rev4-124 次代の王
「──やっと、捕まえたぞ、悪戯娘どもぉ」
悪戯娘たちとの鬼ごっこが始まって二十分ほど。時間で言えば、大した時間ではないけど、その二十分は異様なほどに濃密な時間だった。
なにせ、悪戯娘どもと来たら、教えたつもりもない立体的な動きで逃げ続けてくれたからね。
プロキオンはともかくとして、ベティまで三角飛びをして壁から壁へと飛び移っていくとは思ってもいなかった。
そこからまさかの壁走りまで披露してくれたもんだから、完全に唖然とさせられてしまったもんだ。
アリシア陛下と焦炎王様が「お~」と拍手をされるほどに、ふたりの逃げっぷりは軽業師そのものだったよ。
いや、もう軽業師というか、パルクールを一緒にやっていると錯覚させられるほどだった。
そんなパルクール的な逃亡劇を二十分ほど行ったが、どうにかふたりとも捕まえることができた。そう、捕まえることはできたんだが──。
「パパ、もう一回。もう一回やろう」
「たのしかったのー」
──うちの愛娘たちは、どうやら俺と遊んでいたという認識だったようだ。
俺は最初からガチで追い掛けていたんだけど、俺のガチはふたりにとっては遊びの範疇のようだった。
ふたりとも狼の魔物だけあって、身体能力がとんでもないというのはわかっていた。
わかっていたけれど、ここまですごくなっていたとは完全に想定外だった。
以前から「巨獣殿」の中庭でふたりが追いかけっこをしているのを見守っていたが、あれでもこの子たち的には加減していたようだ。
俺が息切れして、ぜーはーと荒い呼吸をしているのに対して、ふたりとも涼しい顔をしながら、もう一回やろうとか、楽しかったとか言っているし。
「やりません! そもそも、これは遊びじゃないからね!?」
「えー、つまんなーい」
「つまんなーいの~」
「黙らっしゃい! とにかく、これからふたりにはオシオキをだなぁ」
俺の腕の中で「ぶーぶー」と文句を言うふたり。どうやら俺は完全に嘗められているようだった。
ここはパパとしての威厳を取り戻すために、非常にキッツいオシオキをしてあげないといけないようだ。
「ふっふっふ、そう言っていられるのもいまのうちだぞ、悪戯娘どもめ。これからキッツいオシオキをだな~、ってあれ?」
ふっふっふと怪しく嗤いながら、ふたりへのオシオキを口にしようとしたのだけど、なぜかふたりは腕の中からいなくなっていた。
目を離したわけでも、拘束を緩めたわけでもない。
なのに、なぜかふたりは忽然といなくなってしまっていた。
……どういうこと?
「ママ、ママ。オシオキってなにをするの?」
「なにをするの~?」
「ん~。そうだねぇ。パパのことだから、お尻ぺんぺんとかかなぁ~?」
「え~、やだぁ~」
「やだぁ~」
「ふふふ、まぁ、ママがいるからそんなことはさせないから、安心していいよ」
「がぅ、ありがとう、ママ」
「ありがとーなの~」
俺が困惑していると、いきなり背後からアンジュと話をするふたりの声が聞こえてきた。
振り返ると、いつのまにか、ふたりはアンジュの隣と膝の上に座ってまったりとしていた。
……いったいなにがあった?
あまりの光景に俺は言葉を失っていると、焦炎王様が花茶を啜りながら──。
「プロキオンが「刻」属性を行使して、さっさと離脱したぞ? その援護を奥方もされておられたのぅ」
──という一言を授けてくださった。
どうやら、アンジュとベティが共謀して俺の拘束から逃れたようだった。
「え、でも、いま「刻」属性を使われた感覚がなかったんですけど」
「そう勘付かれないように奥方が援護をしたというだけのことじゃ。かわいい愛娘相手とはいえ、裏を搔かれるでないわ、このバカ弟子めが」
ずずっと花茶を啜られながら、呆れたように焦炎王様は仰られた。
裏を搔かれたことは事実だから、反論のしようはない。でも、さすがにこんなことに「刻」属性を使うとか、普通は思わないし、裏を搔かれるのも──。
「──仕方がないと、抜かすでないぞ?」
「……ハイ、スミマセン」
──仕方がないと思ってすぐ、焦炎王様がギロリと睨み付けて来られた。
あ、これはまずいと俺は慌てて謝った。焦炎王様はため息をひとつ吐きながら、「修行のやり直しかのぅ」と肩を竦められてしまう。
「……あの、修行をですか?」
「うむ。フェニックスにもう一度しごいてもらおうかのぅ。あの性悪鳥であれば、嬉々としてそなたを再びしごきあげてくれるであろうな」
「……あの、そのときは香恋も一緒でお願いします。少なくともそうすれば負担は半分だし」
『はぁっ!? ふざけんなよ、カレン!? なんで私を巻きこむのよ!? あんたひとりでフェニックスさんにしごかれればいいじゃないの!?』
「……地獄に道連れって言うじゃん?」
『ふざけんな、バカぁっ!?』
焦炎王様の仰られた一言で、かつての地獄のしごきが鮮やかに蘇り、俺はすぐさま香恋をスケープゴート、いや、俺と一緒に地獄に落とすことを決めた。
が、当の香恋は俺ひとりでしごかれろと薄情なことを言ってくれた。
とはいえ、どんなに嫌がろうと、同じ体を使っている以上、香恋も一緒にしごかれるのは必定だった。いわば、一蓮托生だね。
「……そなた、いい性格になったのぅ~。あの性悪鳥の影響じゃな」
俺と香恋のやり取りに、焦炎王様が再び呆れ顔になられたが、どんなにあきれ顔になられたとしても、ひとりで地獄に落とされることだけは勘弁願いたい。となれば、道連れとして選べるのは香恋くらい。いや、香恋以外にいないんだ。だから──。
「諦めて、一緒に地獄に行こうぜ?」
『おまえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!』
香恋に向かってそう笑いかけると、香恋が渾身の絶叫を上げてくれた。
だが、どんなに絶叫を上げられようと、止まる気はないけどね。
「……しっかし、炎王様の仰る通りか。本当に婿殿の中にはもうひとつの人格がいるんだなぁ。似ているようで、全然違うしなぁ~。珍しいものを見たぜ」
香恋の絶叫が響いてすぐ、アリシア陛下が興味深そうに俺たちを見つめていた。
アリシア陛下には俺と香恋のやり取りは聞こえていた。
いや、アリシア陛下だけじゃなく、この場にいる全員に香恋の声は聞こえている。
焦炎王様の指示で、香恋の声がこの場にいる全員に聞こえるように香恋自身が調整したんだ。
それも焦炎王様曰く、「いつまでもそなたたちふたりで完結するのはよくない。ちゃんと他者とも交流を持つべきだ」と仰られ、香恋は渋々とだが、全員に香恋の声が聞こえるように調整したんだ。
なわけで、いまの俺と香恋のやり取りはこの場にいる全員に聞こえている。
香恋のことを前々から知っていたルリとイリアは、香恋の声が聞いて、「……は?」と呆然となっていた。
アリシア陛下は「……似ているが、違うな」と興味深そうにされていた。
そしてプロキオンとベティはと言うと──。
「パパとパパのお姉ちゃんは、本当に仲良いよねぇ~」
「ぱぅ。おとーさんとおとーさんのおねーちゃんはなよかしさんなの」
──俺と香恋の関係をあっさりと受け入れてくれた。
うん、受け入れてくれることは嬉しいんだが、まったく葛藤がないというのはどうだろう? まぁ、この子たちらしいと言えばそうなんだけど、なんとも言えない気分になる。
「おまえさんは、どう思う? ファロン?」
あまりにもあっさりと受け入れてくれた愛娘たちに、なんとも言えない気分にされていると、アリシア陛下が不意に話をファロン殿に振られた。
香恋の声が聞こえているのは、この場にいる全員。その全員の中にはファロン殿も含まれている。そのファロン殿は、いままで無言で俯かれていたんだが、アリシア陛下の問いかけに「は、はい」と背筋を伸ばされた。
「私自身も、書物で知っているまででしたので、まさかレン殿のような方とお会いすることになるとは思っていなかったと申しますか」
「ふぅん。おまえさんらしい、優等生過ぎる答えだな」
「きょ、恐縮です」
ファロン殿は畏まって頭を下げられる。そんなファロン殿をアリシア陛下はちらりと一瞥しただけで、それ以上はなにも仰られなかった。
だが、ファロン殿本人はそういうわけにはいかないようだった。
なにせ、首都からここまで供回りのひとりとして連行されたうえに、焦炎王様に続いて俺と香恋のことという想定外すぎる内容を聞かされたんだ。
反応に苦慮するのも当然だ。
加えて、いまだに疑問の答えが出ていないといのもある。そう、なぜ「罪人の家族である自分を供回りとしてここまで連行したのか」という疑問をだ。
でも、その疑問の答えをアリシア陛下は一向に口にされない。
だが、ファロン殿にしてみれば、そういうわけにはいかない。
だからだろう。ファロン殿は意を決したようにして、「へ、陛下」とアリシア陛下に声を掛けられたんだ。
「なぜ、私を供回りとして選ばれたのでしょうか? 私は」
「そりゃ、次代の王が神獣様に顔合わせをするのは当然のことだろうよ?」
「そうですか、次の……は?」
ファロン殿の言葉に被せるようにして、アリシア陛下は何気ない口調でとんでもないことを仰られた。
ファロン殿も最初は頷いていたものの、すぐに言葉の意味を理解し、唖然とされていた。だが、そんなファロン殿を無視してアリシア陛下は続けられた。
「だから、おまえが次のベヒリア国王となるんだよ、ファロン」
とてもあっさりとした口調だが、とんでもない内容をアリシア陛下は再び口にされたんだ。
そろそろ4章も終わりです
 




