rev4-71 夢想
ファランがルクレティアへと思慕を向けたのは、あの演習からだった。
当時はまだルクレティアをただの小娘としか見ていなかった。
見目はたしかに整っているが、それだけとしか思えなかった。
いままで見たことがないほどに美しく儚げな少女ではあったものの、それ以上でもそれ以下でもなかった。
せいぜいは、隣国の女王で仰ぎ見なければいけない存在という程度だった。
そんな認識は演習で一瞬で吹き飛んだ。
幼い頃から見出されて、鍛え上げてきたつもりだった軍学。
その軍学を通して、国内随一と自負していた部隊指揮。
その指揮で完全に遅れを取るとは、ファランは考えてもいなかった。
ルクレティアの指揮は、ファランにとってはなにひとつ理解できないものだった。
「どうして、この場でそれを?」と思っても、後にそれが重要な一手となっていた。
たとえば、主力を左右に分けて側面に回し、部隊をいきなり3つに分けるとか。
そのときはこちらも即応して部隊を3つに分けて対応しようとしたら、主力と思っていた隊は実は囮で、真の主力は正面に集められており、一気に攻め落とされた。
もしくは、主力を真っ先に前に出すとか。
そのときは、主力に対応しようとして、こちらも主力を前に出した。
あとは主力と主力の勝負と思っていたら、ぶつかる直前でいきなり主力が左右に分かれたのだ。その先にはこちらの主力の倍の部隊がいた。主力を壁代わりにして同時に進軍されていたのだ。
加えて、左右に分かれた相手の主力がこちらの主力を抱え込むようにして包囲された。倍の部隊を放っておくことはできないし、かといって左右に分かれた主力を無視することなどできなかった。どうするべきかと考えているうちに、主力は壊滅させられてしまった。
ほかにもいろいろとあったが、そのすべてでファランはルクレティアの後塵を拝することになった。
自慢の指揮が、国内一と自負していた指揮が、なにひとつ通用しなかった。それどころか、掌で踊らされ続けた。
初めてだった。
初めて屈辱というものを感じた。
それまで言葉としては知っていた。
様々な分野でファランの上を行く誰かはそれまでも存在していた。
たとえば、学問ではどうあっても兄であるファロンには敵わなかった。
だが、それは適正の違いだった。
兄は学問に関しては、随一と言ってもいい人物だった。
その兄の足元にも及ばなくても、悔しさはなかった。
むしろ、あれだけの差を見せつけられれば、悔しさなど沸くはずもない。
そのほかのことでも、ファラン以上の才を見せるという人物は何人もいた。
だが、超えられたところで悔しさははなかった。
適正に差がある。
そう思った。
だから悔しさはなく、「仕方がないか」としか思えなかったし、それ以上のことはなにも思わなかった。
そしてファランにとっては、軍学とそれを元にした指揮こそが、適正だった。
これに関しては、兄どころか、父のファフェイさえもファランには及ばない。
それは軍内部でも同じで、形だけの上官たちではファランには及ばなかった。
最初はやっかみを受けはしたが、ファランの軍才を無視しきることはできない。最終的にはあちらから折れて、ファランに協力を仰ぐのだ。
その際、決して上から目線はしない。常にへりくだりながら、「尽力させていただきます」とだけ言った。
そうすると相手はころっと騙されてくれるから、楽なものだった。
そうしてファランはその地位からは考えられないほどの力を軍内部で蓄えてきた。
気付けば、ファランの部隊はベヒリア軍内で、精鋭の部隊のひとつとして数えられるようになった。
もっともファランにとっては、最精鋭だろうと思ってはいたものの、実際に口にしたことはない。
部下の掌握も完璧に行っていたし、調練もどの部隊よりも厳しく行った。その調練にはファラン自身も参加し、汗を流して、寝食も共にすることで、兵と心を通わせることもできた。……あくまでも表面上、踏み込ませても問題ないところまでだったが。
それでも十分すぎるほどに、兵たちはファランの思う通りに動いてくれるようになったし、信頼も勝ち得ることができた。
その部隊こそがファランにとっては自慢だったのだ。
その自慢の部隊が散々に打ち砕かれるのは、目の錯覚としか思えなかった。
だが、どれほど錯覚だと思い込んでも、それが現実だった。
幸い、絶対的に安全な演習であったからこそ、手傷を負う程度のけが人はいたものの、重傷者や死者は出ることはなかった。
だが、兵たちの自尊心は完全に叩き折られていたし、ファランもまた心を折られたのだ。
いままでの自分はなんだったのだろうかとさえ、ファランは思った。
それこそ、産まれて初めて涙を流して悔しがったほどだった。
そんなときだった。
ファランの前にルクレティアが現れたのは。
ルクレティアは、自身が散々に打ち砕いたファランの前に現れると、「楽しかったですよ」とだけ言った。
傍から見れば、死人に鞭を打ったようなものだっただろう。
だが、ファランにとっては違っていた。
ファランはそのときのルクレティアに見惚れていた。
もともと、見目は美しいと思っていたルクレティアだったが、そのときのルクレティアが浮かべた笑みは、それまでファランが「美しい」と思ってきたものの中で、群をぬくほどに美しかったのだ。
演習後であるため、汗や誇りに塗れていたが、それがかえってルクレティアの美貌に華を添えていたのだ。
その美しさにファランは心を一瞬で奪われた。
もし、その場にファランとルクレティアだけであったら、求婚してさえいたかもしれないほどだった。
もしくは、ルクレティアがただの軍人であったら、押し倒していたかもしれなかった。
それくらいの衝動がファランの中で駆け巡っていた。
だが、その衝動にわずかばかりに理性が勝った。
どうにか、「光栄です」とだけ伝えるのが精一杯だった。
ルクレティアは微笑みながら頷いてくれた。
その後のことは憶えていない。
ルクレティアをずっと見つめていた。
それは演習が終わり、リヴァイアクス軍が帰還しても続いた。
それはいまも同じだ。
いや、いまはあのとき以上だろう。
あの日以来、ファランは夜な夜な淫夢を見た。
ルクレティアと閨を供にする夢。
つまりは、ルクレティアをファランのものにするという夢をだ。
夢の中のルクレティアは、とても淫靡だった。
行為が終わっても、すぐにファランに続きを強請り、行為が始まれば嬉しそうに笑う。
そんなルクレティアに夢の中のファランは夢中になった。夢中になってルクレティアを求めていた。
だが、それはあくまでも夢でしかない。
目を覚ませばファランの隣にはルクレティアはいない。
せいぜいが、娼婦くらい。
だが、どれほど人気の娼婦を買っても、ルクレティアよりも蠱惑的な体をした娼婦であったとしても、ファランはまるで満足できなかった。満ち足りるものがなにひとつなかった。
女は、いや、人なんて一皮剥けばすべて同じだ。
それはファランが一晩買った娼婦も、ルクレティアとて同じだった。
だが、そう思っても「ルクレティアは違う」とファランは思っていた。
他の女をどれだけ抱いたところで、ファランの心が満たされることはなかった。
思慕は日を追うごとに増すも、それを顔に出すことはなかった。
顔に出さないまま、自分の心を隠し続けていると、驚天動地とも言える知らせが届いた。
ルクレティアが結婚したという知らせだった。
最初はなにを言われたのかは理解できなかった。
だが、現女王は嬉しそうに、しかし、どこか寂しそうに笑っていた。
その笑みを見て、言われたことが事実であることを悟った。
だが、悟ったところで、納得できたわけではない。
納得できないまま、日々は過ぎていった。
そしてあの日、ルクレティアが新婚旅行と称して、この国に来たのだ。
ルクレティアは良人と娘を紹介してくれた。
娘は幼い獣人の子だった。ただ、非常にかわいらしい子だった。
問題の良人は、まさかの人物だった。
レン・アルカトラ。
最近軍内部でも話題となっている新進気鋭の冒険者にして、「アヴァンシア」を救った英雄「黒雷の戦女神」と称される人物だったのだ。
そして、あの演習が終わって間もなく、接触を密かにしてきたアルトリア姫がみずからの良人と嘯く人物でもあったが、アルトリア姫の口にする内容は、妄執としか言えないものだったため、自身のそれと変わらないものとファランは思っている。
実際、漏れ聞こえる話を聞く限り、レン・アルカトラはアルトリア姫に対して愛情を向けているわけではない。愛情はあったとしても、そこには憎悪も含まれている。真っ当とは決して言えない感情だろう。
それでもアルトリア姫は、自身がレン・アルカトラの妻であると嘯くあたり、自身とアルトリア姫は似ているのかもしれないとファランは思っている。
似ているからだろうか。
ファランはレン・アルカトラの内面がなんとなく読めた。
ただすべてがわかるわけではない。
だが、その視線が誰に向いているのかくらいはわかった。
レン・アルカトラはアルトリア姫を見ていない。
その視線はルクレティアにも向いていない。
レン・アルカトラが見ているのは、アンジュという少女に向けられていた。
正直なことを言うと、アンジュという少女に関しては、ルクレティアに思慕を向けるファランでさえも目を奪われるほどに、天上の美と称してもまだ足りないほどの美貌だった。
もっともその美貌を損なうほどに言動が残念だったが、それでもなおアンジュが美しいことには変わりない。なにせ、あの堅物であった父でさえもアンジュには目を奪われていたのだ。
もっとも、そのアンジュはレン・アルカトラに思慕を向けていたのは誰の目にも明らかだった。そしてレン・アルカトラもまたアンジュを見つめていた。要は両想いだった。
だが、その癖になぜかレン・アルカトラはルクレティアを妻にしていた。その理由はファランにはわからないが、腹立たしいことであることはたしかだった。
なにせ、レン・アルカトラは見せつけるようにして、夜な夜なルクレティアを抱くのだ。
部屋から漏れ聞こえるルクレティアの上擦った声は、ファランが夢見たそれとまるで同じだった。
違うのはその声を上げさせているのがファランではなく、レン・アルカトラだということ。
そのわずかで、途方もなく大きな違いにファランは苦しめられてきた。
だが、それも終わりだ。
この国を手中に収め、ルクレティアをレン・アルカトラから取り戻す。そしてレン・アルカトラの目の前でアンジュを犯す。そう、ファランは決めていた。
いままで散々苦しめられてきたレン・アルカトラへの仕返しとして、レン・アルカトラが愛する女を目の前で犯すと決めた。
果たして、レンはどんな顔を浮かべてくれるだろうか?
目の前でアンジュを犯されて、どんな風に泣き叫ぶだろうか。
その光景をもうじき見られるかと思うと楽しみで仕方がなかった。
「姫。決行はいつにしますか?」
「少佐次第と言いたいところですが、こちらからとっておきのものを送らせていただきますゆえ、それが到着次第というところですね。おそらくはあと7日もあれば」
「7日後ですか。わかりました。では、到着しましたら、またご連絡を差し上げます」
「ええ、それでは、よしなにファラン少佐」
「はい、麗しきアルトリア姫」
心にもない謝辞を口にしながら、ファランは7日後を夢想する。
すべてを手に入れた自身の姿を、ただただ夢想していた。
そんな自身を通信越しにアルトリアが嘲笑っていることに気付かぬままに。
自身の欲望の成就を夢見ていた。




