rev4-109 限界
「──ベヒモス様は、我が君はそう言って私を受け入れられたのです」
アスランさん、いや、サラさんの独白が終わった。
あの日、俺たちの一行が壊滅してから、サラさんがどうやって生きてきたか、そのすべてを知ることができた。
いまのサラさんは、お姉さんであるゴンさんと足して二で割ったような姿だった。その理由が死にかけていたサラさんをゴンさんが自身を犠牲にして助けたから。
その理由を聞いて、「あぁ、ゴンさんらしいなぁ」って思った。
あの人はなんだかんだでサラさんには厳しい人だった。
でも、その厳しさの中にはたしかな愛情があって、その愛情はサラさんも感じ取っていた。
理想的とも言える姉妹の関係だった。
そんな理想的な姉妹の最後が、お互いを同化し合った。
なんて言えばいいかわからない。
そして同じくらいに、ベヒモス様がサラさんを後継者として見出したこともまた。
もともと後継者として見出したというわけじゃないはず。
単純に、サラさんに生きる目的を与えたかったのかもしれない。
お姉さんを犠牲にして、生きながらえてでも生きようとする理由を与えたかったんだと思う。
少なくとも、俺がこの数週間で接してきたベヒモス様は、そういう人だった。
超越者でありながら、人間くさい人。
スカイディアを母とするも、そのスカイディアから愛情は注がれることはなかった。それでもなおスカイディアとの絆を捨てきれない。そんな愚かで哀れではあるけれど、どこまでもまっすぐな人。それが俺の知るベヒモス様だ。
そんなあの人だからこそ、最愛の姉を失ったばかりのサラさんに生きる指標を与えようとしたんだろう。
まぁ、それが自身を殺させようというのはやりすぎな気もする。
でも、それくらい思い切ったことをしないと、サラさんに生きる意思を与えさせられないと思ったのかもしれない。
だけど、理由としては半分くらい。
もう半分は自身の後継として相応しいと感じたからなのかもしれない。
正直、いままでの話の中では、ベヒモス様がサラさんを後継者として見出した理由はわからない。
せいぜいが同じ繋ぎ合わせたものという程度。
それ以外でサラさんを後継とした理由はなかった。
もしかしたら、ほかの理由もあるかもしれないけど、いまはそのことを聞いている余裕はない。
「ん~。この子、まだ諦めていないねぇ」
ドン、ドン、ドンとアンジュが張った結界に拳が叩きつけられていた。
そのすべてが変わり果てたファラン少佐の一撃によるものだった。
ファラン少佐はサラさんの話の最中も俺たちに攻撃を加えようと、絶えず結界に攻撃を仕掛けていた。
だが、どれほど攻撃をしたところで、アンジュの結界を破壊することはできないどころか、軋ませることさえもできずにいる。
せいぜいが派手な音を立てることくらいか。
だというのに、ファラン少佐はどういうわけか、結界を殴り続けている。
なにか狙いでもあるのか、それともただ自棄になっているだけなのか。
「……いや、それはないか」
そもそも、いまのファラン少佐はあの邪神の手によって強化された状態だ。あの邪神のことだ。なにかしらの策はあるはず。いや、こう思わせること自体が策なのか? まずいな。ドツボにはまっている気がする。
「たぶん、あのおばさんはなにも考えていないよ? 考えているとすれば、この子かなぁ? 遮二無二って感じじゃない。なにかしらの突破口を見出しているように思えるんだよねぇ」
アンジュはじっとファラン少佐を見やりながら言う。
相変わらず、俺の思考を読んでいるみたいだが、いまはそれがありがたい。余計な説明を省くことができるし。
「ふふふ、あなたって本当にそういうところが素敵。いますぐめちゃくちゃにしてほしいなぁ」
アンジュは頬を染めて、流し目を向けてくれた。
なんとも言えない色気だった。
思わず、喉を鳴らしてしまいそうなほどにいまのアンジュは艶やかで、それこそすぐにでも組み伏して喘がせたいという衝動に駆られそうになる。
だけど、いまいるのは戦場だ。ベッドの上じゃない。
押し寄せる感情をぐっと堪えて、目の前にいるファラン少佐を見やる。
「残念。……我慢なんてしなくてもいいのになぁ」
ふふふと笑いかけながら、アンジュは紅い舌を覗かせながら、唇を舐めた。集中してくれと言おうとした、そのとき。
パキィンという甲高い音が鳴り響いた。
その音に誰よりも反応を示したのは、アンジュだった。
「……嘘、この子、まさか」
アンジュは驚いた顔をして、音の鳴った方を見やる。
そこには結界に、わずかなほころびが、ほんのわずかなヒビが刻み込まれていた。
そのヒビにアンジュはこれ以上となく驚いているようだった。
そんなアンジュに向けて声が、重低音の声が響く。
「ようやく、邪魔がなくなる」
その声は重低音ではあったけれど、聞き慣れたファラン少佐の声だった。
「ようやく、アンジュ、犯せる」
にやぁと口元を歪ませて、ファラン少佐が言う。
内容はふざけんなと言いたくなるものだったし、アンジュ自身も「穢らわしいなぁ」と表情を歪めていた。
「そもそも、ほんの少しほころびが入ったくらいで、調子に乗らないでほしいなぁ」
アンジュは顔を顰めさせながら、ヒビの入った結界に触れる。すると、ヒビはなくなり、元通りの頑丈すぎる結界が現れた。それも二重でだった。
「はい、残念でした。これであなたの無駄な努力は水の泡。念のために結界を二重にしてあげたから、また無駄な努力をしても──」
アンジュがファラン少佐の努力を嘲笑う。いままで延々と殴り続けてようやく綻びを生じさせることができた結界。その結界が二重になった。普通に考えれば、いままでの倍以上の時間が掛かるはずだった。しかし──。
「無駄だ、アンジュ」
ファラン少佐は笑いながら、結界を殴りつけた。いままでのように連続ではなく、たった一発の拳を放つ。だが、その拳の軌道を見て、アンジュの顔が凍り付いた。
それからすぐにバキィという鈍い音が鳴る。
アンジュの張った結界に、再びヒビが、いや、ヒビなんてレベルじゃない。大きな亀裂が一撃で生じてしまっていた。
「嘘だろう、一撃で!?」
さっきまでは延々と殴り続けられてようやく、ヒビが入った程度だったのに。今回はたった一撃でいまにも砕けてもおかしくないほどの亀裂が生じてしまっている。
いったいさきほどまでとなにが違ったのか。そう思っていると、アンジュがぽつりと呟いた。
「……私の結界の起点を見切ったの?」
唖然としたアンジュが呟いたのは、結界の起点というもの。起点ということは、結界の要とも言うべき場所。その場所をファラン少佐が見切り、一撃で破壊寸前まで結界を壊したということなんだろう。
それもアンジュの言動を踏まえる限り、そう簡単にはわからないように偽造していたんだと思う。
その偽造された起点をファラン少佐は見切った。それが目の前の光景だった。
「言ったはず。邪魔はなくなる、と」
ファラン少佐はそう言って再び拳を振るう。その一撃により、一枚目の結界は音を立てて崩れ、二枚目も一枚目同様に大きな亀裂を生じさせてしまう。
「おまえの結界、おまえ同様に、美しい。だが、美しいからこそ、わかりやすい」
にやりと笑うファラン少佐に、アンジュが顔を顰めさせながら、再び結界を生じさせる。
今度は二重どころか、十重二十重と数え切れないほどの積層結界が張られた。
「無駄だと言った」
だが、その積層結界に向かってファラン少佐は大きく腕を引くと、それまで以上の勢いで殴りつけた。積層結界はその一撃で残り一枚まで破壊されてしまう。
「っ! アスランちゃん、あなた! 早く、ベヒモスさんを!」
アンジュがいままでになく焦った表情で叫ぶ。
でも、そう言われたからと言えど、ベヒモス様を殺すことなんてできるわけがない。
「お願い、早く!」
再び積層結界を張り直すアンジュ。その焦りに焦った表情に俺自身どうするべきか悩んでいると──。
「面倒だ。さっさと犯させろ」
──ファラン少佐の左手が積層結界を一瞬で通り抜けると、アンジュをその手で握ったんだ。
「アンジュ!」
「アンジュ様!」
俺とサラさんが叫ぶ中、アンジュを掴んだファラン少佐は楽しそうに笑っていた。
「これで、おまえを、犯せる。ようやく、レンの前でおまえを犯せるぞ、アンジュぅぅぅ」
とても楽しそうに俺を見やるファラン少佐。
どうやらアンジュを狙っていたのは、俺への意趣返しのつもりなのかもしれない。その理由はさっぱりとわからないが、いまはそんなことを言っている場合じゃない。
「アンジュを離せ!」
「そう言われて離すバカがいるか?」
喉の奥を鳴らして笑うファラン少佐。
あからさまに俺を嘲笑う姿に腹が立ち、ミカヅチを構えようとした。
「いけませぬな、神子様。この程度の者の言葉で取り乱されてはなりませぬぞ」
アンジュを掴んでいた左手の指がすべて一瞬で切り落とされていた。
俺はなにもしていなかった。
だが、聞き慣れた落ち着いた声の持ち主が、少佐の指をすべて切り落としてくれたようだ。
「……我が君」
サラさんの驚いた声が聞こえた。
そう、少佐の指を切り落としたのは、ほかならぬベヒモス様だった。
いつのまにか、俺たちのそばにいたベヒモス様が、ファラン少佐の指を切り落としたんだ。
「ご無事ですかな、アンジュ様? あまり相手を見下しすぎるのは危険ですぞ? 今後はご注意くださいませ」
当のベヒモス様は好々爺然を崩さないまま、解放されたアンジュに忠告をしていた。そのアンジュは咳き込みながらも「……むぅ」と唸ってふて腐れていた。
「ベヒモス、様」
いきなり現れたベヒモス様を見て、ファラン少佐は指が切り落とされたのにも関わらず、呆然とベヒモス様を見つめている。その目には純粋な憧憬の念が見て取れた。たとえ巨人と化してもなお、ベヒモス様はファラン少佐にとっては特別な存在のようだった。
「……残念じゃよ、ファラン。そなたほどの男が魔道に魅入られるとはな。せめてこの手で楽にしてやりたいところじゃが、いまの我にはそれほどの力は残っておらん。ゆえに」
ちらりとサラさんと俺を見やると、ベヒモス様は穏やかに笑われた。その笑顔は胸が切なくなるほどにきれいなものだった。
「アスラン、いや、サラよ。ここが限界じゃ。覚悟を決めよ。いまこそ、「ベヒモス」の座を継ぐときであるぞ」
そうベヒモス様は淡々とした口調で言い切ったんだ。
 




