rev4-9 大地との邂逅
そこにおわす方は、一見するとカバのような姿をされていました。
ただ、カバにしてもそのお体はとても大きかった。私なんかよりもはるかに大きな体を、それこそ私、いや、一介の人間が豆粒くらいに見えるほどの巨体でした。さすがにカバというには無理があるほどの巨大なお体でした。
まぁ、カバ自体を私は見たことがありませんけれど、文献によれば体は灰色ないし灰褐色であり、樽のように太いが、短い四肢を持った動物とあります。そのカバと目の前におわす方は一見すると、とてもよく似ていました。ぱっと見では真っ黒な体をした巨大なカバのようにも見えるのです。
しかし、カバにはないはずの、とても大きな牙が口元にありました。牙は先端が平たくなっていましたが、その分重量がありなもので、噛み砕くというよりかはすり潰すことに特化しているようです。
加えて、よく見るととても硬そうな毛が全身を覆っているのです。一見すると体毛はなさそうに見えますが、よく見ると艶のある黒い体毛に全身を覆われており、その体毛一本だけで指から肘くらいまではあるんじゃないかと思えるほどに。ベティちゃんが仮に抱きついたとしたらそれだけで全身が体毛で埋もれて隠れてしまいそうです。
それほどまでに規格外に大きな姿の生物なんて私は聞いたことがありません。
魔物であれば、まだ可能性はありますけど、その方は魔物ではないのです。そもそも、ここは魔物が棲息できるような場所ではないのです。
私たちがいるのは「巨獣山」の山頂にある「巨獣殿」──土の神獣ベヒモス様が座すお社です。
その「巨獣殿」の中には私たちはいて、その内部にその方はおられます。目の前にいる方がどんな存在であるのかなんて、その時点ではっきりとしていました。
「──ただいま、戻りました。我が主」
それをよりはっきりとさせるかのように、アスランさんはその方の前に跪かれました。私たちもそれに倣ってそれぞれに跪いていきます。……ルリさんを除いては。
ベティちゃんでさえ、目の前の方に──ベヒモス様に跪かれているというのにも関わらず、ルリさんだけは跪くどころか、じっとベヒモス様を見つめられていました。それはベヒモス様も同じでした。
ただ、ベヒモス様はルリさんのそれを批難しているわけではないようでした。むしろ、おかしそうに笑われておられました。
「兄上のお話とはまるで違うお姿ですな?」
「……それを言うな。まぁ、この姿は姿で気に入っておる」
「左様ですか」
「うむ」
短いやり取りを交わすおふたり。
まるで知人同士であるかのようなやり取りでした。
レンさんからはルリさんは神獣様と同等の実力者だという話は聞いていましたけど、それはあくまでも実力だけだと思っていました。いや、まぁ、それだけでも十分すぎるほどにぶっ飛んだお話ではありますけども。
ただ、レンさんのお話はあくまでも力量だけ。その立場までもが神獣様と同等とは聞いたことがなかった。だというのに、ルリさんとベヒモス様のやり取りはどう聞いてもベヒモス様よりも上位者という風に思えてなりません。
ですが、そのことに驚いているのはどうも私だけのようでした。なにせルクレティア陛下も驚いてはいません。レンさんたちならまだしも、私よりも付き合いが短いはずのルクレティア陛下も驚いていないというのはどうにも頷けないものがあります。
いったいなぜ。そう思っていたそのときでした。
「加えて、七のよ。本来の姿に戻ったのか?」
「あれ? 気づかれちゃったかな?」
「気づかぬわけがあるまい。ただ、本来の姿とは少々異なるようだな?」
「まぁ、二つに分かれているからね、いまの僕は」
「わざわざ二つに分かれたのか?」
「まぁね。いろいろ事情があってね」
「ほう?」
ベヒモス様がルクレティア陛下のお持ちだった杖に、本来の姿になったリヴァイアサン様を見やり、興味深そうなお顔をされていました。
当のリヴァイアサン様は意味深げな言い方をされ、そのお言葉にもベヒモス様は興味を引かれている模様でした。
そのやり取りを見て、「あぁ、なるほど」とルクレティア陛下が驚かれていない理由がわかりました。
ルリさんがいったいどういう人なのかは、私にはさっぱりとわかりませんけど、ベヒモス様と同じ神獣であるリヴァイアサン様であればわかるのでしょう。
それにいまのリヴァイアサン様はルクレティア陛下とプーレリア陛下の所有する神器になっておいでです。となれば、リヴァイアサン様からルリさんのことを聞いていてもおかしくないのです。
実際、ルクレティア陛下がルリさんとベヒモス様のやり取りを見ても、特に驚かれていないところを見る限り、ルクレティア陛下はルリさんの正体というか、その背景をご存知のようです。
「リヴァイアサン様の仰る通りですね」
「僕は嘘を吐かないよ、我が主よ」
「どの口で仰られるのですか?」
「この口だが?」
「……そもそも口がないじゃないですか、いまのお姿だと」
「ははは、一本取られたな」
「……リヴァイアサン様ったら」
ルクレティア陛下は、リヴァイアサン様とのやり取りに大きなため息を吐かれました。
姿や関係は変わっても、ルクレティア陛下がリヴァイアサン様に振り回されてしまうまでは変わらないようです。以前と違って、とても健全というか、穏やかな関係になってはいますけども。
「……ふむ、たしか、ルクレティアであったな?」
「はい、お久しゅうございます、ベヒモス様」
ベヒモス様にお声を掛けられ、カーテンシーを行うルクレティア陛下。その一礼に「よい」と一言だけ返してから、ベヒモス様は続けました。
「リヴァイアサンにいろいろと苦労を掛けられているようであるな?」
「それなりにですよ」
「そうか。それなりになぁ?」
苦笑いされながら、ベヒモス様はリヴァイアサン様を見つめられると、リヴァイアサン様はどこから出しているのか、口笛のような音を立ててごまかしているようでした。そんなリヴァイアサン様にベヒモス様は「まったく、おまえは」と若干呆れられていました。
「……兄者も言っていたが、そなたは本当に気苦労が絶えぬのだな?」
「まぁ、性分というものですよ」
「そうか。まぁ、七のには我も言うておこう」
「えー、大姉上からもー? 四の兄上だけでもお小言は十分なんだけどー」
「アホウ」
「自業自得じゃ」
「ちぇー」
リヴァイアサン様が文句を言われても、ルリさんとベヒモス様は揃って一言で切って落とされてしまいました。
それは別にいいのですが、問題はリヴァイアサン様が「大姉上」とルリさんに言ったことでした。
それがどういう意味なのかはあまり考えないようにしておきましょう。
「まぁ、七のことは別によいわい。さて」
ベヒモス様は小さくため息を吐かれてから、ゆっくりとレンさんを見つめられると、その巨体を起こすとゆっくりと頭を下げられました。
「……あなたにとっては「初めまして」というところでしょうが、我にとってはお懐かしゅうございますと言うところですな」
「え?」
「改めまして、ご挨拶を。我が名はベヒモス。大地を司りし神獣ベヒモスでございます。以後お見知りおきを、神子様」
ベヒモス様はそう言ってレンさんにとご挨拶をされたのです。それはまるで下位の存在が上位者に対するように。そのあまりにも想定外な光景に私は言葉を失いました。
「さて、神子様。さっそく話と行きましょうか」
そんな私を置いてけぼりにするかのように、ベヒモス様は続けました。どこか焦りを孕んだお顔でレンさんをじっと見つめながら、ベヒモス様はゆっくりと話を続けていくのでした。




