rev4-123 一番の成果
独特の香りがしていた。
この世界でも口にするお茶とは、少し異なる香り。花が開いたような香りが周囲に漂っている。
「さぁ、やってくれ」
目の前に置かれたのは、黄金色のお茶だった。そのお茶からは香しい花の匂いがする。
「いただきます」
「おう」
短い返事を聞きながら、目の前に置かれたお茶に手を伸ばし、ゆっくりと傾ける。
紅茶や緑茶とは異なる味が口の中に広がっていく。茶葉では決して出ない味。かと言ってハーブティーとも少し違う、まろやかな甘みを感じた。
「どうだい?」
「美味しいです。アリシア陛下」
「そうか、そうか。そいつはよかったぜ」
かっかっかといつものように豪快に笑うアリシア陛下。
いま俺の前に出されたのは、アリシア陛下のお気に入りの花茶らしい。
その花茶を人数分、アリシア陛下は振る舞ってくださっている。そう、会議室にいる人数分をだ。
「がぅ。変わったお茶だね」
「そうさのぅ。だが、これはこれで有りじゃが、プロキオンの口には合うかの?」
「がぅ~、大丈夫だもん」
「そうか。まぁ、飲めそうになかったら無理をせぬようにな?」
「だから、大丈夫だもん」
「そうか、そうか」
花茶はルリとイリアはもちろん、焦炎王様とプロキオンの分まで出されていた。
そのプロキオンはいま焦炎王様のお膝に座って焦炎王様と一緒に花茶を堪能している。
……堪能はしているが、美味しいとは感じていないみたいで、若干顔が渋い。どうやら花茶はまだプロキオンには早かったみたいだ。
そんなプロキオンを焦炎王様は気遣ってくださっているが、プロキオンは少し意地になっているようで、「大丈夫だもん」の一点張り。
焦炎王様は笑いながら、プロキオンの頭を撫でられている。その顔もその声もやはりとても穏やかだった。
「ばぅばぅ。あまくて、おいしーの」
悪戦苦闘するプロキオンとは違い、ベティは美味しそうにカップを傾けていく。
もっとも、ベティが口にしているのは花茶ではなく、蜂蜜を加えたホットミルクだった。
さすがにベティには花茶は早いと思われたみたいだ。本来ならプロキオンにも早いんだけど、そこはものは試しとばかりに振る舞われたんだと思う。その試しの結果は、うん、ごらんの通りというところかな。
「やはりベティちゃんにはこっちの方が合っていたか」
「ばぅ! あまくておいしーの。ありがとーなの、おばーちゃんへーか」
「いやいや、気にしなくていいぜ。当然の気遣いって奴さ」
ベティホットミルクを美味しそうに飲みながら、アリシア陛下のお膝の上にちょこんと座っている。プロキオンとは対照的な姿だった。
「しっかし、今日は本当に衝撃的な日だぜ。ファランのバカタレが唆されて、化け物になったってだけでも十分だったというのに、まさか伝説に語られしお方とお会いできるとはねぇ。長生きってのはするもんだな」
アリシア陛下はベティの頭を撫でられながら、いまだ上座に座られている焦炎王様を見やる。当の焦炎王様はアリシア陛下の視線を浴び、喉の奥を鳴らすようにして笑われた。
「あまり、そう持ち上げぬでくれ。我としてはそこまで大それた存在ではないつもりなのだからのぅ」
「なにを仰られるか。「原初の炎王」と言えば、最古の竜王のおひとりではないか。まぁ、私もその名を聞いたのは、爺さん経由だったが。それでも神代において最古の存在たるお方とこの現代で顔を合わせられるとは、誠に光栄なのですぞ?」
「それがこそばゆいと言っておるんだがな。まぁ、この世界では我はそういう存在になっておるようだから、致し方がないかもしれぬがのぅ」
「ははは、そういうことです。ただでさえ、神代の存在たるお方に出会えるなどと、奇跡のようなもの。しかもそのお方が、婿殿の師とは。まさに奇跡に奇跡を重ねたようなものですよ」
「やれやれ、持ち上げられすぎて困るのぅ」
アリシア陛下と焦炎王様は穏やかな会話をされていた。それも表面上ではなく、心の底からおふたりとも穏やかに笑われている。
「ばぁば、てれてるの」
焦炎王様が顔をわずかに赤らめていると、ベティが目ざとく気付いた。その言葉に焦炎王様は「こ、これ」と慌てるが、すでに時遅し。
「がぅ、本当だ。ばぁば、照れている」
ベティの言葉を受けて、プロキオンが焦炎王様の膝の上で振り返って、焦炎王様のお顔を確かめていた。
普段冷静なプロキオンらしからぬ、年相応の笑みを浮かべてくれている。
すると今度はベティが「てれている~」と囃し立て、それに乗っかるようにしてプロキオンも「照れている~」と囃し立てていく。
うちの愛娘たちの囃し立られ、さしもの焦炎王様も困ったように穂を搔かれていく。
「ベティだけではなく、プロキオンもか。勘弁しておくれ」
「えー」
「えーなの」
「……まったく、困った子たちじゃな」
「ですが、そういうところがまた愛らしいのでしょう?」
「……そうじゃな。愛らしゅうて敵わんわ。これが愛弟子共であったら、いろいろとできるのだが、この子たちを相手となると、我とてお手上げじゃよ」
「かかか、さすがはベティちゃんとプロキオンちゃんですな。「原初の炎王」様さえも籠絡するとは。これも婿殿の教育あってのものですかな?」
「相違ないであろうな。この子らは、これでもかというほどの愛情に包まれておる。……まぁ、ふたりとも辛い過去を抱えておるようじゃが、その過去を忘れるほどにいまが幸せであるようじゃ。曇りなき笑みを浮かべられるのは、幸福に身を置いておるからこそよ。そういう意味であれば、愛弟子を褒められるのぅ」
焦炎王様とアリシア陛下が俺をまっすぐに見つめられる。今度は俺がこそばゆくなってしまった。なんとも言えなくて、頬を搔いてごまかそうとしていたのだけど──。
「あ、こんどはおとーさんがてれてるの」
「本当だ。パパ、照れている~」
「てれてるの~」
──矛先を変えたふたりに、今度は俺が囃し立てられてしまった。
「こ、こら悪戯娘ども! パパをからかうんじゃない!」
「きゃー、パパが怒った~」
「きゃーなの~」
そう言って、ふたりは揃って焦炎王様とアリシア陛下の膝の上から飛び降りて、逃げ始める。
その際、きちんとテーブルの上にそれぞれのカップを落ちないように置いているのは、実にお利口さんではあるが、だからといって、その程度でパパをからかった罪がなくなると思うなよ?
「こら、待て! 悪戯娘ども!」
「きゃー、パパ怖ーい」
「こわーいなの~」
ふたりとも揃って楽しそうに笑っていた。その笑みを見ていると、焦炎王様が仰ったふたりの辛い過去が幻のように思えてしまう。
でも、実際にこの子たちには辛い過去がある。その辛い過去はいまだにこの子たちの心を蝕んでいる。
だけど、その辛い過去をいまこのときは感じられない。
この子たちに笑顔を浮かべられるようにしてあげられたこと。
「聖大陸」に来て、一番の成果を選ぶとすれば、それはこの子たちを幸福にできているということだと思う。
良人としては失格かもしれないけれど、パパとしては及第点くらいは得られるかもしれないと自分では思っている。
「くくく、我が愛弟子もあの子たちには形無しじゃなぁ」
「左様ですな。まぁ、だからこそ、あの子たちを幸福にできるのでしょうが」
「そうじゃなぁ。よくやっておるわ」
焦炎王様とアリシア陛下がなにかを仰っていたけれど、さすがにふたりを追い掛けることで精一杯だった俺には詳細までは聞こえなかった。
「待てぇぇぇぇぇ! 悪戯娘どもぉぉぉぉぉ! オシオキだぁぁぁぁぁ!」
「きゃー、オシオキやだー」
「やだーなの~」
俺が精一杯の速度で駆ける中、当のふたりは楽しげに笑っていた。いや、これはもう嗤っていると言う方が正しい気がする。
とはいえ、逃げ回るふたりをそう簡単に捉えることはできず、俺は狭い会議室の中をふたりを必死に追い掛けさせられることになった。
本題に入る前に終わってしまった件←




