rev4-11 ベヒモスの話
「ベヒモス様のこと、ですか?」
ベヒモス様からの話。
それはほからぬベヒモス様ご自身のこと。
そう、ベヒモス様が仰い、そのお言葉にレンさんがオウム返しをされました。
レンさんの返事とも言えない言葉に、ベヒモス様は「ええ」と静かに頷かれると、ゆっくりと話を始められました。
「率直にお聞きします。神子様の眼で我はどう映りますか?」
「どう、とは?」
ベヒモス様のお言葉はあまりにも抽象的なものでした。
レンさんの目から見たベヒモス様なんて言われても、レンさんじゃなくても困惑するのも当然でした。
実際、レンさんもいきなりすぎる言葉に困惑されていました。
そんなレンさんを見て、ベヒモス様は「ふむ」となにか考える素振りをされると──。
「……直接的すぎましたな。では、ひとつ話を挟むとしましょうか」
──そう言って、別の話をすると仰ったのです。
正直言って、いまの話の意図はなんなのかはまるでわかりません。ルリさんを除いては。
私自身偶然目に入っただけなんですが、ルリさんの尻尾がかすかが震えていたのです。最初は寒いのかなと思ったのですが、ルリさんが体を震わせている様子はありません。いつも通りのルリさんなのですが、よく見るとベヒモス様を上から下までじっと眺めていたのです。
私の目にはルリさんの行動は、まるでなにかを確認しているかのように思えました。
ただ、その確認の内容はわかりませんでしたけども。
でも、ルリさんがなにかを確認していることはわかったのです。
そして、その確認したなにかこそが、ベヒモス様のいまの話に繋がることではないか。
だけど、ルリさんはなにも仰らない。
そのお顔は仮面に隠されたままです。私の位置からはルリさんの横顔、仮面の片側の模様くらい見ることしかできません。目ですら私の位置からでは見えない。目を見ようとしたら、視線が合う高さにまで屈んだ上で、覗き込まないといけない。
でも、わかるものはわかりました。
いまのルリさんは、いつもと比べるといくらか不機嫌であることが。
震えていた尻尾が、いつのまにか逆立たれているのですから。わからないわけがないです。
でも、それに気づいたのはたぶん私くらいでしょうか。
レンさんはもちろん、イリアさんやルクレティア陛下も、ベティちゃんだって気づいていないのです。
いままであれば、ベティちゃんはいつもルリさんと手を繋いでいるか、そばにいましたから、ルリさんの変化には目ざとく気づけたでしょう。
ですが、プロキオンちゃんが合流してからは、プロキオンちゃんのそばにいることが多くなり、ルリさんのそばにいる時間はその分減っていました。まぁ、それでもルリさんのそばにいることも多いんですが、減少傾向にあることは変わりません。
だから、ルリさんの変化にはベティちゃんも気づいていなかったのです。プロキオンちゃんに至っては、ルリさんとの関わりは少なすぎてわかるわけがない。
だから、ルリさんの変化に気づけたのは私だけだったんです。
どうしたんですか、と尋ねようとしましたが、それよりも早くベヒモス様が口を開くのが早かったのです。
「我が社に来られたということは、神子様方は「リアス」からお越しになったのですな?」
「ええ。アリシア陛下からの依頼もありましたので」
「アリシアからですか?」
「ええ。お渡しするものがあるとのことでしたので」
「……なるほど。いらぬと言ったはずなのですが、まぁ、致し方がありませんな。普段であれば持ち帰るようにと言うのですが、今回ばかりは神子様がお持ちになったのです。突き返すことはできませんし」
「突き返すとは?」
「……それは依頼の品を紐解けばわかるかと」
「よろしいので?」
「ええ、構いませんよ」
ベヒモス様が微笑まれますと、レンさんは確認のためにと私を見やったのです。その視線の意味がわからないわけもなく、私は「問題ないです」と答えました。
アリシア陛下からの直接依頼の内容は、ベヒモス様への献上品の輸送です。輸送依頼は冒険者の仕事の中でもメジャーなものです。依頼者から渡された品を道中守り、納品先に輸送する。今回の直接依頼もその例から漏れていません。
本来なら冒険者側が途中で輸送品を検めるなんてことはしないのですが、今回は納品先であるベヒモス様の許可が出ているので、レンさんが検めても問題はありません。
レンさんの視線は、その確認のためのもの。その視線を受けて私は問題がないと伝えたわけです。
私の返事を受けて、レンさんは「では失礼します」と言って、アリシア陛下から渡された箱をアイテムボックスから取り出されると、静かに封を切られたのです。そうして出てきたのは──。
「……これは、食糧?」
「お肉やお魚、お野菜もありますね」
「……ベティのごはんはないの」
──箱に詰められていたのは、お肉や魚、野菜などの食糧でした。どれも上等そうなものばかりで、そこらのお店では早々買えそうにはありません。
ただ、その中にはベティちゃんのご飯になりそうなものは一切ありません。そのせいか、ベティちゃんの尻尾が力なく垂れ下がってしまいました。そんなベティちゃんを見てルクレティア陛下はおかしそうに笑いながら、懐からクッキーを取り出し、ベティちゃんに「はい、ベティちゃん」とお渡しされました。
ルクレティア陛下から渡されたクッキーに、ベティちゃんは目を輝かせると、「ありがとーなの、おかーさん」と嬉しそうに頬張りはじめました。とてもかわいらしいのですが、ベヒモス様の前で食べるのはと思ったのですが、当のベヒモス様は穏やかに笑われておいででした。
「……申し訳ありません。娘が」
「いえいえ、お気になされずに。子が腹を空かすというのは無理もないことです。成長に必要なことですからな」
ベヒモス様は穏やかに笑われながら、ご飯を食べるベティちゃんを見守っておいででした。そんなベヒモス様の視線に気づいたベティちゃんは、手に残っていたクッキーを見やり、おもむろに半分に割ると──。
「半分あげるの。どーぞなの、しんじゅーさま」
──ベヒモス様に割った半分を差し出されたのです。あまりの行動にその場にいたほぼ全員が唖然となりましたが、当のベヒモス様とルリさんはおかしそうに笑われていました。
「だそうだ。どうする、四の?」
「これはこれは、なかなか手厳しいですなぁ。アリシアめは、これも予知していたのですかな」
「さてのぅ? 彼の王であればありえぬとは言い切れぬのぅ。で、どうするのだ?」
「……さて、どうしますかなぁ。幼子からの厚意を無碍にするというのも、考え物ですしなぁ」
「そうだ、ひとつ言っておこうか」
「なにか?」
「その幼子ベティはのぅ。そこの神子を父と呼び慕っているがゆえからなのかのぅ。とても諦めが悪い。ゆえに言い出したら、説き伏せるのはなかなかに難しい。それも相応の理由でなければ、その子が納得できる内容でなければ無理だと言っておこう」
「……となると、アリシアめはわかってやっていますな」
「さすがにそこまでは我もわからぬ。だが、そうさなぁ。可能性としてはありえるかもしれぬな」
「……まったく、あやつめはしてくれますのぅ」
「あぁ、まったくだ。驚くほどの強かさだ。ゆえにいいのではないか?」
「……それは」
「それとも、我が愛し子の施しは受けられぬとでも?」
「……それは命令ですか? 大姉上」
「そうさな。姉上命令と言うところかな?」
「くくく、姉上命令ですか。となれば、受けぬわけにはいかぬのでしょうなぁ」
「あぁ、ゆえに食え。これ以上衰えるな、我が弟よ。緩やかな死など我は許さぬ。……ここに兄者がいたら同じことを言うたはずだ」
「……そうですな。兄上であれば、そう言うでしょうな」
ベヒモス様とルリさんの話はなんとも言えないものでした。その最中でルリさんの口から決定的な言葉がふたつも出てきました。
ベヒモス様を「我が弟」と言ったことと「緩やかな死」というふたつ。その言葉の意味。特に「緩やかな死」という言葉と、アリシア陛下からの献上品である食糧。そのふたつがいまひとつに繋がりました。
改めてベヒモス様のお体を見やる。
とても巨大なお姿なのは変わらない。変わらないけれど、じっと見て気づいたことがありました。
ベヒモス様のお体はひどく衰えていたのです。
特に目元には深すぎるほどの皺が刻み込まれていましたし、よく見ると深い体毛はいくらか禿げていたのです。禿げた先には皮膚が見えましたけど、その皮膚もいくらかひび割れているように見えたのです。
「……ベヒモス様、もしかしてお体が?」
私が自然とその言葉を口にしていました。ベヒモス様は私の言葉を聞いて、「……隠しているつもりではあったのだがな」と苦笑いされました。
「……まずはわかりやすいようにしましょうか」
そう言うとベヒモス様の体から黄色の魔力に包まれたのです。眩いというほどではなく、わずかに明るいという程度の光。ベヒモス様の気性のようなとても穏やかな光がきらめきと、ベヒモス様の体に集まっていき、そしてゆっくりとベヒモス様のお体が縮んでいき──。
「……これではっきりとわかりますかのぅ」
──やがて、その場にはひとりの老人が立ったのです。土色の髪をした痩せ衰えた老人。骨と皮だけの、老いからの衰えでは説明できないほどの体の老人が立っていたのです。その老人の声はベヒモス様のものと同じでしたし、なによりも目の前にいたベヒモス様の代わりに彼の方は現れたのです。となれば、その方が誰なのかなんて考えるまでもない。
「ベヒモス様、ですか」
「はい。これが我の人の姿ですが、これで先の言葉の意味がわかるでしょう。ゆえに改めてお聞きいたします。神子様、あなた様の眼には我はどう映りますか?」
「……それは」
ベヒモス様からの言葉は、今度ははっきりとその意図がわかりました。レンさんは続く言葉が出ず、俯いていました。そんなレンさんにベヒモス様はにこやかに笑われると、はっきりと続けました。
「……いつ死んでもおかしくない。そう見えるでしょうが、それは事実です。我はじきに死ぬでしょう。この身はもう限界をとっくに超過しておりますからのぅ」
ベヒモス様ははっきりとご自身の死を口にされたのでした。




