rev4-2 到着
雲がとても近くにある。
とは言っても平野に比べればの話。
平野に比べれば、空はとても近くにあります。
でも、とても近くにあっても、手を伸ばせば届くわけじゃない。
むしろ、手を伸ばしてしまえば、地面に叩きつけられかねない。
いま私たちがいるのは、そんな国。
山岳国家「ベヒリア」──。
山岳国家という名の通り、「ベヒリア」の国土には平野というものがほぼ存在しないのです。
あるのは天険たる山脈とその裾野にある樹海とも言うべき深い森くらい。ほかにあるとすれば、「リヴァイアクス」と「ベヒリア」を結ぶ大河「ルダ」くらいです。大河「ルダ」は「ベヒリア」の首都である「リアス」にも通じており、一般的に「ベヒリア」と「リヴァイアクス」を行き来するのは大河を使うのです。
そんな通行の要衝でもある大河「ルダ」は、恵みと破壊の象徴でもあります。大河「ルダ」はその規模ゆえに雨期になると暴れ河となり、流域が水害に晒されることが多いのです。
そんな「ルダ」が国内の全土を覆うため、「ルダ」の流域辺、特に川縁のすぐ近くに村や街は存在しません。水害に晒されてしまうので、「ルダ」のすぐそばに村や町は形成できないのです。
かといって、「ベヒリア」にはまともな平野は存在しません。せいぜいが、「ルダ」の川縁くらいです。ですが、川縁は水害に晒される危険地域。村や街を形成することはどうあっても難しい。
過去に何度となく補給地点となる街ないし砦を建設しようとしていたそうですが、その途中の雨期で、建設のための資材や建設途中の建物が跡形もなく流されるなどの被害が多発したそうで、いまや「ルダ」のそばに街を作るという計画さえ立ち上がらなくなったそうです。
では、「ベヒリア」の街や村というのはどのように形成されているのか。
それはとても簡単なことです。
「ベヒリア」の村や街は、山の中腹に築かれているのです。それは私がいまいる首都「リアス」でも同じです。まぁ、「リアス」はほかの街や村とは違い、普通の山に存在はしていないわけですが。
「やっと着きましたね」
ルクレティア陛下が体を伸ばされる。それひとつとても清楚っぽく見えるとかどうなっているんでしょうね、本当に。
「ばぅ? おかーさん。ここなの?」
ベティちゃんはプロキオンちゃんに肩車してもらいながら、不思議そうに首を傾げています。当のプロキオンちゃんは、「動かないでってば」とベティちゃんの扱いにいまだ苦慮していますね。
「ええ、ここが「ベヒリア」の首都「リアス」ですよ」
ベティちゃんの疑問に対して、ルクレティア陛下は口元に手を当てて、くすくすと嗤いながら頷かれました。
まぁ、ベティちゃんの疑問は当然と言えば当然です。だって、私も事前知識がなかったら、ここが首都だとはとても思えませんし。というか、事前知識があっても、本当にここが「リアス」なのかと思ってしまいますね。それだけ、ここはいままで廻ってきた国の首都とはまるで違っていました。
だって、「ベヒリア」の首都である「リアス」の外観。それは──。
「でも、ただのあなにしかみえないの」
──そう、とても大きな洞穴にしか見えないのです。
その大きさは私の身長の倍なんてくらいじゃ足りない。それこそ十、いえ、二十倍くらいはあるかもしれません。それこそ見上げていると首が痛くなるくらいにです。いまもベティちゃんは「ほぇー」とかわいらしくお口を開けながら、とても高い天井を見上げているのです。
「ベティ。だから危ないってば!」
プロキオンちゃんは、そんなベティちゃんを落とさないように頑張ってくれています。さすがはお姉ちゃんですね。……まぁ、実年齢を考えると、どちらが年上なのかは結構微妙なところではありますが、ベティちゃん曰くプロキオンちゃんがお姉ちゃんということです。どのような線引きがあったのかはわかりませんけども。
「だって、こうしないとみえないもん。おねえちゃんのけちんぼさん」
「ベティを落とさないようにする私のことも考えてよ!」
「それくらい、おねえちゃんならとーぜんのことなの!」
「なにを!?」
「なんなの!?」
……お姉ちゃんとして認めてはいるものの、ふたりの精神年齢はとても近しい気がしてなりません。まぁ、プロキオンちゃんの産まれを考えれば、だいたい同年齢くらいでしょうし、無理もないかもしれませんけど。
「シリウスちゃん。お姉ちゃんなんだから我慢しないとダメだよ?」
「ベティちゃんもですよ? そんなわがままは言っちゃダメですよ」
かわいらしい喧嘩を始めたふたりに私とルクレティア陛下がそれぞれに釘を刺すと、ふたりは「むぅ」と唸りながらも矛を収めてくれました。ふたりの喧嘩はよく起こりますが、私とルクレティア陛下ないしレンさんが口を出すと、止まってくれるのです。
だからと言って、ふたりの仲は険悪というわけではありません。若干奔放なベティちゃんに、若干引っ込み思案なプロキオンちゃんは相性がよく、このところはよく一緒にいるのです。まぁ、ベティちゃんの奔放っぷりにプロキオンちゃんは手を焼いているようではありますが、それを踏まえてもふたりは仲のいい姉妹をしていますね。
「ママたちの言う通りだぞ、ふたりとも。仲良くするんだよ?」
そんなふたりにレンさんが口元に笑みを浮かべながら声を掛けると、ベティちゃんは「……はーいなの」と頬を膨らめつつも頷きました。プロキオンちゃんは──。
「……うん、ぱぱ上」
頬をほんのりと染めながらも小さく頷くのです。その仕草に私の心はこれでもかというほどに打ち抜かれました。うちの愛娘、マジかわいい。ぱしっと口元を手で押さえながら私は大いに悶えつつ、どうにか呼吸を整えていきます。
「……まま、なんか気持ち悪いよ」
「アンジュおねーちゃんは、ほんとうにばっちぃの」
「ベティちゃんはともかく、シリウスちゃんまで!?」
愛娘のまさかの裏切りに、私は打ち震えました。
そんな私をよそにルクレティア陛下はここぞとばかりに、プロキオンちゃんに近づき──。
「シリウスちゃん、この際ですから、私のことも「まま」と呼んでくれますか? ほら、アンジュままはああですけど、私はああはなりませんので。ね?」
──なんてことを、プロキオンちゃんの耳元で囁くではありませんか。
「る、ルクレティア陛下! シリウスちゃんのままは」
「ええ。アンジュさんもままですけど、旦那様との関係を考えると私も「まま」になる資格は十分でしょう?」
「で、ですが、シリウスちゃんには、その、お腹の中が真っ黒な人は、その」
「アンジュさんは国際問題を起こすことはお好きですか?」
「……ナンデモアリマセンデス」
プロキオンちゃんの情操教育のためにも、ルクレティア陛下の企みは防がないといけない。そう思った私ですが、やむなく撃沈です。……さすがに一介の村娘に国際問題を突き付けるというのは反則すぎでしょうよ、遠回しに腹黒と言っただけでそんな脅しをするとかやりすぎじゃありませんかね?
実際に口にはできませんけどね。だって、国際問題とか怖すぎですよ! ルクレティア陛下はその気になれば、いつだってその問題を提起できる立場におられるわけです。コサージュ村が元通りに戻っても、早々に国際問題を突き付けられたらどうなるのかなんて火を見るよりも明かですもん。
「……そろそろ、よろしいでしょうか?」
国際問題という大きいにもほどがありすぎる恐怖に、私が戦慄いているとそれまで控えていた男性が、恐る恐ると声を掛けてきました。
その男性は、黒い軍服。「リヴァイアス」にいた頃のルクレティア陛下が着られていたものに酷似した軍服を身につけられていました。まぁ、ルクレティア陛下のものに比べると、若干、というか、数段豪華さが落ちますけども。
肩には階級章のようなものが刻まれていますが、ルクレティア陛下のはいくつもの線とその上に大きな星が刺繍されていたのですが、その方のは横線ふたつの上に星がひとつというとても簡素なものでした。
ですが、それはあくまでも階級を示すだろうものだけ。階級章そのものはかなり手が込んでいます。ルクレティア陛下のと同じように五角形ではありますが、その五角形の内側にはとても大きな獣のようなものが描かれていました。それはカバのようでもあるけど、とても大きな牙を持った見たことのない魔獣のようなものが描かれているのです。
ですが、その魔獣らしきものの正体がなんであるのかは、なんとなくわかっていました。ルクレティア陛下の階級章には大蛇が描かれていたのは、「リヴァイアクス」がリヴァイアサン様の加護にある国だから。その隷属を示すためのもの。
それを踏まえれば答えは簡単です。目の前の男性の階級章に描かれている魔獣らしきものはなんなのか。それは「ベヒリア」、ひいては首都である「リアス」がどこにあるのか。それがもはや答えです。
「ベヒリア」の首都「リアス」はとても神聖な場所でした。なにせ、ここは大地を司る神獣であるベヒモス様のおられる「巨獣殿」を擁する「巨獣山」の中腹にある街なのですから。そう、「ベヒリア」の階級章に描かれているのは、ベヒモス様なのです。
そして「リアス」の街の入り口が巨大な洞穴なのも、ベヒモス様が初代の国王陛下のためにこの洞穴を作り、そして内部に巨大都市を建設できるほどの居住空間を作られたからと言われています。
そんな歴史を持つ「ベヒリア」は「聖大陸」における二大軍事国家の一角にして、ルクレティア陛下とレンさんの新婚旅行のひとつめの国であり、「アヴァンシア」の先王陛下からの対ルシフェニア連合参加の書状を渡す最後の国でもあります。
あぁ、そうだ。言ってはいませんでしたが、「リヴァイアクス」は対ルシフェニア連合に参加することになりました。
理由はルクレティア陛下とレンさんが婚約されたからです。と言うと、意味がわからないですよね。でも、まぁ、理由は実際そんなもんなんですよ。
正確に言うと、レンさんのためにルクレティア陛下は「ルシフェニア」と事を構えると決められたのです。もっと言えば、いまの海王陛下、プーレリア陛下のお言葉も受けてというのもあるでしょうけど。
レンさんとプーレリア陛下の言葉。そのふたつを受けて、ルクレティア陛下は同盟参加を決意されたのです。
「ルシフェニア」が行ってきた非道。その非道を知ったゆえの参加です。
これにより、対ルシフェニア連合は現実的なものとなりました。
なにせ、「リヴァイアクス」もまた「聖大陸」における二大軍事国家ですから。その一角が参戦を表明したということは、連合軍が盛況無比な軍になったということと同意義ですから。
ただ、表明しても「リヴァイアクス」は連合軍の盟主となるつもりはないようですね。あくまでも盟主は「アヴァンシア」であり、「リヴァイアクス」はあくまでも同盟軍に無条件での全面参加を表明したみたいです。
なお、無事に「ルシフェニア」を打倒した後のことは、おいおいということで先王陛下とは話を付けられた模様です。
そのあたりのことは政治的なあれこれが絡んでくるので、いまいちわかりませんが、どうやら利権的な内容についてのようなので、ことさら私には理解できないことでした。
……イリアさんに言ったら、「みっちり教えてあげますよ」ととてもきれいな笑顔で言われてしまいました。その後、私がどういう目に遭ったのかは言うまでもないでしょう。ちなみに、講義にはプロキオンちゃんもついでとばかりに参加していました。それも講師としてです。
まぁ、考えてみれば当然ですよね。だってプロキオンちゃんは、「ルシフェニア」側にいたんですから。当然利権などのことも熟知しているわけですよ。となれば、教鞭が取れるのも当然なわけでして。
そうなるとどういうことが起きるのか。ええ、簡単なことです。無知蒙昧なままに娘が教えるという悪夢のできあがりです。
そういう悪夢ができあがるように仕立て上げたイリアさんは、本当に悪魔だと思います。
だって、プロキオンちゃんが教鞭取っている際、ずっと楽しそうに嗤っていたんですよ?
ええ、笑っていたのではなく、嗤っていましたよ。あの仮面巨乳女は。
しかもあの仮面女と来たら、「こんなにも簡単なことだけど、ままのためにしっかりと教えてあげてね、シリウスちゃん」と囁きましたからね。
当のプロキオンちゃんは「うん、私がんばる」とやる気満々でしたね。それが余計にままとして心苦しくて堪らなかったわけですが。
その悪夢は、「ベヒリア」までの道程で毎夜行われました。
しかも、道程だけでは終わらないようで、首都の「リアス」にたどり着いても続くというおまけ付きです。
あの仮面女は私になんの恨みがあるというのでしょうかね?
レンさんに振られた八つ当たりでしょうか。
あぁ、その可能性は十分に考えられますね。まったくなんて心が狭いのでしょうか。もっと私のような心の広さを持って欲しいもので──。
「顔がうるさいです、アンジュ様」
「顔がうるさい!?」
初めて言われた批難ですよ。というか、顔がうるさいってなに!?
「あ、あのぉ?」
あまりにもあんまりなイリアさんの言葉に私が再び戦慄いていると軍服の男性がなんとも言えないお顔をされていました。
「ああ、気にしないでください。ファラン少佐」
「小生を憶えておられるのですか?」
「ええ。以前の合同演習の際に粘り強く指揮をされておられたので。なかなかに見所のあるお方と」
「光栄でありますが、散々陛下には打ち砕かれておりますので」
「ふふふ、あれはたまたまですよ」
「……たまたま、ですか」
「ええ、たまたまです」
にこやかに笑みを浮かべるルクレティア陛下と頬を引きつらせる男性ことファラン少佐。どうやら合同演習でルクレティア陛下に散々な目に遭わされた模様です。その証拠にファラン少佐は若干怯えていますし。やっぱりルクレティア陛下は怖い人です。
「それよりも、わざわざ少佐ほどの方がおられるということは、あなたが案内役ですか?」
「は。その通りであります。これより小生の部隊が我が王のおられる居城までの案内と護衛を仕ります」
「それは頼もしいですね。お願いいたします」
「は、お任せください」
ファラン少佐は背筋をピンと伸ばして敬礼をされました。
見た目の上であれば、ファラン少佐はとてもイケメンさんです。それも憂いを秘めたようなタイプのため、一見清楚なルクレティア陛下と並ぶと非常に絵になりますね。まぁ、あくまでも一見清楚なだけですけど、ルクレティア陛下は。だって内面はとんでもない腹黒さんで──。
「こ・く・さ・い・問題は、お好きですか?」
「……ゴメンナサイ」
「よろしい」
──腹黒? それはいったいの誰のことを言っているのやら。ここにおわすのは世界でも唯一無二のおしとやかで、清楚という言葉を体現なさったお方ですよ。そんな腹黒なんてあるわけがないじゃないですか。だから、その、伝家の宝刀を抜かれるのはやめてください、死んでしまいます!
「や、です。だって、アンジュ様を虐めるの楽しいんですもの」
「天然いじめっ子!?」
「ふふふ」
「否定しないんですか!?」
「する意味あります?」
「……ははは」
ルクレティア陛下の思いもしなかった一言に私は泣き笑いするしかできませんでした。ベティちゃんとプロキオンちゃんは「アンジュおねーちゃんよりおかーさんの方が上みたいなの」や「そうみたいだね。まま、弱いの」とぐさりと来る言葉を口にしてくれていました。だめ、私、泣いちゃう。
「……ルクレティア陛下はお変わりない、ようですね」
「……うちの嫁がすみません」
「あ、あぁ、いえ。お気になさらず。王配殿下」
「その殿下というのは」
「ですが、王配であらせられるのは事実でございますよね?」
「……はい」
「でしたら、問題はないかと思いますが」
「……はぁ」
ルクレティア陛下に虐められている間、レンさんとファラン少佐がお話されていました。やっぱりレンさんはまだ王配殿下と言われるのに慣れていないようです。
まぁ、無理もないでしょうけど、そのうちに慣れてしまうんでしょうね。
(……そのときには、この胸の痛みもなくなるのかな?)
そのときがいつなのかはわからない。でも、いつかは痛みが消える日が来るのだろうか。
ルクレティア陛下からのパワハラを受けながら、私は胸の奥から疼く痛みをあえて気にしない素振りで受け止め続けていたのでした。
とにかく、こうして私たちは「ベヒリア」の首都「リアス」にと到着したのでした。
ルクレが言うこと聞いてくれないのです。やはり腹黒清楚が最強なのか←




