rev5-13 もうひとりの師
天を衝く大樹。
目の前の光景を見て、それ以外の感想を抱くことはできなかった。
「巨獣山」も天を衝くというしかないほどの標高を誇っていたけれど、目の前にある大樹は「巨獣山」さえも超えていた。
「蠅の王国」で見た世界樹、ジズ様の座す「風翼殿」を内包する世界樹はいままで俺が見た大樹の中で一番の大きさだった。
その世界樹でさえも、目の前の大樹を前にする翳ってしまう。
大人と子供、いや、それ以上の差だ。巨人となったファラン少佐と対峙していた俺くらいの差かな?
それほどに目の前にある大樹は、大樹という言葉でさえも言い表すことができない規模だった。
そんな大樹を前にして、俺たちほぼ全員は言葉を失っていた。
さしものアンジュでさえも、唖然と見上げている。
「ばぅ~。すごくおおきいきなの」
アンジュでさえも、言葉を失う大樹を前にしてもベティはいつも通りのマイペースっぷりを発揮していた。
「がぅ、すごいや。こんなにもすごく大きな木、実在するんだ」
プロキオンもまた言葉を失うことなく、大樹を見つめている。その目は本を読んでいるとき以上にキラキラと輝いていた。
そしてもうひとり。ふたり同様に言葉を失わずに、大樹を見上げる人がいた。
「……あのときの苗木がここまでになりましたか」
大樹を見つめてそう零したのは、ティアリカだった。
ティアリカもまたサラ同様に俺たちと同行してくれている。が、いままではこれと言って目立つことをしていなかった。
発言自体も少なくなかったから、自然と埋没していたティアリカだけど、目の前の大樹を見て「苗木」という言葉を呟いてくれた。
その言葉を踏まえると目の前の大樹がなんであるのかを、ティアリカは知っているようだった。
「ティアリカ。あの大樹を知っているのか?」
ティアリカへと声を掛けると、彼女は静かに頷いた。
「あくまでも手前が知っているのは、かつての姿までです。あれはかつて一本の苗木でした。……ベルセリオスたちとともに植えた一本の苗木だったのです」
ティアリカが目を細めて、遠くを眺めながら語り始めた。
「かつて手前と兄上はジズ様より与えられた一本の苗木を植える場所を探しておりました。世界樹の苗木を植える場所をです」
「世界樹の? でも、俺が知っている世界樹よりも巨大だけど」
「ジズ様が仰るには、特別な世界樹らしいです。いずれ必要になるからとジズ様が仰られ、手前と兄上は「風翼殿」を出て、「聖大陸」まで流れ着いたのです。そして、この地でベルセリオスたちと出会い、この地に苗木を植えたのです」
淡々と語っていくティアリカだけど、その目尻には薄らと光るものが見えた。
ティアリカがベルセリオス──竜王シャータの盟友のひとりであることは知っている。ただ、そのことを知っているのは俺とルリ、イリアくらい。あとはサラもたぶん知っているはずだ。
が、「聖大陸」で出会った面々はそのことを知らない。特に女王であるルクレにとってみれば、ティアリカの発言は驚天動地と言えることだったようだ。
「てぃ、ティアリカ様は、ベルセリオス様のお知り合い、なのですか?」
「えぇ。「六聖者」に数えられてはおりませんが、手前と兄上もベルセリオスや「六聖者」たちとともに旅をした仲間ですよ」
若干声を震わせながらルクレは、ティアリカに恐る恐ると尋ねると、ティアリカはにこやかに笑いながら頷いた。
ティアリカの返答にルクレが唖然とするが、今回唖然としたのはルクレだけだった。アンジュは「へぇ」と頷くだけで、プロキオンとベティはと言うと──。
「ばぅ、ティアリカおねーちゃんはすごいひとなの?」
「この前読んだ絵本に出てきた人たちのお友達なんだって」
「ばぅ? そーなの?」
「うん、そーみたいだよ?」
「ばぅ、そーなんだ」
──ふたり揃ってマイペースなことを言ってくれている。
マイペースではあるけれど、ふたりがティアリカを見る目は有名人を目撃したかのように、非常にキラキラと輝いていた。
当のティアリカは「……そこまで大それた存在ではないつもりなのですがね」と苦笑いしている。
とはいえ、俺から言わせてもらえば、ティアリカはとんでもない人物であることは間違いない。
この世界で一、二を争うほどの剣士でありつつ、「鍛冶王」を名乗れるほどの凄腕の鍛冶職人でもある。
そんなティアリカだが、本人の自己評価はさほど高くない。
剣士であり、職人でもあるからなのか、とてつもないほどにストイックなんだ。そのため、自己評価がさほど高くないわけなんだが、その評価は余人から見れば「なに言ってんの、この人?」と言葉を失わせてしまうほどだった。
「ティアリカさんは、もう少し自己評価を改めるべきだと思いますよ~?」
俺たちの中で最もティアリカと接する時間が多かったサラは、ティアリカの自己評価の低さに辟易としている。
ギルド時代もよく「ティアリカさんの自己評価が低すぎて、私に大ダメージなんですけどぉ~」と泣き言を言われたものだ。
「鍛冶王」と自他ともに認められるほどの腕前を誇るティアリカの自己評価が低い。そのティアリカよりも腕前が劣るサラにしてみれば、針のむしろとも言うべき状況で、当時のサラが泣き言を言うのも無理もないことだった。
「これでも改めておりますよ? まだまだ修行不足であると」
「……本当にそういうところですよ、ティアリカさんは」
「え?」
「……はぁ~」
当時の苦労を思い出してから、サラが思いっきりため息を吐くが、ティアリカにしてみれば理解できない状況だろうね。
「パパ、サラママはどうしたの?」
「ぽんぽんいたいの?」
サラの様子を理解できないのは、ティアリカだけではなく、プロキオンとベティも同じようで、落ち込むサラを見て心配げにサラを見つめている。
アンジュとルクレは話の流れでだいたい理解したみたいで、やはり気遣いするようにサラを見やっていた。
「……あの、旦那様? 手前はなにかしてしまいましたか?」
「……そう、だねぇ~。ティアリカ自身は悪くないんだよ? 悪くはないんだけど、無自覚なところが悪いと言えば悪い、かなぁ~?」
「はぁ?」
「……うん、まぁ、とにかく、もう少し自己評価を改めてね?」
「えっと、努力します?」
こてんと首を傾げながら、やはり意味がわからないと顔に書くティアリカ。この様子だと改善は期待できそうにない。
無自覚っていうのは、こうも罪深いものなんだとしみじみと思う。
『……それをそなたが言うのか、カレンよ』
『あんたも大概無自覚がひどすぎるって気付きなさいよ、愚妹』
焦炎王様と香恋によくわからないことを言われてしまった。俺が無自覚ってどういうことよと思っているとなぜか、俺を除いたほぼ全員が「……あー」と頷いてくれた。
「え? なんでみんな頷くの?」
一斉の頷きに俺が唖然とするも、誰も答えてはくれなかった。
例外はプロキオンとベティくらいで、「パパは無自覚さんなの?」とか「おとーさん、むじかくってなぁに?」と言ってくれたよ。
ふたりの言葉に俺が答えを苦慮したことは言うまでもない。
苦慮しながらも、どうにか答えを口にしようとしていた、そのとき。
「……どうやら、お変わりないようですね、レン様は」
ふぅと大きなため息とともに聞き慣れた声が、もう二度と聞くはずのないと思っていた声が聞こえてきた。
俺はとっさに声の聞こえた方を見やる。声が聞こえたのは頭上、すぐ真上からだった。
弾かれたように真上を見やると、そこには虹色の翅をはためかせる女性がいた。
穏やかな笑みを浮かべる美女が空の上で佇んでいたんだ。
「いまの声は」
『もしかして』
俺と香恋は声を震わせながら、美女を見つめていた。すると、美女は口元に手を当ててくすくすと笑うと、カーテンシーを行い、再び口を開いた。
「お久しぶりですね、レン様方。そして初めまして、レン様方の大切な方々。私は鱗翅王のトワと申します。そちらにおられる焦炎王様と同じく、レン様方の師をしていたこともありますが、あまり恐縮とならず、自然体でせっしてくだされればと思います」
美女ことトワさんはそう言って穏やかに笑いながら、俺たちを迎え入れてくれたんだ。




