rev5-9 孤独と狂気
「──というわけでこの世界の創世には、我が君も関われておられてのぅ。ゆえに、この世界と我が君の世界は深い関係がある」
焦炎王様はプロキオンを抱っこしながら、この世界と「ヴェルド」との関係を話された。
元々は「ヴェルド」の主神であるエルドが、この世界の本来の創世神と協力して創った世界があった。
でも、その世界はあまりにも「ヴェルド」に似てしまっていたがために、破棄されて、新しく創り直されたのがいまの「スカイスト」で、「スカイスト」を作ったのが、スカイディアだった。
だからこそ、スカイディアがこの世界を創った母神と讃えられ、本来の創世神はほとんどの歴史からは抹消されている。
もっとも、それも創世神がみずから望んだことで、自分よりもスカイディアの方がよりよい世界の運営を行えるという判断だったから。
そしてスカイディアは創世神の言葉を受けて、この世界の母神として世界の運営を始めた。
すべては創世神に、母親である創世神と誕生時にそばにいた父と慕っていたエルドに褒めてもらうために。
けれど、創世神もエルドもスカイディアに関わったのはそこまで。創世神は世界の浦柄へと潜り、エルドは運営する「ヴェルド」へと帰ってしまう。
残されたのは、生じたばかりのスカイディアだけ。
それでもスカイディアはこの世界の運営を行った。
そうしていれば、いつか必ず創世神とエルド、両親が褒めてくれると思っていたから。
だけど、どれほどに心を砕いても両親から褒めてもらうことはできず、永遠とも言えるような時間をスカイディアはひとりぼっちで過ごしていた。
その日々の中で徐々にスカイディアの心は病んでいき、いつしか自身の家族を、絶対に離れることのない家族を求めていった。
そうして産みだされたのが俺の母さんであるスカイストだった。
焦炎王様の話はそれで終わった。
この世界と「ヴェルド」の関係。そしてスカイディアとスカイストの本来ひとりのはずの母神がふたりいる理由。その謎はいまの話で解明された。
その話を聞いて俺は、理解と共感を同時に抱いた。
理解したのは、この世界に来て経験したものの中で、「なんでこうなっているんだ」というものの謎について。
たとえば、「魔大陸」の植生。「魔大陸」では植物を取ってもすぐに生え代わる。
まるで一部のゲームで無限に採取できるアイテムのように、「魔大陸」では植物をすぐに採取することができていた。
でも、この世界は現実だ。ゲームのように無限採取なんて本来はできない。
本来はできないはずの行為が「魔大陸」では問題なく行えていた。その理由は現地民でもわからないことだったが、「こういうもの」だと思われていたから誰も不思議に思っていなかった。
この世界に来た当初は不思議で仕方がなかったけれど、母さんが母神であることを知ってからは、「どうせ面白がってだろう」と考えていた。
それはこの世界におけるケルベロスの中央の頭がなぜかチワワ顔であることや、「魔大陸」の七国の地域差が激しすぎることも、母さんが面白がったからと思って納得していた。
でも、この世界の成り立ちを知ったいま、その前提は覆った。
いや、そもそもの前提が違っていた。だって、この世界を創造したのはスカイディアだ。
うちのちゃらんぼらんな母さんとは違う、神経質そうなスカイディアが創造した世界だ。となれば、そんな遊び要素なんてあるわけがない。
なのに、なんでそんな遊んだとしか思えない行為をしたのか。その理由はなんとなくだけどわかってしまった。
「……スカイディアは両親に構って欲しかった、んですかね? 悪戯をして叱られるという形でもいいから、両親に相手をして欲しかったんですかね?」
そう、きっとスカイディアは創世神とエルドに構って欲しかったんだ。
だからこそ、子供の悪戯みたいなことを、俺が「面白がって」と思っていたことを、彼女はあえて行ったんだ。
「なにバカなことをしているの?」とか「ちゃんとやりなさい」とか、そういうことでもいいから、両親に相手をして欲しかったんだろう。
共働きの両親の元で生まれた子供が、悪戯を繰り返するようにだ。
「……さて、な。だが、あたらずとも遠からず、であろうな」
焦炎王様はまぶたを閉じられながら、プロキオンの頭を撫でられていく。その手つきも表情も優しい。優しいのに、どこか悲しそうでもあった。
「……プロキオンやベティがそうならないようにしない、とね」
「……そうだね」
アンジュも悲しげに眉尻を下げている。神として覚醒して、どこか超然とした様子を見せていたアンジュだけど、本質はそこまで変わっていないようだ。それが嬉しかった。嬉しいはずなのに、胸が締め付けられたみたいに痛くもあった。
それが共感だ。
スカイディアは永遠とも呼べる時間をひとりで過ごした。
まだ生じたばかりの、幼子とも呼べる状態でひとりっきりで永すぎる日々を過ごしてきた。
たとえ神といえど、いや、神だからこその孤独な日々。その日々がスカイディアを変えた。
無理もないと思う。
スカイディアが過ごした孤独の日々。どれほどまでに辛かったのかは、スカイディアにしかわからない。
けれど、共感はできた。
俺の場合は家族がいた。だけど、母親代わりだったおばあちゃんを亡くしてからは、俺はずっと孤独になることを恐れていた。
だって、人である以上はいつかは死ぬ。いや、人でなくても、生きるものはいつしかは死にゆくものだ。
そのことを俺はおばあちゃんが亡くなったことで知った。
どんなに大好きだったとしても、死は誰であろうと訪れる。順番に人は死んでいく。その順番は人の目ではわからないけれど、必ず存在していて、俺が幼いときに、おばあちゃんの順番が訪れた。
ただそれだけのこと。でも、それが当時の俺には耐えられなかった。
だけど、死んだものはもう戻らない。それもまた俺はそのときに知った。
だからこそ、俺は誰も失わないように、誰もそばからいなくならないように必死になった。
みんなのためにいろんなことをしようとした。
おばあちゃんのように死んでしまっても、それまでずっと一緒にいてもらうために。……ひとりっきりにならないために。
だからわかるんだ。
スカイディアの気持ちがほんの少しだけ。
ひとりになる怖さが、俺にはわかってしまう。わかってしまった。
その辛さとその怖さがわかってしまう。
『……』
香恋もスカイディアの気持ちを理解している。
香恋は誰よりも孤独を知っている。だからこそ、スカイディアがああなってしまったのも理解しているはずだ。
俺も香恋もスカイディアに共感してしまった。
憎悪する相手であるはずなのに、スカイディアに共感してしまう。
いや、これはもう共感じゃない。
俺の脳裏にはつい先日対峙したスカイディアの姿が違って見えてしまっていた。
「……スカイディアは、子供のままなんですね。……誰にも相手をされることなく成長してしまった子供のまま」
そう、俺の目にはスカイディアが子供のように映ってしまっている。
考えてみれば、俺の知るスカイディアの要素はすべて子供のそれと同じだ。
思い通りに行かなかったらすぐに癇癪を起こすのも。
笑いながら残酷なことができるのも。
感情の起伏が激しすぎるのも。
そしてなにかに執着しすぎるのも。
すべてが子供の要素だ。幼い子供が持つ要素だった。
「……そうだね。言われてみれば、あの人はプロキオンやベティとさほど変わらない、かもしれないね」
アンジュが静かに頷いた。
焦炎王様も同じように頷いている。頷きながら焦炎王様は言った。
「……よいか、カレン。香恋もよく聞け。ここが一番の大事な部分よ。ご息女がこの世界を滅ぼす方法についてだ。理由についてはもうそなたたちはわかっておろう?」
「……創世神とエルド神に振り向いてほしい、からですね?」
『口ではどれほど悪辣に扱っていても、本心ではいまだに縋っている。そういうこと、ですね?』
「その通りじゃ。先日の対峙でそのことがよぉくわかった。我が君も「……あの娘はまだ私たちに縋っているだろうからね」と仰っておられたが、それが事実であることは、あの方との対峙でわかった」
「……はい、前提がわかったいまは、俺も同意見です」
エルド神を「クソ親父」と蔑んでいたスカイディアだけど、それは愛情の裏返しだ。
嫌いと言っても本心では好きなんだ。好きの反対は嫌いじゃない。好きの反対は無関心だ。
では、嫌いは好きにとってのなんなのか。嫌いは好きの裏の顔だ。
嫌いだからこそ好き。好きだからこそ嫌う。
それは決して矛盾したものじゃない。同じものの別の側面だ。好きと嫌いは本質的に同じ。……かつてシリウスが、シルバーウルフになった頃のシリウスが俺にツンケンしていたみたいに。
スカイディアも創世神とエルド神に対して、好きだからこそ、大好きだからこそ素直になれなくなっているんだろう。
でも、それをスカイディアはいろんなもので覆い隠して、自分でもわからなくなってしまっている。
この世界という創世神とエルド神との唯一の繋がりを滅ぼそうとするのも、ふたりに振り向いて欲しいから。
「……ふふふ、よい顔をするようになったのぅ、カレン」
「え?」
「数年見ないうちに、すっかりと親の顔をするようになった。プロキオンやベティも幸せじゃのぅ。こんなにも愛してくれる親を得られたのじゃ。……彼の方や我が君もそなたほどではなくても、もう少し、あと少しだけご息女を想ってくだされればなぁ」
「それは」
「うむ。わかっておる。彼の方も我が君も立場があられる。それでもご息女にとってはおふたりが両親であられることには変わらぬ。その両親との唯一の絆であるこの世界を滅ぼそうとするほどに、ご息女は壊れてしまっている。……だからこそ、あえて世界を蘇らせようとしている」
「世界を」
『蘇らせる?』
「どういうことですか? 炎王さん」
焦炎王様が告げた内容は、意味がわからないものだった。
この世界を滅ぼそうとしているということはわかる。
でも、世界を蘇らせるということは、どういうことだろうか?
蘇らせることで世界が滅ぶ。
死者を際限なく復活させようとでも言うのだろうか。
いや、でも、それくらいでは世界が滅ぶってことにはならない。
死者を際限なく蘇らせれば、たしかに世界は大きな混乱が生じるだろうけれど、世界が滅ぶってことには繋がらない。
じゃあ、世界を蘇らせるってどういうことだ?
そもそも、蘇らせる世界ってなんのことで──。
「……あ」
「気付いたか、カレン。香恋はどうじゃ?」
『……もしかしてなのですが、さすがにこれは』
「ふむ。奥方はいかがですかな?」
「……思いつくことはあります。でも、これはいくらなんでも暴走しているとしか思えませんよ? それともこんなことを考えつくほど、あの人は壊れていると?」
「……相違ないとだけ言わせていただきましょう。なにせ、我ら「四竜王」がこの世界で目覚めたのです。それほどのことが、誰もが正気を疑うほどのことをご息女はなされようとしている」
「だからといって、消去された世界を蘇らせるというのは、バカげています。正気じゃないどころではなく、狂いすぎています」
アンジュがいくらか感情的になっていた。それほどにスカイディアの目指すものが狂気じみたものだということだった。
そう、スカイディアのやろうとしていること。それは創世神が生み出し、でも消去した世界を、この世界の前に存在していた世界を蘇らせること。
つまり、上書きできないものの上に、無理矢理別のものを上書きしようとしている。
ノートに書いた字の上に、別の字を書き足そうしていると言えばわかりやすいか。
そんなことをすれば、元の字も書き足された字もわからなくなる。つまりは混沌が生じる。
ノートに書いた字でもそうなんだ。これが世界規模だったとすれば、どういうことになるのかなんて誰でも想像できることだ。
「世界の上に別の世界を重ねる。奇跡的にうまく行く可能性もないわけではない。だが、ほぼ間違いなくふたつの世界はお互いの矛盾に耐えきれず崩壊する。いや、崩壊するどころか、消滅するであろうな。それもふたつの世界どころか、隣接するほかの世界を巻きこんだ上でのぅ」
スカイディアの目指す世界の滅び。そのあまりにも狂気じみた方法に、俺たちはただ言葉を失った。




