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rev4-7 山中にて

 天嶮。


 非常に険しい山地を差す言葉。


 その言葉の意味を私はいま痛感させられていました。


 足下を見れば、しっかりとした地面はあるものの、少し視線を逸らすとそこにはもう地面はありません。ただ虚空があるだけ。それも落ちればまず間違いなく助からないレベルでです。


 時折、誰かが蹴った小石が虚空に吸い込まれていきますが、地面に当たる音を聞いたことは一度たりともなかった。つまりそれほどまでに高い場所に私たちはいるのです。


 視線を垂直に逸らせば、見えるのは広大な大地とその大地を抉り抜くように流れる大河、そして遠くに座す無数の山々。空の色はもうすっかりと明るくなり、遠くの景色まではっきりと見えるほどです。


 ご来光はとっくに終わりましたけど、とても見応えのあるものでしたね。なにせ、遠くの山々の向こうからゆっくりと日が昇って行く様は、見事の一言でした。


 暗かった世界に、黒一色だった世界に色が点っていく。いや、世界に色が戻っていく様は、何度見てもいいものでした。


 ご来光のときは、一斉に立ち止まってぼんやりとその光景を見つめていましたから。


 もっともご来光は素晴らしいのですが、少し視線を下げると、美しさの裏にあるものと対面することになるわけですが。


 蹴られた小石が吸い込まれるように落ちていくも、地面にぶつかる音はやはり聞こえない。ご来光に目を奪われすぎて、気づいたら虚空に吸い込まれてしまうという人も一年に何回かはあるみたいです。


 場合によっては助かることもあるそうですが、大体の場合はもう故郷の地を生きたまま踏むことはできないようです。


 実際、じっと下を見ているだけで、じわじわと背筋が冷たくなり、気を抜けばそのまま虚空に吸い込まれてしまいそうになります。ちゃんと見ていてもそうなるのですから、ご来光に目を奪われすぎてというのもわかる話です。


 誰かが生唾を呑む音が聞こえてくる。


 それは誰のものなのかはわかりません。


 もしかしたら全員なのかもしれないし、自分のそれなのかもしれない。


 どちらにせよ、美しさの裏にはたしかな恐怖がある。それをはっきりと自覚しつつ、私はどうにか視線を元に戻しました。それでも見えるのは地面だけ。それも延々と続く坂道。なにせ視線を上げても見えるのは地面だけであり、ほかにはなにも見えないのですから。


 あまりにも変わらない光景に、ため息が吐きたくなります。


 もっとも、ため息を吐きたいのはきっと私だけではないでしょう。


 なにせ、昨日の今日で登山をさせられているのですから。ため息のひとつやふたつは当然吐いてしまいます。


 そう、いま私たちは首都リアスのある「巨獣山」の山頂にある「巨獣殿」に向かっているのです。アリシア陛下の手料理を振る舞われた歓迎会の翌日、それも日が昇る前からというほぼ休みなしという強行軍にもほどがある過密スケジュールで。


 なんでそうなったのかのは、いまいち私にもわかっていません。


 なんでも、レンさんとアリシア陛下の間で依頼が交わされてしまい、歓迎会後にそのことを伝えられたのですから。


 お腹いっぱいにごちそうを堪能していた後に待ち受けていたのは、天嶮たる「巨獣山」の踏破のための準備でした。


 しかも、歓迎会が終わったのが少々遅かったため、準備する時間は少なく、それでもきっちりと準備をしないといけなかったため、眠るのもだいぶ遅くなってしまったのです。そのうえ出立は日の出前というまさに強行軍でした。


 そんな強行軍であっても、見送りとしてアリシア陛下と両大臣様がおられ、その護衛にはファラン少佐とその麾下の皆様方がおられました。


 ファラン少佐は非常に緊張されていましたけど、アリシア陛下はあっけらかんとしていましたね。しかも、その際に驚きの事実を伝えてくれましたが。


「親父殿と兄貴が見ているからって、そんな緊張してんじゃねえよ、ファラン。おまえは十分よくやっている。この俺がそう認めようじゃないか」


 最初は、アリシア陛下がおられるからだとは思っていました。


 佐官とはいえ、やはり国のトップであらせられるアリシア陛下と顔を合わせる機会はそこまで多くはないだろうから、緊張もやむなしと思っていたところに、アリシア陛下は両大臣様に視線を向けながら、ファラン少佐の肩を抱かれたのです。


 あら、男前とつい思いましたが、仰られた一言はそれ以上の衝撃を伴っていました。昨日、右大臣様に対して「親父殿と~」と仰っていたので、たぶん左大臣様か前任者の方がお父上にあたるんだろうなぁとは思っていたので、両大臣様が親子関係であることはそこまで驚きではありませんでした。


 ただ、そこにファラン少佐も加わるとなると、話は変わりますけども。さすがにファラン少佐も左大臣様のご子息だとは思っていなかったので、つい口を大きく開けて驚いてしまいました。


 そんな私を見て、アリシア陛下はおかしそうに笑っておいででした。


 もっとも、当のファラン少佐はそれでも緊張されていましたけどね。ファラン少佐の反応に両大臣様は苦笑されながらも、とても穏やかな顔で見守られていましたが。


 そんなほっこりする光景とともに私たちは、昨日到着したばかりだというのに出立したのです。


 さきほども言いましたけど、レンさんとアリシア陛下の間で、依頼が交わされてしまったがためにです。なんでギルドを通さずに依頼なんて受けるのよと言いたくなりますけども、まぁ、一部の高位の冒険者はギルドを介さずに直接依頼を受けることがあるというのは知識として知っています。


 ギルドには依頼が終わった後に、詳細が通知として届けられ、それを受理兼完了するというのが直接依頼の流れとなりますが、まさかその直接依頼を実際に自分の目の前で行われることになるとは思っていませんでしたが。


 ちなみにルクレティア陛下も依頼が交わされた場にはおられたのですが、止める余裕がなかったようです。話を聞く限りはとんとん拍子で話が進んでしまい、止めることはできなかったのでしょうね。……まぁ、とんとん拍子というよりかは、やや一方的だったように感じられましたけども。


 でも、王様ってわりと一方的に話を進めるという印象がありますから、アリシア陛下のそれを横暴と言う気にはなれません。


 そもそも、横暴というのであれば、ちょっと、そう、ほんのちょっと本当のことを考えただけで、国際問題とか言い出すような王様に比べればまだましかなぁと──。


「こ・く・さ・い・も・ん・だ・い、本当にお好きですね、アンジュ様は」


 ──こほん。いやぁ、アリシア陛下に比べるまでもないですね。うんうん、ルクレティア陛下はとっても素晴らしい方です! まさにお清楚という言葉を体現したかのような! ええ、もう納得です。誰がどう言おうともルクレティア陛下ほどお清楚な方は早々おられないでしょう! だから、その、ね? 国際問題とかやめてください。いっかいの村娘はしんでしまいます!


「ふふふ。考えておきますね?」


 ウインクひとつされてから、ルクレティア陛下はレンさんの隣にと、先頭を行くレンさんの隣にと戻られていきました。


(あの人、いつのまに隣にいたんだろう?)


 少し前まではたしかにレンさんの隣にいたはずだったのに、気づいたらすぐそばにいたルクレティア陛下。いったいどのようにして私の隣にいたのか。いや、そもそもどうして私の考えを読まれたのか、まるでわかりません。まさにミステリー──。


「……まま、口に出ていたよ?」


 ──というわけではないようですね。


 どうやらまたもや私の悪癖が出てしまっていたみたいです。ナンテコッタイ。


「……まま」


 まずい。まずいですよ、これは! プロキオンちゃんが呆れを非常に含ませたお目々で私を見ている。ままの威厳がご臨終してしまいます! ここはどうにかままの威厳を復権、いや、蘇生しないと──。


「そもそもアンジュ様に威厳なんてハナからないでしょう?」


 ──いけない。そう思っていた私の耳に届いたのはイリアさんからのなんとも言えない一言でした。ぐさりと胸に突き刺さりそうになる一言でした。


「胸? 胸板の間違いでは?」


「あなたは言っちゃいけない痛みってのを理解されていますか!?」


 イリアさんがまたもやぐさりと突き刺さる一言をくださいました。事実だからなにも言えないんですけど、そこまではっきりと言わなくてもいいと思うのです、アンジュ的には。


「うわっ」


「だから、言葉ぁ!」


 ちょっとぶりっこというか、ちょっとお茶目を見せただけで、一言で返すとか失礼にもほどがある!


 まぁ、言ったところで聞いちゃくれないでしょうけどね! このツンデレ巨乳さんは!


「いつ、あなたにデレましたか?」


「……ツンツンばかりですね」


「だからツンデレではありません」


「……はい」


 正論で返されてぐうのねも出ません。


 なんでこうなったんでしょうね、本当にアンジュわかんない。


「キモ」


「やめて? 辛辣な一言で返すのやめて? 悲しみで死んじゃう」


「……」


「だからと言って無言はどうかと思うんですけど?」


「……面倒な女」


「いや、あなたもわりと」


「は?」


「……ゴメンナサイ」


 うん、「は」って言葉がこんなにも冷たいんですね。初めて知りました。知りたくなかったけど。


「……おまえら、騒ぎすぎだぞ。ここは魔物が出ないからいいけど、ほかの山道だったら、そんなに騒いでいたら魔物を呼び寄せるだけなんだから、あまり気を抜きすぎるのは」


 私とイリアさんのやり取りに、先頭のレンさんが苦言を呈そうとした、そのとき。


「……気を抜きすぎなければ問題はありませんよ」


 レンさんの向こう側から穏やかな声が聞こえてきたのです。


 その声にレンさんに肩車をしてもらっていたベティちゃんがいち早く気づきました。


「あのときのおねえさんなの!」


 ベティちゃんがどんなお顔をしているのかはわかりませんでしたが、その声からとても喜んでいることはたしかでした。


 そんなベティちゃんの言葉に、声の主は苦笑いされながら、じっと私を見つめていました


「我が主ベヒモス様からお迎えにあがるように命を受け参上いたしました。ほかの方々は二度目となりますが、そちらの銀髪の方はお初ですので、改めて紹介をさせていただきます。ベヒモス様のお世話役を担っております、アスランと申します。以後お見知りおきを」


 声の主アスランさんは、顔を完全に覆い隠した仮面と素肌さえも見えないほどの大きな外套を身に付けながら、優雅に一礼をされるのでした。

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