rev4-42 神子と巫女
連れ出してもらった庭園は、不思議な場所でした。
針のように細長い葉をもつ大木があるかと思えば、その大木と同じ種類の木が鉢植えの中でいくつも育てられており、その鉢植えが集まっている一角がありました。その鉢植えの中は、どれひとつとて同じ形はなく、そのうえどれも丁寧に育てられていました。
別の方へと目を向けると、大きな池があり、その池には見たことのない魚が、複数の色の斑模様の魚が何尾も泳いでいました。背中の模様に比べると、顔立ちはなんともひょうきんというか、少しばかり間の抜けた顔立ちで、なんともギャップのあるものでした。
そしてまた別の方には、石が大量に集められた場所があり、その場所には休憩用のテーブルが置かれていたのです。そのテーブルで私たちは一休みしています。他の区画に比べると、あまり手入れが施されていないのが印象的です。
でも手入れはされていないけれど、テーブルのそばには背の高い木があり、その木がほどよく日陰となってくれていました。木漏れ日の差すテーブルで私はレンさんと対面になって座っています。
少し前まではベティちゃんとプロキオンちゃんも座っていましたが、庭園の広さに目を輝かせて、走り出してしまったのです。プロキオンちゃんはベティちゃんを捕まえるために追いかけてしまいました。
いつも通りのふたりの姿。
いつも通りの姉妹のやり取り。
日常を思わせるには十分すぎる光景。
でも、いまは日常通りではないのです。
遠くからはいまなお残響が聞こえてくる。
聞きようによっては、魔物の遠吠えのようにも聞こえるもの。強力な魔物同士が鉢合わせて縄張り争いをしているようにも思えます。
実態としてはそこまで大きな差はありません。
あるとすれば、それは魔物同士か人同士かという違いくらいです。
血で血を争う戦いという意味合いであれば、なにも変わらないのです。
命が喪われていくという意味合いでは、なにも変わらない。
人同士であろうと、魔物同士であろうと、命が喪われていくということには変わりはない。
命がたやすく喪われることなんて、子供の頃から知っている。
私の祖国であるアヴァンシアは、「英傑の国」と謳われるほど、代々の国王陛下は傑物揃い。
だけど、治めた地域はあまりいいとは言えない場所。
1年の大半が冬であり、それは同時に1年の大半は国土のほとんどが雪に覆われているということ。
その長い冬のせいで、魔物の生存競争はかなり激しい。道から少し離れたところでは、魔物の亡骸が転がっている。
中には魔物に食い殺された人の亡骸もある。
でも、その亡骸も雪に覆われれば、誰の目にも止まることはありません。
特に、国民の間では「自然の害意」と謳われる寒さの前では、数日間、場合によっては1週間近く続くこともある吹雪の前では、人であろうと魔物であろうと等しく無力です。
冬が終わり、短い春が訪れて、雪が解けてようやく亡骸が露わになる。でも、その亡骸も長い冬の眠りから覚めた動物や魔物たちがすべて食べ尽くしてしまうのです。
残るのはほんのわずかな遺留品くらい。
それが私の産まれるずっと、ずっと前から連綿と続いて行われる営み。
命というものが、どれほど儚く脆いものであるのかは、アヴァンシアの国民はどの国の民よりも知っているのです。
貧富の差も、能力の強弱も、地位の上下さえもすべて関係ない。命という観点においては、等しく儚く脆い存在でしかない。
だから、こうしてその命が喪われていく様を見ても、心を動かされるなんてことはありえないはずでした。
だけど、私が考えていたよりも、私が思っていたよりも、戦争というものは惨いものでした。
生存競争において、悪意というものはない。
あるのは、ただ生きようとする意思だけ。
生きていたいがゆえに、他者を殺める。
他者を殺めるのは、命を繋ぐためだけ。
それ以外に理由なんてものはない、はずでした。
だけど、戦争は違う。
戦争も生きるためのものであるという点は変わらない。
でも、巧妙に隠された悪意もまた存在しているのです。
たった一言。
たった一言の指示で、数十いや、数百人の命がたやすく奪われてしまう。
それも体がまともに残ることもなく、四肢の欠損したり、首から下がなくなったり、臓物や脳漿をばらまいたりなど、まともな姿の亡骸などまともに存在していない。
魔物に襲われた死体の中には、そういうものも少なくはない。大半は傷だらけのものばかり。
でも、戦争において傷だらけなんて言葉は、生ぬるいものでしかない。そう思ってしまうような亡骸ばかりが増えていく。
その光景は私の認識を改めるには十分すぎた。
その光景の悲惨、いや無惨さに私は吐き気を催してしまった。
そんな光景からレンさんは、連れ出してくださいました。
作戦本部と称された会議室とは違い、命が当たり前のように喪われる場所とは違って、この庭園には命が多くあった。
その中をベティちゃんとプロキオンちゃんは駆け巡っている。
ベティちゃんは無邪気に、プロキオンちゃんは若干面倒くさそうに。
それでも、ふたりの姿はとても微笑ましい。
日常を思わせてくれる。
だけど、私が目を背けている間も、非日常の殺し合いは続いている。いや、殺し合いではなく、一方的な殺戮は続いている。
殺戮が行われている証拠である、遠い残響はいまなお続いているのです。
この残響が聞こえるたびに、いくつもの命が喪われていると思うと、口元を押さえたくなる。胃の中のものが逆流してしまいそうになる。
情けないと思う。
いくら初めて見たとはいえ、それでも冒険者ギルドのマスターなのかと言いたくなる。
それに一方的な殺戮なんて、あの日、レンさんたちと初めて出会った日に、山賊たちに襲撃された日に見たのだから、これが初めてなわけじゃない。
そう思う一方で、あれはまた別物だったとも思うのです。あの日、私たちは狩られる側だった。強者である盗賊たちの獲物でしかなく、ただ震えることしかできなかった。
だから、外では凄惨な光景が広がっていたとしても、その様を目の当たりにすることはなかった。
でも、いまは違う。
絶対に安全な場所から、あのとき以上に凄惨な光景を見ている。
同じ非日常であっても、目の前で行われていれば、現実と受け取るしかない。
でも、遠い場所から非日常が行われていたら、とてもではないけれど、現実と受け取ることはできなかった。でも、受け取れなくても現実としてその非日常が行われている。その差が私を追い詰めてくれたのです。
情けないとは思う。
冒険者ギルドで働いていれば、朝まで話していた相手が、夜には物言わぬ亡骸になって返ってくることなんてはよくあること。
命が喪われる最前線に寄り添うことが、私たちギルド職員の仕事だというのに、同じ命が喪われる最前線の光景を見ていることができなくなるなんて情けないとしか言いようがありません。
でも、どれだけ自分に言い聞かせても、あの光景を見つめ続けることはできなかった。
そんな私を責め立てるように、残響は続いている。
耳を塞ぎたい。
目を背けたい。
そう思うのに、私は耳を塞ぐことも、目を背けることもしない。いや、してはならないと思うのです。
その理由がなんであるのかはわからない。
解放の巫女であるからか。
それとも別の理由からなのか。
私にはわからない。
わからないけれど、それでも目を背けることも、耳を塞ぐことも選ぶわけには──。
「……バカか、おまえは」
──選ぶわけにはいかない。
そう思っていた矢先に、それまで沈黙を保っていたレンさんが不意にそう呟いたのです。
いきなりすぎる言葉に、私は唖然となりました。
そんな私を見て、レンさんはため息をひとつ吐くと、なぜか手招きをされたのです。
「こっち来い」
「え?」
「いいから来い」
レンさんは言葉短く言うばかり。その言葉に困惑しつつも、レンさんの元へと向かうと、レンさんの手がすっと伸びたのです。
え、と思ったときには、レンさんの腕の中に私はいました。
「……なんでおまえが無理をする必要があるんだよ」
私を腕の中に閉じ込めながら、レンさんが口にしたのはそんな一言。
助け船とも言える一言でした。
「で、でも、私は」
「おまえは、この国の王族なのか? それとも叛乱軍の一員なのか?」
「……どちらでもありません」
「なら、おまえが無理をする必要はない。見たくないのであれば見なければいい。聞きたくないと思えば聞かなければいい。誰もおまえに、見たくないものを見ろとも、聞きたくないものを聞けとも言わないよ。現におまえを連れ出しても誰もなにも言わなかっただろう?」
「……それは、そうですけど」
「なら、いいじゃないか。あんな凄惨なものから目を逸らし、耳を塞いでも。誰も文句は言わない。だっておまえのせいじゃないんだから」
レンさんの手が私の髪を撫でていく。
とても優しい手つきで、髪の間をレンさんの細い指が通っていく。それがとても心地よかった。
「だけど、そうだな。それでもおまえがなにかしら思うことがあるとすれば、鎮魂の歌を謳ってやればいい」
「……なんで、私が?」
「ルクレがリヴァイアサン様から聞いた話を又聞きしただけなんだけどさ、おまえは巫女になったんだろう? いや、巫女の力に目覚めたって話だったよな?」
「……それは」
解放の巫女。
私の遠い遠い祖母というアルスベリアさんが言うには、私は解放の巫女となったということでした。
とはいえ、解放の巫女がやるべきことがなんであるのかを私は知らない。
私が知っているのは、解放の巫女が原初の四人の巫女のひとりであるということ。そして原初の火の力を司っているということ。まぁ、その原初の火がどういうものであるのかはわかりません。
たしかに聞こえてはいたのに、私はそれをまだ認識できていないのですから。
でも、私が解放の巫女であることは変わらない。
そして解放の巫女であれば、鎮魂歌を歌うべきだとも思うのです。
なぜなら戦場に囚われた魂を解放することは、解放の巫女の仕事として相応しい。いや、するべきことだと思うからです。
だけど、それはまだ先の話。
だってまだ戦争は終わっていない。
鎮魂歌を歌うのは、戦争が、この叛乱が終わりを告げたとき。
そのときにこそ、解放の巫女として鎮魂歌を歌うべきであり、まだ戦争のまっただ中のいまに歌うものではないと思うのです。
「……おまえがどういう巫女であるのかも、どんな経緯で巫女として目覚めたのかもわからない。だけど、このくだらない戦争が終わったら、歌ってあげてほしい。どんな立場であろうと、命が散ったことには変わりない。だから、そのときが来たら歌ってあげてくれ」
「……はい」
「でも、それはまだ先の話だ。いまはまだ戦争は続いている。巫女だからといって、鎮魂歌を歌うからと言って、その戦争をずっと見続ける必要はない。命が喪われる音を聞き続ける必要もない」
「……いいんですか?」
「いいんだ。神子として俺が認める。おまえは無理をしなくていい。無理をして凄惨なものを見る必要はない。ただ、必要なときにその慈愛の心を以て、歌ってくれればいい。喪われた命が、無事にこの世界に生まれ落ちることを祈ってくれればいい。……そうだな。鎮魂歌と言わずに、祈りの歌としてくれてもいい。新たな生命として無事に生まれ落ちることへの祈りを捧げてくれればそれでいい。神子である私が、巫女である君にそう依頼したい」
レンさんの手が髪を撫でる。
優しい手つき。
触れる胸からはレンさんの心臓の鼓動が聞こえてくる。
少しだけ、早く刻まれる鼓動。
その鼓動の音を聞きながら、私は静かに頷きました。
「……承服いたしました、神子様。解放の巫女として、祈りと鎮魂の歌を歌わせていただきます」
「……あぁ、お願いしよう、解放の巫女よ。その名の通り迷える魂を解放してあげてほしい
レンさん、いえ、神子様の胸から顔を上げると、神子様は穏やかに笑っておいででした。
その笑顔に胸の奥がどくんと高鳴っていく。
その高鳴りが聞こえないことを祈りながら、私は神子様の袖をそっと握りました。
燻る想いが、神子様へのどうしようもない想いが溢れないことを祈りながら、やまない想いを向ける方のぬくもりに身を委ねるのでした。




