rev4-35 温かくも悍ましく
ヒヒイロカネ──。
この世界では、アダマンタイトと対を為すと言われる金属。
一般的にはアダマンタイトが魔大陸、ヒヒイロカネは聖大陸でのみ採取できる金属であり、それぞれの大陸における最高の金属。
圧倒的な硬度を誇るアダマンタイトに対して、ヒヒイロカネは金属としてはありえない柔軟性があると言われている。
それぞれに一長一短はあるものの、それぞれの大陸を代表する金属であることには変わりない。
そのふたつの上にあるのが神鋼と謳われるオリハルコンになる。もっとも、オリハルコンに関してはどこで採取できるのかもわかっていない。
わかっていることと言えば、オリハルコンはアダマンタイトとヒヒイロカネの両方の特性を持ったうえで、硬度と柔軟性においてふたつをはるかに凌駕すると言われているくらいか。
(母さんに聞けば、オリハルコンのありかはわかるんだろうけど)
最近、母さんと話はしていない。
正確には話をしたくても、母さんが連絡をくれなくなってしまった。
魔大陸にいたころは、定期的に連絡をくれていた。
でも、聖大陸に来てからは連絡がなくなった。
時折、声を聞きたくなることもあるのだけど、母さんが連絡をくれることはない。
まぁ、いまのところオリハルコンが必要ってことはない。
そもそも、アダマンタイトを大量に持っているということもあり、オリハルコンを欲しいと思ってはいない。
同じように、アダマンタイトがあるからヒヒイロカネも必要ってわけじゃないんだ。
だけど、ここでヒヒイロカネの話を聞くことになるとは思っていなかったんだが。それも、武具の作製に使うというわけではなく、ヒヒイロカネを燃料として利用しているなんて話なんてね。
それも、ベヒリア国内の街や村にある、すべての疑似太陽の燃料として利用しているというのは、二重の意味で驚かされてしまった。
正直、剛毅すぎるとは思うんだけど、この国においてはあの疑似太陽は生活になくてはならないものだから、その燃料にヒヒイロカネを使うっていうのは武具作製に使うっていうよりも有意義な気がする。
まぁ、有意義だとは思うけど、剛毅だっていう感想はどうしても抱いてしまうものだけど。
「ヒヒイロカネを燃料に、ですか。すごいものですね」
隣にいたルクレが驚いた顔をしている。というか、若干呆れているようにも見えるな。まぁ、無理もないか。ルクレにしてみれば、聖大陸最高の金属であるヒヒイロカネを普段使いで消費しているなんて発想自体がわかないだろうし。
リヴァイアクスではヒヒイロカネ製の武具なんて見たことがなかった。王宮騎士団の装備でも見なかったし、リヴァイアクスではヒヒイロカネがどれほどまでに貴重であるのかがよくわかる。
対してベヒリアでは、なくてはならないものとはいえ、普段使いに消費できる程度。加えて、埋蔵している量も国内消費分だけで100年分はあるという話だし、リヴァイアクスとはあまりにも状況が違いすぎるからこそなんだろう。
それにいまはヒヒイロカネにベヒモス様が魔力を込めているから、新しく採掘する必要がないというおまけ付き。
土の神獣であるベヒモス様が座すとはいえ、それでもヒヒイロカネを普段使いできるというのは、リヴァイアクスの女王としてはありえない話だとルクレは思っているんだろう。その気持ちはよくわかる。
よくわかるんだが、ひとつ疑問もある。
それはアダマンタイトが生体金属であったように、ヒヒイロカネも生体金属ではないのかというもの。
アダマンタイトを対を為す金属であれば、当然ヒヒイロカネも生体金属だと思うのも当然ではある。
アダマンタイトは少なくとも鬼の王国では、スパイダスという魔物の亡骸が風化し、金属となっていた。
では、ヒヒイロカネであればどうなのか。
(……まさか、な)
魔物の体が風化してようやく採取できるアダマンタイト。であれば、ヒヒイロカネがどうなのかと考えると、ありえないことではあるけれど、ひとつの考えが浮かぶ。
加えて言えば、アダマンタイトの真実を知ったときに、母さんが「この世界は残酷だ」と言っていたことを踏まえると、その考えが答えであるように思えてならない。
その答えを証明するように、あの疑似太陽を初めて見たとき、プロキオンが睨み付けるようにして眺めていたことが不意に蘇ってくる。
(あれはもしかして、ヒヒイロカネの「原料」に気づいたから、なのか?)
プロキオンは鼻が利く。いや、鼻が利くだけじゃありえないか。
あの子がアンデッドであるからこそなのかもしれない。
アンデッドであるからこそ、「その臭い」に敏感なのかもしれない。
自然と生唾を飲んでしまった。
ありえないと思うのに、そのありえないことが脳裏をよぎっていく。
聞くべきか、聞かぬべきか。
迷いが生じていく。
でも、その生じた迷いについて口にすることはできなかった。
というのも──。
『神子様。その答えは口にしないでくだされ』
──ベヒモス様からの念話が届いたからだ。
その言葉が意味することがなんなのかなんて考えるまでもないことだった。
『……そう言われるということは、俺が考えていた内容通りってことですか?』
『……相違ありません。アダマンタイトとヒヒイロカネはすべての点でもって対を為すのです。魔大陸にはなく聖大陸だけで採取できるように、魔大陸が魔族中心の大陸に対して、聖大陸が人族中心の大陸であるように。魔物の亡骸がアダマンタイトになるように、ヒヒイロカネは──』
『人間の亡骸が原料になる、んですか?』
『──その通り、です。正確には聖大陸に産まれ育った者の骨肉が聖銀となり、その聖銀が長い年月を経てヒヒイロカネにと進化するのです。ヒヒイロカネが赤色なのもその血肉の色ゆえになのです』
それはあまりにも惨い内容だった。
あの疑似太陽は文字通り人の命を燃やして、人々の生活を守っているということになる。人の命を形取ったものがあの疑似太陽。真実を知れば、それはあまりにも残酷すぎる。
だけど、その事実に至ったのはたぶん俺だけ。
ルクレもアリシア陛下も、アンジュたちだって気づいていない。俺以外で気づいているのはプロキオンだけだった。いや、プロキオンも「死の臭い」に気づいただけなのかもしれない。
だが、どちらにしろ、あの疑似太陽が人の亡骸を利用しているという事実は変わらない。
あまりにも悍ましい。
だけど、その悍ましさとともにこの国の人たちは生きている。
いや、ヒヒイロカネを利用している人たちは、みなかつて人だった者たちの亡骸を利用しているということになる。
それは俺だって変わらない。
いま俺が所持しているミカヅチ。そのミカヅチは以前までは魔鋼と聖銀を組み合わせて打たれた刀だった。つまり魔物と人の亡骸で造りあげられた刀を元にこの世界に現れた。
亡骸を前にして吐き気を催すほど、おセンチではない。もうそんな時期はとっくに通り過ぎている。
それでも思うことがなにもないわけじゃない。
だけど、それをこの場で口にするほど、人を捨てているわけでもない。
『……この調子だとオリハルコンもなにかしらの種族の亡骸ってことになりそうだですね』
『……その答えは我から口にするわけには参りません』
『……そう答えられるということは、そういうことですか?』
『……さて? なんのことですかな』
『そう、ですか』
ベヒモス様はあまり隠し事が得意ではないようだ。
というか、あからさますぎる。
まるで「別のナニカ」を隠すようにしているように思えた。
それがなんであるのかはわからない。
だけど、いまはベヒモス様の掌の上で踊ることしかできない。
「旦那様? どうなさいましたか?」
ルクレが首を傾げる。
なんでもないよと答えながら、疑似太陽の輝きが脳裏に蘇る。
どれほどの人の亡骸の結晶であるのか。
俺にはわからない。
あの温かかった光が、いまは悍ましい光にしか思えなかった。
その悍ましさからはいまだけは目を逸らしていたい。
ルクレの手を握る。
ルクレは首を傾げるも、すぐに嬉しそうに嗤ってくれる。
その笑顔に心の奥が温かくなるのを感じながら、あの太陽をあと何度見ることになるのだろうと、俺はぼんやりと考えながら、その場に佇んだ。
またひとつ知った世界の残酷さに思いを寄せながら、俺はただその場で佇んでいった。




