rev4-75 ヤキモチ
アスランさんとプロキオンとベティが穏やかに笑い合っていた。
ふたりはいつもの服装の上からエプロンと三角巾を身につけるという、家事の正装とも言うべき姿になっています。
そんなふたりをアスランさんは笑いながら、それぞれの頭を撫でています。
なんだか、アスランこそがふたりの「ママ」であるように思えてならない光景でした。
ちょっとだけヤキモチを妬きそうになりつつも、あまりに自然体な3人の姿に、私の頬は自然と綻んでいく。
それは私の隣で3人のやり取りを同じように見守っているレンさんも同じでした。
いま私とレンさんは、玉座の間の扉の影から、3人の様子を窺っている最中です。
正確には、ベティとプロキオンが玉座の間に雪崩れ込んでいくのを見守ることしかできなかったうえ、なんとも穏やかな光景だったため、私もレンさんもなにも言わずに密かに見守ることにしたのです。
そうしてもおかしくないくらいに、玉座の間は、普段なら荘厳な空気が漂う玉座の間は、いまや穏やかな空気が満ち満ちているのです。
3人がなんとものほほんとした会話を行っているのがその理由でした。そばにはベヒモス様もおられるのですけど、当のベヒモス様は「ほっほっほ」とあごひげを撫でながら3人を見守られているので、いまの空気を元に戻すことはできそうにありません。
まぁ、空気を元に戻す必要が、いまはありませんので、このまま3人には穏やかなやり取りを継続してほしいものです。
その要となるのが、アスランさんの口調です。
いまのアスランさんはとてものんびりとした口調になっており、それがのほほんとした空気が漂うのを加速させている。……のんびりとした口調であるのに、加速するというのは言葉尻だけを捉えると矛盾しているんですけどね。
でも、アスランさんの口調の変化による、空気の質の変化は事実です。
レンさんが言うには実にアスランさんらしいものだということです。加えて、竜族の女性はわりとのんびり屋な性格らしいです。
らしいというのは、レンさんも実例で知っているのはアスランさんと、そのお姉さんだけということですが、実例は少ないですが、のんびり屋さんな竜族女性は100パーセントに達していますから、おそらくは他の竜族女性も総じてあんな口調の人が多いんでしょうね。
実に間延びした口調だし、同じ女性目線から見れば、男性に媚びを売っているようにも感じられるのですけど、レンさん曰く、アスランさんとお姉さんは、少なくとも媚びを売るためではなく、あれが素の口調だからということでした。
あんなあからさまな口調が素の口調と言われて、電撃が走ったのは言うまでもありません。
加えて、お顔立ちもきれいですし、レンさん曰くアスランさんは、とてもスタイルがよく、それこそお姉ちゃんでも敵わないほどだったらしいです。
顔立ちも整って、スタイルも抜群、それでいてのんびりと穏やかな性格。……男性が好みそうな女性像そのものと言わんばかりの属性たちは、いったいどういうことなんでしょうね?
しかもそれがすべて天然というのですから、困ったものですよ。
竜族女性ってどうなっているんでしょうね、本当に。
そう愚痴るとレンさんは、苦笑いしながら、「アンジュにはアンジュのいいところがあるんだからいいだろう?」と私の肩を抱き寄せ、耳元で囁いてくださいました。
その一連の言動に私のスイッチが入ってしまったのは言うまでもない。それはレンさんも同じで、お互いに見つめ合うと距離は一瞬でゼロになりました。
くぐもった自分の声を聞きながら、レンさんをより受け入れようと、その背中に腕を回そうとして──。
「……ばぅ? めのまえがまっくらさんなの」
──ベティの声がいきなり聞こえてきました。
私とレンさんは慌てて距離を取りましたが、すでに銀色の橋が私とレンさんの間に架かっていましたが、それもわずかな間だけでした。音もなく、静かに銀の橋は落ちてしまい、それがなんとも残念に思えてしまった。
「……ママ、お日様がまだ出ているの、わかっている?」
今度はプロキオンの呆れるような声が聞こえてきました。そこでいまさらながらに声の聞こえた方を振り向くと、そこにはベティの目を両手で隠すプロキオンと無言でふたりのそばに佇むアスランさんがいました。
そこにはいままでの穏やかな空気など皆無。
特にアスランさんからは、故郷の害意とも言える寒さを思わせるような冷たいまなざしが向けられていますから。
これはもしかしなくてもやっちゃいましたよ。
あぁ、せっかく3人が穏やかな雰囲気だったというのに、まさかそれを私とレンさんがぶち壊してしまうとは。
それもアスランさんを怒らせてしまうという最悪の結果を伴ってです。
これではせっかくアスランさんとレンさんの関係を取りなすという、そもそもの目的さえも成就できなくなってしまいます。
せっかくプロキオンが考えてくれた策だったというのに、その策をまさか私とレンさんが潰すことになるなんて。
そう、この大掃除という策はプロキオンが発案してくれたものなんです。
曰く、「押してダメなら引けばいい」ということです。
つまりはこちらから誘うのではなく、アスランさんから乗らざるをえないようにすればいい。
もっと言えば、アスランさんの作業の手伝いを、それも滞っている部分の手伝いを買って出れば、アスランさんも無碍にはできない。そうして選ばれたのが「巨獣殿」の大掃除だっったんですけど、私とレンさんのせいでそれも失敗に終わりそうな雰囲気でした。
それがあるからなのか、プロキオンの視線がいつもよりも痛い。とっても痛いです。「この両親どうしようもねえわ」と顔に書いているかのように、とても痛い。痛すぎるのです。
私とレンさんにできたのは、ただ無言でその場で平謝りすることだけでした。それでもプロキオンの冷たい視線は変わることはなく──。
「ふふふ」
──針のむしろとも言うべき状態だったんですけど、そこに待ったを掛けるように、アスランさんがいきなり笑われたのです。
「相変わらずですね」
アスランさんは笑っていました。
怒っているかと思っていたのですが、どういうわけか機嫌がよさそうでした。
いったいどういうことなのでしょうか。
レンさんを見やるも理解できないのか、首を傾げていますし。
それは私も同じなわけですが、アスランさんは穏やかに笑うだけ。そして──。
「そういう人なのはわかっていますから、いまさらですよ」
仕方がないなぁと言わんばかりの口調で、そう笑われたのです。
その言葉にレンさんはなにも言えずに絶句され、私はちょっとばかり胸がちくりと痛みました。
まるでレンさんのことはわかっているような振る舞いだったからです。私はまだレンさんを知りつくしたわけじゃない。むしろ、知らないことの方が多い。
でも、アスランさんはレンさんのことならなんでもわかっているかのように仰られるのが、なぜか悔しく感じられたのです。
だけど、私の意思はいまはどうでもいいことでした。
大事なのはレンさんとアスランさんの中を取り持つということ。
精一杯に気持ちを振り絞りながら、「お手伝いさせていただいてよろしいですか?」と尋ねたのです。
その問いかけにアスランさんは「もちろんですよ」と頷いてくれました。
それが私にはとても嬉しかった。それこそ小躍りしたくなるほどにです。
そんな私を見て、アスランさんは笑っていました。
「……そっくりですけど、そういうところは違うんですねぇ」
ぼそりとアスランさんがなにかを仰りました。
でも、それを聞くよりも速く、「それじゃ分担を決めましょうか」とアスランさんが話を進められました。その言葉に私は慌てながらも頷いたのです。
そうして話をきちんと聞けないまま、私たちはアスランさんのお仕事の手伝いをすることになったのでした。




