rev4-67 穏やかなひとときを
疑似太陽が輝いていた。
人の命を糧にして。
正確には、かつて存在していた人たちの命がヒヒイロカネとなり、そのヒヒイロカネを燃料にして、眩い光を放っていた。
光自体はとても清く眩しいはずなのに、事実を知ったらその光はとても悍ましく見えてしまう。
そんな悍ましくも眩しい光の下、首都リアスの王城前には、多くの人がごった返しになっている。
疲弊したような顔を浮かべる人が多い。
今回の戦は10日ほどのものではあったけれど、国家転覆間際のところまで行き着くほどの大規模な叛乱だった。
その叛乱の首謀者は、女王の懐刀であった左大臣ファフェイ様。ファフェイ様が構成した「懐古者」という秘密結社によるもの。
そしてその秘密結社に、密かに大国ルシフェニアが協力していたという噂が誠しなやかに流れている。
噂の出所はわからない。
でも、首都リアスを一時的にとはいえ、叛乱軍が占領していたことを踏まえれば、寡兵の叛乱軍に助力していた国がいてもおかしくはない。
そこにルシフェニアの正規軍の姿があったという話も加われば、ルシフェニアが叛乱軍に助力して、ベヒリアの転覆を狙っていたという非公式の事実ができあがってしまうのも無理からぬこと。
当然、ルシフェニア側からは「知らぬ存ぜぬ」という返答はあるものの、「であれば正規軍はなぜベヒリアの国内にいたのか」という返しが出る。その返しに対して、ルシフェニアは沈黙するだけ。
極秘裏の作戦と宣えば、叛乱軍の一派に協力していましたと言うも同然だった。
だが、事実ルシフェニアの正規軍はベヒリアの国内にいたことは事実。それもベヒリア側を通さずに、無断で越境している。
正当な理由もなく、かつ許可もなしの越境など、やはり後ろめたいことがあると自白するようなもの。
ルシフェニア側が沈黙を守るというのも無理からぬ。
だが、その沈黙がかえってベヒリア国内における「反ルシフェニア心」を植え付けてしまうことになった。
結果、ベヒリアは大々的にアヴァンシアを盟主とする「対ルシフェニア同盟」に正式参加することを表明した。
王城前の人だかりは、参加表明を待ち受ける叛乱軍による少なくない被害者やその遺族たち、そして敬愛するアリシア陛下の無事を願った者たちによるもの。
そんな民たちの前に、彼の女王陛下は堂々と現れると、今回の叛乱における顛末を悲壮感溢れる顔で語った。
その内容に誰もが顔を顰め、その目尻に涙を浮かべていた。
やがて、話はルシフェニアへの怒りに向かっていく。
表面上、友好国として振る舞いながら、叛乱軍という卑劣なる存在に手を貸し、あまつさえ国家転覆の瀬戸際まで追い込んだ彼の国を許すことはできないと女王陛下は歌うように告げた。
その言葉に王城前に詰め寄った民たちは、賛同するように皆大音声で「陛下」と叫んだ。
その大音声に負けじと女王陛下は「対ルシフェニア同盟」の参加表明を宣言された。
これにより、先王陛下発案の「対ルシフェニア同盟」は結成が確定した。
そしてそれは、今後の世界の安寧を担う者を決める戦いの幕開けを意味することだろう。
叛乱軍の平定という一大事が終わっても、なお生き生きと行動する女王陛下の胆力には瞠目するしかない。
ただ、その叛乱軍の平定にはいくらかの疑問点もあるが、これは精査の後、おって報告いたします。
以上、「花の乱(女王陛下命名による今回の叛乱鎮圧戦)」の報告とする。 アンジュ・アルスベリア
「……ふぅ、こんなものかな?」
複数掛けのソファーに腰掛けながら、目の前にあるレポートを、モルガンさん充てのレポートを締めくくり、その場でぐっと背筋を伸ばす。
目の前には無数の書物が広がっていた。背の高い本棚に納められた蔵書とは別に、レポートを認めていたテーブルには数十冊はある書物が積み上げられている。
その書物の山の向こう側、ちょうど私の対面側には凄まじい速度でページをめくり続けるプロキオンがいた。
私が仕事をするように、プロキオンは黙々と読書していたのだけど、レポートを認め終えたところで、読書中だったプロキオンが顔を上げた。
「ママ。お仕事終わり?」
「うん。終わったよ」
「そっか」
返事だけを見ると素っ気ないものだったけど、プロキオンはとても嬉しそうに笑ってくれている。
まだ読み途中なのに、本に栞を挟むと椅子を降りて、そそくさと私の元に近寄ると──。
「ママ、いい?」
「はい、おいで」
──両手の人差し指を突き合わせながら、上目遣いで言葉の足りないおねだりをしてくれた。傍から聞けば、それだけではどういう意味なのかはわからない。
でも、私にははっきりとわかる。
私は頷きながら、両手を広げた。
プロキオンは嬉しそうに「がぅ」と鳴くと、私の腕の中に飛び込んできた。
それも私に衝撃を与えないように気遣いながらという神業を見せてくれる。
もっとも私に気遣うのはそこまで。
飛び込んだあとは、私の胸に顔を埋めて、甘えだすというなんともかわいらしい素振りを見せてくれる。
その姿は狼の魔物なのだけど、飼い主に甘える猫のごとく。いまにも「ゴロゴロ」という音が聞こえてきそうなほどに、プロキオンは私にべったりと甘えてくれる。
そんなかわいい愛娘の頭をそっと撫でながら、「ごめんね、あまり相手をできなくて」と謝ると、プロキオンはふるふると頭を振って、「お仕事だもん。仕方ないもん」と言ってくれる。
でも、私の目にはプロキオンの尻尾が心なしか垂れ下がっているのがはっきりと見えている。
いまの聞き分けのいい言葉も、この子なりの気遣いなのは明らか。
ママとしては、もっと甘えてくれてもいいんだけど、「ママの負担になりたくない」と言わんばかりにプロキオンは、わがままのひとつも言わない。
仮に言ったとしても、仕事が終わって手空きになったときに、こうして甘えることくらい。それは誰がどう見ても「わがまま」とは言えないもの。
だけど、この子にとってはこれさえも「わがまま」になるみたいで、「わがままはだめだもん」とめったに自分の意思を伝えようとしない。
もっとも、それもこうして甘えるまではの話。甘え始めたら、それはもう「わがまま」の連続です。
「ママ」
「うん?」
「もっと撫でて」
「はぁい」
「がぅ~」
さっそくわがままである「撫で撫での継続」が来ました。
見た目は10歳児くらいなのに、年齢相応とは言えない要望ですが、それもプロキオンの魅力でもありますからね。
なお、撫で撫でを継続してあげると、プロキオンの尻尾がふりふりと左右に振られていくのが見えます。相変わらずの毛並みの良さですが、ちょっとばかり荒れが見えるように思えます。すかさず懐からマイブラシ(プロキオン用)を取り出すと──。
「プロキオン」
「……自分でできるよ?」
「その割りには少ぉし荒れているけど?」
「……気のせいだもん」
そう言って、プロキオンは私から離れて、さっと尻尾を隠そうとする。
でも、せっかくのチャンスを逃す私ではありません。
離れようとするプロキオンを捕まえると、自分でも驚くくらいの早業で、あっという間にプロキオンを膝の上に寝かせると、わずかに荒れた尻尾にブラシを通していく。
「がぅ~。ママ、どうしてこんなことにはすごい身体能力なの?」
「どうしてかなぁ~? さぁ、ブラッシングするよ~?」
「……がぅ~。自分でできるのに」
「ダメ。プロキオンはそう言うけど、自分の分は適当に済ませちゃうでしょう? ベティにはしっかりとしてあげるのに、自分の分はおざなりにしちゃうから、せっかくのきれいな尻尾がこうなっちゃうんだからね」
少しばかり強めの口調で、プロキオンの尻尾にブラシを通していくと、プロキオンは少しばかり申し訳なさそうな顔で「……ごめんなさい」と謝ってしまいました。
責めていたつもりはないんですけど、どうにも勘違いさせてしまったみたいです。
「怒っているわけじゃないよ? ただ、もう少しばかり自分のことにも気を掛けてって言っているの」
「……でも、私は」
「パパも口を酸っぱくして言ってくれているでしょう? 「プロキオンはもう少し自分のことを大切にしなさい」って」
ブラッシングの手を止めて、上半身を捻って振り返っているプロキオンの頭を撫でてあげると、プロキオンは「でも」と頬を膨らましていた。
プロキオンはどうにも奉仕精神とも言うべき物がありまして、たびたびレンさんからは「もっと自分を大切にしなさい」と言われているんです。
でも、プロキオンはどうにも自分のことは無頓着で、現に尻尾のブラッシングも自分の分に関してはおざなりにしてしまうんです。
もっともおざなりなのは、自分の分だけで、ベティのブラッシングに関してはきっちりと行ってくれています。ただ、きっちりとやりすぎて、ベティからは「もういいよぉ~」と言われてしまっていますけども。
ベティの分くらいとは言わないけれど、自分の分に関してももう少しきっちりとしてもいいんじゃないかなぁと私は思うんですが、どうにもプロキオンは自分のことに関しては、無頓着というか、自分を犠牲にするという考えみたいです。
その有り様には、私もレンさんも頭を悩ませています。レンさんが苦言を呈しても、そのレンさんの娘だからなのか、いらぬところで不屈の精神を見せてしまうんですよね、この子。
要は私やレンさんがなにを言っても、奉仕精神、いや、通り越して自己犠牲の考えを糺すことがいまのところできていないというのが現状ですね。
「でもじゃありません。あなたはもう少し。少しだけでいいから、もっと自分を大切にして。パパもママもそう望んでいるのだから」
「……がぅ」
プロキオンをじっと見つめるも、プロキオンは頷かず「がぅ」と鳴くだけです。それも頬をぷっくりと膨らましてですよ。
普段はよすぎるくらいに聞き分けてくれる子なのに、このことに関しては聞き分けてくれないのだから、困る子ですよ。困るくらいにかわいい私の娘です。
「……まぁ、このことはおいおいとして。ほら、終わったよ」
ブラッシングの手を止めると、少し荒れていた尻尾は、いままで通りのきれいな毛並みに戻りました。プロキオンはちらりと自身の尻尾を見やり、「ありがとう、ママ」と膨らましていた頬を緩ませてくれました。
本当にかわいいなぁと思いながら、頭に手を乗せて撫でるのを再開すると、プロキオンは再び「がぅ~」と心地よさそうに鳴いてくれる。
「これからどうしようか?」
「ん~。ママとのんびりがいい」
「昨日もそうだったけど、いいの?」
「うん。だって、ベティは」
ちらりと隣のソファーを見やるプロキオン。そこにはレンさんに寄りかかる形で眠るベティがいました。当のレンさんもすっかりと夢の世界の住人になっています。
「そうだね。じゃあ、パパたちが起きるまではのんびりする?」
「がぅ」
心なし小さめにやり取りをしてから、私は相対するようにしてプロキオンを抱きかかえました。プロキオンは嬉しそうに尻尾を振りながら、先ほどのように私の胸に顔を埋めてくれました。
そんなプロキオンの頭を撫でながら、「初源の歌」を口ずさんでいく。
なんだかんだありましたけど、プロキオンは「初源の歌」が大好きなので、こうしてのんびりするときは、いつも歌ってあげることにしているんです。
時にはプロキオンも一緒に口ずさんでくれますが、今日は私に抱かれたまま聞いていたいという気分だったのでしょうか。尻尾を緩やかに振って、静かに聞いてくれていた。
その姿に愛おしさを抱きつつ、私は心を込めて歌を口ずさんでいく。
口ずさみながら、「花の乱」と名付けられた、あの戦いからの日々を、この1週間あまりの日々を私は思いだしていくのでした。




