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rev4-40 叛乱の理由

 鳥の鳴き声が聞こえてくる。


 目の前には雄大な山脈が広がっていた。


 緑の少ない岩山はあまり多くなく、大抵の山は深い緑に覆われている。


 その深い緑のはるか頭上、ここからでは小さな粒のようにしか見えないほどに、遠くの空を飛ぶ大型の鳥の姿が見えた。


 大きさからして猛禽類であることは間違いなさそうだ。


 昨晩にも鳥の鳴き声──フクロウに似た鳥の声がずっと聞こえていた。


 その鳥の声と、遠くに見える鳥の声は違っていた。


 同じ猛禽類だろうけれど、その声は昨晩聞いたものよりも、甲高く、まるで笛の音のような軽快さがあった。


(トビの声に似ているな)


 笛の音のような鳴き声と言うと、真っ先に思い浮かぶのはトビだった。


「ピーヒョロヒョロ」という独特の声で鳴くタカ科の鳥。


 そのトビは日本で言えば、湘南にいるイメージが強い。


 学校の遠足や希望と一緒に遊びに向かった等で何度か行ったことのある湘南。その湘南に棲息しているトビには、いくらか苦い思い出があった。


 あるときは、腹が減ったので、駅前にあるバーガー屋で買い物して、食べ歩きしていたら、バーガーの一部を盗まれたことがあるし、あるときは浜辺の近くでお弁当を開いたとたん、おかずを盗まれてしまった。


 バーガーはともかく、お弁当に関しては希望が作ってくれたうえに、好物のからあげを盗まれてしまったことは、いまだに許すことはできない。


 あのときは、「このクソ鳥がぁぁぁぁ」と盗んでいったトビをわざわざ追いかけたほどだ追いかけはしたが、最終的に手出しのできない電柱の上に逃げられてしまったので、泣く泣く追撃を諦めたが。


 そのトビとよく似た鳴き声がどこからか聞こえてくる。


 これも昨晩聞いた鳥の声と、フクロウと同じくこの国の固有種なのだろうか。


「これはベヒリアンミールウスの声だな」


 ぼんやりと聞いていた鳴き声。その鳴き声の主についてを考えていたら、背後から別の声が聞こえた。


 振り返ると、だいぶ疲れた顔をされているアリシア陛下がいた。


 普段なら酒壺を片手に持っていそうだけど、今回ばかりは酒壺を持ってはいない。


 そんな状況ではないというのも当然だろうけれど、なんとなくイメージと反しているなぁと考えてしまった。


 そんな俺の考えを読まれたのか、アリシア陛下は苦笑いしながら、俺のそばに腰掛けた。


 いま俺がいるのは、昨日も過ごした「巨獣殿」の中庭だった。


 本来なら、アリシア陛下は中庭に来られる余裕なんてないはずだった。その余裕がないはずのアリシア陛下はなぜか目の前にいた。理由はなんとなくだけど察しているが。


「……ルクレに追い出されましたか?」


 俺自身、ルクレに追い出された口だ。なんでも、俺がいると集中できないというのが理由だった。


 それは俺だけではなく、ベティも同じで、いまはアンジュとプロキオンと一緒に部屋に戻っているはずだ。


 実際は集中できないからではなく、王としての姿を見られたくないからなのだと思う。


 ベティもなんとなく察してくれていたようで、素直に引き下がってくれた。


 残るはアリシア陛下始めとした面々だけだったのだけど、どうやら当のアリシア陛下も追い出されてしまったみたいだ。


 もしくはルクレなりに気遣ったからこそなのかもしれないが、事実はルクレの胸のうちだけなのは間違いない。


「あぁ。まったく、本当にあの娘には舌を巻かされるもんだ」


 やれやれと肩を竦めながら、アリシア陛下はテーブルに肘をついた。肘を付きつつも、懐からは酒壺ではなく、茶器を次々に取り出していく。


「……あの、どこに入れて」


「あん? そんなもん、アイテムボックスだよ」


「いや、それはそうなんでしょうけど」


 懐のアイテムボックスから茶器を取り出されているというのは、言わずともわかる。わかるんだが、俺が言いたいのはその中身は酒壺だけじゃなかったのかということ。


 正直に言うと、アリシア陛下のアイテムボックスの中身はだいたいが酒かつまみだろうなと思っていたので、茶器が出てくるとは思っていなかったので、不意を衝かれてしまった感があったんだ。


 とはいえ、それを口にするわけにもいかない。相手はこの国の王様だ。他国、それも同盟国の王配という身分である以上、下手な発言は国を窮地においやりかねない。


 ささいな失言が元で国がひっくり返ったという事例なんざ、この世界でも元の世界でもありうることだった。


 だからこそ、下手なことは言うべきではなく、口を噤もうとしていたんだが──。


「あぁ、なるほど。俺のアイテムボックスから茶器が出されるのがおかしいってところかい?」


 ──さすがはアリシア陛下。俺なんかよりも何枚も上手だった。


 ものを含んでなくてよかったとしみじみと思った。


 状況にはよっては咽せていたかもしれない。


 それくらいに、アリシア陛下の言葉は不意討ちだった。


「あ、いえ、そういうわけではなくて」


「気にするな、婿殿。俺自身そう思っているしな。まぁ、基本は酒と肴があればそれでいいと思っているが、時には茶の湯も必要ではあるとも思っている。どうしてかわかるかい?」


「……心を落ちつかせるため、ですか?」


 日本でも、戦国時代の武将の趣味として茶の湯が好まれることが多かった。


 戦場では荒ぶって当然だが、常時荒ぶるわけにもいかない。


 その荒ぶる心を落ちつかせるために、茶の湯が好まれたということだったような気がする。

 それは戦国時代の武将だけに留まらず、現代でも格闘技や武道を行う人の中にも、茶道に勤しむ人も多いと聞く。うちの兄ちゃんの話だと、うちのじいちゃんは茶道もそれなりに嗜んでいたそうだ。


 茶道も武術も精神統一が重要とされているし、似通ったところがあるからこそのものなのかもしれない。


 それはいま目の前にいるアリシア陛下にも同じことが言えるのだろう。


「その通りだ。茶というのは、思っていた以上に心を落ちつかせてくれるんだ。特にうちの国の茶は、その淹れ方からして独特でねぇ」


 そう言って、アリシア陛下は茶器のひとつにお湯を注いでいた。


 その茶器は透明なもので、中には乾燥させた花のようなものが詰まっていた。その花にアリシア陛下はお湯を注いでいく。注がれたお湯と乾燥した花が触れると、茶器同様に透明だったお湯が薄い茶色に染まっていく。


 それと同時に、独特な花の香りが漂い始める。花の香りはかぐわしく、まぶたを閉じてその香りを楽しみたくなるほどだった。


「これはマッティオラという花でね。その花を乾燥させた茶なんだが、どうやらお気に召されたようだな?」


 アリシア陛下が静かに笑っている。その声に「ええ」と静かに頷くと、アリシア陛下は「じゃあ、まぶたを開けてみな?」と言い出した。


 まだ香りを楽しみたいところだったが、言われるままにまぶたを開くと、そこには茶器の中で咲き誇る花があった。


「……え?」


 思いもしなかった光景に、言葉を失ってしまっていると、アリシア陛下は得意げに笑っていた。


「これがマッティオラなどの一部の花を使ったうちの国の特産品のひとつである花茶だ。その名の通り花を乾燥させるものだけど、マッティオラの他にいくつかの花は、お湯を注ぐとしばらくしてからこうして咲き誇るようになるのさ。そしてこうなるとちょうど飲み頃っていう合図でもあるのさ」


 アリシア陛下は別の茶器を手に取り、その上に小さな網のようなものを取り付けると、その茶器の中に花茶を注がれた。


「……この網は花茶の茶葉を取り分けるためのものさ。茶葉が入ったままでも飲めるんだが、若干喉に引っかかる。それを完全に取り除くためでね」


「要は不純物を取り除くと?」


「あぁ。そうとも言うね」


 そう頷くと、網を取り外し、別の茶器、実際に飲むための小さな杯にと不純物のなくなった花茶を注がれていく。


「ほら、あんたの分だ」


 アリシア陛下は俺の前に複数の手順を経たお茶を置いてくれた。


「いただきます」


 頭を下げてから、杯を取り啜る。


 日本茶とも紅茶とも違う、まろやかな味わいが口の中で広がっていった。


 ほぅと小さな息が漏れると、アリシア陛下はまた笑っていた。


「どうだい? マッティオラの花茶は?」


「……素晴らしいです」


「そうか。今後は稀少品になるから、いまのうちに楽しんでくれ」


「……今回の叛乱で産地に被害が行くと?」


 アリシア陛下が花茶を啜られるのを眺めつつ、この茶が希少品になる理由を尋ねる。俺なりに考えた理由を口にすると、アリシア陛下は俺同様に小さな息を漏らすも、「ある意味ではそうだな」と答えてくれた。


「ある意味では、と言いますと」


「あぁ、単純な理由でね。このマッティオラの花茶の産地っていうのは、ファ家に任せている一帯でねぇ。このマッティオラの花茶は、ファフェイが造りあげたものなんでね。この叛乱が終われば、しばらくは製造できそうにないからな」


 アリシア陛下が口にされた理由は、もっともな理由だった。理由はもっともではあるんだが、いまでは曰く付きとも言えなくもないもの。それをわざわざ淹れた理由はなんなのか。


「……左大臣、いえ、ファフェイ殿はどうなりますか?」


「……ファランからは助命嘆願を受けている。まぁ、肉親だからなぁ。やらかしたとはいえ、てめえの親だ。命だけは助けてくれと言うのは当然のことだろうさ」


 再び花茶を啜るアリシア陛下。ファラン少佐からの助命嘆願。それ自体は頷ける話ではある。


 実際、俺が同じ立場であれば、助命嘆願を願い出るとは思う。だが、嘆願したところで王命を出されてしまえば、それに従うしかない。却下をされれば、肉親であろうと討つしかない。ファラン少佐はいまごろ、どんな気持ちなのかと思うと、少し気が重い。


「まぁ、当然却下はしたがね。ファフェイはいい廷臣だった。だが、叛乱の首謀者になったというのであれば話は別だ。叛乱の首謀者には死を以て償いとする。それはこの国だけではない。どの国の法律でも同じことである」


「……それは」


 違うとは言えなかった。


 この世界だけじゃない。どこの世界だって、国の転覆を狙うテロリストを生かしておくなんていう生ぬるい国はない。仮にあったとしても、徹底的に飼い殺しにして使い潰すくらいか。当然、使い潰す以上、人権なんてものはあったもんじゃない。


 テロリストがまともに生き残るには、国を実際に転覆させ、新しい国家を樹立させる以外に方法はない。敗北=死。それがテロリストというもの。


 ファフェイ殿が生き残るには、目の前にいるアリシア陛下を妥当し、みずからが新国家の王となる以外に方法はない。


 正直に言って、分が悪すぎる賭けだ。


 たしかに、首都は抑えられた。


 だが、首都を抑えたとしても、国民すべてがファフェイ殿に従うと言ったわけじゃないし、周辺諸国もファフェイ殿を新しい王と認めたわけでもない。


 むしろ、ここから長い戦いが始まると言ってもいい。


 そんな長い戦いを戦い抜けるだけの余地がファフェイ殿にあるのだろうか。


 アリシア陛下の話しぶりからして、ある程度の下地はあるんだろうけれど、アリシア陛下には援軍としてリヴァイアクス軍がいた。


 まだリヴァイアクス軍はベヒリア国内に入ったばかりのようだけど、そのリヴァイアクス軍をファフェイ殿が迎え撃てるとは、俺にはとうてい思えない。なにせ、今回派遣されたのはルクレの麾下の部隊だ。


 その時点でファフェイ殿の敗色は濃厚と言っていいのに、そのうえ通信用の魔道具でルクレが指揮を執るらしい。濃厚だった敗色はより濃厚となった。


 というか、もう叛乱は失敗したも同然だ。


 もし、ルクレとの新婚旅行の最初の一国目がベヒリアでなければ、ファフェイ殿の叛乱はそれなりにうまく行ったかもしれない。


 だが、現実はすでに暗礁に乗ってしまっている。


 仮にファフェイ殿が軍部を掌握していたとしても、ルクレの部隊が対叛乱部隊として侵攻した時点で、軍部はファフェイ殿から離れていくだろう。


 戦の天才であるルクレと一戦をやらかそうとする怖い物知らずはこの国にはいないだろうから。


 それでも、あえてファフェイ殿は叛乱をこのタイミングで起こした。

 

 その理由はなんだろう?


 というか、なんでもっと後で起こさなかったのか。


 なぜ、いまなのか。


 その理由がいまいちわからなかった。


「……どうした? 婿殿」


「いえ、ファフェイ殿はなぜいまと」


「ふむ。たしかにな。普通に考えれば、なぜいまと思うだろう。加えて、あれにしては、いささか雑すぎると俺は思っている。このタイミングで挙兵したところで、叩き潰されるのは目に見えているのになぁとね」


 茶を再び啜り始めるアリシア陛下。


 そこでふと気づいた。いまのアリシア陛下の言葉に引っかかりを感じた。


「……アリシア陛下は、ファフェイ殿の挙兵の理由がわかっているのですか?」


「うん?」


「いえ、普通に考えればと仰っていたので。つまり、一般的な物差しで考えれば、いまのタイミングでの挙兵はありえない。だけど、一般的な物差しでなければ、いまこそが妥当と言われているように聞こえたので」


 言いながら、自分でも無茶苦茶だとは思った。


 いくらなんでも、穿ちすぎている言い分だと思うし、なによりもそれではまるで──。


「予定調和のように見えるかな? 婿殿」


 ──もともと、その予定だったと言っているように思えてならない。


 だが、さすがにそれはないと思っていたのだけど、アリシア陛下の口元が妖しく歪んだところで、背筋が寒くなった。


「……まぁ、そうさね。俺があえて言うとすれば、黙ってみていればわかるとだけかな?」


 再び茶を啜り始めるアリシア陛下。


 美味そうに茶を啜られる姿につられて、俺も茶を啜った。


 茶の味は変わらない。


 匂いも色も変わらない、はず。


 なのに、どうしてかさっきとはまるで違っているように思えてならない。


 茶の味も匂いも色も。


 すべて違うものに感じられた。


 まるで徹底的に薄くされた血のようだと。


 もともと、水で溶かされた血を飲まされていたんじゃないかと。


 そう思えてならなかった。


「まぁ、直にわかるよ」


 アリシア陛下が言う。


 いままでとなにも変わらない。


 なにも変わらないはずなのに、いままでとは違う誰かが目の前にいるように俺には思えてならなかった。


 鳥の鳴き声が聞こえる。


 相変わらず笛の音のような軽快な音だった。


 でも、いまはその音は同じ笛でも、進軍のための合図のもののようだと思えてならなかった。

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