rev4-44 不協和音
「──叛乱軍の旗艦を撃沈。こちらの損傷は軽微です」
「ご苦労様でした。とりあえず、初戦はこちらの勝利ですが、気を緩めぬように」
「は、承知しております」
「ええ。では、これで通信を終えます」
「は。動きがありましたら、またご連絡をいたします」
「ええ。それで、また」
ルクレと副官さんとの通信が終わった。
叛乱軍と対叛乱部隊の初戦は、対叛乱部隊の圧勝という形で終わりを告げた。
あくまでも初戦であって、戦はまだ始まったばかりだった。
今回はルダの下流域での戦いで、ルクレも「まさか、こんなに早くぶつかるとは」と驚いていた。要は、本来ならもっと後で起こるはずの戦いが、今回の初戦だった。
その初戦を完膚なきまでの勝利で終わらせることができた。
本来であれば、戦捷に沸いてもおかしくないほどの戦果。
だけど、作戦本部内は真逆の空気になっている。
まるで完敗を喫したかのような、重苦しい空気が部屋の中に充満していた。
特にルクレの表情は険しい。
ルクレは戦の天才だった。
その天才の表情がひどく険しかった。
その険しさにつられるようにして、誰もが口を開こうとしていない。
無言のときがしばらく流れたけれど、その無言を破ったのもまたルクレだった。
「……忌憚なき意見をお聞かせください。どう思いましたか?」
主語のない問いかけだった。
その問いかけに、最初に反応したのはイリアだった。
「……気持ち悪いと私は思いました。あぁ、決してどこかの舞い戻ってきた誰かさんのように、酸鼻極まる光景ゆえにではありません。戦そのもの、いえ、相手そのものが気持ち悪かったです。印象と実像の噛み合わなさ加減が気持ち悪すぎました」
「……まぁ、この場にいる全員が概ね同じ感想だろうよ。おまえさんもそうだろう、ルクレ?」
イリアが告げた言葉こそが、この部屋の空気の重さの原因だった。それを改めてアリシア陛下は告げて、ルクレを見やる。ルクレは「……やはり、そうですか」と重たいため息を吐いた。
「……正直なことを言いますと、私はこの初戦はなにかしらの罠ではないかと思っています」
ルクレは手を顔の前で組み、遠くを眺めるように目を細めながら言った。
「罠と言いますと?」
退室前よりもだいぶ顔色がましになったアンジュが、代表するようにしてルクレに尋ねる。ルクレはアンジュの質問に「ええ」と頷き、その理由を話し始める。
「理由としては、二の姫君が口にされた内容そのものです。あまりにも印象と実像の噛み合わせが悪すぎたのです」
「あの、そのことなんですが、なにが噛み合わないのかが、そもそもよくわからないんですが」
アンジュが挙手しながら、申し訳なさそうに再び尋ねると、ルクレは最初唖然としていたが、すぐに破顔してわかりやすい説明を始めた。
「アンジュ様にもわかりやすく言いますと、私の麾下に大部隊をぶつけられる手際と、実際の戦場における手際に差がありすぎるのですよ」
「……あぁ、そういうことですか」
「ええ。あえて口にしますと、私の想定では、初戦は下流域ではなく、中流域、それも上流域に近いところで行われるはずだったのです」
ルクレは淡々と事情を説明していく。
アンジュも途中で理解してくれたようで、「たしかに噛み合わせが悪すぎですね」と頷いていた。そんなアンジュを見やりながら、ルクレは少し前に言っていた想定との差を口にした。
「いくら相手が上流を抑えているからといえ、あまりにも進軍が早すぎるのです。仮に行えたとしても、その数は少数となるはずです。大部隊の進軍にはどうしても兵站等の準備に時間が掛かります。私の軍に合わせるとなると、小部隊の進軍がせいぜいでしょう。だというのに、相手はあの大軍を私の軍に合わせるどころか、それ以上の速さで進軍させていたのです」
そう、相手はありえないことをしていた。
軍というのはどうしても出発させるまでに時間が掛かる。
兵站等の必需品の準備に時間が掛かってしまうからだ。
それは軍の規模が大きくなればなるほど増える。
ルクレの対叛乱部隊は、ルクレの麾下が叛乱軍の鎮圧任務を帯びた部隊だ。もともと実戦並の演習を行うために近くの海域にまで来ていたからこそ、ここまでの速さで進軍できたわけだ。
でも、相手は違う。
ファラン少佐からの情報によると、首都のリアスはいまだに混乱状態にあり、情報が錯綜状態にあるそうだ。
そんなリアスから対叛乱部隊に合わせて軍を出発させられることなど、どれほどトップが優秀であろうと不可能だ。ましてや大軍となれば、普段よりも時間が掛かるだろう。
だが、相手はそれをあっさりとやってのけたうえに、ルクレの軍よりも速く進軍していた。
リアスが上流域にあり、流れに乗れたことを踏まえても、進軍が速すぎる。
できるとすれば、精鋭中の精鋭部隊くらいだろうか。
もしくは、途中の街や村に別れて潜んでいた軍が合流したという可能性もある。
だが、それでも進軍が速すぎることには変わりないし、やはり相手が精鋭中の精鋭部隊と考えるのが妥当だろう。
となれば、さしものルクレでも損耗なしというわけにはいかないはずだった。
だが、蓋を開けて見れば、まさかの完勝だ。
兵站等を整えきれる手際と大軍をルクレの部隊以上の速さで進軍してきた手際を踏まえると、実戦の手際の悪さはあまりにもちぐはぐすぎた。
本当に同じ部隊なのかと言いたくなるほどに、あまりにもお粗末すぎる顛末だった。
「以上のことを踏まえると、今回の初戦は罠であるとしか私には思えないのです。他の可能性をあえて挙げるとすれば、時間稼ぎくらいでしょうね。仮に時間稼ぎだとすれば、相手は相当に狡猾かつ老練な相手と言えるでしょう」
「……ふむ。あえて聞こう、その心は?」
ルクレが断じた結論にルリが尋ねる。ルリ自身言われるまでもなく理解していることだろうけれど、認識を共通させるためのものであることは間違いない。ルクレもそれを理解しているからこそ、あえてその問いかけに答えた。
「簡単なことです。今回の戦いはこちらの戦力を探るためのもの。今回の大軍を用意したのでしょう。あの大軍をどれほどの時間で壊滅させられるか。その際、どんな方法を取ったのか。それを探るための戦いだったのだと。そのための必要経費があの大軍だったのでしょう。……あとはあまりに肥大しすぎた軍の口減らしも兼ねているかもしれませんね」
「……であろうな。そうであれば、狡猾かつ老練というのもわかる。むしろ、そうでなければあの噛み合わせの悪さを説明できん」
ルリが頷いた。その言葉にアンジュ以外の全員が納得を示す。
ただ、アンジュだけは退室前と同じくらいに顔を蒼白とさせていた。
「……あの、つまり、あの人たちって、死に兵ってことだったんですか?」
「ええ。あれほど大規模な死に兵は初めて見ました」
「……」
アンジュは信じられないという顔でルクレを見つめている。そのアンジュの視線から逃れるようにルクレは顔を背けた。
「死に兵ってわかっていて、殺したんですか?」
「……最初はわかりませんでしたけどね。でも、すぐにわかりました」
「……なんで」
「相手が叛乱軍だからです。国の平和を乱す者など、存在していても邪魔なだけですもの。もちろん、その国に非があるとすれば、彼らこそが正しいということになりますが、アリシア陛下の治世はなにも問題はない。となれば、彼らは自分勝手な思想で、エゴによって蜂起した愚者たち。生かしておいても、百害あって一利もありません。だから」
「そういうことじゃない! だって、あの人たちに家族がいるはずなんですよ!? そんな人たちを皆殺しにしたんですよ!?」
「……いま言ったばかりですが、もう一度言いましょう。彼らはただの愚者です。国を乱すことしかできない者たち。国の運営を乱す邪魔者たち。言うなれば、性根の腐った肉塊でしかありません。腐った肉塊なんてどうしようもないでしょう? だから処分したまでです」
「処分って、そんな言い方は」
「では、どう言えと? 私は他国の王ですが、王の観点から見れば、彼らは不必要の存在です。不必要ということは、ただのゴミですよ? そのゴミを処分することになんのためらいがありましょうか?」
にこやかに笑いかけるルクレとそんなルクレに噛みつくアンジュ。
ルクレの口調は穏やかだが、いくらか、いや、だいぶ気が立っているようだった。口調は穏やかでもその口から発せられる言葉は、とてもじゃないけれど穏やかとは言えないほどに攻撃的なものだった。
その言葉によりアンジュは噛みついてしまっている。
あまりよくない傾向だった。
どっちも頭に血が上りすぎていた。
「ふたりとも、落ち着け」
いまにも取っ組み合いが始まってもおかしくないほどに、剣呑な雰囲気となったアンジュとルクレの間に入った。
ふたりの表情がわかりやすいほどに顰められるも、お互いにまぶたを閉じて、深呼吸をすると矛を収めてくれた。あくまでも表面的にはだが。
「……少し空気を吸ってきます」
「……ベヒモス様、お台所をお借りしてもよろしいですか?」
アンジュは立ち上がり、再び作戦本部を後にした。
その後を追うようにして、ルクレも席を立つと、ベヒモス様に台所の貸し出し許可を申請していた。ベヒモス様は「構わぬ」と一言だけ告げ、その言葉に「ありがとうございます」と礼を口にして、ルクレもまた作戦本部を後にした。
「……相手の思うつぼかの?」
ベヒモス様がぽつりと呟いた。
その言葉に誰も返答できぬまま、作戦本部内はなんとも言えない空気を漂わせることになったのだった。




