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rev5-27 あの笑顔をもう一度

 星が瞬いていた。


 少し前までは、一定の光量で輝いていたはずだったのに、いまや輝きが翳りつつあった。


「……ふむ。そろそろか」


 焦炎王様も空を見上げながら、息をひとつ吐かれた。すぐそばにおられるから、その吐息に酒気が含まれているのはわかった。


 酒気を帯びているのは俺も同じだ。


 結局あれからずっと焦炎王様と一緒に、母さんが差し入れしてくれたという日本酒を飲んでいた。


 肴は目の前にある湖と頭上に広がっていた満天の星空。


 夕飯は食べていたから、食べ物は欲しくなかったというのもあるけれど、自然の雄大な景色を眺めながらの飲酒というのも悪いものじゃない。


 コサージュ村で雪見酒をよくしていたという下地があるからだろうか、星空とその星空を映す湖面を見ているだけで、十分な肴となってくれていた。


 焦炎王様も「すでに酒飲みの下地はできておるようじゃな」と笑っておられた。


 焦炎王様曰く、美しいと思うものを肴にできれば、酒飲みとしては一人前ということらしい。


 いまいち意味がよくわからなかったけれど、焦炎王様は俺を酒飲みとして認めてくださったということはわかった。


 正直酒飲みと認められるってどうなんだろうなぁとは思うけれどね。


 口にはしなかったが、俺の考えていることを理解されていたのか、焦炎王様は苦笑いされていた。


 苦笑いされながら、杯を重ねられていた。俺も倣って杯を重ねて気付けば数時間。


 満天の星空は少しずつ翳っていき、東の空が明るくなりつつあった。


 真っ黒だった空が薄れ、瑠璃色へと変わっていく。その瑠璃色も少しずつ薄れて、青空へと変わっていく。


 いまの空の色はとても複雑なものだった。


 キャンパスに絵の具をまき散らすようにという表現があるけれど、いまの空はまさにそんな感じ。


 星空の黒と夜明けの瑠璃色、顔を覗かせる太陽の赤、そして昼間の青空が共存していた。


 でも、それも一時だけ。いまこの瞬間だけのもの。その瞬間はもうすぐ崩れてしまう。


 それを象徴するように、焦炎王様の体から光が漏れ出していた。


 焦炎王様からの体が漏れ出る光は、とても淡く、弱々しい。


 顔を覗かせる太陽の光とは比べようもないほどに弱い光。


 その光の中で佇みながら焦炎王様は最後の一杯をゆっくりと呷られていた。


「カレンよ」


「はい」


「一時だけとはいえ、楽しかったぞ」


「……俺も楽しかったです。まるでかつてに戻ったみたいでした」


「そうか。香恋はどうじゃ?」


『愚妹と同じくです。我が師、あなたとともにあれたこの日々は、どれほどの言葉を重ねても言い表せないほどに幸福な時間でありました』


 焦炎王様は俺と香恋のそれぞれに、この一時の日々についてを尋ねられた。俺も香恋もそれぞれに想いを告げると焦炎王様は「そうか」と短く頷かれた。


「次に会うときは、本来の体じゃな。この仮初めの身ではなく、本来の体で思う存分に語り合おうではないか」


「はい、楽しみにしております」


『それまでごゆるりとお休みください。我が師』


「うむ。それまで少し寝させてもらおう。プロキオンとベティには「すまない」と謝っておいてくれ。本当なら別れを告げておきたかったのだが、どうにもまた泣かれてしまいそうでのう」


 頬を搔かれながら焦炎王様は、まだ眠っているふたりを見詰められた。その視線はとても穏やかで優しい。あの子たちを心の底から愛されているというのがよくわかる。


「……そうですね。起こすこともできますけど、起こしたら焦炎王様が困り果てられることは確実ですし」


『孫娘にタジタジになる我が師を見るのも悪くはありませんが、あとで怖いことになりそうなので、あえて致しません』


「やれやれ、まさかの弱点となってしまったのぅ。……だが、それも悪くはない。うむ、本当に悪くはないなぁ」


 最初は苦笑いされていた焦炎王様だったけど、次第にその笑みは楽しげなものへと変わっていく。とても満足そうに何度も頷かれる焦炎王様を俺と香恋はただ黙って見詰めていた。


 その間も焦炎王様の体からは次々に光が漏れ出ていく。


 まるで朝焼けの光のような、山吹色の光を全身から発されていく。


 その光の中でひとり佇まれながら、焦炎王様がそっとまぶたを閉じられようとした、そのとき。


「……ばぁば?」


 プロキオンの声が不意に聞こえてきたんだ。焦炎王様が目を開かれ、声の聞こえた方へと顔を向けられる。俺たちも同じように顔を向けると、フブキちゃんとベティと一緒に寝ていたプロキオンが、寝ぼけ眼で起き上がっていた。


 タイミングがいいと言うべきなのか、悪いと言うべきなのか、反応に困ってしまった。


 それは当の焦炎王様が一番仰りたいことだろうけれど、いまのプロキオンは寝ぼけているような状況であるため、そこまで思い至らないようだ。


「……ばぁば、どうしたの?」


 寝床から這い出るとおぼつかない足取りで焦炎王様の側によっていく。いまにも転んでしまいそうなプロキオンの姿に、焦炎王様は慌ててそばへと駆け寄られた。


 が、それよりも早くプロキオンが躓いてしまった。顔からまっすぐに地面に倒れ込んでいくが、顔が地面に触れる寸前で焦炎王様はプロキオンを抱きかかえられた。


「これ、プロキオンや。寝ぼけてあまり動くものではないぞ?」


 焦炎王様は間一髪だったこともあり、大きく息を吐きながらプロキオンを注意されるが、プロキオンは「がぅ~」と鳴くだけだった。


 寝起きすぐだから、いつもよりも子供っぽいプロキオンの姿に焦炎王様は愛おしげに目を細められると──。


「まだ起きるには早すぎるぞ? もう少し寝ていなさい」


「……ばぁばと一緒がいい」


「……そうしたいところなのじゃがな、ばぁばはそろそろ行かねばならない」


「どこに?」


「そう、じゃなぁ。とても遠い場所にじゃな。とはいえ、この世界で言う「天国アルカディア」ではないぞ? 我が向かうのは「獅子の王国」と呼ばれる地にある「炎翼殿」じゃ。我はそこで眠りに就く。そなたたちが訪れるそのときまで眠り続けている」


「……わたしも、いきたい」


「いまはダメじゃな。だが、いずれ来るといい。我はそなたたちが来てくれるのをずっと待っておるぞ」


 プロキオンを抱っこしながら、焦炎王様は元の寝床にまで連れて行かれていく。プロキオンはその腕の中で船を漕ぎながら、焦炎王様の袖を掴んでいた。絶対に離さないとばかりに強く握り込んでいる。


「息災でな、プロキオン。ベティとも仲良くするんじゃぞ? そなたたちは姉妹であり家族なのじゃ。姉妹も家族も仲良くするものよ。……決して仲違いするものでも、いがみ合うものでもない」


 プロキオンを寝床に横たわらせながら、ご自身の袖を握り込むプロキオンの手を焦炎王様はそっと撫でられていく。


 焦炎王様が手を撫でるたびに、プロキオンの手からは力が抜けていく。半開きだったまぶたも徐々に閉ざされていった。


「ばぁ、ば」


「うん?」


「……だいすき」


「我も大好きじゃよ、プロキオン。血の繋がらぬ我が孫娘よ」


 プロキオンは最後の力を振り絞るように、まぶたを閉じながら焦炎王様への想いを告げ、その言葉に焦炎王様は目尻に涙を溜められながら応えられた。


 焦炎王様からの返事に満足したのか、プロキオンはまぶたを閉じてすぐに寝息を立て始める。寝息を立てると同時に、プロキオンは焦炎王様の袖を離した。


「ゆっくりお眠り、プロキオン。我が愛し子よ」


 焦炎王様はプロキオンの頬に口づけてから離れられた。そのお体は半分近くが光になっていたが、お顔には後悔の色などなく、満足そうだった。


「さて、時間であるな。またな、我が弟子たちよ。彼の地でそなたたちが来ることを待っておるぞ」


 最後に焦炎王様は笑われた。その笑みとともに焦炎王様のお体は完全に光となり、朝焼けの空へと立ち上っていかれた。


 ほんの数秒前まですぐ目の前にいたのに、その名残さえもなくなってしまった。


「……必ずや御身の元へと向かいます」


『それまでお待ちください、我らが師よ』


 いなくなられた焦炎王様を思いながら、俺たちは必ず焦炎王様の元へと向かうという誓いを立てる。その誓いはもう焦炎王様の耳には届かない。それでも構わなかった。


 焦炎王様のいままで生きてきた日々にしてみれば、閃光のような短い時間だっだだろうけれど、その閃光の日々の間で焦炎王様が浮かべられていた笑顔とプロキオンとベティが浮かべていた笑顔をもう一度見るための誓い。


 朝焼けの光の中で俺たちは誓いを立てたんだ。必ずやあの笑顔をもう一度見るという誓いを立てたんだ。

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