rev5-2 数日前 その1
「──そうかい、そろそろ出発するのか」
ファロン陛下の声明から数日。
俺たちは、アリシア陛下の元へと訪れていた。
アリシア陛下は執務室で書類仕事の決済をされていた。
その近くには真新しい執務机があり、その机にはファロン陛下が座られていて、やはり書類の決裁をされていた。
アリシア陛下の退位は、決定しているが実際に退位するのは、まだ当分先のこととなるが、いまのうちから王としての職務に慣れさせようということで、アリシア陛下と同じ職務を同じ分量行われている。
実際にアリシア陛下が退位されれば、王の職務を行うのはファロン陛下おひとりになるわけで、いきなり王の職務を行うのではなく、いまのうちから慣れさせておくというのは、アリシア陛下なりの温情なのかもしれない。
……もっとも、俺の目にはそれは建前ないし、物は言いようという風にしか見えないわけだけども。
アリシア陛下の机に載っている書類よりも、ファロン陛下の机に載っている書類の方が明らかに多い。
どう考えても、アリシア陛下がファロン陛下に仕事を押しつけるための口実としか思えない。思えないが、アリシア陛下がファロン陛下よりも早く仕事をこなしているという可能性もある。
ファロン陛下も右大臣時代、いや、それ以前から書類仕事には慣れているだろうけれど、それはあくまでも臣下としての仕事だ。
今回のように、いや、これからは王として行っていくことになる。王としての仕事という意味合いでは、経験なんて皆無だろう。
そうなれば、右大臣時代のような速さでの仕事なんてできるわけもない。
ほぼ経験したことのない仕事で、それまで通りに職務に励むなんてことは早々できるわけがない。
そうなれば、ファロン陛下の机に載っている書類の方が多いというのはわからなくもないことだった。
「おばーちゃんへーかのほうが、おやまちいさいの」
アンジュの腕の中でベティが不思議そうに首を傾げていた。アリシア陛下はその声を聞いて、苦笑いしながら、ご自身の背後を親指で差された。
「俺の後ろを見てごらん、ベティちゃん」
「ばぅ?」
喉の奥を鳴らすようにして笑うアリシア陛下に、ベティは再び首を傾げつつ、アンジュの腕の中から飛び降りると、アリシア陛下の背後に回り──。
「ばぅ、おやまがこっちにもあるの」
──目を何度も瞬かせながら驚いていた。どういうことだと俺もアリシア陛下の背後を見やれば、そこには決済済みであろう書類の山がいくつも築かれていた。
「これ、終わった分なんですか?」
「おうよ。面倒だから、ファロンの分も混ぜているが、基本は俺が済ませた奴だ。ファロンの分は全体の一割あればいい方さね」
あっさりと言い切られるアリシア陛下。そのお言葉に「本当ですか」と顔を向けると、ファロン陛下は大いに疲れたお顔で頷かれた。
「……やはり、臣下と王とでは仕事の量も質も違いますね。量という意味であれば、臣下時代のが多いですが、質がまるで違います」
いくらか頬をげっそりとやつれさせながら、ファロン陛下はため息交じりに言われていた。
……どうやら俺の「物は言いよう」という考えは大いに間違っていたようだ。
「……旦那様、アリシア陛下のお言葉に騙されないでください。たしかに、アリシア陛下が決済された分の方が多いのは事実のようですが、その内容はまるで違いますよ」
そう言って、ルクレがアリシア陛下の決済済みの書類を数枚取って眺めると、小さくため息を吐いた。
「……やっぱりですね。アリシア陛下が決済された書類は、初心者、この場合はファロン陛下向けに用意されたものですね。逆にファロン陛下が決済しているのは、アリシア陛下向けの書類でしょうね」
困った物だと言わんばかりにルクレが呆れ顔を浮かべている。
対してアリシア陛下は悪びれることもなく、「その通りだ」と頷かれてしまう。……もう一度前言撤回をしたくなってしまったのは言うまでもない。
「だが、ひとつ言っておくが、別にファロンの仕事を横取りしたわけじゃねえぞ? 俺は俺の分の仕事を片づけた後に、ファロンの仕事をいま手伝ってんだ。ファロンが俺向けの仕事をしているのは、単純に今後はこういう仕事もするぞっていう体験をさせてやっているだけだ。いまならまだ俺がいるからフォローもできるし、経験談を語ることもできるからな」
「……それこそ物は言いようではありませんか」
「まぁ、そうとも言うが、決して間違ってはいまい? 俺向けの仕事の量だって、せいぜいファロンの机に載っている分の一割にも満たないぜ?」
にやりと口元を歪められるアリシア陛下。ルクレはその一言への反論ができず、「むぅ」と唸って引き下がってしまった。
ルクレが引き下がったのは、アリシア陛下のお言葉が事実であることがわかったからだ。
おふたりの机の上に載っている書類には、いくらかの特徴があり、その特徴を見知っているがゆえに、アリシア陛下のお言葉が事実であることがわかったからだ。
おふたりの机の上の書類には、それぞれに赤と青と白の三色の付箋らしきものが付けられている。
付箋の色は赤が緊急性の高い重要な決済、白は逆に緊急性も重要性もない、報告ついでに決済もして貰おうとしているもの。青はその中間というところ。
ファロン陛下の机に載っているのは、だいたいが白の付箋付きであり、青もそこそこあるが、赤はほとんど見受けられない。
そしてアリシア陛下の机に載っている書類はほぼすべて、だいたい八割か九割が赤の付箋で統一されていて、青はせいぜいが二割か、二割を切る程度。白にいたってはほぼ皆無だった。
「まぁ、そういうわけよ。だから、俺は決して仕事をさぼっていたわけじゃない。ファロンの分まで仕事をしているわけだ」
アリシア陛下は勝ち誇った笑みを浮かべながら、ルクレを見やる。ルクレはその笑みを見て悔しそうに唸っていた。
「まぁ、ルクレをからかうのはここまでにして。それでもう出てってしまうのかい?」
アリシア陛下は脱線していた話を再開させる。アリシア陛下が口にしたのは、俺たちの今後の話についてだ。
アリシア陛下の言う通り、俺たちがこの国を出発するということ。
「うむ。そろそろ出発しておきたいからのぅ」
アリシア陛下の質問に俺が答えようとするよりも早く、焦炎王様が答えられた。
「ふむ。ずいぶんと急ですな? なにやら火急の知らせでも?」
「別にそこまでではない。が、三国での同盟が成ったいま、「ルシフェニア」がいずれ動き出すのは明白であろう。が、いますぐにというわけではない。彼奴らが動き出すまえに、こちらもより戦力を強化させる必要がある。そのためには知人を訪ねようと思ってのぅ」
「知人、ですか。炎王殿がそう言われるということは」
「あぁ、「原初の土王」だ」
「! それはたしかに重要な案件ですな」
アリシア陛下が目を見開いた後、静かに頷かれた。
焦炎王様が口にされた「原初の土王」という名前に、アリシア陛下は重要な案件だと言い切られた。
どうやら、この世界では「原初の四王」という存在は相当に有名なようだ。……あくまでも王家に連なる人たちにとってはだけど。
(土轟王様ってこの世界でも有名人なんだなぁ)
俺にとってみれば、よく見知った人がそこまで有名人だということに驚かされている程度ではあるが、それでも少なくない衝撃を受けてはいる。
とはいえ、この数日でその衝撃はだいぶ小さくなったけれど。
そう、いまから数日前に、俺は焦炎王様からいろいろとお話をしてもらっていた。
焦炎王様が知るこの世界についてのこと。その中に「原初の四王」という単語についても触れられた。焦炎王様がこの世界ではどのような存在になっているのかもまた。
そんな諸々の話をされたのが、いまから数日前、ファロン陛下の初仕事を見届けて、「巨獣殿」に戻った日のことだった。




