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rev5-25 湖畔に響く声

 緋色の空が移り変わろうとしていた。


 緋色から黒へと変わり、空の上には月が顔を覗かせようとしている。


 少し前まで吹いていた風が不思議とやみ、湖の水面は再び水鏡となっていた。


 水鏡には月と日が同時に、一日のうちにわずかな時間しか見えない光景を映し出されている。


 一日の終わりを告げる時間が訪れつつある中、俺とタマちゃんは押し黙っていた。


 俺たちを挟むようにして腰を下ろされた焦炎王様のお言葉によって。


「……今夜消える、とは?」


 声が震えていた。あまりにも震えていたものだから、俺の声なのか、それともタマちゃんの声なのかさえもわからない。


 それほどに震え、そしてか細い声だった。


 閉鎖空間のような反響するはずがない状況であるはずなのに、発した声がいつまでも残っているように思えてならない。


 自然と空気は重たくなっていた。その重さのあまり、俺もタマちゃんもなにも言えなくなり、焦炎王様のお言葉を待っていた。


「……そのままの意味じゃ、我が弟子よ。我は今夜そなたたちの前から消えることとなる」


 淡々と焦炎王様は告げられた。


 前々からわかっていたことではあった。


 いまの焦炎王様は仮初めだと。仮初めの体を用いて、俺たちのそばにいるのだと仰っていた。


 最初は理解できなかったが、スカイディアとの戦闘の最中で焦炎王様はあまりにも消耗されていた。


 その姿を見て「あぁ、いまいるのは、本来の焦炎王様じゃないんだ」とはっきりとわかってしまった。

 

 本当ならあの日の夜、焦炎王様は消えられるはずだったのだと思う。


 実際、あの日焦炎王様は言われていた。「戦わなければあと一晩は保つ」と。逆に言えば、一晩しか保てないほどの力しか残っていなかったということ。


 その後なんだかんだで、母さんや創世神の力を借りて、いままで保ってきたようだけど、それももう限界ということなのだろう。


「……プロキオンとベティが悲しみます」


「であろうな。妹の鱗翅王に託そうとしたときも、泣きつかれてしまったしな」


 小さく含むように笑いながら、焦炎王様の目は細められていく。その視線はプロキオンとベティがフブキちゃんとともに消えていった対岸の森へと向けられている。


 焦炎王様がいまなにを思われているのかなんて、考えるまでもない。血の繋がりもないどころか、種族さえも違うあの子たちを、孫娘としてかわいがられていたあの子たちとの日々を想われているはずだ。


「……子など得られるはずもない。ましてや孫などと。そう思っておったのだがな」

 

 焦炎王様は望外の喜びと言うべきなのか、とても穏やかなお顔をされながら、あの子たちのことを語られていく。


「……俺だって四人も娘を得られるなんて思っていませんでしたよ。そもそも自分が親になるなんて考えたこともなかったです」


「そうか? 我から見れば、そなたは良き親になれると思っていたがな。タマモはどう思う?」


「そう、ですね。私も焦炎王様と同意見ですね。レンさんは口が悪いけれど、それ以外は理想的な親御さんになれる方だなと思っていました。……まぁ、当時はレンさんを男の人と思っていたので、いいお父さんになれる人かなぁと思っていましたが、まさか女性であるのに、本当にお父さんになってしまうなんて、ちょっと驚きましたよ」


 焦炎王様に話を振られたタマちゃんが、からかうような口振りでそう言った。その一言に俺は言葉を詰まらせてしまう。


「だそうだぞ、レンよ? まぁ、あの外見であの口調であれば、中身がこのようなかわいらしい女子だとは誰も思わぬであろうがな」


「無理に褒めないでください。プロキオンやベティならともかく、こんなちんちくりんには過分すぎるお言葉ですよ」


 かわいらしいという、お褒めの言葉に俺は苦笑いしてしまう。いくらなんでも過分すぎる言葉だったし、俺なんかよりもプロキオンやベティの方がはるかにかわいいのだから。


「……そなた、その自己肯定感の低さはどうにかならぬのか? いまの流れであれば、たしかにそう捉えることもできなくはないが」


「……無駄ですよ、焦炎王様。レンさんのそういうところは昔から変わらないのですから」


「……それもそうさな。いまさらか」


「え? え?」


 俺の返事を聞いて、焦炎王様とタマちゃんが完全に呆れられていた。

 

 そんな俺を見て、ふたりは破顔して笑い出す。呆れられてから笑われるという状況に、若干の不満を憶えるも、ふたりの笑い声を聞いてつい俺も笑っていた。


 日が完全に落ちて、月と焚き火の灯りだけが点る湖畔で俺たちの声がこだましていく。


 焚き火の淡い灯りに照らされていると、不意に駆けてくる足音が聞こえてきた。


 聞き覚えのあるかわいらしい足音にいち早く気付いて、苦笑いしながら腕を広げると──。


「おとーさん!」


 ──薄闇の向こう側からベティがいつものように俺の腕の中に飛び込んできたんだ。きたんだがいつもよりも衝撃が強かった。


 どうやら、プロキオンの横やりを警戒して、いつも以上の速度で突っ込んできたみたいだ。


 ……そのお陰で、さっき食べた夕食を戻しそうになったが、どうにか踏ん張った。口の中がすごく酸っぱくなったが、かわいい愛娘のじゃれつきを笑顔でいなせずして、なにが「おとーさん」よ。


「……いま、レンさん戻しそうになりましたね」


「言ってやるな、タマモ。まぁ、ベティの勢いが強すぎた弊害ではあるが、レンにしてみれば本望であろうな」


「あぁ、なるほど」


 焦炎王様とタマちゃんがしみじみと頷き合う中、込み上がっていた胃液をどうにか呑み込み、口元を拭いながら、俺の胸にぐりぐりと頭を擦りつけているベティをそっと撫でていると──。


「あー! ベティ、ずるいよ!」


 ──薄闇の向こう側からフブキちゃんと隣り合って寝床の材料である木材と葉を抱えたプロキオンが現れた。が、その顔はとても不満顔だった。


「ずるくないもん。ベティはすえっこだから、これくらいはあたりまえなの」


 ふふんと胸を張りながらドヤ顔でプロキオンへと振り返るベティ。そのドヤ顔にプロキオンのこめかみに青筋が浮かびあがる。


「あぁ、殴りたい、その笑顔!」


「ふっふーん。なぐれるなら、なぐってみるの。でも、なぐったらおとーさんからおこられるのは、おねーちゃんだけなの」


 むふぅと鼻息を鳴らすベティ。いまベティを殴るようなら、たしかにプロキオンを怒らないといけない。


 だが、その場合はベティにも「お姉ちゃんを怒らせるな」と注意するつもりなので、ベティの言うようにプロキオンだけが怒られるということにはならない。

 

 ベティはどうやらその辺のことは思い至っていないようだ。


 らしいと言えばらしいのだけど、この場合はどうしたもんかな。


「まぁまぁ、ふたりとも。レン様も困られてますさかい、その辺で」


 どう対処するべきかと考えていると、プロキオンの隣にいたフブキちゃんが、ふたりの仲裁を行ってくれた。


「でも、フブキおねーちゃん、わるいのはおねーちゃんなの。ベティよりもおおきいくせに、あまえんぼうなおねーちゃんがぜんぶわるいの。ううん、おねーちゃんはいつもこうだから、きほんてきにわるいのは、おねーちゃんなの」


「違うよ、聞いて、フブキ! ベティったら、いつもいつもこんなことを言って私を怒らせるんだよ!? いくら私が温厚で優しいからと言って、限度があるよ! だから私はいつもベティを躾けるためにだね!」


「しつけられるのは、おねーちゃんのほうなの! おねーちゃんはどうしようもないらんぼうさんだけど、ベティはできたいもーとだから、いつもしょーがないってうけいれてあげているの!」


「ははは、できた妹? おかしいなぁ~、私にはどうしうようもないわがままで甘えん坊すぎる愚妹しかいないんだけどねぇ~? そもそも受け入れてあげているのは私のセリフなんですけど?」


 ふたりはフブキちゃんを挟む形でノーガードの殴り合いのような言い合いを行う。徐々にふたりの顔が引きつり、剣呑なまなざしをお互いに向け合って、一触即発の雰囲気となった。そのとき。


「ふたりとも、レン様に嫌われてまうで?」


 それはまさに鶴の一声とも言うべきもので、ふたりは一斉に動きを止めると、恐る恐ると俺を見やった。


 フブキちゃんも同時に俺を見詰め、「一言どうぞ」と言わんばかりの顔をしてくれていた。


 ありがとうと思いながら、俺は咳払いをひとつしてふたりに告げる。


「そうだね……フブキちゃんの言う通り、あまりにも喧嘩するような悪い子たちを抱っこすることはなくなってしまうかもね?」


 少し言い過ぎかなと思うけれど、これくらいは言わないとふたりは反省してくれないので、仕方がない。そう思ったのだけど、フブキちゃんがぼそりと「……甘すぎどすえ」と呆れる声が聞こえた。


 見れば、焦炎王様もタマちゃんも苦笑いしている。……どうやら俺の裁定は甘すぎたようだった。


 が、ふたりにとってはそうではないようで、ふたりは一斉に「ごめんなさい!」と謝った。効果てきめんだね。


「まぁ、フブキちゃん。レンさんはいつもこうだからね?」


「……そう言うたらそうどしたなぁ」


 タマちゃんがフォローのように言うけれど、あまりフォローになっていなかったが、フブキちゃんはそれで納得してしまった。


 異議ありと反論したい気分になるも、プロキオンとベティが「反省するから、抱っこ禁止はやだ」と言い募ってきたため、反論はできなくなってしまう。


「わかった、わかったから。落ち着いてくれ、ふたりとも!」


 俺は声を大きくしてふたりに言い聞かせようとするが、あまり効果はなかった。


「以前よりも甘なられた気ぃするわ」


「は、ははは」


 フブキちゃんが呆れた目で俺を見詰め、タマちゃんがフォローせずに笑っている。そこはフォローするところだよと言いたいのだが、涙目になって詰め寄る愛娘ズの勢いに負けて俺はなにも言えなくなってしまった。


「まったく、本当に穏やかな光景じゃなぁ」


 俺の様子を見て、焦炎王様は穏やかに笑われていた。


 その笑い声は夜の湖畔にこだましていた。こだまする笑い声を聞きながら、俺は効果てきめんすぎた言葉を言い放ったことを若干後悔しつつ、涙目になった愛娘たちの対処に苦慮したんだ。

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