rev4-129 賢龍王の始まり
数日後──。
「──みな、よく集まってくれた。礼を言おう」
疑似太陽が燦々と輝いていた。
かつて人だったものを燃料として、いまの人々を照らしていく。
その事実を知る人はほとんどいない。知らない方がいいこともあるし、知っていた方がいいこともある。けれど、この場合は知らなくていいことだった。
その知らなくていい現実の下、アリシア陛下は主都リアスの王城のバルコニーから姿を見せられていた。
こちらの位置からでは、アリシア陛下の背中しか見えないが、その先に大勢の民がいることはわかる。
今回の騒乱の顛末と今後の指標についての話をアリシア陛下が直々に行うことを大々的に流布された結果、主都リアスには多くの民が詰め寄り、普段よりも人口が多くなっていた。
その大勢の民の前で、アリシア陛下はいつも通りに振る舞われていた。
「此度の叛乱と、先日の謎の巨人の襲来。その顛末を朕は語るべきだと考え、こうして皆に集まってもらった。中には遠路はるばる来てくれた者もいるだろう。朕は嬉しく思う」
アリシア陛下の声は、リアス中に届いている。伝令用の魔法を用いて、参じた国民たちに届かせていた。
「まず、此度の叛乱についてだが、これはすでに皆が周知の通り、我が右腕であった左大臣ファフェイが起こしたもの、と思われていた。だが、事実は違っていた。ファフェイはどうやら操られていたようだ。調査をした結果、ほぼ間違いなく催眠状態にあったことがわかった」
アリシア陛下は最初からねつ造を話されていた。ねつ造とは言うけれど、事実も含まれたねつ造だった。
事実込みのねつ造を話すというのは、事前の打ち合わせの段階からわかっていたことではあったけれど、この大舞台で堂々とかつ、淀みなく話せるとは。アリシア陛下の胆力はやはり凄まじい。
「そして先日の謎の巨人の正体だが、こちらも調査の結果、ファフェイの子息であり、我が国の軍人であったファラン少佐であったことがわかった。そしてファラン少佐もまた催眠状態にあったようである」
続いてアリシア陛下は同じように事実込みのねつ造を口にされた。
その内容に、バルコニーの先からざわめきが聞こえてくるけれど、アリシア陛下は一言「静まれ」とだけ言われた。
その一言にざわめきは消えていくが、いくらかは残っているようだったが、アリシア陛下は気にすることなく続けられた。
「皆、唖然としていることはわかる。朕もまた調査結果を知り、唖然としたものだ。だが、これは間違いのない事実である。……そうであるな? 我が盟友」
アリシア陛下がわずかに振り返ると、それを合図にルクレが、ドレスアップをしたルクレがバルコニーへと向かっていった。
「今回の調査には、我が盟友であるルクレティア女王も協力して貰った。ルクレティア女王よ、その話を皆にもしていただきたい」
「はい、承知いたしました、アリシア陛下」
ルクレはカーテンシーを行ってから、胸を張ってベヒリアの民たちの前で口を開いた。
「アリシア陛下よりご紹介いただきました、リヴァイアクス女王ルクレティアです。以後よしなに」
再びのカーテンシーを行うルクレ。その姿に感嘆の声が漏れ聞こえてくる。
ドレスアップをしたルクレは、普段以上に清楚な淑女という風に見える。
そのルクレの姿に「可憐だ」とか、「美しい」と讃える声が聞こえてきた。
まぁ、気持ちはわかる。
ドレスアップをしたルクレを見て、ベティもプロキオンも「きれい」と言って褒めていたし。褒められたルクレは胸を張りながら、アンジュに「どうですか?」と言ったけれど、アンジュは「きれいだよ」と笑うだけだった。
そうして誰からも褒められたルクレは、いまや女王としての仮面を被り民の前に立っている。
「此度の騒乱の調査には、我がリヴァイアクス軍も協力させていただきました。その中には有識者もおられまして、その有識者の弁より此度の騒乱には裏に真の首謀者が隠れ潜んでいることがわかりました」
「ファフェイやファラン少佐を操り、この国を滅亡させんとした者たち。それは聖王国「ルシフェニア」である。すでに皆も知っている通りであろうが、以前より朕はアヴァンシアの盟友であるアヴァンシア先王が設立を目指す「対ルシフェニア連合軍」の正式参加を受諾していた。その理由こそが、ルシフェニアの者どもが為した非道への悲憤である」
アリシア陛下は、大きく身振りしながら語られる。それはまるで舞台の俳優がするような大仰で、でも自然と衆目を集めていくものだった。
「我が愛する臣下を傀儡とし、その臣下の手によって我が祖国を滅亡へと追いやろうとした。許せることではない。加えて、彼奴らは冒涜とも言うべき大罪さえも犯したのだ」
「その大罪とは、神獣ベヒモス様の殺害です」
アリシア陛下の言葉に続いて、ルクレが言った。ベヒモス様の殺害。その言葉にいままで以上にバルコニーの先にある王城前の広場が、いや、リアス全土が騒然と化した。
「……皆も信じられないと思うが、これは事実である。すでに「巨獣殿」にベヒモス様はおられぬ。ベヒモス様はルシフェニアの凶刃に倒れられ、その生涯を閉ざされている」
アリシア陛下の声が震えていく。いや、声だけではなく、そのお体もまた震えている。その様子に王城前の広場から嗚咽の声が響き始めた。
「……歴史上、神獣殺しを為した者はおらぬ。それが許されざる大罪であることを誰もが理解していた。その許されざるを大罪を彼奴らは犯したのだ。我が臣下を傀儡とし、我が祖国を滅亡に追いやろうとしただけではなく、我らが父祖たちが崇拝した彼の方さえも手にかけた。この大罪を前に、朕は黙っていることなどできなかった」
アリシア陛下は涙を拭う素振りをすると、力強く告げられた。
「朕は誓う。必ずやルシフェニアの悪魔どもをこの手で討つと。そのためには我が盟友たちの連合を組むのが最善である」
力強いアリシア陛下の独白に、民たちが鬨の声を上げていく。その声はいまだ涙声ではあるが、民たちの悲憤が込められていた。
悲憤が込められた鬨の声を一身に浴びていたアリシア陛下だったが、突如その声を落とされた。
「……ただ、ベヒモス様の加護を失ったこの国は、衰退が確定してしまっている。その衰退を助長させる大戦の参加は皆の生活を圧迫させることになるであろう。たとえ、大義が我らにあろうとも、その大義の下、皆を苦しめることは決して許されることではない」
アリシア陛下の変化に、民たちの間で「まさか」という声とともに動揺が走っていくが、アリシア陛下は躊躇うことなく続けられた。
「ゆえに、終戦後、朕は退位する。すべての責任を背負って、朕の王としての日々を終わらせる」
はっきりと告げられたアリシア陛下の言葉に、ベヒモス様が殺害されたことを告げられたときと同じくらいの騒然が広がっていく。
ベヒモス様の死に動揺するのは納得できる。それだけベヒモス様の存在が大きなウェイトを占めていることは、加護を与えられた国に住まう民としえは当然のことだ。
けれど、アリシア陛下は名君とはいえ、王という超越者のひとりでしかない。歴史上、アリシア陛下を超える名君はいただろう。
ひとりしかいない神獣と何人もいる王のひとりが退位する。その知らせを聞いて、同等の動揺が走るということは、それだけアリシア陛下が民に愛された王であったという証拠だった。
その証拠を改めて証明し、アリシア陛下はなにを思われているのか。背中からはなにもわからない。
だけど、アリシア陛下のことだから嬉しそうに笑われているはずだ。いつもの豪快な笑顔とは違う、穏やかな笑みを浮かべられていると思う。
「だが、安心するといい。朕はすでに次代の王を選定している」
そう言って再びアリシア陛下が振り返られた。再度の合図とともにファロン殿はバルコニーに姿を現した。
「朕の次代はここにいる右大臣ファロンとする。ファロンは皆も知っている通り、左大臣ファフェイの子息であり、ファラン少佐の兄である。つまり、ルシフェニアに父と弟の命は無惨にも奪われたのだ。その怒りと嘆きを朕は背負うことにした。その代わりに次代をファロンに任せることにした」
広場からざわめきが上がっていく。
ファロン殿は、アリシア陛下のお言葉を聞けば、悲劇の主人公のようである。とはいえ、父親と実弟が傀儡とされたのであれば、同じくファロン殿も傀儡とされているのではないかという危惧を抱く者もいるだろう。
実際、広場から「大丈夫なのか」という声がちらほらと上がっていたが、その声を黙らすように、ルクレは水の神器であるリヴァイを高らかに掲げると──。
「我が兄が愛した民たちよ。安心するといい。ここにいるファロンは決して傀儡とはなっておらぬ。我が名において、水の神獣リヴァイアサンの名を以て誓おう」
──空中に人の姿となったリヴァイアサン様が現れた。
突如として現れた神獣の姿に、ざわめいていた民たちが一斉に声を失っていく。
リヴァイアサン様のお姿は、鱗を生やした幼女という風に見える。だが、その体からは圧倒的な雰囲気を纏っていた。その雰囲気は決してただの幼女が放つものではなかった。空中に出現した幼女を神獣と仰ぎ見るまでにさほど時間はかからなかった。
「アリシア女王が語った内容はすべて真実である。我は事情があり、いまはルクレティア女王とともにあるが、この目でアリシア女王が語ったすべてを見ている。そして同じようにこの目でファロンが傀儡と化していないことを確かめている」
アリシア陛下だけではなく、リヴァイアサン様からも念押しの一言が放たれた。その一言に誰も疑念を抱くことはできなくなっていく。
疑念を抱くということは、アリシア陛下だけではなく、神獣様の言葉を疑うということ。この国の、いや、この世界に住まう民には決してできないことだった。
「ゆえに、我はファロンこそが次代の王として相応しいことを認める。もし、異論があるのであれば、いますぐに申し出よ。このリヴァイアサンがその異論を聞こうではないか」
リヴァイアサン様がさらに念押しをされた。これでファロン殿を次代の王として認めないなんて言える者はいなくなった。
ここまでの流れはすべてアリシア陛下主導によるものだ。力業ではあるけれど、ぐうの音も出ないほどに完璧な流れではある。
実際、為政者たちを集めて同じ事をしているのだけど、その際にも異論は出なかった。まぁ、そのときはリヴァイアサン様がいかにもな悪役面をして笑っていたから、その笑顔に恐怖していただけなのかもしれないが。
とにかく、これで国の上層部だけではなく、民にもファロン殿が次代の王となることを認めさせることはできた。
だが、ここからはファロン殿次第だろう。すでにできるだけのお膳立てはした。残るはファロン殿の、いや、ファロン陛下の仕事だった。
「ふむ。どうやら異論はないと見える。では、ファロンよ。王としての最初の仕事をせよ。兄に代わり、このリヴァイアサンがそれを見守ろう」
「承りました」
リヴァイアサン様の言葉にファロン陛下は頷かれ、澱みのない足取りで前に出られた。背中しか見えないけれど、明かな緊張の色が見えていた。でも、緊張はしていても、その歩みは止まらない。
「アリシア陛下、ルクレティア陛下、そしてリヴァイアサン様よりもご紹介を預かったファロンだ。此度の騒乱において、なにも為しえなかった愚物である」
ファロン陛下の最初の一言は、まさかの自虐だった。いきなりの自虐にいままでとは違うざわめきが広がっていくが、ファロン陛下は気にすることなく、続けられた。
「いまはまだ愚物で、暗愚な王にしかなれぬ。だが、それはいまはまだというだけのこと。今後は違う。我が父ファフェイ、我が弟ファランの命を奪った者どもへの悲憤に突き動かされている私ではここにおられる両陛下のような名君になるとは言えぬ」
自虐を続けられながら、ファロン陛下はその胸の内を語っていく。ざわめいていた広場から声が消えていく。
「私の胸のうちは、悲しみと怒りが広がっている。ベヒモス様を殺害された以上に、愛する家族の命を無惨に奪われたことに私は悲憤する。あぁ、私はいま王としては失格であることを口にしている。それでも、それでも私は父の無念を晴らしたい! 弟の敵を討ちたい!」
バルコニーの手すりを強く殴りつけるファロン陛下。全身を震わせながら嗚咽を漏らす声が、広場に、リアス全土に広がっていく。
「それこそ、いますぐに単身でルシフェニアに乗り込みたい! だが、だが、それは叶わぬ。いまの私では乗り込んだところでふたりの二の舞になる。いまの私はなんの力もない若造だ。それでもこの怒りと悲しみはなくならぬ! どうして私は気づけなかった!? どうして私はなにもできぬ!? どうして、私だけが生き残ってしまったのだ? ……どうして私が、俺が生き残ってしまったんだ? 俺は父上のように政治などできぬ。ファランのように戦うこともできない俺が、どうして生き残ったんだ? どうして、俺だけが」
ファロン陛下の言葉遣いが崩れていく。その独白に広場からも嗚咽が聞こえ始める。
「それでも、俺は生き残った。なんの力もない俺だけが生き残った。なら、俺は俺がするべきことを、いや、ふたりがいたらしていたであろうことをするしかない。俺はきっと名君にはなれない。でも、暗愚になるつもりもない。せいぜい平凡な王になれる程度だと思う。情けない王だろう。だが、どんなに情けなくても、いまはこの悲憤とともに立つしかないんだ」
ファロン陛下は体を震わせながら胸を張られた。その背中はまだ頼りない。けれど、すっと伸びたいい背中をしていた。
「情けなくて、中途半端な王になるだろうが、それでも皆の日々を守っていきたいと思う。具体的にと言われたらなにも言えない。でも、なにも言えないからと言って、なにもしないわけじゃない。ふたりの分までは俺は皆の日々を守る。この生涯を以て、ふたりが愛したこの国を、いや、皆が愛するこの国を俺は守っていく。着いてきてくれとは言わない。だが、見ていて欲しい。そしてともに歩んで欲しい。俺たちが愛するこの国を、俺たちの手で紡いでいこう」
最後にファロン陛下はまっすぐに民たちを見つめる。その言葉にリヴァイアサン陛下が拍手を打ち、アリシア陛下もルクレも拍手をする。その拍手は3人だけのものではなく、次第と周囲に広がり、やがてリアス全土に広がっていた。
歴史上類を見ない、自虐から始まった就任の挨拶。それが「中興祖」アリシアに並ぶ「賢龍王」ファロンの逸話の始まりとなった。
その逸話の生き証人として俺はその場にいた。頼りないが、まっすぐな背中を俺はじっと見つめながら、新たな歴史の始まりを見ていたんだ。




