rev4-33 魔道と王道
有り様が違う。
アリシア陛下のお言葉を聞いて、真っ先に思ったのはそれでした。
神器。
私やプーレリアが選ばれた力。
絶大な力を誇るがゆえに、扱いがとてつもなく難しい武器。
それでいて、神獣様の意識が宿るがゆえに、「意思ある武具」の最上種。
神器があれば、いままでのような不自由からは解放されたも同然。
その気になれば、私の代で世界を統べることだって可能でしょう。
神器はそれだけの力があるのですから。
もっとも、実際にやろうとしたら、他の神器、つまりは神獣様の妨害があることは間違いない。
いかに神器の担い手になったとしても、私たちの持つ「リヴァイ」だけが神器ではない以上、他の神器の担い手が現れれば抑え込まれてしまうのは目に見えている。
とはいえ、負けるわけではない。あくまでも勝てないだけ。
神器の中でも序列はあるでしょうが、それでも少し有利なくらいでしょうから、神器の担い手同士の戦いに発展したら、痛み分けがせいぜいでしょう。
もし、神器の力を頼っての他国の侵略なんて手段を用いれば、それだけで瓦解しかねないことです。
むろん、神器があるからこその抑止力もあるでしょうから、他国からの侵略を受ける可能性は非常に低くなる。神器の担い手がいなければ、神器の担い手を止めることはできないでしょうし。
リヴァイアサン様が折りを見て教えてくださっていることの中に、「神器を止めることができるのは神器だけ」という話がありました。
その話の中では、「神器を止められるのは神器だけだが、あくまでも止めることができるというだけであり、神器同士の戦いには勝敗は着かない」とも仰られていました。
さすがに大げさすぎるのではと思いましたけど、その力の一端をリアスに到着するまでの道中で、私は、いや、私たちは実感したのです。
どれほどの高位の冒険者であっても、あっさりと全滅するほどの魔物の群れを瞬く間に殲滅しえた。
あのときは魔物の群れ相手でしたが、あれがもし我が祖国を侵略せしめんとする他国の軍であったら、私は大量殺人を犯していたことでしょうね。
命が軽いことは知っています。
海賊の拠点を攻めるときや大量発生した魔物を巣ごと滅ぼすときなどの戦ではもちろん、軍事演習の際にも命は簡単に散ってしまいます。
軍事演習なんて本来であれば、絶対的に安全な状況ではあるのです。それでも、不幸が起こることは度々あります。
どれだけの体制でチェックを行おうとも、どうしても人命が喪われることは避けられないのです。
実際に命のやり取りを行う戦場では、もっとたやすく、ごく当たり前に命が喪われていきます。
私の指示ひとつで、命が散る。
軍の総帥を兼任している現状、私の肩にはリヴァイアクス全軍の命が掛かっています。いや、軍だけじゃない。私の肩には無辜の民たちの命もまた乗っている。私が女王である限り、それは変わらないのです。
だからこそ、命が簡単に散ることを、私は誰よりも知っている。
その私であっても、神器の力はいままでの常識を否定するには十分すぎました。
ただ、一振り。
そう、たった一振り神器を振るっただけで、100を超えた魔物の大群を瞬く間に殲滅できてしまった。
あの光景は驚きもありましたが、それ以上に怖かった。
自分が手にするものが、神器であることは理解していた。
でも、その理解は完璧ではなかったのです。
私が手にするものは、神器という名の大量破壊兵器である、と。
もともと武具というものは、命を奪うためのもの。その究極型が神器だということを私は、本当のところで理解できていなかったのです。
ですが、あのとき、私はそれを理解させられました。
その結果私が感じ得たのは恐怖。そして、その恐怖と同じくらいに大きな感情でした。
それは歓喜。
命を大量に奪うことで、呼吸をするほどの手軽さで命を奪ったことで、私は初めて「命を奪う」という行為に対して高揚感を得てしまいました。
それまでは義務だったのです。
戦場で命を奪うことは、祖国を守るために必要なこと。ゆえに義務として、自身の両手を血塗らせていったのです。
ですが、あのとき、大量の魔物を殺し尽くしたとき、私は義務で血塗らせたわけではありませんでした。
むろん、生きるためにという意味合いであれば、あれはあれで義務だったでしょう。
生命というものは、基本的には他者を糧にするもの。
生きるために、他者の命を奪う。
それは生命というものが抱える命題とも言えるものでしょう。
あのときも、その命題通りに私は、魔物の大群を殲滅しました。
ですが、あのときの私は普段であれば、得ることのない快楽を得たのです。
呼吸をするような気軽さで、命が喪われていく光景。
それを為しているのが自分であるという事実。
その事実を前にして私は恐怖とともに、快楽を感じていました。
どう考えても、あのときの私はおかしかったでしょう。
命を奪うことに快楽を得るなんて、どう考えてもまともではありません。
でも、そのまともではない心理状態に私はいたのです。
もし、あのとき、魔物がもっともっと数が多かったら、私はきっと嗤っていたでしょう。
嗤いながら命を奪い続けていたでしょう。
そんな自分を容易に想像できるのです。
でも、そうはならなかった。
ならなかったのは、魔物の数があれくらいだったこと。そしてなによりも旦那様がいてくださったからです。
魔物を殲滅し終えた後、旦那様は私を休ませるという体で船室まで連れて行ってくださりました。
ですが、船室に連れ込まれてすぐ、旦那様は私をベッドに組み伏されました。
命の危機があったからこそ、と当時は思いましたが、いま思えばそれは違っていたのです。
あのときの旦那様は、私を平常の私に戻すためだけに、私を抱かれたのです。
平常時に行うことを、それもその中でとびっきりに刺激が強いことをすることで、私を異常から連れ戻されたんです。
場当たり的と言えばそうかもしれませんけど、でも、それがかえって私の治療になったのです。
旦那様には本当に頭が上がりません。
神子様だからこそ、神器の担い手が暴走する可能性を感じ取られたのでしょうか。
それとも、私だからこそ、感じ取ってくださったのか。
どちらであるのか、それともどちらでもないのか。
いまだにその話はできていません。
できていませんが、あれから私は神器の力をあまり振るうものではないということを自覚しました。
絶大すぎる力であるからこそ秘匿すべし。
そして決してその力に酔いしれぬことなかれ。
そのふたつを自戒とすることにしたのです。
だからこそ、とも言えるのですが、アリシア陛下が神器を手放したという事実に、私は驚きを隠すことはできないでいます。
秘匿するべき力であっても、その力を手放すことはできない。
たとえ、どれほどに老い衰えたところで、その力を手放すことは私にはできないことです。
そのできないことを、アリシア陛下はやってのけた。
アリシア陛下が仮の契約を、仮の担い手であったということも原因でしょうが、仮の担い手であったとしても、あの力を、命を奪う際の薄暗い快楽を忘れることなどできない。
どれだけ抑え込もうと、あの薄暗い快感まで忘れることはできない。少なくとも私にはできそうにありません。
アリシア陛下もおそらくはあの快楽を知っているはず。なのに、アリシア陛下はそれができた。その事実に私は打ちのめされたかのような衝撃を感じています。
いったいどういう精神構造をしていれば、あの快楽を忘れることができるのでしょうか。いったい、どうすれば──。
『あまり考えすぎないことだよ、我が主』
『──リヴァイアサン、様?』
──どうすればできるのだろうと思っていると、それまで黙っていたリヴァイアサン様の声が聞こえたのです。
『アリシアが兄上を手放せたのは、アリシアだからだ。彼女だからこそ、手放すことができた。そう思えばいい。少なくとも、いまの君は僕を手放すことはできないだろう』
『それはアリシア陛下の方が私よりも優れているということですか?』
『……ある意味では、そうだね。彼女は神器を用いて、彼女が求めるものをを得て、そして守ってきた。決して神器に頼ったわけじゃない。彼女は神器を自身の理想を叶えるために道具として用いた。だが、決して手放せない必要なものとしては見ていなかった』
『……逆に私は、神器を手放せない必要なものとして見ていると? つまり、用いるのではなく、頼っている、と?』
『現段階ではそうだね。そういう意味合いであれば、アリシアは君よりも優れていると言えるだろう。それは我が主、君も理解していることではないかな?』
ぐうの音も出ない。
まさにいまの私の心情がそれでした。
なにも言い返すことはできないほどに、なにも反論なんてできないほどに、リヴァイアサン様の言葉は事実でした。
いろんな要素が絡み合っているとはいえ、私は「リヴァイ」を手放すことはできない。同じ立場であるはずのアリシア陛下ができたことが、私にはできない。それが意味することは、私が神器の力に頼り、アリシア陛下は神器を用いていたからという違いがあるからこそ。
現時点の担い手としての優越を、あえてつけるとすれば、私よりもアリシア陛下が優れているというのは間違いのないことでした。悔しささえもわかないほどに。
『とはいえ、アリシアはあくまでも仮の担い手であり、真の担い手である君には、力の運用という意味合いではどうあっても敵わないだろう。だが、神器の担い手としては力をどれだけ引き出せることよりも、その引き出せる力をどれほどに使いこなせるかの方が重要である。その点で言えば、我が主。君はアリシアにはどうあっても敵わない。少なくとも、我が妹がいなければ、魔道に魅入られてしまっていた君ではね』
リヴァイアサン様が事実を突き付けられてくる。その事実に私はなにも言えなくなってしまいました。そんな私にリヴァイアサン様は続けられました。あまりにも辛い現実を、です。
『……もし、この場にいるのが君でなければ。もうひとりの主、プーレリアであれば、おそらくは魔道に魅入られることはなかっただろうね』
『え?』
『プーレリアは、力には溺れない。アレもまた力を得ようとしてきた。だが、その過程であれば、アレは力を得た者の責務を知っている。幼い頃からずっとそばで力を持ちし者の責務を見続けてきた。だから、その有り様をアレは誰よりも知っている。たとえ、自分がその力を得たとしても、決して呑まれることのない強さをアレは持っている。……君とは違ってね』
それは鈍器で頭を殴られたよう衝撃でした。
私とプーレリアはふたりでひとつ。
ふたり揃って初めて神器の担い手として完成する。
ですが、その片割れである彼女ができることが私にはできない。
その事実を、リヴァイアサン様本人に突き付けられた。
その衝撃は想像以上のもので、頭の中を真っ白に染め上げるには十分すぎるほどでした。
『だが、我が主よ。別に気にすることではない』
『……え?』
『君はたしかに力に振り回されそうなところはある。だが、それは我が妹がいなければの話だ。あいつがそばにいるのであれば、君は魅入られても堕ちることはない。それに、いくら君であっても、強大すぎる力を得てしまえば、すぐには使いこなすことなどできるはずもない。最初は振り回されても仕方がないよ』
『ですが、プーレリアは』
『うん。プーレリアは振り回されることはないだろう。が、アレはアレで問題があってね。力を使いこなすことはできるんだが、力を引き出すことがあまりにもへったくそで、君の半分以下しか引き出せないのさ。それこそ半分どころか、君の1割にも満たないくらいかもしれないね』
『……は?』
1割にも満たない力しか引き出せない。そのあまりにも突拍子のない言葉に、私は素っ頓狂な声を出してしまいました。さすがに実際に声に出てはいないみたいですが、場合によっては出ていたかもしれないほどに、その言葉は衝撃的なものでした。
『制御面で言えば圧勝しているが、出力に関しては見るも無惨だ。ちょうど君の裏返しという感じでね。だから、君たちはふたり揃えばちょうどいいのさ。まぁ、いつまでもその調子では少々困るが、まぁ、いまはまだ担い手になって1ヶ月かそこらなんだ。であれば、上々というところじゃないかな?』
『上々、ですか』
『うん。まぁ、最初からアリシアレベルにこなせればいいんだろうけれど、そればかりは適正というのもあるからね。それに担い手としての任期の差もある。いろいろな点を踏まえれば、君たちはよくやっている。だから、あまり気にしすぎないことだよ、我が主』
そう言うとリヴァイアサン様は「話し疲れたから寝るねぇ、おやすみー」と仰ると、通話を一方的に切られてしまいました。
残された私はどうするべきか、まったくわからなくなっていました。
ただひとつわかるとすれば、アリシア陛下にはやはり逆立ちしても敵わないという現実です。
でも、それはあくまでも現段階はですけど。
現段階の私では、どうあってもアリシア陛下には敵わないなんてことは言われるまでもなくわかっています。
でも、いつかは超えられる。
アリシア陛下も以前から仰られていました。
「ルクレはいずれ俺を超えるなぁ」と。
何年、いえ、何十年か後の私であれば、アリシア陛下を超えられる。でもそれはいますぐではない。そう仰ってくださるほどにアリシア陛下は私を買ってくださっている。そこにリヴァイアサン様も加わった。
言うなれば、今回のリヴァイアサン様のやりとりはその程度のことでした。
でも、その程度のことがいまの私にはなによりも嬉しいことでした。
「いつかがいつになるのでしょうね」
ぼそりとつい呟いた言葉。
その言葉は奇しくも誰の耳にも届くことはありません。
あ、いえ、届いたみたいです。
それもよりによってアリシア陛下ご本人にです。
なにせ、アリシア陛下ったら、とても穏やかなお顔で私を見つめておいでですもの。
いままでも何度かしか見たことのないお顔。
そのお顔の前に私はなにも言うことができませんでした。
できたのは、ただ隣にいた旦那様の腕を取り、隠れるようにして抱きつくことくらい。
旦那様としてはいきなりのことすぎたでしょう、と言いたいところなのですが、当の旦那様はなにやら達観されようなお顔で、優しく微笑まれています。
……どうやら、旦那様のお耳にも届いてしまったみたいですね。
(……本当に私は頭が上がらないお人が多すぎますね)
これはこれで前途多難と言うのでしょうか。
そんなことを考えながら、私は私のこれからを、遠い未来を幻想して小さくため息を吐きました。
魅入られてしまった魔道に背を向けて、愛するべき人たちがいる王道を見つめ続けるのでした。




