rev4-32 愛されし王
「──ってのが、まぁ、俺の半生ってところかね?」
手の中にある杯を転がすのを止めると、アリシア陛下は杯を呷り、ゆっくりと傾けられました。
流れや言動を踏まえると、これでお話はおしまいってことなのでしょう。
神器である「ベリアレクス」との出会いから始まった陛下の即位のお話。
王族ではあったものの、傍流であったがゆえに、王位継承権なんてものはない。いわゆる木っ端貴族の少女でしかなかった頃の話は、まるで物語かなにかのようにありえないとしか言いようのない、それこそ奇跡的なサクセスストーリーと言うべきものでした。
そんなサクセスストーリーの根幹を担ったのが、神器「ベリアレクス」──つまりは土の神獣であらせられるベヒモス様。
ベヒモス様との出会いがなければ、いまこの場にアリシア陛下はおられなかったでしょう。仮におられたとしても、「陛下」としてではなく、別の立場としてだったのは想像に難くありません。
「おばーちゃんへーか、すごくうんがよかったの」
ベティちゃんもまたお話の概要は理解されていたようで、しみじみとした様子で頷いていますね。それはもちろん、一緒にいるプロキオンちゃんも同じです。プロキオンちゃんははっきりと「奇跡だよね」と頷いていますし。
奇跡。
プロキオンちゃんの言う通り、アリシア陛下のいまは奇跡が起きたからこそとしか言いようがないでしょう。
仮に、かつての陛下と同じような立場の少女がいたとしても、同じように王位継承者になれるわけがありませんからね。
どう考えても運がよかったのです。それも奇跡的なほどに。
とはいえ、奇跡を呼び起こした要因もある。
たとえば、前国王陛下がベヒモス様にアリシア陛下の話をされていたことだったり、アリシア陛下ご自身の行動力があったことだったりといろいろとありますけど、一番の要因はアリシア陛下ご自身に神器の担い手としての器があったということ。
もし、それほどの器がなければ、アリシア陛下が即位されることはなかったでしょう。いや、そのほかのことだって、なにかひとつでも欠けていたら、いまという結果を得ることは叶わなかったはずです。
すべてが奇跡的なかみ合いを見せたことにより、アリシア陛下のいまがある。その根幹を為したのはやはり「ベリアレクス」以外にはありえないでしょう。
「そういえば、アリシア陛下」
「あん?」
「いまも「ベリアレクス」をお持ちなんですか?」
ルクレティア陛下しかり、プーレリア陛下しかり、神器の担い手は皆さん、神器を常に携帯されています。ぶっちゃけると、それが当然なんですけど、一見したところ、アリシア陛下は神器らしきものを携帯されていません。
ですが、担い手ということは、当然神器である「ベリアレクス」をいまもお持ちのはずです。
いまは携帯されていないだけなのでしょうか。それとも「ベリアレクス」とは、大地を創ったとされる伝説の神拳は、身につけても目立たないほどのものなのでしょうか。好奇心はつきません。
「「ベリアレクス」ならねえよ」
「あぁ、お城にあるのですか」
私の好奇心を感じ取られたようで、アリシア陛下はおかしそうに笑われました。内容としては少々残念でしたが、この場にないのであれば──。
「ちげえよ。城にもねえさ。そもそも俺はもう「ベリアレクス」は手放しているからな」
「──え?」
──後学のために、後ほど見せていただければいいなぁと思っていました。ですが、そんな私の希望を粉々に打ち砕かんとばかりに、アリシア陛下が答えられたのは思いもしない内容でした。
「手放している、ですか?」
「おう。俺はもう「ベリアレクス」なんざ持っちゃいねえのさ。だから、見せらんねえんだわ、悪いな」
それはあまりにも想定外なものでした。
神器の担い手であるアリシア陛下。
その担い手がまさかの神器を手放しているという現実は、想像を絶するとしか言いようがありません。
ですが、当のご本人はのほほんとしているというか、平然としていると言いますか。まぁ、超然とされておいでですね、はい。いったい、ぜったいどういう精神構造をしていれば、そこまでの態度が取れるのかをご指南していただきたいくらいです。
「いやいやいや! え? じ、神器ですよ? 神器を手放したって。え? ほ、本当ですか?」
あまりにもありえないお言葉に、目を白黒とさせる私。そんな私を見てもアリシア陛下は大して気になされていない様子で、「おう、本当だぜ」と答えられてしまうのです。
そのあまりにもあんまりな返答に、空いた口が塞がらなくなりました。アリシア陛下は「……人の口ってここまで大きく開くもんなんだなぁ」と興味深そうなお顔をしつつ、おつまみのひとつであったナッツ類を私の口の中に放り込まれていますし。
むぅ、絶妙な塩加減。おいしい──じゃなくて!
「なんで、神器なんてとんでもアイテムを手放しちゃうんですか!? 普通手放さないと思うんですけど!?」
口をもぐもぐとさせつつ、アリシア陛下に向かって顔を突き出すと、アリシア陛下はおかしそうに笑われました。
「だって、もういらなかったしなぁ」
「いらない!? 神器が!?」
「おう。もう必要がなかった。だから爺さんに返したのさ」
アリシア陛下はベヒモス様を見つめながら、「だよな?」と尋ねられました。ベヒモス様は「相違ない」と答えられると、ようやく最初の一杯を飲み干されました。まだ最初の一杯を飲んだだけでしたが、すでにベヒモス様のお顔はほんのりと赤く染まっておりました。
見目だけで言えば、ベヒモス様はお酒が強そうな雰囲気はあるのです。
もっとも、その見目というのもあくまでもお顔立ちという意味ですけどね。お顔立ちを見ると、ベヒモス様はアリシア陛下やルリさん同様にざるな感じがします。
ですが、いまのお体だとお酒は少々刺激が強すぎるのかもしれません。飲まれたのはいいですが、若干咳き込んでおられますし。無理をして飲まれたようにしか思えません。
「我が主。あまりご無理は」
「……大丈夫だ、アスラン。これで終わりにしておくのでな」
「左様ですか。でしたらよろしいのですが」
世話役であるアスランさんもベヒモス様を制止されましたが、当のベヒモス様はいまので終わりだと仰りました。実際、それ以上お酒を飲めそうには見えない。ベヒモス様もご自身で理解されておられるようです。
それでも幾ばくの不安はありますが、それもアスランさんが口にされましたので、私からわざわざ言うこともないでしょう。
「……アリシアが言うた通り、すでにアリシアは担い手ではなくなっておる。とはいえ、その資格がなくなったわけではない。単純に加齢が進みすぎておったから、返納してもらっただけじゃよ」
軽く咳き込みながら、ベヒモス様が仰られたのは、なんとも言えない内容でした。
「えっと、神器って年齢制限あるんですか?」
「別にそういうわけではない。そういうわけではないが、冒険者という者たちもある程度年齢を重ねると、体がまともに動かなくなるものであろう? 人、いや、生命というものはみなすべからく歳を取るものだ。歳を取れば体が不自由になるのも当然のこと。それは担い手とて変わらぬ。むしろ、絶大な神器を振るうとあれば、体をまともに動かせぬものでは難しい。ゆえにアリシアには「ベリアレクス」を返納してもらった。それだけのことよ」
「なるほど。でも、そうなるとルクレティア陛下やプーレリア陛下もいずれは返納されるということですかね?」
「ルクレティアたちはまた別だな。彼女たちは真の担い手であるからのぅ。すでに寿命という問題からは解放されておる。よって加齢という問題は彼女たちには関係がない」
「……なるほど」
考えてみれば、アリシア陛下は仮契約しかできなかったという話でしたし、本契約、つまり真の担い手であるルクレティア陛下たちとは、同じ担い手であっても様々な部分で違いがあるというのは十分考えられることでした。
「まぁ、そういうわけで俺はもう担い手じゃねえのさ」
再び杯を呷られながら、アリシア陛下が仰いました。そのお顔はどこか寂しそうでもありますが、それ以上に清々しい笑みが浮かんでいました。
「あの、陛下」
「うん?」
「なんで、そんな清々しそうなお顔を? 神器を手放されてしまっておられ、もう後ろ盾もなければ、切り札もなくなっておられるのに」
「……そうだねぇ。たしかに神器を手放した以上は、俺にはもういまの地位くらいしかねえ。だが、確たるものがなくなったっても、それで全部おしまいってわけじゃねえ。ココに残っているものもあるだろう? ココに残っているもんがあるのであれば、それが俺の新しい武器だ。だから、もう「ベリアレクス」はいらなかったってわけさ」
アリシア陛下は笑っていました。
その笑みは決して無理をしているという風には見えません。
本心からの言葉。
アリシア陛下にとって、「ベリアレクス」はかつて必要不可欠だった。でも、もういまのアリシア陛下には必要ではなくなった。
だからと言って、「ベリアレクス」がいらないというわけじゃない。「ベリアレクス」があったからこそ得られたものもあるし、守ってこられたものもある。それは今後も同じはず。
それでも、あえて「ベリアレクス」を手放されたのは、その得られたものを守る役目はすでにご自分ではなくなっているということなのかもしれません。
すでにアリシア陛下の代わりに、得られたものを守る人はいるけれど、その人ないしその人たちにとって「ベリアレクス」は必要ではないということなのでしょう。それもまた信じられない話ではありますけどね。
ですが、実際にアリシア陛下が「ベリアレクス」を手放されたのは事実です。それが意味することが単なる加齢だけではない。私にはそう思えてなりません。
あと返納の理由があるとすれば、それは「ベリアレクス」がなくても、得られたものがなくなるわけじゃないということもあるのかもしれません。
実際にはどうなのかまでは私にはわかりません。わかりませんが、陛下のお話を聞く限りはそうなんでしょうとしか思えなかった。
「というか、もう俺の話はいいだろう? それよりも、ルクレが神器の担い手になった話を改めて聞きたいねぇ。ってわけで、肴として話せ、ルクレ」
「いきなりすぎませんか?」
「そうか? まぁ、いいじゃねえか。ってわけで、話せ」
「……はぁ、本当にアリシア陛下は」
小さくため息を吐かれるルクレティア陛下。ですが、そのお顔はとても優しげに笑われていました。
口汚いところはあるものの、なんだかんだとアリシア陛下は好かれていますね。ルクレティア陛下だけではなく、この場にいる全員、いえ、この国に住まう民たちもまたきっとアリシア陛下の有り様を誰もが愛されているのかもしれません。
ただ傅かれるだけの王ではなく、愛される王。たとえ何十万、何百万という民を抱える超大国の王であっても、傅かれるだけの王よりも、わずか数百の民でも国民すべてに愛されている王の方が、はるかに偉大なことなのかもしれません。
もちろん、対外的に見れば、何百万の国の王の方が偉大でしょう。でも、私にしてみれば、数百の民でも国民すべてに愛される王の方がいいと思うのです。
そしてアリシア陛下はそういう王様でした。
こういう王様の国に産まれるのもよかったかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながら、私はアリシア陛下を見遣りました。
どこまでも自然体でありながら、豪快に笑い続ける。女傑という言葉を体現する老いた女王陛下を私はいままで以上に崇拝するようにして見つめ続けたのでした。




