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Act1-80 霊草エリキサ その十六

「すまなかった、兄さん」


 商会に向かって歩いていると、弟であるイロコィが声を掛けてきた。


 普段の自信に満ち溢れた姿とはまるで違っている。自信を持つことは悪くない。ただイロコィの場合は、いささか自信を持ちすぎている。


 そればかりは父と一緒になって、何度も言い含めはしたのだが、いまのところ効果は出ていない。


「気にするな。弟を助けるのは、兄貴の仕事さ」


「……ありがとう、兄さん」


 イロコィは申し訳なさそうに。だが、嬉しそうに笑っていた。こういうところは、昔からなにも変わらない。


 父はイロコィについて、いろいろと危惧している。曰く、おまえの寝首を掻こうとしている、とか。あれは人の上に立つべき器ではない、とか。イロコィには聞かせられないことをよく言っている。


 だが、それもすべてはイロコィのことを考えたうえでのこと。イロコィが憎くて言っているわけではない。


 ただ父は、少々厳しすぎるきらいがある。身内だからこそ厳しくしなければならない。本当に傷ついたときには、手を差し伸べるが、それ以外では、手を差し伸べることはない。


 この世界における唯一にして、絶対の法である「弱肉強食」において、強者になってほしいからこそ、厳しくしている。


 自分も少し前までは、そのことに気付けなかったが、気づいたいまでは、父への反感はなくなっている。そもそも父の性格を考えれば、父がどういう思惑をしているのかくらいはわかったはずだ。


 しかしあまりにも父が厳しすぎたがゆえに、意味もない反感を抱くようになってしまっていた。若かったと自分でも思う。


 そしていまイロコィにも、その厳しさが直面している。イロコィにとっては、理不尽としか思えないことだろうが、その理不尽を乗り越えられずして、商売などしてはいられない。

 商売というものは、理不尽と隣り合わせなものだ。


 理屈のうえでは、どんなにこちらが正しくとも、客という金を出す側に媚びへつらわなくてはならない。さすがに度を越せば、排除できるが、たいていの客は度を越すことなど、そうそうしない。


 その理不尽と相対するためには、理不尽と真っ向からぶつかり合うためには、こちらも理不尽になれなければならない。


 だからこそ父は理不尽な指示を出す。身内だからという甘えを捨てて、理不尽な指示を出し、その理不尽に多少でも慣れさせようとしてくれる。


 本来、会長という立場の人間がすることではない。その時点で、すでに特別扱いをされている。そのことにイロコィはまだ気づいていない。まだ百年も生きていないのだから、無理もないことではある。その分自分が少しでもイロコィの支えになってあげればいい。父のフォローを自分がすればいい。血の繋がった兄弟であり、親子なのだ。それくらいのことをしても当然だろう。


「しかし、父さんが言っていた通りだったなぁ」


「ああ、あの淫ば」


 イロコィの言葉を遮るように、頭を小突いた。イロコィが痛そうに頭を抑えた。


「な、なにをするんだ」


「バカ、こんな人通りが多いところで、めったなことを言うんじゃない」


「そ、そうか。ごめん」


「それにだ。おまえ、この前も同じことを言って、やらかしたばかりなんだろう? 父さんが知ったら、大目玉だぞ?」


「……い、言わないでくれよ、兄さん」


 イロコィの顔が青白くなる。父にお小言を言われるのを想像してしまったのだろう。父の場合は、お小言というレベルではすまない。なにせ地獄の戦闘訓練をさせられることになるのだから。あの訓練を自分も何度も受けさせられたものだが、そのたびに心の中で父に罵声を浴びせたものだ。


「あの弛んだ腹で、どうしてあんな動きができるのかな?」


「……どうしてだろうなぁ」


 父は見た目とは違い、とんでもなく俊敏に動く。その父の攻撃を、半日耐えろと言うのだから、理不尽にもほどがある。


 だが、その父さえも霞むほどに、あの少女は強い。


 一目見ただけでわかった。あの少女を侮ってはいけない。


 格下と思って相対すれば、それだけで終わる。いや格上と思い、相対してもやはり同じ結果になるだろう。


 あれは少女の皮を被った怪物だ。少女の全身から漂う死臭がより一層、彼女を怪物せしめている。


 少なくとも、自分では敵わない。父とて負ける。勝てるとすれば、竜王陛下を含めた「七王」たちくらいだろう。


 彼女のそばにゴンさまもいたが、ゴンさまと言えど、勝てるとは思えない。


 それだけの実力をあの少女からは感じ取れた。そんな彼女の悪口を言うなど、殺してください、と言っているようなものだった。


 イロコィは、三回彼女と会い、そのうちの二回、その実力の片鱗に触れたはずなのに、まるで反省していなかった。勇気と蛮勇は違う。そのことをイロコィはまだわかっていない。


「イロコィ。悪いことは言わんから、あの人に対しての悪口はやめておけよ?」


「なぜだ?」


「父さんが言っていただろう? あれは少女の皮を被った怪物だ、とな。それも知恵ある怪物だ。みずからの力の振りどころを理解している。だからこそ危険だ。みずからの力の使い方を理解し、そして制御せしめている。その時点で、我々の及ぶところではない。だから下手な挑発はやめておけ。むしろあれはいい取引相手となるだろうさ」


 イロコィが一度目に会ったときに、魔物の素材の卸し値をまったく譲歩しなかった。


 その際の反応で、イロコィはたやすい相手だと思い込んでしまったのだろうが、こうしてあの少女と実際に顔を合せてみると、そのときのイロコィの対応は、明らかに悪手だ。


 下手をすれば、いまごろイロコィは墓の下にいた可能性が高い。


 それもイロコィを手に掛けたことを、まったく悟らせないようにするだろう。


 どうするのかまでは、見当もつかないが、あの少女であれば、平然とそれくらいのことはやってのける。やはり怒らせるべき相手ではない。


 加えて、あれだけイロコィがやらかしたというのに、きっちりと利益を出している。


 従来の卸し値の半額というレベルであるのにも関わらず、利益を出している。


 その時点であの少女の才覚がわかる。潰そうとして、潰せる相手ではない。


 できるかできないかで言えばできる。しかし犠牲もその分多くなる。それも目を覆いたくなるような犠牲が出るだろう。


 だが、あちらが潰れ切る前に、あの少女は自分と父を殺しに来るだろう。それもなんの策も使わずに、真正面から殺しに来る。


 どれだけの手練れを集めても、すべて討たれる。そうなる光景がはっきりと思い浮かんでしまう。


 あちらにしてみれば、自分と父さえ討てれば勝ちだ。


 大将首を取れば勝ち。


 それは古来より変わることがない、絶対にして、最大の勝利。だが、それはこちらとてわかっていることだ。


 だからこそ、防備を敷くわけだが、あれの前では、どんな防備さえ無意味だろう。


 竜王陛下にでもいてもらわなければ、防備たりえないだろう。唯一あの少女に効果がある防備があるとすればひとつだけ。


 しかしそれは同時に諸刃の剣でもある。下手をすれば、命はない。だからこそ、最高の効果がある一手になりえる。


「あの人魔族の少女を利用すればいいだけだと思うんだがな」


「……それはそうだが、同時に災厄を招くことになりかねん」


「大げさすぎるよ、兄さん」


「大げさなものか」


 あの少女を見ただけで、体が震えた。対峙したくない。敵対したくないと思わせる相手と喧嘩なんてしてたまるものか。それをまだイロコィは理解していないのだろう。


「いいか、イロコィ。あの人魔族の少女には手を出すなよ。下手をすれば、おまえどころか、俺と父さんの首も物理的に飛ぶことになる」


「さすがにそんなことはできるはずが」


「できると考えておけ。常に想定は最悪を意識するんだ」


「……わかった」


 イロコィは納得していなさそうだ。しかしこればかりは納得させるしかなかった。


「あと四日。できれば、見つけてほしいものだ」


 こちらが圧倒的に優位な立場であるはずなのに、あの人魔族の少女のおかげで、爆弾を抱えることになってしまった。


 できれば爆弾を抱えたくはない。このまますんなりとエリキサが見つかってくれればいい。デイビッドは、ため息を吐きながら、商会へと向かって歩いて行った。

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