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rev4-73 教えてください

 空がすぐそばにあった。


 視界一杯に空は広がっている。


 その空へと腕をまっすぐに伸ばすけれど、すぐそばにあるように見えて、空はどこまでも遠かった。


 伸ばしていた腕を戻しながら、小さくため息を吐いた。


 参ったなぁと最近はよく思う。


 どうしてそう思うのかは、すごく簡単なこと。


「……本当に諦めてくれませんねぇ」


 旦那様がなかなか私のことを諦めてくれないということ。


 私はもうかつての私(サラ)じゃない。


 私はもういまの私(アスラン)になっている。


 だから、あの人との関係は切れている。


 あの人を旦那様と呼ぶ関係ではなくなっている。


(……そもそも、そう呼べるほどの関係でもなかったわけですけどねぇ)


 他の皆さんとは違い、私とあの人はそれほど深い関係ではなかった。


 他の皆さんは、少なくとも一度は閨を共にされている。


 だけど、私は一度もそんなことはなかった。


 一度もあの人から求められたことはなかったのです。


 せいぜい、手元に置いておく程度。つまりはキープ程度の存在だった。


 そんな私が「旦那様」と他の皆さんと同じように呼んでいたのは、いま思えばひどく滑稽だった。


 でも、当時の私は自身が愚かであることを理解していても、あの人を「旦那様」と呼び続けた。たぶん意地だったんだと思う。


 意地を張らなければ、それこそ自分から勝負から降りたと言っているようなものだった。


 いや、勝負以前にそうでもしないと、私は自分を保つことができなかった。


 そうでもしないと、あの人からの愛を貰えないとそう思い込んでいた。


 だから、どれほど滑稽であろうと、どれほど空虚であろうと、あの頃の私は意地を張り続けなければならなかった。


 あの人からの愛情を手にするためだけに。


 でも、やはり滑稽だ。


 ああ、滑稽で仕方がない。


 あの頃はどんなに欲しても手に入れることはできなかった。


 それがいまは手を伸ばせば届くくらいには近付いていた。


 あの頃は、どんなに思っても届かなかったのに。


 いまになって、ようやく手が届きそうになっていた。


 眼下には旦那様とティアリカさん、そしてアンジュ様がいる。


 もっともお三方とも私のことには気付いていない。


 無理もない。


 だって、私がいまいるのはそれほどまでに高い場所だった。


 精神的な意味ではなく、物理的な意味合いだけど。


 私はいま「巨獣殿」のはるか上空にいた。


 影が差すこともないほどのはるか上空。自分以外にはなにもいないほどの高さにまで飛翔していた。


 旦那様たちからは私のことは見えないだろう。


 ティアリカさんであれば、なにかが上空にいることはわかるかもしれない。


 でも、あの人でもわかってもそこまで。


 この高度にまで私が飛翔できるとは、さしものあの人でもわからないでしょう。


 竜族であっても、ここまでの高さで飛べるものはいない。


 さしもの爺様でも、飛ぶことに関しては他の竜族よりも秀でている風の竜族、その長とも言える風の古竜である私のお爺様であっても、この高さにまで飛翔することはできない。


 だから、ここには私以外の誰もいない。


 私以外誰もここにはいてくれない。


 ここには時折来ていた。


 どうしようなく、胸が苦しくなったときに、いつもここまで飛翔していた。


 でも、それはあくまでも時折という程度だったのに。


 ここ最近は毎日ここまで飛翔していた。


 旦那様からお声を掛けてもらった後に。


 あの人からの誘いをすべて断ってからだ。


「……皮肉ですねぇ」


 あの頃は、あの人からこうもアプローチして貰うことはほとんどなかった。


 むしろ、私の方からアプローチしてようやくだった。


 それがいまでは逆だ。


 当時であれば、カルディアさんかノゾミさんくらい。もしくはプーレちゃんかレア様までがせいぜいだったと思う。


 私なんかじゃ、とてもじゃないけれど、あの人からアプローチして貰うことなんてなかった。


 それがいまでは、あの人との関係が切れてから、当時の私が待望していたことが、手を伸ばせばすぐに手にすることができるようになっていた。


 あの人への想いを何重にも封じ込めて、それこそのこの想いを捨てる覚悟をした矢先でだった。


 これを皮肉と言わず、なんと言えばいいだろうか。


 あまりにも皮肉が効きすぎて、かえって笑いが出てしまう。


 あまりにも虚しい笑い声が、喉から生じていく。


 その笑い声を聞いていると、どうしてだろうか。


 胸のうちはがらんどうになっているはずなのに。


 どうしてか、胸の奥が熱くなっていく。


 滅私をしたはずだった。


 昔の私はすべて捨て去ったはずだった。


 姉様を犠牲にしたときから、私は自分を捨て去った。


 みずからの過去をすべて捨てたはずだったのに。


 なのに、どうしてだろう?


 どうして、こんなにも胸が苦しいのだろうか?


 胸の内が熱くて熱くて仕方がないのだろうか?


「どうして?」


 声が自然と震えていた。


 震える声を聞きながら、私は仮面を外す。


 姉様の顔と私の顔が入り混じった、いまの私の顔を露わにした。


 普段は決して露わにしない素顔に、外気が触れる。


 もっとも、この高さでは外気なんて生やさしいレベルではないほどの風がこの身を穿っていく。


 あの頃の私であれば、本来の竜の姿であっても、耐えきれなかったであろう風。


 でも、いまの私にはそよ風としか思えない。


 ただ、そよ風にしてはあまりにも音が大きすぎる。


 自分の声さえも途切れ途切れにしか聞こえないほどの風。


 自分以外のすべてを呑み込むほどの風。


 体の芯から熱を奪い取ってしまうほどの風であるはずなのに、その風を以てしても私の胸のうちの熱を奪うことはできなかった。


 むしろ、風に晒されれば晒されるほど、熱は込み上がってくる。


「どうして?」


 答えようのない問いかけ。


 当然答える声は、いや、答えられる声はない。


 それでも私は再び問いかけを口にする。


「……どうして、諦めてくれないの?」


 さきほどとは違う、明確な問い。


 その問いに答えてくれる人は、はるか眼下にいた。


 とても楽しそうに、カルディアさんを想わせるアンジュさんとともに笑いながら、なにかを話していた。


 その声はいまの私であっても聞くことはできない。


 心からも熱を奪うほどの烈風に晒されながらでは、その声を聞くことなんて叶わない。


 それどころか、私の問いなんて聞こえるはずもない。


 なのに、どうして?

 

 どうしてあなたは、私のいる方を見上げるの?


 視線なんて絡み合うはずもない距離にいるはずなのに。


 途方もなく離れているはずなのに、どうして私を見てくれるの?


「……やめて、お願いだから、やめてよ」


 もうこれ以上私を掻き回さないで。


 私はもうかつての私には戻れないの。


 いまの私は、もうどこにもいない。


 ここにいるのはその名残でしかない。


 どれほど願っても手を取ってもらうことも叶わなかった、それでもとかすかな希望を胸に日々を過ごした愚かな()はもういない。


 いまいるのは、烈風に切り刻まれて、空を舞うぼろ切れ。


 そう、私はただのぼろ切れだ。


 そのぼろ切れを、どうしてあなたは求めようとするの?


 かつての名残しかないのに。


 もう私は、あなたのそばに置いて貰えていた私じゃない。


 いまの私は、もうそんな存在ではいられないのに。


 なのに、どうして?


 どうしてあなたは、私を求めるの?


 どうしてあなたは、私に手を伸ばすの?


 どうしてあなたは──。


「──私を昔の私の戻そうとするの?」


 もう戻れないのに。


 戻ることなんてできないのに。


 なのに、どうしてあなたは諦めずに、手を伸ばし続けてしまうの?


 私はもうあなたの手を取れる資格なんてない。


 だって、私は姉様を犠牲にした。


 あの人の命をもらって、いまの私はいる。


 そんな私が元の私に戻れるわけがないのに。


 なのに、どうしてあなたは諦めないの?


 諦めずに腕を伸ばしてくれるの?


「わからない。わからないよ、姉様」


 どうして、あの人は私を諦めないの?


 どうして諦めてくれないの?


 わからない。


 もうわからないよ、姉様。


 だから教えて。


 教えて姉様。


 私はどうすればいいの?


 どうしたらいいの?


 教えて姉様。


 答えを教えて。


 ううん、お願いだから──。


「──声を聞かせて、姉様」


 もう声を聞くこともできない。


 いまのままだと、あなたの声さえも忘れてしまう。


 だから声を聞かせて。


 かつてのように私を叱って欲しい。


 愚妹と言って叱って欲しい。


 あの優しかったはずの声で、私を叱り、そして導いてください。


「どうしたらいいの?」


 外気に触れる頬が熱い。


 どうして熱いのかはわからない。


 烈風で熱は奪われているはずなのに。


 頬はひどく熱い。


 その熱をどうすることもできない。


 どうすることもできないまま、私はただ風に晒された。


 もう視線は絡み合わないと知っているのに、それでも私は風に晒されながら、かつて愛していた人をただじっと見つめていた。


 見つめながら、頬を伝う熱に翻弄されていった。

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