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rev4-77 アンジュの横顔

 困惑していた。


 いや、困惑と羞恥の半々というところか。


 カルディアさんと同じ、美しい純白の肌がいまはほんのりと紅く染まっている。


 肌が紅潮することなんて、誰であろうとすることのはずなのに、彼女の場合はその当たり前の変化でさえ、他人のそれよりもはるかに美しく感じられた。


「旦那様が夢中になるのも無理もない」と思う。


 かつてプーレちゃんたちと話したことが、「そのうちエルフなどの美形種族の嫁ができるんじゃないか」という話が現実になったように思える。


 あのときは、場の勢いや冗談も含めて言ったものだったけれど、アンジュさんの美貌は正直言ってエルフさえも超えてしまっている気がしてならない。


 それだけ、いまの彼女は美しい。


 旦那様が夢中になって求めてしまうのも仕方がないと思ってしまうほどに。


 その美しい彼女に、なんてことを聞いているんだろうと自分でも思ってしまった。


 そもそも、もう関係は切れたとか自分でも思っているくせに、いまだにあの人を「旦那様」と心の中で呼んでいる自分に呆れてしまいそうになる。


 あの人自身も、もう私なんかは見ていないはずなのに。


 そもそも、本当にあの人は私を嫁として数えてくれていたのかもわからない。


 ほぼ押しかけのような形で、あの人のそばにはいた。


 そんな私をあの人は本当に嫁と思ってくれていたのか。


 その疑問に対する答えは、私の中には存在していない。


 だからと言って、直接聞くことは憚れたし、実際に聞いたところではぐらかされるか、心にもないことを言われかねない。


 だから聞けなかった。


 それ以前に、あの人のそばにあまり近寄りたくないとさえ思っていた。


 いまの私はもう昔の私じゃない。


 そんな私がいまさらあの人に、かつての想いを再燃させるなんて馬鹿げたことだ。


 その想いに揺さぶられるわけにはいかない。


 そうしてしまえば、私はもう自分を抑えることはできない。


 すべてを覆い隠すこの仮面のように、自分の想いを覆い隠すことはできなくなってしまう。

 それほどまでに、かつての私はあの人を愛していた。


 その残滓が、胸の内にあった残滓が私を突き動かそうとしている。


 まぁ、手遅れではあるのですけどね。


 だって、アンジュさんといい、ルクレティア陛下といい、旦那様のおそばにはこんなにも見目麗しい女性がいる。


 特に、ルクレティア陛下とは正式に婚姻を結んでおり、夜な夜な閨を共にされていた。時折、部屋の中から陛下のくぐもった喘ぎ声が聞こえきていたことを踏まえれば、ルクレティア陛下と旦那様が肉体関係を持っていることは明らか。


 となれば、そのルクレティア陛下よりも、旦那様が求めるアンジュさんであれば、陛下と同じく肉体関係を持っていてもなんらおかしくはない。


 まぁ、ルクレティア陛下とは違い、アンジュさんとは婚姻を結んでいないことを踏まえると、さすがにルクレティア陛下よりも閨の相手をする回数は多くはないはず。


 それでも、一度もその機会に恵まれなかった私なんかよりも、よっぽど閨の相手をされているはずであって──。


「……えっと、まだです」


「──そう、そんなに……はい?」


 ──閨の相手をされているはずだと思っていたのに、アンジュさんの口から出たのは思いもしなかったもの。なんと私と同じでまだ閨の相手をしたことがないというものだった。


 まさかの回答に私はあんぐりと口を大きく開いた。そのせいで仮面がひとりでに外れてしまい、私の素っ頓狂な顔が日の目に晒されてしまったが、アンジュさんは恥ずかしそうに「あははは」と頬を搔くだけ。


 その仕草ひとつとっても絵になると思えるのだから、美人は得だなとつくづく思うも、いまはそれどころじゃない。


 アンジュさんに顔を近づけながら、私は矢継ぎ早に尋ねていた。


「まだ、ってことは、アンジュさんはそのまだ清らかな乙女というか、なんというか」


 ちらりと後方を、プロキオンちゃんを見やる。いまは大きなシーツに悪戦苦闘しているようで、大きなシーツを背伸びをしながら物干し台に掛けている最中だった。あの様子では、どうあっても聞こえそうにはない。


 アンジュさんも教育に悪い言葉を聞かせたくなかったのか、私と同じようにプロキオンちゃんを見て、穏やかに笑っていた。


 変顔や突拍子もないことを言う人なのに、いまの表情だけを見ていると、同じ女である私でさえも見とれてしまうほどに美しかった。


 それこそ「聖母」という存在がもし本当に存在するなら彼女のような人なのだろうなと思うほどに。


 それほどまでにプロキオンちゃんを見やるアンジュさんは、きれいな人だった。ルクレティア陛下が嫉妬の炎に焼かれてしまっているのも当然だと思うほどに。


「あ。そうだ。お耳をすこし拝借しますね。……仰る通りに、処女です」


 プロキオンちゃんの姿を見守っていたアンジュさんでしたが、私の問いかけを思い出されたのか、私の耳元に口を寄せられると、囁きくらいの小さな声量で答えてくれた。


 その内容は想像通りのもの。想像通りではあったけれど、その言葉、いや、アンジュさんにそんな言葉を答えさせてしまったことに対して、私は罪悪感を憶えていた。


「……す、すみません。変なことをお聞きして」


「いえいえ、お気になさらずに。まだなのは、本当のことですし」


 あははは、と頬を搔きながら笑われるアンジュさん。


 本当のことだからと気にしていない体ではあるけれど、それでも聞かれたからと言って答えるようなことではない。


 その答えるべきではないことを、あっさりと教えてくれたアンジュさんに、私はなにを言うべきかわからなくなってしまった。


「……本音を言いますと、レンさんに抱いて欲しいとは思っています。それこそ、あの人のことしかわからなくなるまで、あの人しか見えなくなるまで抱いて欲しい、と思っています」


 ぽつりとアンジュさんが語るのは、彼女の秘められた想い。かつては私も同じように思っていたこと。


 でも、あのときの私とアンジュさんとでは立場が違いすぎる。


 私は大勢いる中のひとりでしかなかったが、アンジュさんはあの人が誰よりも求めている人。


 となれば、当然閨を共にすることなんて当たり前のはず。


 なのに、なんであの人はアンジュさんに手を出さないのか。


 私の知っているあの人であれば、とっくに関係を持っているはずなのに。


「……レンさんと関係をまだ持てていないのは、多分ですけど、私がお姉ちゃんの妹だからということもあるんだと思います」


「……カルディアさんの妹だから?」


「ええ。お姉ちゃんを思い出してしまって、手を出しづらいんじゃないかなぁと」


 私の予想ですけどね、と付け加えてアンジュさんは笑っていた。


 その言葉になんて言えばいいのかわからなくなってしまう。


 たしかに。


 たしかに、アンジュさんの言う通りなところもあるとは思う。


 旦那様にしてみれば、アンジュさんはあまりにもカルディアさんに似すぎている。


 旦那様が、手を出すことを躊躇ってしまうというのもわかるほどに。


 が、どれほど似ていても、双子の姉妹であっても、アンジュさんとカルディアさんは別人だ。


 カルディアさんに似たこの人を愛しても、誰も批難はできない。


 だというのに、アンジュさんはそれが当たり前というように振る舞っていた。


 私にはそれが理解できないことだった。


「あの、辛くはないんですか?」


「ん~。辛いと言えば辛いですかね。でも、いまはあの子もいるし。それにレンさんも以前とは違って、私にきちんと想いを伝えてくれますから。だから、問題ないです」


 にっこりと笑うアンジュさん。その笑みは作ったものではなく、本心からのものだった。


 その笑みに私は言葉を失ってしまった。


 それでも。それでも、その有り様になにかを言うべきだと、妙な焦燥感に駆られながら、私が口を開こうとした、そのとき。


「ママぁ~。こっち終わったよぉ~」


 プロキオンちゃんが元気よく空になった籠を掲げていた。


 その姿にアンジュさんはそれまでの顔とは違う顔を、母親の顔になってプロキオンちゃんに笑いかけていた。


「じゃあ、次はその右隣をお願い」


「はーい!」


 しゅたっと手を掲げながら元気よく頷くプロキオンちゃん。


 見た目はシリウスちゃんそのものであるのに、シリウスちゃんをより素直にしたという印象があったのだけど、いまはなんというか、とても無邪気でかわいらしく見えてしまう。


「さて、あんまりのんびりしていると、あの子の方が早く終わっちゃいますから。続きをしましょうか」


「……そう、ですね」


 なんだかんだでプロキオンちゃんの仕事は速い。


 お喋りをしていたら、あっというまに追いつかれてしまいかねない。


 アンジュさんはすでに口を閉ざして、洗濯物に集中していた。


 私もアンジュさんに倣って洗濯を再開する。


 洗濯をしながらも、アンジュさんとカルディアさんの違いを思い浮かべながら、私は「……やっぱり敵わないなぁ」と思わずにはいられなかった。


 その有り様と、その心の強さに畏敬の念を抱きながら、私は作業に没頭していった。隣にいるアンジュさんと、畏敬の念を素直に抱けるアンジュさんとともに。

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