rev4-56 冷たい眼差し
銀色の風が吹き荒れていた。
目で捉えれない。
あまりにも速すぎて、私の目でも捉えることができない。
(……これが、あの出来損ないだというの?)
私が知っている、あの出来損ないは速いといえば速かった。
でも、私を振り回すことができる速さではなく、簡単にひねれる程度の存在だった。
そう、そのはずだった。
その程度の存在がいま私を掻き回していた。
背後で足音が聞こえた。
剣を構えたまま、振り返るもそこには誰もいない。
すでに移動されていて、抜け落ちたであろう銀糸の髪がふわりと宙を舞っているだけ。
宙を舞う銀髪はとても美しいけれど、いまは構ってなんていられない。
移動先で考えられるとすれば、それはひとつ。でも、動き回る相手に対して、狙いをひとつに絞るのは危険すぎる。
であれば、するべきことはひとつだけ。
右脚を軸にして、その場で大きく回転しながら全周囲を薙ぎ払うようにして剣を振るう。これでどう移動されても攻撃は当てられるはず。
そう思っていたのだけど、振るった剣はどういうわけか空を切るだけ。
あの出来損ないを両断することはできなかった。
いったいどこにと思った、そのとき。
頭上に影が差した。顔を慌ててあげると、なにかが迫っているのが見えた。
顔を上げた先が悪すぎた。
あの出来損ないは、太陽を背にして迫ってきていた。
太陽をまともに見てしまい、目が眩んでしまった。
(逆光を利用するなんて)
相手取っているのが私でないのであれば、「うまいやり方だ」と褒めてあげるところだけど、私自身が相手をしている現状は、ひどく忌々しいとしか思えない。
利用できるものはなんでも利用する。
野性の戦いとも言える、狡猾な戦闘方法だった。
私は吸血鬼の血が流れていることもあって、あまり太陽は得意ではない。
もっともデイウォーカーでもあるから、太陽光をまともに浴びても消滅するほどのダメージを負うことはない。
ないけれど、それでも太陽光をまともに視界に捉えてしまえば、常人よりも眩んでしまう。その弱点を突かれてしまっていた。
(出来損ないめ!)
捉えきれない速度で駆け回っていたのは、すべてこのための布石だったようだ。私を確実に罠にはめるための布石。
逆に言えば、あの出来損ないが、私を憎悪している証拠でもある。
(せっかく、シリウスちゃんの記憶をあげてやったというのにぃ!)
私の大切な愛娘の記憶をわざわざあげたというのに、その恩を忘れて仇で返そうとはなんて恩知らずだろうか。
せっかく私の玩具にしてやったのに、玩具風情が主人に逆らうなんてあってはならないこと。
(もう許さない! 絶対に殺す!)
主人に逆らった罰を受けさせてやる。
それが私の中で、淫売女王と雌犬の妹に次いで、出来損ないが絶対に殺す対象になった瞬間だった。
でも、いまはリストの更新に勤しんでいる場合じゃない。
(避けるのは無理。なら!)
間に合えと心の中で叫びながら、まだ反動の残っていた剣を無理矢理頭上に掲げるようにして構えた。
それからすぐに強かな衝撃が全身を駆け巡っていく。
(重いっ!)
両脚が痺れてしまうんじゃないかと思うほどの衝撃だった。目が白黒になりそうな中、私はどうにか踏ん張った。その際に唇の端が切れてしまったけれど些事だ。
唇の端が切れる程度で、この一撃を受け止められたのであれば、これ以上とない成果と言える。
とりあえず、これで動きを止めることはできた。
どれだけ速かったとしても、攻撃の瞬間だけは動きが止まる。
そればかりは、どんな相手であろうと変わらない。
つまりは、いまが最大のチャンスということ。
(このまま振り落としてやる)
口角が自然と上がる。
上空を選んだのは悪手だったなと思いつつ、掲げた剣をそのまま振り下ろそうとして、ふと気付いた。
(……衝撃のわりに、軽すぎるような)
痺れてしまいそうな衝撃だったはずなのに、その割には剣に掛かる重量が軽すぎる気がする。
あの出来損ないは以前であれば、大人の姿だったけれど、いまは10歳くらいの見た目になっている。シリウスちゃんと同じくらいの見た目になった。同じくらいなのは見た目だけじゃなく、背格好も同じくらい。おそらくは体重だってそうは変わらない。
私は抱っこできなかったからわからないけれど、たぶん、シリウスちゃんは40キロあるかどうかくらい。となると、あの出来損ないもそのくらいだろう。
となると、剣に掛かる体重もそれくらいはあるはず。だけど、どうしてか、剣の重量はいつもとさほど変わらなかった。
それになによりも、ようやく回復してきた視力では、どういうわけか、あの出来損ないの姿が、剣の上に乗っているはずの出来損ないの姿を捉えることができないでいた。
(なにか乗っているのはわかるのだけど)
それがあの出来損ないかどうかの判断ができない。
強かな衝撃があったことは確かだから、あれが上にいることは間違いない。
でも、それならなぜこんなにも軽いのだろうか。
残光のせいでまともに見えない中で、どうにか出来損ないの姿を確認しようとして──。
「残念。私はこっちだよ」
──背後から声が聞こえた。
慌てて振り返ると同時に、ブーツの靴底が視界いっぱいに広がった。とっさに首を捻って避けようとしたのだけど、避けきることができなかった。
顎先にかすかな衝撃が走る。顔をつい顰めてしまった。旦那様の前で、醜い表情を見られたくなかったというのに。
「いまのは、散々おまえに蹴られたお返し」
ぽつりと出来損ないが呟く。
「おまえ、だと!?」
呼び名が気に喰わなかった。
100歩譲って「まま上」と呼ばれるのであればまだいい。
だが、「おまえ」呼ばわりされる筋合いはない。
それも出来損ないの玩具程度にだ。
「誰に対しての物言いのつもりだ!」
込み上がってきた怒りのままに、掲げていた剣を全力で振り下ろした。
その際、拳大くらいの石が複数個、剣の上から飛んでいくのが見えた。
(あれが、衝撃の正体か!)
種明かしすれば、とても単純なことだった。
拳大くらいの石を複数個、頭上から私に投げつけたということ。魔物の膂力を用いて全力で頭上から、それも複数個纏めて投げつければ、たしかにあれだけの衝撃が走るのも理解できる。加えて、剣があまりにも軽かったのも納得はできた。
いくら拳大の大きさの石が複数個あるとはいえ、人の体重と同じになるわけがない。
剣に掛かる重量が軽すぎるのも納得できる。
納得できないとすれば、どうすれば複数個の石を時間差なく完璧なタイミングで当てることができるのかということ。
複数個を一斉に投げつけたとしても、どうしても時間差は生じる。
でも、私はその時間差を感じられなかった。
つまりはラグなど一切なく同時に着弾したということ。
魔物であってもそんなことできるわけがない。
できるとすれば、それはもう神の御業としか言いようがない。
ありえない。
つくづくそう思う。
その一方で逆光で目が眩まなければ、こんな単純な罠にはめられることはなかったとも思う。
逆光で目を眩ませられなければ、こんな神業を見せつけられることはなかった。相手を出来損ないと思い続けることができたというのに。
(……忌々しい、出来損ないが!)
脳裏をよぎる弱音を無理矢理心の隅に追いやる。
いまここで弱音に呑み込まれたら、一方的に攻め込まれるのは目に見えていた。
いまは奮い立たせて、食らいつくしか手はなかった。
そう思いつつも、ここまでの用意周到さには、さすがに舌を巻く。
最初からこうする予定だったのか、それとも戦いの流れの中でここまで追い詰めることにしたのか。
末恐ろしい相手だとしみじみと思う。
だからこそ、この場で徹底的に殺す。
愛らしい娘であれば、シリウスちゃんであれば、褒めてあげるところだが、相手はただの出来損ないの玩具だ。
その玩具が所有者である私に楯突いたんだ。生かしてやる理由はない。
「死ね、出来損ない!」
剣を振り下ろしながら叫ぶ。
出来損ないは表情を削り落としたような、まるで仮面のような顔で私を見つめながら、剣の軌道から逸れるように動く。それもほんの1歩だけ。
たった1歩で私の剣は空を切った。
舌打ちをしながら、踏み込んだ足を起点にして、振り返りながら水平に薙ぎ払うも、出来損ないはやっぱり1歩ずれただけで薙ぎ払いを避けてしまう。
なら、今度はと再び1歩踏み込もうとした、そのときだった。
いきなり視界が歪んだ。
膝が笑いはじめ、まともに動くことができなくなっていく。
攻撃を受けたわけじゃない。
顎先を蹴られはしたけれど、衝撃は小さかった、はずだった。
なのに、どうして私の視界はこんなにも歪み、体が言うことを聞かないのだろうか?
「……やっぱり水の力は便利だね、パパ」
ぽつりと出来損ないが言う。
その言葉に旦那様は「プロキオンは本当に覚えがいいな」と若干呆れ気味に頷いていた。
(みずの、ちから?)
ふたりのやり取りを聞いて、ようやく状況を理解できた。
(だんなさまの、とくいわざ、の?)
いまの私の異変は、旦那様が得意とするエンチャントによるもの。普通は武具に対して施すエンチャントだけど、旦那様はご自身の手足にも施すことができる。そのエンチャントのうち、水属性は旦那様曰く「内部破壊に適した属性」と仰っていた。
なんでも人体は水でできていると言っても過言じゃないらしく、ゆえにその体内の水を利用して体を内部から破壊することができるとか。いまいち仕組みはわからなかったけれど、実際に旦那様が水属性を付与して攻撃した対象は、内部から体を破壊されていた。
それと同じことがいま私の体の中で起きているということ。
解せないのは、時間差が生じているということ。
旦那様であれば、攻撃を当てた瞬間に、対象は破壊されてしまうはずなのに、私は時間差が生じていた。
というか、また時間だ。
投石のときと同じだ。
違うのは時間差があるのとないという違いだけ。
本来であればありえない時間差がなぜか生じてしまっている。
まるで時間そのものを操られているかのように。
そこまで考えて、私は答えに辿り着いた。
「出来損ない、貴様、まさか!」
「そうだよ。私はロードだ。ロード・クロノス。それもただのクロノスじゃない。私はロード・クロノス・オリジン。原初のロード・クロノスになったんだ。……神獣様曰く」
「なん、だと?」
オリジン。
魔物の生態系において、ロード種こそが最上位とされている。
でも、現在のロード種は、本来のロード種の劣化版でしかない。
本来のロード種はオリジンと呼ばれ、現在のロード種の能力をはるかに超越している。
シリウスちゃんでさえ、オリジンには至らなかった。
そのオリジンに出来損ない程度が至ったというのか。
「あり、えない」
「そうだね。でも、いま実際にこの場にいるんだから、ありえなくてもありえるんだよ」
出来損ないは冷たい目で私を見つめていた。見つめながらゆっくりと脚を動かし、私の膝裏を軽く蹴った。
普段であれば体勢をかすかに崩す程度だけど、いまはかすかに崩す程度で収まらなかった。私はその場で倒れ伏した。口の中に土の味が広がっていく。
「貴様ぁ!」
地にひれ伏されたことなど初めてだった。
土の味を感じるのはこれが初めてだ。
それが私を逆上させる。
地面に手を突きながら立ち上がろうとしたが、それよりも早く出来損ないが私の背中を踏みつけたことで、再び私は地面にひれ伏してしまう。
「おまえの生殺与奪は私の手の中だよ? わかっていないの? そりゃそうか。だって、おまえパパに嫌われているってことにも気付いていないもんね? それだけ鈍感なら自分の命が誰に握られているのかなんてわかるわけがないよね」
出来損ないが笑っていた。
忌々しい笑みとともに、なんとも馬鹿げたことを言ってくれた。
旦那様が私を嫌うなんてあるわけがないというのに。
むしろ、愛妻である私をここまで手ひどく扱ったことで、出来損ないこそが嫌われているはずだ。そうなって然るべきだった。
地獄を見るのはおまえの方だ。そう思いながら旦那様を見やると──。
「パパ、捕まえたよ」
「あぁ、ご苦労様、偉いぞ、プロキオン」
「がぅ!」
旦那様はなぜか笑っていた。
右目しか見えていないけれど、それだけで十分すぎるほどにわかってしまう。
嫌われるべきであるはずの出来損ないに対して、旦那様はとてもお優しい笑みをうかべている。シリウスちゃんやカティちゃんに対して浮かべるような笑顔を、愛娘へと向ける笑みを出来損ないの玩具に向けていた。
「……なん、で?」
意味がわからない。頭がおかしくなりそうな光景だった。
私の声が聞こえたのか、旦那様は冷たい目を、つまらない物を見るような目で私を見下ろして──。
「……ひとつ聞きたいことがある」
「なん、ですか?」
「アルトリアは、どこだ?」
「……は?」
──意味のわからないことを告げられたのだ。
あまりにも突拍子もない言葉に、私が唖然となっていると、旦那様は再度告げられた。
「本物のアルトリアは、どこにいる? おまえは偽物だろう? 本物の居場所を教えろ」
そう言って私の髪を掴みながら、旦那様は目同様に、とても冷たい口調でそう仰ったのだった。




