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rev4-108 ベヒモスとアスラン

 あの日もちょうど晴れた日だった。


「巨獣殿」の窓の外には、どこまでも広がる空が見えていた。


 巨峰である「巨獣山」の山頂という立地であるからから、遮るものはほかになく見渡す限りの絶景が広がっていた。


 竜族であるから、高所からの景色を見るのは慣れている。それでも初めての土地での景色は、心を躍らせてくれる。だが、その踊らせてくれるはずの景色でさえも、そのときの私にとってはなんの意味を持っていなかった。


「あなたを、神獣様を殺す?」


 いまの私になったばかりの頃。


 姉様と同化し、命を拾ったばかりの頃。


 その施術を行った直後に、我が君が仰ったのは、想像もしていなかった一言だった。


 我が君──土の神獣たるベヒモス様を殺せと。そうベヒモス様ご自身が仰った。


 そのお言葉に、当時の私は耳を疑ってしまった。


 だが、当のベヒモス様はまっすぐに私を見つめると、「相違ない」と仰られた。あまりにも迷いのないお言葉ではあったけれど、それがかえって私を混乱の渦へと落とし込んでしまった。


「なにを、仰っているのですか?」


 ベヒモス様のお返事から数分。あまりにも遅すぎる返事だったが、それでもどうにか捻り出すことができた言葉でもあった。


 その言葉を受けてもなお、ベヒモス様のご様子は変わらなかった。


「……そなたの反応は当然であろうな。それでもあえてもう一度言う。我を、神獣ベヒモスをいつか殺して欲しい。いや、いつかではない。近い将来、必ず殺してくれ」


 ベヒモス様はもう一度同じ言葉を繰り返された。


 正確に言えば、同じ言葉ではなかった。その先も付け加えられていたが、それでもその言葉は私にとって意味のわからないものだった。


「なぜ、でしょうか?」


「簡単なことだ、竜族の娘、いや、アスランよ。我がいずれ、そう遠くない将来、必ず死ぬからだ」


「ベヒモス様が、お亡くなりに?」


 ベヒモス様のお言葉は少なくない衝撃を私に与えた。そんな私にベヒモス様は神獣と神器の関係について話してくださった。


 一端とはいえ、鍛冶師である私にしてみれば、鍛冶師であれば誰もが憧れを抱く神器そのものが存在しているという状況は、大きな高揚感に包まれた。


 でも、同時にその神器である神獣様が、ご自身を殺すようにと言われたことが私を冷静にさせていた。


 そうでもなければ、きっと鍛冶師としてベヒモス様を観察させてもらっていたと思う。


 ……姉様と同化しても、私が鍛冶バカであることは変わらなかった。

 

 そのことはベヒモス様にも見通されていた。


「そなた、鍛冶師だな?」


「ええ、そうですが。私は口にしていましたか?」


「いいや。ただ、目になんとも言えぬ輝きがあったのでな。時折、献上品を持ち込む者もいるが、その中にはそなたと同じ鍛冶師もいる。その鍛冶師はみずからが造りあげた武具を目を輝かせながら語ってくれるからな。いまのそなたと同じ目をしてだ」


「あぅ」


「まぁ、鍛冶師にとってみれば、神器はまさに憧れの存在であろうしのぅ。いつかは自分の手で究極の武具である神器を拵えてみたい。鍛冶師であれば、誰もがそう思うのであろう?」


「その通りです! 私たち鍛冶師にとって神器とはまさに憧れ! いつかはみずからの手で神器と呼ばれる武具を拵える。それが鍛冶師にとっての夢! その夢の存在がいま目の前におられるのです! 目を輝かせるなというのは酷というものでありまして──」


「あぁ、わかった。わかった、わかった。だから落ち着け、アスランよ」


「ぁ、し、失礼しました」


 気付いたときには私は身を乗り出してベヒモス様に迫っていた。


 さしものベヒモス様も私の圧力に負けたようで、どことなくうんざりとした様子だった。でも、うんざりとしながらも、どこか楽しそうにも見えていた。


 その理由がどうしてなのかはわからなかった。


 そもそも、そのときはまだ「自分を殺して欲しい」と頼まれた理由もわかっていなかった。 

 なにもかもがわからないまま。そんな中でベヒモス様は核心を語られた。


「よいか、アスラン。いま語った通り、我ら神獣こそが神器である。ゆえに神器とはただの武具にあらず。強大な力を持った生物ということ。その生物が死すればどうなると思う?」


「どうなると言いますと?」


「言い方を変えようか。我らが死すれば、どんな影響があると思う?」


「それは世界的に混乱が」


「ふむ。半分正解というところかの?」


「半分、ですか?」


「うむ。たしかに我らが死すれば、世界的に混乱が生じるであろうな。ただし、それは我らの死によってではない。我らが治めていた地域そのものが消滅したことによる混乱だ」


「……は?」


 言われてすぐにその言葉を理解できなかった。


 ベヒモス様を始めたとした神獣様の死=その地域が消滅ということになるのか。それがまるで理解できなかった。


「さきほども言うたが、我ら神獣は神器。その神器には途方もないほどの強大な力が宿っておる。我らが死すれば、その強大な力はどうなる?」


「……っ! 制御できるものがいなくなっての暴走?」


「その通り。我らは神獣にして神器。その身に宿る力は、我ら自身によって制御している。その制御する我らが死すれば、その力は途端に暴走する。そして暴走した力で、その周辺地域を消滅させることなどたやすいこと。まぁ、世界全土を消滅させるまでは至らぬがな。そうなる前に、他の神獣が抑えるからのぅ。だが、さしもの神獣とて、即応はできぬ。となれば、死した神獣が治めていた地域は消滅の定めから逃れることは不可能じゃな」


 淡々と事実を説明されるベヒモス様。


 その言葉に私は呆然とその話を聞くことしかできなかった。


「この前提を理解してもらったうえで、本題じゃな。我ら神獣は死すれば周辺地域を消滅させてしまう。ゆえに消滅を避けるためには我らは死することはできぬ。だが、我はそう遠くない将来、死する運命にある」


「っ、どういうことでしょうか?」


「我の体を見ればわかるであろう? 我の体はとっくに耐久限界を超越しておる。いまのままではそう長くは保たぬ」


「どうにかできないのですか?」


「……方法はある。この肉体を捨てて、新しい体を得ること。つまりは我が新しく転生することじゃな。ほかの神獣はそうして耐久限界を迎える前に新しい体を得ている」


「であれば」


「だが、我はそれをしたくない」


「なぜですか? 理由がおありなので?」


 周辺地域を消滅させないためにも、ベヒモス様には是が非でも新しい体を得てもらわねばならない。だが、その当の本人が乗り気ではない。その理由を尋ねると、ベヒモス様が口にされたのは──。


「……我ながらどうかとは思う理由なのだがな。我はこの体を捨てたくないのだよ。この体は母上が、母神様が我にくださったもの。我とあの方を繋ぐ唯一の絆である。その絆をもうとっくに限界を超えているからとはいえ、どうして捨てられる?」


 ──あまりにもくだらないものだった。


 おおよそ、神獣という超越者が口にするようなものではない。


 それこそ、その死でその周辺地域を消滅させてしまうというのに。数多の死を呼ぶ大災害が引き起こされかねないというのに。


 その大災害を防ぐ手立てがきちんとあるというのにも関わらず、その手立てを行わない理由が他者との絆のためだ。


 馬鹿げていると思った。


 そんな理由で数多の命を奪うような状況を引き起こそうというのか。


 愚かだとも思った。


 あまりにも愚かすぎる。


 もっと大局的に物を見れば、なにをするべきかなんて明白だった。


 そして、それをご本人も理解している。


 それがより愚かさに拍車を掛けていた。


 だけど、もっとも愚かなのは──。


「……絆を捨てないため、ですか」


 ──ベヒモス様のお言葉を切り捨てることができなかった私自身だ。


 あぁ、そうだ。


 愚かなのは私も同じだ。


 だって、私はベヒモス様のお言葉を聞いて、否定できなかった。


「あぁ、なら仕方がないのかな」って思ってしまった。


 理性的に考えれば、大馬鹿野郎と言いたい。


 だけど、だけど、そのバカすぎる考えが私には好ましく映ってしまった。


 だって、その考えはあまりにも旦那様に似ていたのだから。


 旦那様は、本当の本当におバカさんだった。


 直情的に動きすぎて、かえって自分の首を絞めるようなことを何度も何度も行っていた。


 もっと理性的に考えれば、どうすれば最適解なのかなんて明白のはずなのに。


 いつも情に動かされていた。


 そのせいで貧乏くじを引かされて、そのせいで逃げ出したり、命の危機にさらされたりなど、枚挙に暇がないほどにあの人は大変な目に遭っていた。


 でも、そんな大バカな旦那様を私は心の底から愛している。


 たとえ、あの人からの寵愛をひとりだけ受けなかったとしても、それでもあの人への想いは日を重ねるごとに募っていく。


 そんな旦那様とベヒモス様は悲しいほどに似ておられた。


 あまりにも人でありすぎていた。


 あぁ、たしかに。


 これではたしかに「ベヒモス様は人格者」という言葉の意味も理解できるし、納得もできる。


 超越者としてはできそこない。人としてもあまりにも人でありすぎている。


 だからこそ、この人は人格者なのだろう。


 その人格者たるこの人だからこその苦悩。


 その苦悩を語られずとも私は理解してしまった。


 否定するべきなのに。


 諭すべきなのに。


 私の口からはそれらの言葉は一切発されることはなかった。


「否定はせぬのだな?」


「……できませぬ。あなたの有り様を否定することは私にはできません」


「そうか。では、話の続きをさせて貰う。我を殺して欲しいという頼みをな」


「お聞きしてもよろしいですか? ベヒモス様を私が殺したとして、それでも力の暴走に繋がるのではないですか?」


「いいや、それはない」


「なぜです? どちらも命を喪うことには変わらないかと」


「たしかに、そういう意味では同じである。だが、大いに違うのだ。要は方向性の違いと言うべきだな。たとえば武具の死というのはどういうものだ?」


「武具の死、ですか? それは完全に破壊されることです」


 武具の死と言われて思いつくことは、その武具が完全に破壊されることだった。完全に破壊されてしまえば、直すことはできない。そうなれば、その武具は事実上死んだということになる。


「そうじゃ。では、武具が殺されたというのはどういうことかの?」


「殺された……まぁ、やはり破壊ですかね? 完全に破壊されていなければ、一時的な死であればまだ作り直すことも可能ですし……まさか、そういうこと、ですか?」


 武具を殺す。


 思いつくことはやはり破壊されたということ。


 ただ殺すと言っても、完全に破壊されたと言われたではないのであれば、まだやりようはある。残骸を利用して新しく作り直すこともできるし、破壊された部分に別のものを足して強化という形で生まれ変われさせることもできる。


 そこまで考えて、ようやくベヒモス様の言葉の意味がわかった。


「我を殺して欲しいというのは、「神獣」としての我を殺して欲しいということじゃ。「神獣」としてではなく、元の「神器」に戻すために「ベヒモス」を殺す。さすれば我は「ベリアレクス」となり、この地域の消滅を防げるのじゃ」


「……言いたいことはわかります。ですが、はたしてそんな方法を本当にできるのでしょうか?」


「わからぬ。だが、少なくともこのまま緩やかな死を以て、周辺地域を巻きこむよりかはましであろう」


「それは、そうかもしれませんけど。ですが、その場合、神獣の座に空きが生じますが」


「その手立てはすでにしておる」


 そう言って、ベヒモス様は私をじっと見つめられた。その視線の意味を察するまえにベヒモス様が告げられたのは後出しにしてもあまりにもひどすぎる内容だった。


「そなたが次の神獣じゃ、アスラン」


「は?」


「そなたには我が力を注ぎ込んだ。その力はそなたの中で定着しておる。つまりそなたは我の力を得た。それすなわち、そなたもまた神獣と化したということ。まぁ、いまは候補というところであるがの」


「ど、どういうことで」


「そなたと姉君を同化させたことじゃな。我が力の根幹は固定。異なるもの同士を繋ぎ合わせること。そもそも「ベヒモス」とはかつての言葉で「繋ぎ合わせるもの」という意味である」


「繋ぎ合わせるもの」


「うむ。そしてそなたは実際に繋ぎ合わされ、まさに「ベヒモス」と呼ぶに相応しい存在である。……皮肉ではあるがな」


 申し訳なさそうにベヒモス様は仰られた。後出しにもほどがあるけど、そうでもしないと私を助けることはできなかったし、そもそも私を助けるように求めたのは姉様だ。ベヒモス様を責めるのはお門違いではある。


 それでも、それでも言いたことがなにもないわけじゃない。ないのだけど、いまのベヒモス様を見てなにかを言うことはできなかった。


「……考えさせてくださいませんか?」


「よかろう。そこまで長くは待てぬが、なぁに、今日明日で死ぬわけではない。そなたの気持ちの整理がつくまで待とう。それまではここで過ごすがよい。ちょうど空き部屋も多いし、暇を潰すための書物も多くある。それになによりも、ここは空に限りなく近い。空は遠く果てしなく、そばにいてはくれぬ。だが、それでも空を眺めることで満たされることもある。そなたの無聊を慰める程度のことはいくらでもできよう」


「感謝します」


「よい。感謝するのはこちらの方であるからのぅ。まぁ、そなたが心を決めてくれればではあるがな?」


 そう言ってベヒモス様は笑われた。


 その笑みは快活ではあったけれど、いろんなものを諦めてきたような悲しみに染まっていた。


 そんなベヒモス様との共同生活はそうして始まり、私はいつからかベヒモス様の世話役のアスランとして生きることになった。自身が半ば神獣となっていることをひた隠しにしながら、これまで生きながらえ、そしていまを迎えたのだった。

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