rev4-104 贈り物
神だった。
突然現れた彼女は、神としか思えない存在になっていた。
遠目からでもはっきりとわかった。
「なに、あれ?」
姉様が言葉を失っている。
目を見開きながら、信じられないものを見るように彼女を見つめている。
その目は複数の感情に彩られている。
まずは嫉妬。
次に憤怒。
そして憎悪。
嫉妬は姉様らしいもの。
この人は、カレンちゃんに対して執着している。いまだにカレンちゃんから愛してもらっていると勘違いしているから、カレンちゃんの周囲に新しい女性が現れる度に嫉妬を見せる。それこそ対象を呪い殺しそうなほどに。
だけど、今回の嫉妬する対象は、あまりにも相手が悪すぎる。
憤怒もまたこの人らしい。
表面上は穏やかに見えても、その内面はまるで違っている。時化のない穏やかな海でも、その底は強大なる海竜どもが巣くっているように、姉様の憤怒はとてもわかりづらい。いつも笑っているけれど、その内側にはぞっとするほどの怒りを孕んでいる。
でも、その憤怒を向ける対象も、やっぱり相手が悪すぎた。
最後の憎悪は、もはや姉様を姉様たらしめるものだ。
姉様はこの世界のほぼすべてに憎悪を向けている。例外が父様と我が君、それにカレンちゃんとシリウスちゃんとあの元出来損ないちゃんくらいか。あとはベティちゃんも追加できるけど、ほとんど接していないようだから、ノーカウントでいいか。
とにかく、姉様は例外を除くとこの世界のほぼすべてに憎悪を向けている。それは直下の妹であるアイリス姉さんとて例外じゃない。まぁ、アイリス姉さんの場合は、自業自得なところがあるか。
なにせ、姉様の大切な旦那様に横恋慕しちゃったんだもの。姉様が切望するも、一度たりとも経験していないことを、カレンちゃんに抱いてもらうということをアイリス姉さんったら、姉様よりも先に経験してしまっている。
それも数え切れないくらいにだ。
そうなれば、姉様の憎悪がアイリス姉さんに向けられるのも当然だった。
私は辛うじて憎悪されてはいない。いないが、姉様に寵愛されているというわけじゃない。ただ、使い勝手がいい駒として手元に置いてもらっている程度。その程度で調子に乗れるほど、私はバカじゃない。
でも、アイリス姉さんは思ったよりもおバカさんだったから、「泥棒猫」だの「淫売」だのと散々な蔑称で呼ばれてしまっている。少し前までは、アイリス姉さんも姉様の寵愛を受けていただけに、いまの下落っぷりには嘲笑さえも起こらない。ただ不憫だった。
(まぁ、口が裂けても言えないけどねぇ?)
実際に口が裂ける私でさえも、もしアイリス姉さんの同情なんて口にしてしまえば、どんな目に遭うのかわかったものじゃない。
異空間に閉じ込められて、「躾け」られる程度ならまだいいが、もしそれ以上だったらと想像するだけで寒気が走る。
(アイリス姉さんは喧嘩を売っちゃいけない相手に喧嘩を売っちゃったもんだねぇ)
姉様だけは怒らせちゃいけない。そんな不文律を豪快に蹴っ飛ばしてしまった姉さんが悪いのだけど、それでも姉妹の情が姉さんを不憫に思わせてしまう。絶対に口にできないことだけども。
それほどまでに姉様の憎悪は凄まじい。その憎悪は向けられるだけで、相手を震え上がらせることさえ可能だろう。
でも、今回ばかりはその憎悪をどれほど向けたところで、渾身の憎悪を向けたとしても意味を成さない。それだけ今回の相手は姉様にとっても分が悪すぎる相手だった。
なにせ、今回の相手である彼女は、アンジュちゃんは神へと至ってしまっている。
我が君の言葉を借りれば、四柱目の神。
真の神へと至る過程にいる者。
それがアンジュちゃんだったはずなのだけど、どうやら過程を異常なスピードで駆け抜けて、神へと至ってしまったみたいだ。
それを聞いたとき、私は耳を疑った。後で聞いたことではあるけれど、姉様も耳を疑っていたらしい。
ただ、姉様は「誇張表現なんてあのお方らしくないけど」と言っていたから、我が君の言葉を信じていなかったんだと思う。
私は我が君がそこまで仰ることなのだからと信じてはいた。信じてはいたけど、いままで私が接触したときのアンジュちゃんの様子を踏まえる限りは、本当に神なのかと思わずにはいられないほどにか弱い女の子だった。
だから、我が君の言葉だからと盲目的に信じていた私でさえも、正直半信半疑というところだった。
半分だけでも、信じていたからこそアンジュちゃんの変異ぶりを見ても、表面上で狼狽えはしない。狼狽えていないけど、それでも自分の目を疑いそうにはなっていた。
それほどまでに「巨獣殿」で起きていることは、ありえないことだった。
冷静である姉様が茫然自失となるくらいには。
「あれが、四柱目の神ですか」
いつまでも機能不全になってもらうわけにはいかないので、あえて姉様が聞こえるほどの声量で事実を口にする。が、姉様は「そんなわけがないでしょう」と吐き捨てるように言った。
「あれは雌犬の妹なのよ? あの誰にでも股を開きそうな雌犬の妹。そんな女が神? 馬鹿馬鹿しいわ」
「ですが、姉様。我が君が仰っていたではありませんか。「彼女こそが四柱目の神となりえる者だ」と。実際、ここからでもはっきりと彼女の神気を感じられます。それこそ、信じがたいことではありますが、我が君にも匹敵するほどの」
「黙れ! 私が違うと言ったら違うのよ!」
びりびりと空気が振動する。姉様らしくない絶叫だった。
その絶叫後、姉様は親指の爪を噛んで、アンジュちゃんを睨み付ける。
「そう、そうよ。あの雌犬の妹風情が、神? 我が君に並ぶ存在になった? そんなこと信じられるわけがない。せいぜい覚醒して、あの種族になったという程度でしょう。そうよ。あの雌犬の妹程度が女神になるなんてありえるわけが」
現実を直視できないのか、姉様はアンジュちゃんを否定していく。そうしないと自身の精神を保てないようにさえ見える。あれだけ強大な姉様が、いまはひどく弱々しい存在に見えてならなかった。
とはいえ、事実は事実だ。
機能不全が解消されないのであれば、解消されるまで事実を突き付けるしかないのだけど、やりすぎると私が殺されてしまいそうだ。
それくらいにいまの姉様は再び不安定になりつつある。
どうしたものかと頭を悩ませていた、そのとき。
「あら? アルトリア。私の言葉が信じられないのかしら?」
不意に背後から凄まじい神気が叩きつけられた。
魂さえ潰れてしまいそうなほどの神気。
空気どころじゃない。
この星すべてが震えているのではないかと錯覚してしまいそうな圧が私と姉様を襲っていた。
でも、それはほんの一瞬だったようだ。
私と姉様にとっては一瞬とは思えないほどの長い時間ではあったけれど。
でも、それだけでいま背後にどなたがおられるのかを理解するには十分すぎた。
「わ、我が君。ご機嫌麗しゅう」
「謝辞はいいわ。楽にしなさい、アリア」
「は、はい」
振り返るとすぐに跪くも、我が君は楽にするようにと言われた。とはいえ、我が君を前にして跪く以外の行動なんてできるわけがなく、私はほんのわずかに体から力を抜いた。
姉様もすでに跪いて恭順の意を示されているのだけど、我が君は姉様には楽にするようにとは仰らなかった。私の隣に立たれると、なぜか私の頭をそっと撫でられた。
いきなりのことすぎて、どうしていいかわからなくなってしまう。でも、その間も我が君は私の頭を優しく撫でられながら、姉様に手を伸ばされると、姉様の額を掴まれた。
「っ!? わ、我が」
「ねえ、アルトリア。おまえは私の言葉を信じられないというのかしら?」
「な、何の話で──っぁ!?」
掴んでおられた姉様の額を強く握られていく我が君。力が込められるたびに姉様の口からは声にならない悲鳴があがっていく。
「ごまかすな。おまえは私の言葉を、アンジュが四柱目の神となるという言葉を信じておらぬのだろう?」
「ち、違い、ます。ただ、私はあの程度の雌が──っ!?」
「雌? 誰が? 彼女は私の後輩となる女神なのよ? その女神様に対して雌だと? おまえはいつからそんなに偉くなった? ただのホムンクルス風情が調子に乗るでない」
我が君の腕に力が込められていく。でも、それは姉様に対してだけで、私には一切その暴威が及ぶことはない。聞き分けのいいペットをかわいがるように、我が君は私に寵愛を向けてくださっていた。
でも、それは紙一重の寵愛。半信半疑ながらも我が君のお言葉を信じ、アンジュちゃん、いや、アンジュ様が女神になられたことを受け入れたがゆえの褒美。もし、半信半疑のうちの疑いを表面上に出していたら、私も姉様と同じ目に遭っていたことは想像に難くない。
「いいわよ、アリア。あなたはとてもいい子ね。これからも私の言葉を盲目的に信じなさい。そうすれば悪いようには扱わないからね?」
「は、はい」
震えを必死に押さえつけながら、短い返事をする。いや、短い返事以外を口にする余裕がなかった。
でも、我が君はにこやかに笑われながら、「いい子ね」とお褒めの言葉を授けてくださった。
「アリアがいい子だというのに、アルトリアはダメな子ねぇ? どうして私の言葉を信じられないの? アンジュは女神になったの。私と同じ存在になったの。私が認めたのであれば、それはどんなに信じられないことであろうとも、それが真実なのよ? そう教えたはずだったのだけど、おまえは私の教えを話半分に聞いていたのかしら?」
姉様をご自身の目線の高さまで持ち上げられながら、我が君は首を傾げられる。首を傾げられながら、姉様への責め苦を強められ、その圧に耐えきれなくなったのか、姉様のこめかみから血が流れ出ていく。
これ以上は危険だと判断し、私は震える声で我が君へとお声を懸けた。
「わ、我が君。は、発言の許可をいただきたく」
「いいわ、許可します。それでなぁに?」
「は、はい。姉様が疑われておられたのは、おそらくですが、アンジュ様ご自身にあるのかと」
「アンジュに?」
「はい。あのお方は神に成られました。ですが、その少し前に私と姉様は別々の機会であのお方と接触をしております。その際に感じたのは、「か弱い女性」というものでございました。それゆえに我が君のお言葉とはいえ、さしもの姉様も信じられなかったのかと。こうして事実に直面しても、その印象が後を引いているのかと愚考いたします」
「ふむ。たしかに、あなたの言うことももっともかもしれないわね、アリア。私自身、あの子のことを初めて見たときは「素質がある」とは思っていた程度だったし、あなたたち同様に「か弱い子」という風に見えたことは否定できないことです」
「我が君も、ですか?」
「ええ。この私でさえも同じ印象を持ったことだから、あなたたちがあの子を軽んじてしまうのも無理からぬ話です。まぁ、それでもアルトリアの態度は目を覆いたくなるものですが、考えてみれば私もアルトリアと同じ立場であったら、同じ反応をしていた可能性は否定しきれません。ゆえにアルトリア。あなたの罪を、その傲慢さを許してあげましょう」
にこやかに笑いながら、姉様は我が君の手から解放された。力なく倒れ込みながら、「ありがたき幸せ」と呟くので精一杯になっていた。
「ふむ。アルトリアやアリアでさえも、疑いを持ってしまう。それは否定しきれないこと。であれば、誰の目から見てもはっきりとわかるようにしてあげます」
そう言って我が君はゆっくりと虚空へと手を伸ばされた。その手の先にあるのは、ファラン少佐の変わり果てた姿。アンジュ様の「初源の歌」によって消耗しきった巨人。その巨人に向かってカレンちゃんが「空」属性を乗せた一刀を放とうとしている。
「さぁ、プレゼントをあげるわ、アンジュ。あなたが女神となったことを示してあげなさい」
絶命寸前のファラン少佐へと、手を向けた我が君。その手からあまりにも暗い光が、夜明けの空に似た暗い瑠璃色の光が放たれた。




