rev4-111 愛おしき晴れ姿
胸の奥が熱くなる。
核を貫かれたのがはっきりとわかった。
目の前には、神子様と我が寵児がいる。
神子様は覚悟を決めよ、と我が何度も言ったことを言ってくださった。その言葉でようやく寵児は覚悟を決めてくれた。
(……すまぬな)
もう言葉にすることはできない。
正確には言葉を口にする時間的余裕がなかった。
肉体はすでに崩壊している。
元々の体へと戻ろうとしていた。
もっとも、それもかなりギリギリではあった。
元の体さえも、崩壊する寸前だった。
これでは元の体の機能さえ、十全に発揮することはできないだろう。
(……すべては我が不徳ゆえか)
姉や妹たちのようにさっさといまの体に見切りを付ければよかったのだろう。
そうすれば、神子様や寵児にこのようなことをさせずに済んだ。
ただ、神獣としての我を終わらせればいいだけだった。
背負わせなくてもいいものを背負わせてしまった。
本当に申し訳ないと心の底から思う。
だが、どれほど申し訳なく思ったところで、結果は変わらない。
「神殺し」をさせてしまったということには変わらなかった。
(まぁ、神は神でも「神獣」だが、それでも神であることには変わらんからな)
その神を殺させてしまった。
それも神自身の不徳ゆえに。
胸が痛い。
核を貫かれたからではない。
神子様と我が寵児に必要のなかったことをさせてしまった。
それが胸を痛ませていた。
(……泣いておるのぅ)
寵児は泣いていた。
寵児が泣くのを見るのは、これが二度目だった。
一度目は寵児の姉たる竜王を、かつての英雄の友を犠牲にして生き長らえたとき。
ああするしかなかったとはいえ、仲睦まじい姉妹に永遠の別れをさせてしまったことは後悔していた。
だが、どれほど後悔したところで、結果は変わらない。
いま我が滅びようとしているのと同じようにだ。
せめて、あの英雄の友の代わりをしようと思った。
長くは生きられないこの身が、どこまであの子の慰めになるのかとは思ったが、それでも一人っきりにさせるよりかは、誰かがそばにいた方がはるかにいい。それがたとえ、あの子にとっては仇でしかない存在であったとしてもだ。
とはいえ、生来の気概ゆえなのか、あの子の仇としてそばにいることはできなかった。できたのは親代わり程度。姉の仇が親代わりになるなど、いま思うと馬鹿げている。
それでも、その馬鹿げたことが当時は必要だと思った。
もっとも寵児がそれをどう思っていたのかはわからない。
「我が君」と呼んでくれてはいた。
だが、慕ってくれていたかどうかはわからない。
表面上は慕ってくれていただろう。
だが、内心はどう思われていたのかはわからない。
少なくとも我であったら、家族の仇を親代わりにすることなどできないだろう。
それはきっと我が寵児も同じこと。
ゆえにどれほどあの子を愛おしく思おうと、この想いは口にするべきではないのだ。
だが。
だが、それでも。
それでも、目の前にいる神子様と我が寵児を見ていると、思うことはあった。
(……ふふふ、似合うておるのぅ)
まるで寄り添うように隣り合うふたり。
単純に神子様が寵児を支えているだけ。
共に神子様の剣を握りしめているだけ。
ただ、それだけなのに、この目にはそれが特別なことのように思えてならなかった。
(……たしか、他国では挙式の際に、このようなことをすると聞いたことがあったのぅ)
新郎と新婦が隣り合いながら、専用のナイフを使ってウェディングケーキなるものを切るというのを寵児に聞いたことがある。
どうしてそんな会話になったのかは、憶えていない。
ただ、寵児はどこか憧れを抱くように語っていた。
それだけが印象に残っていて、そこまでの会話の流れなどは憶えていなかった。
(ウェディングケーキなるものの代わりに、姉の仇を取らせる、か。まったく血生臭いのぅ)
もっと他にしてあげられることはあっただろうに。
それでも我ができるのはここまでだった。
死に損ないの身で、これ以上のことはなにもできない。
たとえ、血生臭いことであろうとも、我にできるのはここまでだった。
(……すまぬ。すまぬなぁ、アスラン。我が寵児よ)
声にして謝りたい。
だが、その一方でどの面を下げてとも思う。
いまさら、あの子になにを言えと言うのだろうか?
胸中に募る想いはあれど、その想いをどう言葉にすればいいのかわからない。
どれほど永く生きようとも、言葉のひとつさえ贈ることができない。
この胸に宿る想いを、どう言葉にすればいいのかもわからなかった。
(……無駄に生きてきたとしか思えぬな、これでは)
他の者が聞けば、なにを言うのかと卒倒するかもしれないが、少なくとも我にとってはこれまでの日々は、ほぼ無駄だったとしか言えない。
なによりも大切な子になにも告げられない。
それが口惜しい。
絆されて始まった関係ではあった。
あの英雄の友の代わりになれるようにあろうとはした。
だが、しょせんは赤の他人にできることなどなかった。
できたのはただあの子のそばにいてやることだけ。
それ以外でできたことはなにもなかった。
たった一年ほどでできることなどありはしない。
それでも、我にとってはこの一年はかけがえのないものだった。
産まれて初めて、こんなにも充実した日々を送ることができた。
アリシアや歴代の王たちと接しても得られなかった充実感を、あの子とともに歩んだ一年で得られた。
その礼を言いたい。
そして、送り出してあげたい。
その心に宿る純粋な想いを向ける相手との、これからの日々へと。
そっと背中を押してあげたい。
だが、肝心の言葉がなにも出てこない。
泣きじゃくるあの子を見つめても、過ぎ去った日々のことだけが脳裏をよぎっていく。
万感の思いはあれど、それを言い表すことはなにもない。
ただ一言を除いては。
「……アスランよ」
声はきっと聞こえていない。
そもそも声に出ているかもわからない。
だが、それでも我は告げたかった。
我が寵児に、たった一年だけ共に過ごせた、この子の背を押してあげたかった。
「幸せにおなり」
最後の力を振り絞って笑顔を作る。
寵児はなにも言わない。
ただ涙を流していた。
その涙を拭う力さえも残ってはいない。
それでも、最後の最後に言葉を告げられるだけの余力はあった。
もうほとんどのものが見えていない。
見えるのは寵児と、その隣で支えてくれる良人たるお方のみ。
泣きじゃくる寵児を支える神子様のなんと頼もしきことか。
やはり、この方しかいない。
この方だけが我が寵児を幸せにしてくれる。
確信があった。
神子様にとっては大変かもしれないが、まぁ、そこはそれ。ご自身の大きすぎる器量を恨んでくださいとしか言いようがない。
ゆえに告げるのは、寵児への言葉ではない。
寵児を支えてくださる神子様への言葉だった。
「その子を頼みますぞ、神子様。アスランを、我が愛娘を幸せにしてあげてくだされ」
血の繋がりはない。
それどころか、ほんの一年前までは赤の他人どころか、存在すら知らない者だった。
ただ、ほんのわずかな縁があり、その縁から絆された。
たったそれだけの関係だった。
たったそれだけの関係から始まり、気付けばアスランを娘として見ていた。
血の繋がりはない。
だが、それでも我が向ける想いは、親が子へと向けるものだ。
たとえ、その娘からは仇としか見られていなかったとしても、我にとってアスランはかわいい愛娘だった。
その愛娘の門出。
血生臭い門出ではあるけれど、最愛の姉の仇を取らせてあげられた。
結納の品にするには血生臭すぎるが、最期の贈り物としては上等だろう。
「さらば、我が子。愛おしきアスランよ」
もう力など残っていないと思っていたのに、我が口から漏れ出たのはアスランへの別れの言葉だった。
その言葉を最後に我の視界は途絶えた。
すべてが黒く塗りつぶされていく。
それでも最後の最後まで脳裏に浮かんでいたのは、神器の、ベリアレクスの真の使い手として覚醒したアスランが纏う神衣。ウェディングドレスというものによく似た神衣を纏う愛おしき娘の晴れ姿だった。
娘の晴れ姿を脳裏に焼き付けながら、我は意識を手放した。
神殺しは成った。
ただそれだけを考えて、神獣ベヒモスは死を迎えたのだ。




