Act1-79 霊草エリキサ その十五
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とりあえず、聞こえてきた声は無視しようか。
いまは数時間ぶりのアルトリアを感じていたい。顎クイまでしたけれど、この調子だとキスはできないし。まぁ、そもそもの話、いまだに唇へのキスはしていないんですけどね。
へ、ヘタレじゃないよ!
キスしようとするたびに、いろんな邪魔が入るだけだし!
だからキスできていないだけだし!
べ、別にキスってどんなときにするのか、わからないわけじゃないし!
そう、別にミーリンさんやモルンさんに、どういうときにキスをすればいいのかって話を聞いているわけじゃないから!
……ごめんなさい。本当はキスってどういう風にすればいいのか、まるでわからんです。
だってさ、俺ちんちくりんなうえに、男みたいな性格をしているから、異性にモテたことって一度もないんだよね。まぁ、そもそも野郎にモテてもあまり嬉しくないなぁ、って普通に思っていたからね。
だからと言って、そっちのケがあるわけでもなかったから、キスの仕方なんてまるでわからない。
少女漫画とか読む気にはなれなかったしなぁ。だからキスと言っても、唇へのキスの仕方はまるでわからない。頬とか額とかにキスしたことは、あるのだけど、唇へのキスの仕方はいまいちわからない。
いざとなれば、アルトリアからしてもらうというのもありっちゃありなのだけど、アルトリアからしてもらうというのは、情けない気がしてならないよ。というか、負けた気分になってしまうよ。
別に勝ち負けとか関係ないはずなのだけど、どうにも立場上、アルトリアからしてもらうのは、勘弁願いたいところだ。主に俺の自尊心的な意味で。
とりあえず、キスはいまできないので、代わりとしてハグをしよう。もうすでにハグをしているけれど、これくらいじゃあ、俺の気持ちは一ミリも表現できていない。だからもっと強く、もっと想いを込めてハグをしよう。
やや強めにアルトリアを抱き締める。腕の中でアルトリアが小さく息を呑み、紅い瞳が濡れていく。みずみずしい唇が、ゆっくりと動き、旦那さまという単語を口にし、そっとまぶたを閉じた。
ミーリン先生、モルン先生。ここですよね? ここでこそキスですよね? いまはいないミーリン先生とモルン先生の講義を思い出しながら、いざ顔を近づけようとした。
「あ、あの? カレン殿、聞いておられますか?」
やっぱり一番聞きたくない奴の声が、俺の動きを止めてくれる。うん、とりあえず、言いたい。
空気読めや! いま声を掛ける状況じゃないでしょう!?
声を掛けるにしても、もうちょっと空気を読んで、致したあとにしてくれよ!
それくらいわかってよ! というか、察しろ、頼むからさ!
まぁ、どうせ無理でしょうけどね。空気のひとつやふたつを読むことができるのであれば、この状況で声を掛けようだなんて思うわけがないだろうからね。
これもやっぱりアルーサさんと同じで、モテないタイプなんだろうね。
仕事はできるのに、モテない。いや仕事だからできるからこそモテないと言った方がいいのかな。
仕事人間か! だからモテないんだよ!
心の中で散々罵倒しながら、俺はできるかぎり笑みを浮かべた。
「……なんですか? イロコィ殿?」
こめかみを痙攣させながら、お邪魔虫であるイロコィを見やると、なぜか腰を引けさせながら、小さく悲鳴をあげた。
これくらいで悲鳴を上げるなよ。こちとら、ストレスがマッハで溜まったんだ。これくらいの威嚇で腰を抜かすんじゃないよ、まったく。
「お、お邪魔をしてしまったようで、申し訳ございません。ちょうどカレン殿を見つけて、声を掛けた所存でして、け、決してお邪魔をしようとしていたわけでは」
イロコィはだらだらと汗を掻きながら、言い訳めいたことを言ってくれる。
そんなことで、カレンちゃんの怒りが収まるとお思いですか? ぷんぷん。
うん。俺なにを言っているんだろうね。怒りのあまり、思考回路が暴走しているみたいだ。
ふふふ、いまならベルセリオスさんから課題として言い渡された、天属性を付与させた連撃を放てそうだよ。
もちろん実験台は、目の前にいるイロコィ氏だ。きっといまなら、喜んで実験台になってくれるだろうね。あー、腕と足が鳴るね。
殺気が漏れ出ていたのか、イロコィが顔を引きつらせてしまう。なんだろう、弱い者いじめをしている気分になるね。そんなことをするつもりはないんだけどなぁ。まぁ、とりあえず実験台になってくれるかどうかの確認をしてからかな。
できるかぎりの笑顔を浮かべながら、イロコィに声を掛けようとした、そのとき。
「お待ちいただけますか? カレン・ズッキー殿」
聞いたことがない声が聞こえてきた。同時に俺とイロコィの間に、すらりとした身長の高い男性が入ってきた。顔つきは、ジョン爺さんとイロコィと似ている。年齢はイロコィとそこまで変わらなさそうだけど、イロコィよりかは年上そうに見える。思い当たるのは、ひとりしかいない。
「……デイビット氏ですか?」
「おや、私をご存じで? 父から聞いた話では、父の名前は知らなかったそうですが?」
「そんなことはありませんよ。ジョン殿はお戯れでそう言われただけでしょうから」
「左様ですか。では、そういうことにしておきましょうか」
イロコィともジョン爺さんとも似ている人。となれば、思い当たるのは、ジョン爺さんの息子で、イロコィのお兄さんであるデイビットさんだろう。
名前はクラウディウスさんから教えてもらった。クラウディウスさんも、まさかドルーサ商会の会長親子がわざわざ訪ねに来るとは思っていなかったそうで、驚いた顔をしていたな。
まぁ、あのときはイロコィとジョン爺さんのふたりだけで、デイビットさんはいなかった。ジョン爺さんの性格上、ひとりだけ紹介しないというのは、ありえないだろう。ということは、デイビットさんはあの日、商会に残って、仕事をしていたのだろうね。
見た目と会話をした限り、イロコィよりかは、付き合いやすいタイプだ。ただこの人もジョン爺さんほどではないけれど、結構な狸なんだろうな。
なにせ最初からストレートを放ってきたし。こういうときは、挨拶程度のジャブを放ちそうなものだけど、まさかの、以前俺がやらかした失態を衝くというストレートだ。立ち上がりから、仕掛けて来るとは思ってもいなかったね。
仕掛けると言っても、多少優位になれるようにするという程度であり、この場で雌雄を決しようまでは思っていなかっただろうけれど。どちらにしろ、この人はたしかにジョン爺さんの息子だと思う。爺さん譲りの狸だ。
「ふふふ、父の言っていた通りですね」
「ジョン殿がなにか?」
「いえ、カレン殿は、少女の皮を被った怪物だと言っていたのですが、なるほど。たしかに私もそういう印象を抱けましたよ」
あのジジイ、なにを言っているんだよ。皮を被った怪物ってなんだよ。十五歳の乙女に向かって、怪物とはなんだ、怪物とは。今度会ったら、あの弛んだお腹をタプタプしてやる。
「ジョン殿も言ってくれるものですね」
「ご気分を害されたら、申し訳ありません。ですが、父が言っていたカレン殿は、その年齢とは思えないほどの器の持ち主だとも言っておりましたゆえ、少々試させていただきました。不躾なことをして申し訳ありません」
デイビットさんはきれいなお辞儀をしてくれた。俺みたいな小娘相手でも、礼儀を弁える。なるほどね。ジョン爺さんの次の会長はこの人になるのかな。まぁ、ジョン爺さんは、あの調子だと当分引退はしないだろうから、就任がいつになるのかはわからないけれど。
「いえ、気にしておりません。ドルーサ商会の次期会長殿と多少でも親しくできるのであれば、千金となるでしょう」
「まだ決まったわけではありませんよ。私は未熟ですので」
「未熟、ですか」
この人が未熟であれば、威勢はいいのに、とんだチキンである、どこぞの次男さんは、どうなんだろうね。あえて名前は言わないけれど。デイビットさんも俺が含んだ言葉に、苦笑いしていた。
「カレン殿はなかなかに手厳しいですね。ですが、どうかこの場は、初めて会ったばかりですが、私の顔を建てて退いてはくださいませんか?」
「……そうですね。では貸しにしておきましょうか。ドルーサ商会次期会長殿に貸しを作れるのであれば、小金で示談されるよりも、価値がありますからね」
さすがにイロコィが空気を読まなかった程度で、示談金を貰うわけにはいかない。というか、貰える程度のことではなかった。だからこそ止めどきがなかったとも言える。
だが、デイビットさんが、ジョン爺さんが俺のことをいろいろと言っていたという情報をリークしたおかげで、貸しを作るという結着方法が取れるようになった。掌の上で踊らされているようで、面白くはない。
でも俺がイロコィを痛めつければ、過剰すぎると言われて、余計に慰謝料を請求されるだけだろうから、ある意味では助かったとも言える。
それでも掌の上で踊らされているという感じは否めない。攻撃を誘導させられてばかりで、一向にクリーンヒットができないというのは、俺も面白くはない。ここは少しばかり揺さぶってみるとしようかな。
「貸し二つです。いいですね?」
「二つ?」
「ええ。ひとつはイロコィ殿とジョン殿の言動について。もうひとつは、あなたの掌の上で踊らせられたことに対してです。よろしいか?」
デイビットさんは驚いた顔をした。イロコィは言わずもがなだ。だが、デイビットさんはすぐに笑いだした。
「あははは、これは参ったなぁ。たしかに父さんの言う通り、とんでもないお嬢さんだ。わかりました。此度の件については、我ら親子の失態に対して、二つの貸しということで、退いていただければ。ただし」
「エリキサの件とは別に、ですね?」
「はい。それは今回の貸しとは別の案件ですので」
好人物ではある。けれど、この人もやはり商人だ。商人ゆえに一度成立させた案件をなかったことにはしてくれない。そういうシビアなところは悪くないね。むしろシビアであるからこそ、信用できる。
「わかりました。では、また四日後に」
「ええ。四日後にお会いしましょう、カレン殿」
デイビットさんが頭を下げ、イロコィに声を掛けて立ち去っていく。立ち去っていくふたりの背中を見つめながら、俺は大きく息を吐いた。




