rev4-6 喪った人と重ね合わせて
アスラン。
名前とともにはっきりと彼女の姿は思い浮かんだ。
とはいえ、俺が知っているのは口元まで覆い隠した仮面と全身を覆うような外套を身に付けていたというもの。
それ以上、彼女を言い表せるものはほとんどなかった。
仮にあるとすれば、アスランさんが竜人であるということくらい。
背中にある一対の翼が竜人族特有のものだったから、アスランさんが竜人族だというのはわかっている。
でも、わかるのはそこまで。
彼女自身のプロフィールは一切わからない。
ルリが「四の関係者」と言っていたことから、アスランさんがベヒモス様の関係者だというのはわかる。
ただ、まさかベヒモス様の世話役だったとは思わなかったが。
しかも、アリシア陛下とも近しいとは。
二重の意味で予想外だった。
アリシア陛下は俺の反応を見て、にやりと口元を歪めていた。
「なんだ? 当てずっぽうだったのか?」
「あ、いえ、なんとなく、そうかなって」
あくまでもアスランさんの名前を出したのは、なんとなくだった。
確信があったわけじゃない。
ルリからも関係者だとは言われていたけれど、だからといって世話役だとは思わなかった。
じゃあ、なんでアスランさんの名前を出したんだと言われると、なんとなくとしか答えようがない。
アリシア陛下には「だから、当てずっぽうじゃないか」と笑われてしまった。
「しかし、婿殿よ。世話役殿とはいったいどこで会ったんだい?」
「リヴァイアスで会ったきりです」
「リヴァイアスで?」
「はい。フェスタの会場で出会いました」
「ほう? 一回こっきりで婿殿の正体に気づかれたということか。なるほど、なるほど」
アリシア陛下は何度もしきりに頷いていた。
その様子にどうかしたのだろうかと思っていたが、アリシア陛下は「あぁ、ちょっと世話役殿のことでな」と苦笑いされると、アスランさんのことを語ってくれた。
「あの世話役殿は、ちょうど七、八ヶ月ほど前に突然現れたのさ」
「七、八ヶ月前?」
「あぁ。国王である俺でさえも、彼女がどこから現れたのかさえもわからない。ベヒモス様にお聞きしても「拾った」としか仰らないしな。そのうえで、あの仮面と外套だ。まるで自分の存在をひた隠しにしているかのように。いや、自分が存在していることを認められないという方が正しいだろうか」
「存在を認められない?」
国王であるアリシア陛下でさえも、アスランさんの素性がまるでわからない。
それはつまり正式な形で入国していないということ。基本的にほかの国に入国するためには、関所での手続きが必要になる。関所で手続きを行えば、その情報は少なからず残るわけで、その情報を探すことは国王であればたやすくできることだ。
でも、アリシア陛下は「自分でもわからない」と仰っていた。アリシア陛下でもアスランさんの情報がわからないということは、あの人は真っ当な方法でこの国に入ったわけじゃないということだった。
「……素性がまるでわからない人がベヒモス様の側控えするというのは、どうなんですか?」
「本来なら大問題だな。だが、彼の御仁はベヒモス様からの信頼が篤いからな。俺じゃどうしようもないというのもある。それ以上に、彼女はなんというか、滅私と言えばいいのかな。自分自身を徹底的に殺していてな」
「どういうことでしょうか?」
自分自身を徹底的に殺している。
さきほどの自分の存在を認めたくないというのと似ているようで違っていた。
けれど、その両方の言葉から俺は、アスランさんは自分自身を嫌っているように感じられた。そのままを告げると、アリシア陛下も「同感だな」と言った。
「まぁ、俺の目には嫌っているというよりも、憎悪の方が近いように感じたがね」
「憎悪?」
「あぁ。世話役殿はどういう理由かは知らんが、自分自身を憎悪している。憎悪するが故に自分を認めず、滅私しているのだと俺は思う」
「……どうしたらそこまでなれるのでしょうか?」
それまで話に参加していなかったルクレが言う。その言葉には俺は答えようがなかった。いや、答えようと思えば答えられる。
俺も自分を憎悪している。
弱かった自分に。
誰も守れなかった自分に。
守りたい人たちに守って貰うだけだった自分自身が憎くて堪らない。
自分に憎悪しながらも、俺はそれ以上に俺からいろんなものを奪っていくだけのこの世界をより恨むことで、いまのままで留まることができていた。
だけど、アリシア陛下の話を聞く限り、アスランさんの憎悪は俺のそれよりもはるかに深く重たいもののように聞こえる。
ルクレが言っているのは、たぶん、どうしたらそこまで自分自身を憎悪しきれるのかということ。
その答えは俺の中にはない。
いや、俺だけじゃない。アリシア陛下でさえも答えを出すことはできないだろう。
答えを出せるとすれば、それは──。
「そうさなぁ。そればかりは本人に聞くしかないだろうさ。ってことで、ひとつ頼まれちゃくれねぇかな、婿殿?」
──アスランさん本人だけだ。そう思った矢先だった。いきなりアリシア陛下にがしりと肩を掴まれてしまった。「……は?」と気の抜けた声が口から漏れ出したが、アリシア陛下はニコニコと笑っている。とても嫌な予感がした。
「実は「巨獣殿」に届け物があるんだが、いまはなかなか手が離せず困っていたんだよ。だが、適当な奴はいねえからどうしたもんかなぁと思っていたんだが、ちょうど婿殿たちが来てくれたんだ。だから、な?」
「いや、あの、「な?」の意味がわかりません」
「ん? そのままの意味だぜ? 行ってくれるよな、「巨獣殿」に」
「……なんで、俺が?」
「ん? だって、会いたいだろう? 世話役殿に」
「いや、別に俺は」
「まぁまぁ、そう言うなって」
アリシア陛下は俺の肩に腕を回して抱き寄せられた。そうなると俺の背中に体を預けていたルクレは、いきなりのことで体勢を崩し、より一層俺に抱きつく形になった。いや、抱きつくというよりかはしがみつくの方が正しいか。
俺により密着できて頬を綻ばせるも、予告なしの行動を取ったアリシア陛下はジト目で見つめるルクレ。同じ国王だからこそできる所業だった。
「ルクレを嫁にくれてやるんだ。それくらいはしてくれるだろう?」
「……それとこれとは話が別な気がしますけど」
「固いこと言うなって。いいだろう?」
にやにやと笑いながら引く気は一切なさそうなアリシア陛下に、どうしたものかなと思っていると、アリシア陛下は小声で、ルクレにも聞き取れないような小声で告げた。
「それに婿殿自身、確かめたいだろう? 一度会ったっきりの彼女がおまえさんの正体を知っている理由をさ?」
アリシア陛下の言葉に俺はなにも言い返すことはできなかった。
実際、どうしてアスランさんが俺の正体に気づいたのか。
その理由を知りたかった。
正確には、あの日、フェスタで別れた際に聞いた言葉の答えを聞きたかった。
あの日、あのときアスランさんはたしかに俺のことを「旦那様」と呼んでいた。
当時は聞き間違いかと思ったけど、いざ尋ねようにもすでに彼女は手の届かない場所にいたし、当時はただでさえ、フェスタの会場で何度もはぐれるという状態だった。あれ以上はぐれるのは勘弁して欲しかったということもあって、あの人を追いかけることはしなかった。
あれから数週間が経っても、あの日聞いた声はまだはっきりと憶えている。
でも、いざ「ベヒリア」に来ても、あの人に会えるとは限らなかったし、入国したときはあの人がベヒモス様の関係者だということしかわからなかった。それもどの程度の関係者なのかもわからなかったんだ。
いざ会おうにも、ベヒモス様でも把握していない地位の人という可能性も捨てきれなかったし、仮に把握していても「ベヒリア」にいる間に、あの人がベスモス様のそばにいない可能性だってあった。
だから、あえて気にしないことにしていた。
でも、いまは違う。
あの人がベヒモス様の世話役だと知ったいま、「巨獣殿」に向かえば、あの人に会えることは確定している。
どうせ「巨獣殿」に向かうのであれば、ついでにアリシア陛下の頼みを聞くのもありだった。それに頼みを聞けば、先王陛下の書状を受け取って貰いやすくなるかもしれない。荷物がなんだかは知らないけれど、頼みを断るほど状況は切迫しているわけでもなかった。
打診を含めて考えれば、アリシア陛下の頼みを断るという選択は存在しなかった。……たぶん、それも含めてアリシア陛下には読まれているだろうけども。
「で? どうするよ、婿殿?」
アリシア陛下は俺の肩に腕を回しながら、にやにやと笑っている。
食えない人だなぁと思いながら、俺は「わかりました」とアリシア陛下の依頼を受けることにした。
アリシア陛下は「恩に着るぜ」と喜んでくれた。ルクレは「もう、旦那様は人がよすぎです」と呆れ顔だった。
だけど、呆れつつも俺を見る目はとても優しかった。
ルクレとしては言いたいことはあると思う。
それでも俺の考えを優先してくれた。
俺にはもったいない嫁だと思う。
その嫁に隠し事をしているというのが、胸を痛ませてくれる。
(……アスランさんの正体を確かめられればいいな)
かつて喪った人がアスランさんなのか。
その答えはまだわからないし、口にする気もない。
でも、それはルクレに隠し事をするということだった。
言うべきなのだろうけれど、どう言えばいいのかがわからなかったし、確信があるわけでもない。
ただ、可能性があるってだけだ。
だから言えないし、言う気もない。いまはまだ。
俺にできるのさ、アスランさんと喪ったひとりであるサラさんを重ね合わせながら、ルクレのぬくもりを背中に感じ取ることだけ。少なくない罪悪感に心をただ痛めながら、まだ見ぬ「巨獣殿」に想いを寄せるのだった。




