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rev4-79 祝福の風

 どう言えばいいのか。


 言葉にはできなかった。


 いや、違うか。言葉にすれば軽蔑されるのが目に見えていた。


 だから、すぐに言語化することはできなかった。


 でも、ごまかすことはできないというのは、はっきりとわかっていた。


「おとーさん?」


 こてんと首を傾げるベティ。


 純粋な瞳だった。


 あまりにも無垢な瞳だった。


 その瞳を向けられて、下手なごまかしはできないというのははっきりとわかった。


 仮にごまかしても、ベティにはすぐに勘付かれてしまうというのもまた。


 ベティには、ごまかしは通用しない。


 狼の魔物であるからなのか、人よりもはるかに鼻が利く。


 その鼻がわずかな動揺を嗅ぎ分けてしまうんだろう。


 あとは、ベティが子供であることが大きな要因なのかもしれない。


 日本にいた頃のことだけど、タマちゃんから「おすすめですよ」と勧められた小説があった。それは中国の四大奇書と言われる「水滸伝」だった。タマちゃんがおすすめしてくれたのは、現代風に再構築した「水滸伝」であり、文学賞を受賞したほどの名作だった。


 その「水滸伝」を俺は2、3周は読むほどにはまってしまった。


 その際、とても印象的だった言葉があった。


「子供の目というのは正しい」というもの。


 正確に言えば、ちょっと言い方は違ったけれど、ニュアンス的にはこの通りだった。


 まぁ、ニュアンス等はどうでもいい。


 大事なのはこの言葉の意味だ。


 意味と言っても、ほぼそのままの意味ではあった。


 子供というのは純粋だからこそ、言葉の裏の真意に気付きやすいとか、誰もがおかしいと思いつつも、口を噤むことをはっきりと口にするということだった。


 実際、ベティの言動を振り返ってみると、その言葉の意味がよくわかる。


 ベティは、いつも「おかしい」と思ったことははっきりと口にする。


 他の誰もが口を噤みそうになったとしても、一度おかしいと思ったらはっきりとそれを口にしてくれる。


 それはベティだけではなく、他の子供たちだって同じだ。


 コサージュ村の子供たちだって、おかしいと思ったらそれをはっきりと口にしていた。


 誰もがおかしいと思うことを、おかしいと言及できること。


 それは子供だからできることであり、許されることと言える。


 大人になるにつれて、はっきりと口にすることは憚れていく。


 それは日本でも、いや、どこの世界でも変わらない。


 なんの立場もしがらみもない子供だからこそ言える。


 でも、逆に言えばだ。


 子供の目というのは、真実を映す鏡のようなものとも言える。


 いや、本来なら人の目は真実を映し出す。


 けれど、それを立場やしがらみなどというものが、曇らせてしまう。


 人が曇りなき眼を持てるのは、子供の時分だけ。


 だからこそ、その曇りなき眼で子供は真実を映し出してしまう。


 その眼がいま俺に向けられていた。


 どう言えばいいのか。


 まるでわからなかった。


 いや、言葉にするのはたぶん簡単なんだ。


 まぶたを閉じて、最初に思い浮かんだ人の名前を口にすればいい。


 でも、そうして浮かび上がるのが誰なのかが、すでにわかっている。


 それはベティにとっては、結して肯んずることができないことであることもまた。


「……なんで、そんなことを聞くんだい?」


 俺が口にできたのは、とても情けない言葉だった。


 たっぷりと時間を掛けて、ようやく発せられた内容は、ただの問いかけだった。


 質問に質問で返すという無礼しか、口にすることができなかった。


 そんな俺相手でもベティは、まっすぐに無垢な瞳を向けると──。


「──おとーさん、つらそうだったから」


 ──思ってもいなかった答えを、ベティは口にしてくれた。


 予想もしていなかった答えに、俺は「え?」と驚きを隠すことはできなかった。


 だけど、ベティにとって想定内だったのか、崖の縁を指差すと、「おとーさん」と言った。

 その言動には覚えがあった。


 コサージュ村にいたとき、俺たちが過ごしていた山小屋のすぐ近くには崖があった。山小屋を出てすぐにそれなりの広場があり、その広場の先に崖があった。


 普段はあまり近付くことはないのだけど、たまたま天気がよかった日とかは、ベティを連れて崖の縁に腰掛けて日光浴をしたものだった。


 そんな俺とベティにつられて、軽食を詰めたバスケットを手にしたイリアと乳酒の瓶を抱えたルリが来て、一緒に日光浴ならぬピクニックのようなことをしていた。


 そんな一時を過ごす際の始まりは、いつもベティが崖を指差して「おとーさん」と俺を呼ぶことだった。


 あの日々が終わって、まだ半年も経っていない。


 だけど、思い出になるには十分すぎる時間だった。


 ベティにそっと手を伸ばすと、ベティは「ばぅん」と嬉しそうに頷いた。


 その手を取り、かつてのように崖の縁まで行き、隣り合って腰を下ろす。


 立っていたときよりかは、視界は下がったものの、その分だけ地面と近くなった。より大地というものを感じられるような気がした。


 ベティは崖の縁に腰を下ろしながら、脚を交互にぶらぶらと動かして、ご機嫌そうに鼻歌を歌っていた。


「機嫌よさそうだね、ベティ」


 機嫌の良さそうなベティの頭を撫でながら尋ねると、ベティは「ばぅ」と鳴いてから──。

「おとーさんとのんびりするの、ひさしぶりだもん」


 ──そう言って、俺の腕にしがみつくように抱きついた。


 その言葉に、最近はベティとこうして過ごすことが減っていたことに、ようやく気づけた。

 最近はアンジュとルクレとのことで頭を悩ませることが多くて、ついベティのことを蔑ろにしてしまっていた。


 蔑ろにするつもりはなかったと言っても、実際にはそうとしか思えないことを、ベティに対して行っていた。


 その分、ベティはプロキオンやアンジュとともにいることが多くなっていた。俺も折りを見ては3人に合流していたけれど、基本的にはひとりで行動することが多かった。


 その間、していたことと言えば、自分を見つめることだけだった。


 アンジュとルクレ。


 ふたりへの想いの狭間で揺れることしかできていなかった。


 ……とっくに答えなんて出ているのにも関わらず。


 それを口にする勇気がないせいで、ベティはもちろんプロキオンにも寂しい想いをさせてしまっていた。


 プロキオンはまだベティに比べて、精神年齢が高いから我慢してくれているけれど、ベティにとっては我慢しきれなかったのかもしれない。


 思えば、「巨獣殿」の外の掃除をひとりで行ったのも、俺に対するちょっとした反発ゆえのものだったんだろう。


 その原因を自分で作ったというのに、そのことに俺はいままで気づていなかった。どの口で「おとーさん」なんて言えるのだろうといまさらながらに思えてならない。


「ごめんな、ベティ」


「ううん、ベティはへっちゃらだよ。おねえちゃんもおんなじ。だけど」


「だけど?」


「……おとーさんは、アンジュままがすきなんでしょう?」


 言葉を失った。


 今度こそ完全に言葉を失ってしまった。


 そんな俺を見て、ベティは「やっぱり」と小さくため息を吐いた。


「……あのね、ベティはおかーさんがすき。でも、アンジュままもおなじくらいにすきなの。だけど、ふたりがけんかするのは、きらい」


「……うん」


「ふたりがけんかしなくなるには、おとーさんががんばらないといけないんだよね?」


「……うん。そうだね」


 正確に言えば、俺が頑張ったところで、ふたりの仲が改善することはない。むしろ、より険悪になることは容易に想像できる。だが、少なくとも答えを出せば、険悪さは表層には出なくはなるはずだ。……かえってより険悪になるかもしれないが。


「ベティ、おもうの」


「うん?」


「おとーさんは、かくしごとがいっぱいありすぎるんだって」


「隠し事、か」


「おめんでかおをかくしちゃうみたいに、かくしごともかくしちゃうのがいけないんじゃないかなっておもうの」


 言い得て妙だった。


 仮面で顔を隠すように、俺は自分の本心を隠し続けてきた。


 その結果が、これだ。


 隠すのであれば、徹底的にやれば、いや、そもそも誰とも接触しなければよかった。


 下手に人と触れ合ったからこそ、現状に繋がってしまった。


 大切な人を喪い、もう二度とあんな目に遭いたくないと思いながらも、俺はまた同じことを繰り返してしまっている。


「だからね、ベティはおもうの。おめんでかおをかくすのをやめたらいいって」


「え?」


「だって、かおをかくしていたら、いままでとおんなじだけど、かおをかくさなくなれば、いまとはちがうようになれるとおもうの」


「いや、そんな単純には」


「ううん、たんじゅんなの。おとーさんはこわがりすぎなの。もっとかんたんにかんがえてもいいってベティはおもうの」


 怖がりすぎ。


 その言葉がやけに胸に突き刺さった。


 たしかに、ベティの言うとおりだ。


 俺は怖がっている。


 本心をさらけ出すことを、いや、また大切な人を喪うことを怖がってしまっている。


 いまのままでは、ふたりとも喪うかもしれないというのに。


 どちらにも気のある態度を取り続ける。


 それはどう考えても不誠実だし、ふたりにとって失礼すぎることだった。


 頭ではわかっていた。


 それでも俺はいまのままを選びそうになっている。


 現状維持が一番苦労しないとそう思い込んでしまっている。


 ただ自分が傷つくことを恐れているだけで、他人を、大切な人を傷付けているだけだというのに。


「おとーさん。おとーさんのくちから、はっきりといってほしいの。もうおめんでぜんぶかくすのはおわりにしないといけないの」


「……終わりにしないといけない、か」


 ベティの言葉がまた突き刺さった。


 最初は俺が俺であることを隠すためだった。


 でも、そんな時期はもう通り過ぎてしまっている。


 いつまでも、自分を隠すことはできない。


 いや、隠す時期はもう終わりなんだ。


 わかっていた。


 わかっていたことだけど、それをベティが改めて突き付けてくれた。


「……ベティは、おとーさんを嫌わないかい?」


「おとーさんがおとーさんであるのなら、ベティはおとーさんをきらうことはないの。それはおかーさんもアンジュままもおんなじなの」


 ベティはまっすぐに俺を見つめて笑っていた。


 その笑顔に俺は仮面を外した。


 ベティ以外には誰もいない。


 だけど、いつ誰の目があるのかもわからない。


 そんな場所でも構うことなく、俺は仮面を外した。


 レンからカレンへと戻り、俺は──。


「おとーさんは、アンジュままが好きだ。おかーさんよりも、アンジュままを、愛している」


 ──はっきりと自分の想いを口にしていた。


 その答えにベティは「……そっかぁ」とだけ頷くも「でも」と顔を上げた。


「おかーさんのことを「おかーさん」とこれからもよびつづけてもいいんだよね?」


「あぁ。もちろんだよ」


「そっか。なら、ベティはいいの」


 尻尾を丸めて正面で抱きしめながら、ベティは言う。ほんのわずかに目尻に涙が溜まっているのが見えた。


「……ごめん」


「あやまるのは、ベティじゃないもん」


「……そう、だね」


 謝るのが誰なのか。


 そんなのは言うまでもないことだった。


 それでもいまにも泣きそうな愛娘を放っておくことはできない。


 ベティの方を体を向けて、その小さな体を抱きしめる。


 ベティはもうなにも言わない。


 ただ、嗚咽をあげずに泣いていた。


 申し訳なさが募っていく。


 それでも、もう自分を隠すことはできない。


 自分の想いから背を向けることは、もうできない。


 ベティを抱きしめながら、俺は空を見上げ、そして──。


「……俺はアンジュが好きだ」


 ──はっきりと自分の想いを改めて口にした。


 申し訳なさはある。


 それでも、もう抑えることのできない想いを、本心をただ口にした。


 すると、風が吹いた。


 肌を撫でるような風。


 だけど、どこか温かい風。


 季節特有のものだと思うのに、どうしてかその風が誰かが祝福をしてくれたのだと思った。

 その誰かが誰なのかはわからない。


 わからないけれど、俺は気付けば、「ありがとう」とそして「ごめんね」という言葉を口にした。


 感謝と謝罪をすると、再び風は吹いた。


 頬を撫でる風が、「気にしないで」という誰かの言葉とともに。


 その言葉を聞きながら、俺は風に身を晒していく。


 祝福の風を浴びながら、ただみずからの想いを晒したんだ。

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