rev4-30 やけ酒
イリアから折檻を受けるアンジュ。
折檻と言っても、後ろから羽交い締めにあっているだけだ。もっとも羽交い締めにしては腕を抱えこむ力が強すぎる気がしてならないが。あれじゃ新手の関節技だと思う。
おかげでアンジュはさっきから涙ながらに「痛い」を連呼しているんだが、そのアンジュの訴えをイリアは完全に無視していた。無視するどころか、アンジュの痛がる姿を見て嗤ってさえいる。
まるでアイリス時代に戻ったかのようだった。高笑いするイリアを見つめながらそう思わずにはいられなかった。最近のイリアはストレスが溜まっていたみたいだったし、アンジュには悪いとは思うけど、そのままイリアのストレス解消に付き合ってあげてほしいものだ。
アンジュという尊い犠牲はあったが、その甲斐はあったと思う。
アリシア陛下とベヒモス様から神器についての話を聞くことができているのだから。
その話の最中にアンジュがいつも通りに失言を口にしてしまったがゆえに、アンジュはその責をみずからの体で支払っている。……南無と密かに合掌しつつ、俺は改めてアリシア陛下を見遣る。
アリシア陛下は取り出したばかりの酒壺を傾けて、杯になみなみと酒を注がれている。すでにお顔は赤い。だが、アリシア陛下は酒を飲むのをやめるつもりはなさそうだった。……やけ酒をしているように思えるのは気のせいだろうか。
「アリシア陛下。やけ酒のようになっていますから、そろそろ」
「なんだい? やけ酒はダメってかい?」
「え?」
アリシア陛下を制止しようと声をかけると、アリシア陛下からは不思議なことを言われてしまった。やけ酒。俺はやけ酒のように飲まれているからと止めただけ。しかしアリシア陛下はやけ酒のどこがダメなのかと尋ねられるようだった。
それはつまり、アリシアはご自分でいまの状態がやけ酒であると認められたということだった。実際、アリシアの陛下の飲み方は誰がどう見てもやけ酒にしか見えなかった。見えないのだけど、そもそも、どうしてアリシア陛下がやけ酒なんてされているのだろうか。
ベヒモス様を除けば、この国で最も地位の高い人物である陛下が、どうしてやけ酒をしてしまうのか。
ベヒモス様の体調が原因?
いや、それだったら、もっとベヒモス様に絡みそうなものだけど、いまのところアリシア陛下はベヒモス様に絡む様子はない。やはり事情がいまいち飲み込めない。いったいどういうことなのだろう。
「アリシア陛下。やけ酒を嗜まれているのは」
「そうでもしないとやってらんねえだろうが」
そう言って杯を一気に呷る陛下。ルリと同等のうわばみとはいえ、いくらなんでも飲みすぎだし、ペースが早すぎた。
だけど、指摘しようにもアリシア陛下のペースは落ちない。それどころか、よりペースを早められていく。これ以上はさすがに見過ごすことはできない。俺はアリシア陛下の手から酒を奪おうとしたが──。
「おばーちゃんへーか」
──それよりも早くベティがじっとアリシア陛下に声をかけた。陛下は「……なんだい?」と酒を飲む手を止められた。そんな陛下にベティは──。
「おさけをのみすぎはダメなの。おさけはたのしくのむもんだって、コサージュ村のおじーちゃんたちがいっていたの。でも、いまのおばーちゃんへーかはたのしんでいないの。だから、もうのんじゃダメなの」
──鼻を鳴らしながらアリシア陛下の前に両手を差し出したんだ。それは誰が見ても酒をよこせというポーズだった。ベティの言動にアリシア陛下は一瞬きょとんとされたが、すぐに破顔し笑われた。
「かかか! たしかに、たしかに。酒ってのは楽しんで飲むもんだなぁ。楽しむことができねえ酒は飲むもんじゃねえ。ベティちゃんの言うとおりだが、まさか一滴も飲んだことがねえ子供に正論をぶちかまされるなんざ思ってもいなかったぜ」
アリシア陛下はおかしそうに、痛快だと言わんばかりに膝を叩きながら笑われている。対するベティはなんでアリシア陛下が笑っておいでなのかを理解できていないようで、さっきまでのアリシア陛下のようにきょとんと首を傾げていた。
そんなベティを見てアリシア陛下はよりおかしそうに笑いながら、その手にある酒をベティにと手渡された。
「ほら、受け取ってくんな、ベティちゃん。これで俺は酒が飲めなくなるからよ」
「ばぅ。たしかにうけとったの」
アリシア陛下から渡された酒の詰まった壺をどうにか受け取りながら、ベティは満足げに頷いていた。もっとも若干足取りがおかしい。酒壺はベティにとっては重くはないだろうが、それでもそれなりには大きい。
その大きさゆえに、バランスをうまく取れないでいるようで、ベティはあからさまに妖しい足取りをしているものの、その姿もアリシア陛下には愛らしく映っているようで、その顔はとても穏やかなものになっていた。
そんなベティの姿に今度はルクレが慌てはじめる。ベティの動きに合わせてあっちにふらふら、こっちにふらふらとベティを抱き留めるべく、ベティの後を追いかけていた。実に微笑ましい光景だった。
「……微笑ましい光景だな。なぁ、爺さん?」
「あぁ、そうさなぁ」
陛下とベヒモス様はベティとルクレの姿を見て、口元をほころばせていた。綻ばせながらも、その目にはやるせなさと言うべきか、思い通りにいかない現実に対して、なんとも言えない感情が宿っているように思えた。その感情がどういうものなのかは俺にはわからないが。
「神器だ担い手だと言っても、この手に余るものまでは救えねえなぁ」
「そうさなぁ。どれだけの力を持ったところで、救えぬものはどうしてもいるものだからのぅ」
おふたりが告げる言葉。その意味がなんであるのかは見えない。見えないが、俺にもおふたりの言うことはなんとなく理解できる。
どれだけ強くなろうと、どれだけの力を誇ろうとも、大切な人ひとりも守れないなんてことはざらにある。それをこの世界に来て、俺はどれほどに痛感させられてきただろうか。
おふたりは俺よりももっとはるかにその経験をしてきたんだろう。
経験から得た痛みをどれほどまでに味わってきたのだろうか。
俺にはわからない。
わかるのは、ただ俺の経験なんておふたりにとっては序の口程度だろうってこと。
その程度しか知らない俺がおふたりに対してわかったような口を利くことは憚れた。
それでも、いまは話を聞くほかない。
特に「神器の力」についての説明をもっと克明に話して欲しい。
その想いは視線に乗っていたのか、アリシア陛下は小さくため息を吐かれると、力についての話の続きをしてくださった。
「中断しちまっていたが、とにかく、「ベリアレクス」が持つ力。それはありとあらゆもの。まさに万物を固定化させてしまう。動物だろうと魔物だろうと作物だろうと、そして人だろうと。ありとあらゆるものを自在に固定化させる。その力を以て、俺は痩せこけた領地への改良に手を出したのさ」
再び遠くを眺めながら、アリシア陛下はかつてへにと思いを馳せながら、そのことをゆっくりと話してくれたのだった。




