rev4-29 イリアの怒り
「──まぁ、それからはトントン拍子だったわな」
杯を片手で転がしながら、アリシア陛下の視線は手の中の杯に注がれていました。
でも、視線を注いでもその目は杯を見ているようには思えなかった。
むしろ、その杯を通して別のなにかを眺めているように思えます。それがなんであるのかはわからない。
なんとなく想像はできるのだけど、できるのは想像まで。
それ以上のことは、実際のことはなにもわかりません。
アリシア陛下もなにをお考えなのかは口にされないまま、手の中の杯を傾けてその中身であるお酒をゆっくりと流し込まれる。皺の多い頬はわずかに朱色に染まっていく様は、どことなく哀愁を感じさせられるものでした。
「「ベリアレクス」の力を使って、俺は痩せ衰えた領地を改良していったよ」
「改良、ですか?」
「正確に言えば、改良っていうか、固定化させたという方が正しいか。なぁ?」
ちらりとベヒモス様を見やるアリシア陛下。その視線を浴びながらベヒモス様は「うむ」と小さく頷かれながら、その手の杯をわずかに傾けられました。
「「ベリアレクス」の力はあらゆるものを固定化させることじゃからのぅ」
「どういうことでしょうか?」
「そのままの意味ですが?」
誰もが思った疑問を真っ先に口にしたのはレンさんでした。
その疑問を受け、ベヒモス様は怪訝そうな顔をされながら、ルクレティア陛下を、その手にあるリヴァイを見つめられました。
「……七のよ。もしや力をまだ見せておらんのか」
『ん? あぁ、そういえば、まだだったかな?』
「まだだったかな、ではないわ。まったく、そなたと来たら」
『はいはい、悪かった、悪かったですよーだ』
「まったく、手の掛かる妹じゃのぅ」
やれやれとため息を吐かれるベヒモス様。その対面側におられるアリシア陛下はさもありなんと言わんばかりに神妙に頷かれていました。
「まぁ、なんとなくだが、リヴァイアサン様はお力を見せておられないと思っていたぜ。爺さんはそう思わなかったんか?」
「さすがに、仮初めではなく、本契約をしている以上、力は見せているないし知らせていると思っておったのじゃよ。まさか、それさえもしていないと思うわけがあるか」
「……あぁ、まぁ、そうさなぁ。仮契約だった俺相手でも爺さんは説明してくれたし。本契約しているってんなんら、ルクレには説明しているとは思うわな。ルクレに説明したんなら、ルクレ自身が神子サマたちに話すだろうしなぁ」
空になった杯に再びお酒を注がれるアリシア陛下。注ぎ終わると同時に中身もなくなったみたいで、ひっくり返しながら壺の中を覗かれています。
ですが、ひっくり返しても滴る程度のものしか中にはなかったから、舌打ちとともにアリシア陛下はアイテムボックスから新しいお酒を取り出されました。……どれだけ飲むおつもりなのでしょうか、この方は?
「なんだい? アンジュ殿も一杯──」
「──ダメです。この人酒乱ですから、飲んだら大変なことになります。具体的には襲ってきますので、主に私を」
少々あけすけすぎたのでしょうか。アリシア陛下は私の視線に気づくとおかしそうに笑いながら、取り出されたお酒を片手に私を手招きするではありません。
さすがに女王陛下からのお誘いを無碍にするのはいろいろと後が怖い。さすがに国際問題大好き某女王様とは違って、アリシア陛下であれば、そんな暴挙はしないと思いますが、念には念を入れるべきでしょう。
「では一杯だけ」と言おうとしたのですが、それよりも早くイリアさんが私を羽交い締めにするようにして抑え込まれたのです。
「うん? なんだ、アンジュ殿は酒乱なのかい? アイリス姫」
「……せめての「二の姫」でお願いできませんか?」
「考えておく。で? アンジュ殿は酒に酔うとあんたを襲っちまうってのは、本当かい? アイリス姫」
にやにやと笑いつつ、イリアさんに尋ねられるアリシア陛下。イリアさんは大きくため息を吐きつつも、静かに頷かれました。
というか、イリアさんのご本名って「アイリス」って言うんですね。あれ? そういえば、イリアさんとプロキオンちゃんの講義の中で、「ルシフェニア」にアイリスという王女様がおられたような。……あれ? もしかしてイリアさんって、やっぱりやんごとなきお方なんですかね?
イリアさんの正体についての疑問は顔に出ていたのでしょうか。アリシア陛下は「ん? そうだぜ? あんたを羽交い締めにしているのは、なにを隠そう。大国「ルシフェニア」における「二の姫」であるアイリス王女サマさ」
かかかと笑うアリシア陛下。恐る恐ると振り返るとイリアさんは仮面で隠されていますけど、雰囲気からして非常に苦々しそうな感じです。反応を見る限り、イリアさんがアイリス姫様であることは確定の模様ですね。
……本当にレンさんのところってどういうパーティー構成しているんですかね?
「才媛」と謳われたお尋ね者、かつての神獣様に続いて、大国のお姫様って。どういう繋がりがあればこんなトンデモパーティーができるんだか。
「……私のことはどうでもよろしいでしょう? それよりも陛下。神器の力というのはどうういことでしょうか? 神器というのは絶大な力を誇る兵器というのが私の持つイメージだったのですが」
イリアさんは咳払いをしてから話題を戻されました。かなり露骨というか、本当に触れて欲しくないんだなぁというのがよくわかりますね。
イリアさんの反応にアリシア陛下も「そうさな」と頷かれながら、またベヒモス様を見つめられました。ベヒモス様は杯をわずかに傾けつつも、「好きにせい」とだけ言われました。アリシア陛下は「わかった」と仰ると、話題は再び神器についてのものとなったのです。
「二の姫よ。おまえさんの言う通り、神器ってのは絶大な力を誇る兵器であることはたしかだ。だが、それは神器の一面でしかない。本来神器の役目ってのはただ敵を殲滅するものじゃあねえ。世界を造り替えることさえ可能となる道具ってとこかね?」
「そうだろう?」とまたベヒモス様に尋ねられるアリシア陛下。ベヒモス様は「相違ない」とだけ仰いましたが、そのやり取りはあまりにもとんでもないものでした。
「世界を造り替える、ですか?」
アリシア陛下たちのやり取りに、今度はルクレティア陛下がありえないとその顔に書きながら驚いた顔をされていました。無理もありません。私も同じ気持ちですし。それはレンさんも同じようでしたが、イリアさんは「……そういうことですか」となぜか納得された模様でした。
「まぁ、世界を造り替えるっつっても、神器ひとつじゃ無理だ。すべての神器を揃えたうえでようやく世界を再創造する力を得られるのさ。そして「ベリアレクス」の力は、万物を固定化させるってものさ」
「万物を、固定化?」
アリシア陛下のお話はあまりにもスケールが大きすぎるうえに、大雑把なところもあってうまく飲み込むことができませんでした。そんな私の様子にアリシア陛下は「まぁ、そうだろうねぇ」と喉の奥を鳴らすようにして笑われました。
「さすがに大雑把すぎたわな。だが、そう言うしかねえんだわ、これがな」
「ご説明お願いできますか?」
「説明って言っても、いま言ったとおりの内容なんだよ。まぁ、具体的に言うと、そうさね。いまあんたと二の姫が体をくっつけているだろう? それを永続化させられると言えばわかるかな?」
「……へ?」
陛下のお言葉はまたもとんでもないものでした。
いま私はイリアさんに後ろから羽交い締めになっています。ですが、それはあくまで一時的なもの。ですが、「ベリアレクス」の力を使えば、この状態を永続化できるということでした。永続化ということは、一生このままということ。それってつまり──。
「このツンデレ巨乳仮面さんと一生くっついたまま? うわ」
「は? なに、その、「うわ」って? は? 「うわ」ってこっちのセリフなんですけど? それを「うわ」? は? なに、どういうこと? え? 喧嘩売っている? 売っていますよね? 無乳ロリコン女さん?」
──この面倒くさい人と一生くっついたままなんて嫌だわぁと思っていたんですが、またもや私の口が滑ってしまった模様です。当然すぐ後ろにいるイリアさんにその言葉は聞かれました。そして返ってきたのは、怒りの声ですね。……心なしか、私を羽交い締めにする腕に力が込めれて──ちょっと、待った! 痛い痛い痛いぃ!?
「痛い痛い痛い! 痛いですよぉぉぉ、イリアさぁぁぁぁん!?」
「あらあら、痛いですか? でも、私は全然ちっともこれぽっちも痛くありませんので、もう少し力を強めさせていただきますね?」
「なんでぇぇぇぇ!?」
「うん? だって私はあまり力を込めていないんです。でも、それを痛いと言われてしまった。けれど、いまの力が強くないということを知ってもらうには、力をより込めればいい。だって力をより込めれば、いままでは力を込めてなかったのだとわかるじゃないですか。なので力を込めますね。だ・か・ら、せいぜいいい声で啼きなさいな?」
途中まではそれこそ恋に恋する乙女というか、とっても熱に浮かれていたのに、最後は急転直下。背筋が震えるようなとっても冷たい声でした。背筋をたらりと汗が伝っていくのがわかりました。そしてそれから始まる折檻。もとい、剛力の羽交い締め。なんだか鳴っちゃいけない類いの音が腕から鳴っているんですけど!?
「おかしい! おかしいです! その理論はとってもおかしいですぅぅぅ!」
私は痛みに喘ぎつつ、イリアさんを制止しようとしますけど、イリアさんはやめてくれません。それどころか、「うふふふ」と笑いながらどんどんと私を締め上げていきます。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁ!」
「ふふふ、ははは、あはははははは!」
私の悲鳴とともにイリアさんの高笑いが響く。その様子にレンさんが「あー、アイリス時代に戻ってらぁ」となにかを呟きましたが、鳴ってはいけない音とともに生じる激痛に苛まされていた私には、その声はちっとも聞こえなかったのです。
そうして私はしばらくの間、イリアさんからの折檻を受けることになってしまったのでした。




