rev5-23 離れていた時間を埋めて
パチパチと火が爆ぜていた。
爆ぜる火を俺はぼんやりと眺めながら、火の向こう側へと意識を向けていた。
「これくらいでいいんじゃない?」
「そうどすなぁ。十分かと」
「じゃあ、フブキちゃんはオルカからお願い。私はシャークから」
「畏まりました」
火の向こう側──湖の畔で用意した焚き火の向こう側では、タマちゃんとフブキちゃんが大量のレイクオルカとレイクシャークとやらの調理を行っている。
レイクシャークは鮫だからまだいい。
いや、鮫を食べるってどうよと思わなくもないけれど、中国だとヒレは食用にしているし、種類によってはその身を利用してかまぼこにしているとか聞いたことはある。
だから鮫を食べるのは何歩か譲ってよしとしたい。
でも、問題はレイクオルカという名のシャチの方だ。
少なくとも俺はいままで生きてきて、シャチを食用にしたという話は聞いたことがない。
シャチはクジラ目の一種だから、鯨と同じで食べることはできるはずだとは思う。
が、やっぱり聞いたことはない。よしんば食べられたとしても美味しいかどうかはわからない。
鮫もアンモニア臭がすごいことになるって聞いたことがあるから、もしかしたらシャチもアンモニア臭くなるのかな?
だとしたら、辺り一面に散らばったレイクオルカやレイクシャークもアンモニア臭くなりそうな気がするんだけど──。
「ふぅ、やっぱり量が多いね」
「纏わり付かれて面倒がってもうたのが失敗どした」
「そうだね。次からは気をつけてね?」
「……はい」
──ふたりは淡々と調理を続けていた。
……淡々というには、若干フブキちゃんが責任を感じているように見えるけれど、タマちゃんは怒っているわけではなく、あくまでも注意しているだけみたいだ。
フブキちゃんにとってみれば、注意だけでも気にしてしまうみたいだ。そういうところは、あの頃と変わっていない。
フブキちゃんとタマちゃんが一緒に調理する姿を見ていると、「EKO」をプレイしているように思えてしまう。
ここが現実ではなく、ゲーム内の世界のように思えてしまう。
でも、ここは現実であり、ゲーム内世界じゃなかった。
だから、アンモニア臭くなる肉を扱っていたら、当然その臭いもするはずなのだけど、いまのところタマちゃんもフブキちゃんも臭さを気にした素振りはない。
アンモニア臭くなるのであれば、とっくに臭くなっていないとおかしいから、レイクオルカとレイクシャークに限っては、死後アンモニア臭くはならないのかな?
「レン様? なんかおましたか?」
俺の視線を感じたのか、フブキちゃんは調理の手を、串刺しにし焚き火に掛けているレイクオルカの肉へと香辛料を振りかける手を止めて、不思議そうに首を傾げていた。
「いや、レイクオルカって食べられるのかなって」
「食べられますえ?」
「そう、なんだ?」
「ええ。レン様の世界では食べられへんのどすか?」
「少なくとも、聞いたことはない、かな?」
「もったいないどす。えらいうまいお肉やのに」
「そうなの?」
「はい。見ての通り脂肪は厚おすけど、不思議とさっぱりしてるんどす。……うちのおばあちゃんもこのお肉やったら食べとりました」
香辛料を振りかけたレイクオルカから滴る金色の肉汁が、焚き火の火でそれなりの音で爆ぜていく。爆ぜる火をフブキちゃんは目を細めながら見詰めていたけれど、すぐに穏やかな笑みを浮かべていた。
「……そっか。じゃあ、楽しみだ」
「ええ。楽しみにしとってとぉくれやす。ちなみに、レイクシャークはレイクオルカよりもジューシーどすさかい、お気に召される思いますえ」
「俺の好み、憶えているの?」
「はい。レン様はお肉がえらい好きで、特にジューシーがものがお好みどす。赤身よりも霜降り肉ならなおさらどす」
レイクシャークの肉は、俺が気に入るほどにジューシーだとフブキちゃんが言ったので、ちょっと驚いた。まさか俺の好みを憶えているのかってね。
そうしたらフブキちゃんは、胸を張って得意げに語ってくれた。その内容はまさに俺の好みそのものだった。
「すごいね、俺の好みちゃんと憶えてくれていたんだ?」
「当たり前どす。レン様は眷属様、いえ、タマモ様のお仲間様どすさかい」
にっこりとフブキちゃんは笑ってくれた。その笑顔は俺の知るフブキちゃんそのもので、やはりこの子はあのフブキちゃんなのだというのがわかる。
フブキちゃんではあるけれど、フブキちゃんも当時とは立場が異なっていた。
ふたりが調理を始める際に、いろいろと教えてもらったのだけど、その話によると、いまのフブキちゃんはエリセさんの補佐役ではなく、タマちゃんの従者となったみたいだ。
とはいえ、当時も最終的には半ば従者として、タマちゃんに付き従っていたから、そこまで違和感はない。
違和感はないのだけど、思うところがまるでないわけじゃない。
でも、それを口にするほど野暮じゃないし、気持ちは俺だってわかっているつもりだ。
「フブキちゃん、あまりお喋りしていると焦げますよ?」
「え? ……あ、あぁぁぁぁ!?」
タマちゃんがフブキちゃんに釘を刺すのと、ほぼ同時になにやら焦げ臭くなっていく。
フブキちゃんがタマちゃんの言葉に導かれるように、焚き火を見やるとレイクオルカの串焼きからぶすぶすと黒い煙が上がっていたし、串焼きは黒くなっていた。香辛料の色ではなく、誰がどう見ても焦げていた。
「やってもうたー! あわわわ!」
フブキちゃんが慌てて串を焚き火から離すも、串焼きはすでに炭一歩手前というところになっていた。一応可食部分はあるけれど、可食部分がどのくらい残っているかは……お察しというところかな。
「フブキちゃん、調理中は目を離さずにですよ」
やれやれと呆れ気味にため息を吐くタマちゃん。ため息を吐きつつも、その手は用意していた竈を使っての調理をしていた。
タマちゃんの手元には小麦粉とバター、レモンなどが置かれていて、レイクシャークは小麦粉を纏ってフライパンの上で焼かれていた。
「ムニエル作っているの?」
「ええ。串焼きでもいいかなぁと思いましたけど、どうせならムニエル、いえ、ムニエルをパンで挟んでハンバーガーでも作ろうかなぁと。「魔大陸」ではなかったですから、この世界にはまだハンバーガーはないみたいですので。久しぶりでしょう? ハンバーガーは」
淡々としながら、タマちゃんはムニエルの調理を行っていく。調理をしながらも俺と会話をしている辺り、非常に手慣れている感じがする。
「ハンバーガーか。たしかに久しく食べていないなぁ」
「さすがに本格的なバーガー屋さんはもちろん、チェーンのファーストフード店にも及びませんけれど、味は保証しますよ」
「それ、保証と言えるの?」
「……まぁ、少なくとも美味しいですから」
「……不安になってきた」
「あ、あははは」
タマちゃんが若干目を逸らした。目を逸らしつつも、フライパンをしっかりと視界に収めているのはさすがだと思う。
「そういえば、パンは?」
「パンでしたら、そろそろかな? フブキちゃん。お願いしますね」
「はーい」
炭になったレイクオルカを除外しつつ、新しい肉に串打ちをしつつ、フブキちゃんは突然焚き火の下を掘り始める。
いきなりどうしたんだろうと思っていると、焚き火の下からは石の塊が出てきた。いや、正確には石の塊の上に焚き火があったというべきなのか。
その塊にフブキちゃんは何気なしに手を伸ばそうとしたが、タマちゃんの鋭い声が響く。
「フブキ。手で触れたらダメだよ」
「あ、すんまへん、忘れてました」
「怒っているわけじゃない。君になにかあったら顔向けできなくなっちゃうからね」
「……はい。タマモ様」
「ごめんね、ちょっと強く言いすぎた」
「いえ、むしろ、嬉しいどす」
「そっか」
「はい」
タマちゃんの注意を聞いて、フブキちゃんは嬉しそうに笑っている。その笑顔を横目で見てからタマちゃんも笑った。
ふたりのやり取りを聞いて、俺はなんとも言えない気持ちになった。
でも、そんな俺を置き去りにするようにして、ふたりはそれぞれに調理を進めていく。
タマちゃんは竈からフライパンを離すと、どこからか取り出したボウルに刻んだゆで卵とらっきょ、それにマヨネーズらしいものを合えていた。
その一方でフブキちゃんは、焚き火の下のあった石の塊に尻尾を伸ばすと、表面を横にずらした。すると石の塊の真ん中にはきれいに焼けた香ばしい匂いのパンがあった。どうやら、あの石の塊は即席の石窯で、その石窯でパンを焼いていたみたいだ。
そうして焼いた石窯パンをフブキちゃんは慎重な手つきならぬ尻尾捌きで取り出していく。
「タマモ様、ちょうどええ塩梅かと」
「そうだね。じゃあ、フブキちゃん、切っておいてくれる?」
「畏まりました」
フブキちゃんはタマちゃんの指示に従い、取り出したパンを上下水平に切っていく。
切ったパンの上に、いつのまにか用意していたキャベツを置き、今度はタマちゃんがムニエルとタルタルソースを順番に置いては掛けていく。そして最後にフブキちゃんが蓋をするように半分に切ったパンの上部を置いた。
「完成どす!」
「うん、完成だね。で串焼きは?」
できあがったハンバーガーを前にふふんと胸を張るフブキちゃんだったけれど、串打ちしたまま放置していた串焼きを見て、一瞬固まった。
「あ。……少々お待ちを」
「あぁ、いいよ。一緒にやろうか」
「……はい」
「怒っているわけじゃないから、気にしないで、ね?」
「はい」
がくりと肩を落としつつ、フブキちゃんはタマちゃんと一緒に串焼きの調理を行っていく。
以前までならば、見た目の年齢はそこまで大きく変わらなかったけれど、いまのふたりは見た目の年齢は大きく差がある。
それこそ見ようによっては親子くらいの差がある。……実年齢はフブキちゃんの方が上ではあるのだけど。
「……ああして調理を一緒にするのもありなのかな?」
『誰と誰を想像しているのかはわかるけれど、少なくともベティは普通の調理は無理よ?』
「だよなぁ」
ふたりの調理風景に触発されたわけではないけれど、俺もプロキオンとベティとああして調理をするのもいいかもしれないとは思った。
思ったけれど、ベティのことを考えると普通の食事ではなく、スイーツの調理が無難だろうね。
でも、それならルクレかもしくはティアリカの方がいいかもしれない。
俺はスイーツの調理なんてしたことないし。そもそも調理自体焼いたり、煮たりがせいぜいだから、レパートリーと言えるものじゃない。
そんな俺と調理してもあの子たちが楽しんでくれるだろうか。
「やってみてもいいんじゃないですか?」
「え?」
「調理の手伝いだけでも、子供は喜ぶものだと思いますよ? ねぇ、フブキちゃん」
「ちょいした手伝いだけでも楽しいもんどすさかい、あまり肩肘張らんでもええ思いますえ」
調理は諦めようかなと思っていたら、タマちゃんが笑いながらそんなことを言い、タマちゃんに振られたフブキちゃんも頷いていた。
「……そういうものかな?」
「そういうものですよ」
「そういうもんどすえ」
はっきりと頷かれてしまった。でも、たしかにどんな内容でも俺と一緒に調理するってだけでも、あの子たちなら喜んでくれるかもしれない。それこそフブキちゃんの言う通り、肩肘張らなくてもいいかもしれないね。
「……今度やってみる」
「はい、そうしてあげてください」
「ところで、子供ってヒナギク様とのお子様どすか?」
「あ、いや、その養子でね。四人いるんだけど、いまはいろいろとあってふたりなんだけど、どっちもかわいい子なんだ」
「食べながら聞きたいどす」
「そうだね。レンさん、少し話を聞かせてください」
「うん、もちろん」
プロキオンたちのことを言うと、フブキちゃんはあからさまに目を輝かせていた。タマちゃんは苦笑いしながら、フブキちゃんの頭を撫でつつ、やっぱり興味深げな様子だった。
俺はふたりの様子に笑いながら、ふたりの用意してくれたハンバーガーを片手にプロキオンとベティだけではなく、シリウスやカティのことも話していく。
かつてとはまるで違う世界で、かつてのように穏やかな食事を行いながら、俺たちは離れていた時間を埋めるべく、賑やかな会話をしていったんだ。
 




