよ』
「ほんとー?」
「悪い子になってもいいの?」
『ふふふ、悪い子じゃないわ。お転婆になるの。こんなにも悲しい目に遭わせてもらったおかえしをしてあげるだけ。あなたたちがいつもしている喧嘩と同じよ。言ったら言い返すってだけ。ほら、悪いことじゃないでしょう?』
香恋の言葉にプロキオンとベティがお互いを見やりながら、「う~ん」と唸り始める。
……正直なことを言うと、うちの愛娘に変なことを教えるんじゃねえと言いたい。
言いたいんだが、香恋の言わんとすることも理解できるのがなんとも歯がゆい。
焦炎王様は涙を見たくないと言っていたけど、お別れをしないというのも、それはそれで泣かせてしまう。
どちらにしろ、泣かせてしまうのであれば、ちゃんとふたりと向かい合ってくださればよかったんだ。
でも、焦炎王様はそうしなかった。
焦炎王様もどう接すればいいかわからなかったということもあったんだろうけれど、それでもやりようはあったはずだ。
そのやりようがあったはずのことを怠られた。となれば、その被害を受けたふたりが仕返しとまではいかずとも、意趣返しをしてもいいはずだ。
問題があるとすれば、味を占めて今後もこういうことをしようとするかもしれないってことだ。
まぁ、そこに関しては俺がきっちりと釘を刺せばいいだけだから……いかん、香恋の提案を否定する要素がどんどんと削れていくんだけど。
「おとーさん、どうおもう?」
「パパ、お姉様上の言う通りにしていいのかな?」
どうしたもんかなぁと思っていると、ふたりが一斉に俺に聞いてきた。
俺に聞かないで言いたいところなんだけど、親としてはここで方針を決めてあげるべきだと思う。それがわかっているからなのか、香恋が『ほら、聞かれているわよ? 言ってあげなさいな』と笑っている。
この野郎と思いつつも、俺が口にしたのは──。
「……今回は目をつぶるけど、他の人にしたらダメだよ?」
──香恋の提案を受け入れることだった。
俺が頷いたことで、ふたりは「わかった」と言ってくれた。
言ってくれたが、次にお会いしたときの焦炎王様に災難が舞い込むことが確定してしまった。
心の中でごめんなさいと謝りつつ、すっかりと泣き止み、「ばぁばになにを言おうか」と悪戯っ子のような笑みを浮かべて話すふたりになにも言うことができなくなってしまった。
「……焦炎王様、大変なことになりそうだね」
「……そうどすなぁ」
傍観していたタマちゃんとフブキちゃんが焦炎王様にいずれ訪れるであろう災難についてを話していく。
その内容を聞きながら、俺は合掌しつつ、焦炎王様に再び謝罪をするのだった。




