rev4-28 仮の担い手
嫌な話だ。
というか、思い出したくもない話だった。
あの頃の、爺さんと出会ったばかりの頃のことなんざ、思い出したくもない。
だけど、あの出会いがあったからこそ、いまの俺がいるのも事実だった。
当時の俺は、爺さんが言う通りにクソガキではあった。
クソガキになるしかなかった。
当時の俺には後ろ盾なんてものはなかったんだ。
父上や母上は爺さんと出会った頃には、流行病で亡くなっていた。
爺さんに会ったのは両親を喪ってすぐの頃で、ちょうど荒れていた時期だった。
頼れる大人は周りには誰もいない。それどころか、まだ成人前の小娘に頼り切りになる大人しかいなかった。
その連中も俺が一応の王族だからという理由で頼っていただけ。俺に心酔している奴はひとりもいなかった。
それどころか、俺を足がかりにして、有力な他の王族ないし諸侯に仕えることばかり考えている連中だった。
そんな奴らを頼ることなんざできない。
かといって、両親を喪ったばかりの小娘に領地の経営なんざできるわけもない。
できたとしても、後ろ盾になる存在や相談できる相手は絶対に必要だった。
だが、当時の俺にはどちらもいなくて、父上が残した書類等を毎晩遅くまで読み直して、少しずつ知識を蓄積しながら、領地の経営を行っていた頃だ。
それでも曲がりなりに領主としての仕事は行っていた。ただ、それもあの暴れ河の被害を受けるまでだったが。
俺なりに暴れ河の対処をしていたとは思っていた。父上の書類を読んで、まず間違いない対処をしていたんだ。
だが、その対処なんざあの河の前には何の意味もなかった。
というのも、当時の氾濫は例年以上だったんだ。
例年であれば、せいぜい麓の森くらいまでしか氾濫していなかったのに、その年に限って街の入り口近くまであの河は氾濫してくれた。歴史上類を見ないほどの大氾濫が、俺が父上の跡を継いですぐに起きてしまった。
その結果は無惨としか言いようがなかった。
父上や、その前の領主、いや、それ以上前の領主たちが連綿と受け継ぎ、造りあげていった農園や牧草地などがすべてきれいさっぱりに洗い流されてしまっていた。
作物や農牧のための堆肥などもすべてがきれいさっぱりになくなり、広大な空き地がそこにはあった。
唯一あったのは、まるで絨毯をひっくり返したかのように、きれいに裏返しになっている地衣くらいか。それだけが農園がそこにあったという証拠だった。
その光景は俺の心を折るには十分すぎた。
曲がりなりに領地の経営をどうにか行い、領民たちの明日を守ろうとしていたのに。そんな小娘の小さな誇りさえも、あのくそったれな暴れ河はすべて流してしまったんだ。
誰かが言った。
「この領地はもう終わりだ」と。
それが切っ掛けになったのか。それとも別の理由かはわからないが、領民たちは日に日に減っていった。
ある者は親戚を頼りに、ある者は別の領地への出稼ぎにと。
様々な理由ではあったが、領民は少しずつ減っていった。
不幸中の幸いだったのは、税はすでに国に払った後だったということ。
もし、税を払う前にあれが起きていたら、今頃どうなっていたのやら。
まぁ、とにかく。
当時の俺には絶望しかなかったわけだ。
希望なんてものはどこにもない。
頼れる者も相談ができる者もいない。
翌年の税収にはまったく期待できない。
かといって家の金で賄えるものでもない。
というか、その金でどうにか状況の打破を行うしかなかった。
でも、その打破をどうすればいいのかもわからない。
八方塞がりとでも言うべき状況だった。
だからだろうな。
当時の俺は荒れてしまった。
それまでは、一応王族の子女ということもあって、ルクレみたいなお淑やかな振る舞いをしていた。というか、それが素だったんだ。
だが、あまりにも厳しすぎる現実の前に、お淑やかなんてものはどこかに吹き飛んでしまった。
唯一、名残があったのは当時の服くらいか。
いまであれば、男物のフーハンなんざ着ているが、当時は女物のフーハンを身につけていた。しかもそれなりに上等のものだったが、当時の状況で上等な服を身につけていても、かえってみすぼらしくなってしまっていた。
それでも、その服は父上と母上が用意してくれたものだった。ふたりが遺してくれた思い出のものだった。その服だけが俺には愛してくれていた人たちがいたという証だったんだ。
だから、どれだけ荒れても服だけは、父上たちが生きていた頃のままだった。
けれど、同時に「まだ生きてなきゃいけないのか」という想いはずっとあった。
絶望しかない状況で、「なんで生きていなきゃいけないのか」と当時の俺は思っていた。
それこそ、いますぐにでも死にたいとさえも。
死ねば、最愛の両親に会える。
でも、自死はできなかった。
いや、する度胸がなくて、ただ鬱屈とした日々を過ごしていた。
そんなある日のことだ。
たまたま家の厩の前をふらりと通りかかったんだ。
厩には父上が生前乗っていた馬がいた。
馬術に関しては父上から教わっていたが、自分の馬は持っていなかった。曰く「成人したら買ってやる」と言われたからだ。
だから俺の馬はいなかったが、父上の馬はいた。
その馬をじっと見つめていると、視線が合った気がした。
そこから先はよく憶えていない。
気づいたときには、厩の管理者に馬を出させて、俺はその馬に跨がっていた。そのまま遠駆けに出かけたんだ。
氾濫が収まった後だったからか、平野にはなにもなかった。
魔物も動物も人さえもいない。
広大な大地だけがそこにあった。
その大地を馬とともに、なんの当てもなく駆けた。
いや、正確にはあった。
目的地は巨獣山。
首都リアスを麓に抱え、神獣様がおわす神聖な山。
その巨獣山に俺はまっすぐに向かった。
幸いなことに領地から巨獣山はそこまで遠くなかった。
というか、うちの領地は巨獣山のすぐそばだった。
弱小諸侯とはいえ、一応は王族であったことも理由だったんだろう。
もしくは首都からのおこぼれ程度しか得られない痩せきった土地だったということもあり、他の諸侯に任せると罰として受け止められると思ったからこそ、当時の王の子であった父上の領地になったんだろう。まぁ、それでも罰という風にしか見えんがね。
とはいえ、うちの父上は王位継承権が低かったし、ある意味お似合いではあったかもしれない。当時の王にとってみれば、王位を渡せない代わりに、少しでも豊かな生活をさせようとしてくれていたのかもしれない。要は当時の王の優しさだったのかもな。
そのおかげで小娘ひとりの旅だったが、特に問題もなく巨獣山にたどり着けた。会ったこともない当時の王に拝謁する気はなかったので、そのまま馬を連れて巨獣山を登り、巨獣殿に向かった。
山を登りながら、なんでこんなことをしているんだろうと何度も自問自答したが、答えが出ることはなかった。
やがて、山頂にある巨獣山にはたどり着けた。連れてきていた馬は、近くにあった馬留にどうにか係留すると、そのまま社の中に入っていった。
社の中を進みながら、なにをしているんだろうと思ったけれど、答えは出なかった。答えが出ないまま、進み続け、そして謁見の間に出た。
謁見の間には当然のようにこの社の主である爺さんがいた。
「そなたは?」
爺さんは突然ふらりと現れた俺を見て、怪訝そうな顔をしていた。
だが、その爺さんの問いかけに答えることはしなかった。俺が口にしたのはただひとつ。
「俺と勝負しろ!」
そんな馬鹿げた言葉だけだった。
言われた爺さんにしてみれば、「なに言っているんだ、こいつ」としか思えないことだっただろう。
それでも当時の俺は迷うことなく爺さんに向かっていった。
が、王族とは言え、所詮はただの小娘が突進したところで、神獣様の中でも随一の巨体を誇る爺さんにとっては小石が転がってきた程度にしか思えなかっただろう。
対して俺はそれまで味わったこともない衝撃に二転三転と、地面を転がっていき、最終的には醜態を晒すことになったんだ。
醜態を晒しに晒した俺に、爺さんは完全に困惑していた。
だが、困惑しつつも爺さんは獣の姿から人の姿になると、どうにか俺をあやしてくれた。
そんな歳でもなかったんだが、当時の俺は年齢にしてはありえないほどの号泣をしていた。
自分なりに頑張り抜いたはずなのに、結果が出ない。それどころか、頑張れば頑張るほど窮地に追いやられていく現状は、俺の心をとことん追い詰めていた。
だからこその号泣だった。
そんな俺を爺さんは困惑しながらもあやし、そして話を聞いてくれたんだ。ただ、その際思わぬ話も聞くことになったが。
「ほう? そなたがあのアリシアか。なるほどのぅ」
「ぐす。あのってなんだよ、です」
「無理に言葉を改めんでもよい。楽なしゃべり方でよいぞ」
「……あのってなんだよ」
「そう。それでよい。さて、それで問いの答えだが、簡単な事よ。当代の王がよくそなたの話をするのでな」
「え?」
それは寝耳に水というか、俺にとっては想像もしていなかった内容だった。
当時の王、俺にしてみれば爺様なわけだが、その爺様と俺は会ったことはなかった。というか、爺様にとって俺は数多くいる孫のひとり。それも数百人単位の中のひとりだ。しかも父親は王位継承権も低い。当然憶えているはずもない。そう思っていたんだ。
だが、爺さんの話はそんな俺の予想とは大きくかけ離れたものだった。
「年頃のかわいい孫娘だとあやつは言っておるのぅ。それもベタ褒めでなぁ。少々鬱陶しくなるくらいにはそなたを溺愛しておるぞ?」
「……でも、俺会ったことないよ」
「それはあやつにも立場があるからじゃ。孫娘とはいえ、継承権もない弱小諸侯などにかまっておられるわけもあるまい。……あやつの心情とは裏腹にじゃがな」
「信じられねえ」
「そうであろうな。あやつも、「アリシアに言ったところで、信じて貰えそうにはない」と言っておった。赤ん坊の頃に一度会ったっきり。それ以降は遠目に見守ることしかできずにいるのだ。それで溺愛しているなんて言ったところで、信じて貰えるわけもない、と。寂しそうな顔で言っておったのぅ」
爺さんはあごひげを撫でながら、爺様の話をしてくれた。
どれも信じられないものばかりだったが、神獣様がそんな嘘を吐くとも思えなかった。
半信半疑。そのときの俺は爺さんの話をそんな風に聞いていた。
「そして、つい先日、我にある願いを口にした」
「願い?」
「うむ。そなたの手助けをして欲しい、ということであったな」
「……は?」
あまりにもとんでもない話だった。
というか、爺様が俺のことを溺愛しているということ以上に信じられない話だった。
だが、その信じられない話は事実となった。
「というわけで、じゃ。アリシアよ。この手を取れ」
「手?」
「うむ」
「こう、でいいのか?」
俺は言われるままに爺さんの手を取った。同時に、俺と爺さんの周りを見たこともないほどの巨大な魔法陣が包み込んでいった。
「な、なんだ、これぇっ!?」
俺はいきなりのことに叫んでいた。
そんな俺を前にして爺さんは笑いながら言った。
「……ふむ。とりあえず、仮契約とするかのぅ。正式契約には少々足りぬな」
「け、契約ってなんのことを」
「言うておらなんだか? そなたはこれより仮初めではあるが、神器の担い手となるのだ」
「じ、神器!? 俺が?」
やはりとんでもない内容だった。
だが、そのとんでもない状況は、俺の心情をまるっと無視して進んでいき、そして──。
「ふむ。やはりなかなかの器の持ち主であるな。それでも正式契約を結ぶにはわずかに及ばぬが。まぁ、現状を打破するには仮契約でも十分すぎるであろうよ。喜べ、アリシアよ。そなたはこれより仮ではあるが、土神拳「ベリアレクス」、つまり我が担い手となるのだ」
──俺の右手は土色のガントレットに、伝説に聞く神器のひとつである神拳に覆われたんだ。




