rev4-13 夜鳴きとともに
フクロウのような鳥の鳴き声が聞こえていた。
その鳥の声はフクロウとそっくりだった。
「巨獣殿」からだと、フクロウらしき鳥の姿を確認することはできない。
そもそも止まり木にしているだろう木々さえ、はっきりとは見えない。
見えるには見えるけれど、それは俯瞰的に見た姿でだけ。フクロウなんて、ただでさえ見つけづらい動物だっていうのに、木々の茂みしか見えない状態で1羽のフクロウを見つけることはできそうにない。砂漠の中で一粒の砂を見つけるようなものというけれど、いまの状態はまさにそれだ。
もっともあくまでも、フクロウのような鳥をなにがなんでも見つけたいわけじゃない。少しだけ気になるってだけで、見つけられなければそれはそれでいい。
眼下に見えていた無数の木々。それもとても小さく見えていた黒々とした森の姿をぼんやりと思い浮かべていると──。
「どうなされましたか?」
──右腕がそっと抱きしめられた。右腕を両腕で包むようにしてルクレが抱きしめていた。抱きしめながら、ルクレは俺の右肩に頭を乗せていた。すぐ近くから石鹸の香りがする。シャワーを浴びたばかりだからか、右腕から感じる体温はいつもよりも高い。
「……この鳥はなんだろうって思っていた」
「鳥? あぁ、ベヒリアンオウルですね」
「ベヒリアンオウル?」
「えぇ、名前の通り、ベヒリア内だけに棲息する固有種の魔物です」
「へぇ、魔物なんだ」
「えぇ、夜行性の鳥の魔物です。夜、それも森の中で音もなく飛翔し、獲物を狩る魔物です。危険度はたしかCくらいでしたか」
「危険度Cか。結構強い魔物なんだな」
「えぇ。とは言っても、危険度の理由は夜の森の中という見通しが非常に悪い場所で、音もなく襲われるからですが。単体の戦闘能力自体はそこまで高くはありません。昼間であれば、ベティちゃんなら一対多数でも余裕で勝てるくらいかと」
「……なんともまぁ極端な魔物だな」
「えぇ、「森の暗殺者」とも呼ばれていますが、対処できればそれほど恐ろしい存在ではありません。あくまでも対処できれば、ですが」
「……なるほど」
ルクレの説明を聞いて、ますますフクロウのような存在だなと思った。というか、名前からしてフクロウだし。危険度はなかなかに高いけれど、それも夜の森の中という限定的なシーンだからこそのもののようだ。
もっとも、例えに出たベティだって、グレーウルフというウルフの特殊進化個体だし、弱いわけじゃない。実際、「リヴァイアス」の街の外でピクニックに行ったときも、ベティひとりでも数十人の野盗をボコボコにできるくらいだ。
それでもベティの強さはせいぜいDランクくらい。そのDランクであるベティがCランクの存在に昼間であれば、相手の土俵でなければ多対一でも余裕で勝てるというのだから、ベヒリアンオウルという魔物はかなり極端な魔物のようだ。……逆に言えば、相手の土俵で戦った場合、相応の強敵に早変わりするってことでもあるんだが。
とはいえ、それはベヒリアンオウルだけじゃない。どんな魔物だって得意のフィールドとそれ以外のフィールドでは長所を活かして戦えないということもある。たとえば魚の魔物が地上では飛び跳ねることしかできないようなものだ。もっとも中にはどんなフィールドでも対応できる魔物もいるといえばいるから、決して油断できることではないけれども。
「ふふふ」
「うん?」
ルクレから聞いたベヒリアンオウルの情報で、思考がすっかりと戦闘方面に向きつつあった、そのとき。当のルクレが右手で口元を押さえて笑っていた。とてもおかしそうに笑う彼女の姿になんだろうと思っていると、ルクレは「ごめんなさい」と目尻に涙を浮かべると──。
「こうしてお喋りをしているというのに、すっかりと冒険者の顔をされておられたので。私のよく知る旦那様と私が知らない旦那様が一度に触れ合えるなぁと思ったら、おかしくなってしまって」
「……だからって、涙目になるほど笑うか?」
「それほどまでにギャップがありすぎるんですもの。普段のお優しい旦那様と、ついさきほどの旦那様は別人のようでした。……ほんのわずかに怖いと思うくらいには」
最後の言葉は呟くような声量だった。それでもはっきりとその声は聞こえた。胸がどうして締め付けられたかのように苦しくなったが、それを顔には出さないようにして「一応、冒険者だからな」と答えた。
「……ええ、知っております。Bランク冒険者となられた「黒雷の戦女神」レン・アルカトラにして、かつて「才媛」と謳われた方ですものね」
「……そっちの名前は捨てたよ。いまの俺はレンだ。いろんなものを喪って欠けてしまったからね。だから俺はレンだ。レン・アルカトラ。それがいまの俺だ」
ルクレが口にしたのはアンジュにも話していないことだった。いろんなものを喪い、欠けてしまってから俺は「才媛」と呼ばれた過去を捨てた。いまの俺はカレンじゃない。欠けた俺が名乗れる名前じゃない。……欠けてしまうまで名乗っていた名前を、この世界で再び名乗るというのはなんとも皮肉じみている気もするけれど。
「はい。わかっています。わかっているからこそ、こうして名前を告げているのです。いまの旦那様はレン様なんです。カレン様ではありません」
「……それは元に戻るな、ってこと?」
「いいえ。元に戻られても、いまのままでも旦那様は旦那様です。私の愛する方です。ただ」
「ただ?」
「……過去に縛られすぎないでください」
「……それは」
「難しいことを言っているというのはわかっております。それこそ、旦那様にとっては剣で斬られることよりも痛ましいことだというのもまた。それでも過去に縛られてほしくないのです」
ルクレが両手で俺の腕を抱きしめる。強く、とても強く抱きしめてくれる。その強さと彼女の想い。どちらがより強いのだろうかと考えてしまうほどに、ルクレはそれこそ力一杯に俺の腕を抱きしめてくれる。それがより胸を締め付けていった。
「……私は旦那様にいまを生きてほしいです。悲しい、いえ、悲惨すぎた過去はもうどうすることもできません。けれど、いまとこれからは違います。いまであれば止まることもできる。そしていまを変えれば、これからも変わるのです。だから、過去を見つめ続けるのは」
「……無意味だとわかってはいるんだ」
「であれば」
「だけど、どうしてもダメなんだ。あの日の光景がどうしても頭から離れてくれない。まぶたの裏に焼き付いたものが消えてくれないんだ。だから、俺は止まれないし、止まる気もない」
ルクレの想いは悲しいくらいに伝わってくる。
それこそ、いますぐにでも彼女を抱きしめてあげたいくらいに。抱きしめながら「……これからは変わっていく」と伝えたいほどには。
だけど、ダメだった。
変わりたいとは思う。
でも、変わりたいと思っても、かつての日々が、あのときの光景が、喪ったもののぬくもりが俺の中から離れてくれない。
欠けてしまったレンになっても、「カレン」だったときの記憶が、想いがたしかに俺の中に刻み込まれている。その刻み込まれたすべてが俺を「レン」として在り続けることを拒否していた。すべてを忘れて穏やかな余生を過ごさせてくれない。
いや、仮にすべてを忘れて余生を過ごそうとしても、「ルシフェニア」の連中はきっと俺からまた大切なものを奪うはずだ。あいつらはそういう連中だった。もう二度と誰かを喪いたくない。
だから、すべてを忘れるなんてことはできなかったし、したくなかった。俺の大切なものを守るために、あいつらを滅ぼし尽くす。そうでなければ、また悲しみが起きる。だからこそ、俺は──。
「……俺は神殺しをしないといけないから。あのくそったれな女神を殺さない限り、俺が幸福になることはできない」
──俺はスカイディアを、この世界の本当の母神を殺す。そうでなければ、俺が幸せになることはできないのだから。そう呟いた言葉を聞いてルクレは目を丸くして驚いていた。
「……旦那様のお母様を、ですか?」
「いいや。あれは母さんじゃない。母さんの姉。いや、母さんの元となった存在、というべきなのかな」
「どういうこと、でしょうか?」
「……遠い昔話になるんだけどね」
ベヒリアンオウルの声が聞こえる。
その声をBGM代わりにして、俺は遠い昔話を、かつて俺自身も聞いた遠い昔話を口にしていった。
ひとりだった母神がふたりに分かたれた遠い昔話。
葬り去られたこの世界の真実を、遠い残響とともに話し始めた。




