rev4-114 戦神
拳と拳がぶつかっていく。
そのたびに大気が震え、大きな炸裂音を奏でていく。
目の前にいるのは、哀れなる存在。
力に呑まれてしまった者。
その身に合わぬ願いを抱いてしまった者。
願いを成就するために魔道へと堕ちてしまった者。
彼のことはなにもわからない。
正確に言えば、表面上の彼のことは知っている。
ファラン。
年の頃は二十代半ば。
軍人。
階級は少佐。
生家は、「ベヒリア」における大家であるファ一族の宗家。
その宗家の次男として産まれたのがファラン少佐。
性格は実直そのものだが、部下想いにしてユーモアな部分もある、絵に描いたような好男子。
武術という面においてはそこそこであるものの、軍指揮においては軍事国家である「ベヒリア」内でも上位に位置するほどの戦上手。
私が知っているファラン少佐の情報はそのくらい。
でも、それらはすべて彼の表面上のものでしかなかったようだ。
でなければ、化け物と化して「巨獣殿」に攻め入ることなどありえないだろう。
もしくは、単純にそそのかされてしまったからなのかもしれないけれど。
彼個人の願いがどんなものなのかはわからない。
だが、魔道に堕ちたことを踏まえると、その願いがどんなものであるのかはおおよその予想はつく。
大方、この国を手中に収めようとしていたのだろう。
このタイミングで仕掛けてきた理由は、先日の「花の乱」の結果だと思う。
「花の乱」はなにからなにまで異質すぎるクーデターだった。
始まりは唐突でかつ、あまりにも展開が速すぎた。
その終息もあまりにも唐突すぎた。
まるで出来の悪い芝居を観させられているような気さえしていたほどだ。
そのうえ、首謀者があのファフェイ殿だということが、より違和感を憶えさせてくれた。
たしかにファフェイ殿が首謀者であるのならば、「花の乱」があまりにも速すぎる展開を見せたというのもわかる。
ファフェイ殿の能力は、ベヒモス様がいままでの左大臣の中でも抜き出ていると言われるほど。
それほどのお力を持つファフェイ殿が、本気で国盗りを目指されたのであれば、首都であるリアスをほんの数時間ほどで陥落させるのは納得できること。
ただ、それ以後の展開はあまりにもずさんすぎた。
まるでそこまでの内容は決まっていたものの、それ以後の展開は一切決まっていないかのように、それ以後はアドリブで済ませようとしているようだった。
あまりにもファフェイ殿にしては「らしく」なさすぎることだった。
あの方が本当に首謀者であれば、それ以後の展開も徹底的に詰めていたはず。
たしかに、旦那様たちという想定外のファクターはあったものの、そのファクターに介入されてもどうとでもなるように組み立てるのがファフェイ殿だった。
そしてなによりも、あまりにも戦後処理が速すぎたということ。
これこそ予め決められていたように、予定調和であったようにさえ感じられる。
特に「ベヒリア」内の主要街道が、「リアヴァイアクス」へと続く主要街道のひとつが、戦禍により再び通行可能になったという辺りは、もともとこうするつもりだったんじゃないかと感じさせるほど。
偶然にしてはあまりにもできすぎていた。
どう考えても偶然にしてはありえない。
だが、そのありえないことが現実になっている以上、ありえないと切り捨てることはできない。
できるとすれば、それはただひとつ。
「花の乱」とは壮大な芝居だったということ。
それもファフェイ殿を隠れ蓑にしている本当の首謀者をあぶり出すための芝居だったのだと考えることくらい。
でも、芝居として想定すると、点と点は繋がった。
最後に残っていた「真の首謀者は誰なのか?」という謎も、この強襲によってはっきりとした。
もっとも、その「真の首謀者」は高見の見物をしているようだけど。
目の前にいるファラン少佐はせいぜい「真の首謀者」に手駒にされていることに気付いていない、自分こそが首謀者だと思い込まされている人。
有り体に言えば、ただの道化だった。
でも、そのことにファラン少佐は気付いていない。
気付かぬまま、化け物として暴れている。
その道化の相手を私は行っていた。
「罪人がぁぁぁぁぁ!」
ファラン少佐が吼える。
それだけでびりびりと空気は振動していた。
巨体であるがゆえのことではあるけれど、吼えるだけで空気を震わせる相手と戦う。
以前の私であれば、人化状態では戦おうとは思わなかっただろう。
いや、人化状態どころか、本来の竜の姿であっても戦う気は起きなかったはず。
それほどまでにいまのファラン少佐は規格外だった。
それこそ、あのレア様にも比肩するほどの存在。
そんな存在を前にしても、私は感じいるものはなにもなかった。
ティアリカさんを相手にしたときもそうだった。
ティアリカさんは「剣仙」と呼ばれるほどの剣の達人であり、その実力はレア様ほか七王陛下と並ぶほど。
そんなティアリカさんを前にしても、私は感じ入るものがなにもなかった。
ただ目の前の相手と対峙し、打倒する。それだけしか考えていなかった。
それはいまも同じ。
いまの私にとって、目に映るほとんどが御しきれる存在だった。
それはティアリカさんも、ファラン少佐も変わらない。
でも、そんな私にも例外は存在している。
それがアンジュ様と旦那様。
アンジュ様ははっきりと言えば、私であってもどれほどに差があるのかもわからないほどに高位の存在だった。
それは存在としての格という意味合いはもちろん、実力という意味合いにおいても変わらない。
ただ、まだご自身の力を使いこなすことができていないみたいで、非常に不安定だった。
その不安定さゆえに、きれいに力を使おうとされすぎている。そこをファラン少佐につけ込まれた。
ファラン少佐がアンジュ様の結界を突き破ることができたのは、実力差がないからじゃない。ファラン少佐がアンジュ様の結界の弱点をピンポイントで叩いたから。弱点を正確に衝かれてしまえば、たとえどれほど高位の存在が張った結界であろうと一溜まりもないというのは当然のことだ。
はっきりと言えば、ファラン少佐がアンジュ様の結界を破壊できたのは、本気を出したからではない。単純に乾坤一擲の一撃が通用しただけだ。
でも、その乾坤一擲は私には通用しない。
だからこそ、こうして圧倒的な体格差があるファラン少佐と拳をぶつかり合わせるというとんでもない光景が生み出されているんだ。
そしてもうひとりの旦那様はというと、旦那様もまだご自身の力を十全に扱いきれていない。
十全に使いこなせていないというのにも関わらず、すでにその能力はレア様たち七王陛下と並んでいる。
だからこそ、この戦いに参戦しないでいる。
旦那様が七王陛下と並んでいるのは、あくまでも平常時の七王陛下とだ。
いまのファラン少佐のように全力を賭している状態ではない。
とはいえ、平常時のという前提があっても七王陛下と並び立てるようになっただけで、十分に規格外だ。
でも、規格外は規格外でも、いまの旦那様はあくまでもその扉を開いたばかりのところ。
まだ扉の内部にまで踏み込んではいない。
踏み込むための準備を旦那様はされている。
その準備が済んだら、私なんてあっという間に追い抜かされるのは目に見えている。それはファラン少佐とて例外ではない。
「っ!? なんだ、この光はぁ!?」
罪人としか言わなかったファラン少佐が動揺を見せた。
私からはその光は見えない。
見えないが、背後から圧倒的な力の奔流のようなものを感じていた。
それこそ私はもちろん、ベヒモス様をも凌駕するほどの圧倒的な力。
顔だけを背後に向けると、白と黒の二色の刀身になった刀を、黒い雷と白い炎を同時に纏う刀を掲げる旦那様がおられた。
「本当に、あなたという人は」
あっという間に追い抜かされるとは思っていた。
だが、目を離していたほんのわずかの間に、追い抜かすとは思ってもいなかった。
でも、それもまた旦那様らしいことだ。
私ひとりでは納まってくれない。
それこそ、私の他に同輩になる人が何人もいてようやくというところ。
そんな旦那様だからこそ、私は──。
「本当に、私のことを夢中にさせてくださるんですから!」
──叫びながら、ファラン少佐の懐へ一気に踏み込む。
いままでよりも圧倒的に速い踏み込みに、動揺していたファラン少佐はとっさに対応できず、私の拳を、下から掬い上げるようにして放った顎への一撃を直撃した。
「がぁぁぁ!?」
ファラン少佐の悲鳴じみた声が響く。
顎が上がり、完全に首元が空いていた。
そこに影が走る。
黒い軌跡を伴った影が走って行く。
その手には黒い雷と白い炎を同時に纏う二色の刀身の刀が握られていた。
そう、その影とはほからぬ旦那様だった。
旦那様はがら空きとなったファラン少佐の首筋にと、二色の刀を、「空」属性をさらに上乗せさせた刀の一撃を叩き込んだ。
「『焦雷斬空閃!』」
旦那様が放った一撃。
どういうわけか二重に聞こえた一撃は、ファラン少佐の筋肉を切り裂き、骨を断ち、そして首を刎ね飛ばした。
「ばか、な」
ファラン少佐が信じられないという顔で、ふたつに分かれた自身の体を呆然と見守る中、私は目の前にいる旦那様を、戦神としか言えないその背中をただ見つめていた。どうしようもなく高ぶる胸の鼓動とともに。




