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rev4-1 ある後継の話

 あぁ、声が聞こえる。


 もう聞けないはずのあの人の声が聞こえてくる。


『しっかりしろ、愚妹』


 私を叱咤するあの人の声。


 物心がついたときには、すでに一族の中でもかなりの地位にいたあの人。まだ若いというのにも関わらず、地位を得ても決して驕ることはなかった。


 他人には優しかったが、私には厳しかった。でも、それは私が嫌いだからじゃない。


 あの人に会えなくなったことで、それがはっきりとわかってしまう。


 あの人は私を心の底から愛してくれていた。


 大切な妹として愛してくれていたのだと。


 わかりづらすぎる。


 もっとわかりやすい愛情をくれればいいのに。


 なんで、厳しさを通して愛情を伝えようとしてくれていたのやら。


 どうして、そんな不器用なやり方でしか愛情を伝えなかったのか。


 考えれば、もっといい方法はほかにあるでしょうって言いたかった。……私がいまの姿になったのと同じように。


 そう、たとえば、あの人が犠牲になるのではなく、私を糧にすればよかった。


 虫の息だったこの身を助けるなんて、無駄なことをせず、あの人が強化された方がよかった。


 私は補佐として在っていたけれど、その仕事を途中で放り出した半端者だ。そんな半端者なんかよりも、あの人がいた方がいい。


 誰だって同じことを言う。あの方だってきっと同じことを言うだろう。


 私も一員ではあった。


 でも、一員ではあったけれど、あの人は私を求めてくれることなんて一度もなかった。


 あの方にとって、私は場を賑わすだけの存在。「あぁ、そういえばいたなぁ」って言われるだけの存在にしかすぎない。


 そんな私なんかがいたって、あの方の役に立てるわけがない。


 私にはなにもできない。


 できることはあるけれど、そのできることであの方の一番にはなれない。


 補佐としての地位を放り出してまでのめり込んだことでさえも、あの剣士には勝てない。


 力という意味合いでも、伝説とまで謳われたあの女王様には勝てるわけがない。


 ならば家事をしようにも、穏やかな、あのかわいらしい少女の前では舌を巻くしかない。


 では、女としてならと思うけど、それに関しては完全な敗北を喫している。私はあの方の中にいられるけれど、あの方の中心にはいられない。あの方の中心にいるのは、煌めく銀髪の彼女とあの方の幼なじみ。そのふたりにはどうあっても私は勝てない。


 私はなにを以てしても、どうやろうとしても、あの方の、旦那様の一番になることができない。


 あぁ、そうだ。


 私はどこまで行っても半端者でしかない。


 その半端者が行き着いた結果がいまだ。


 半端者なんかのために、旦那様のお力に必ずなれるはずのあの人は、みずからを犠牲にしてしまった。


 半端者を救うためだけに、そのすべてを用いられた。


 その理由が、妹のため。半端者でしかない愚妹なんぞのために、そのすべてを捨てられてしまった。


 バカだと思う。


 なにを考えているんだとさえ思う。


 人のことを散々愚妹と罵っていたくせに、本当に愚かなのはどっちだと言いたいほどだ。


「……本当に、本当に愚かです、姉様」


 なにを考えているんだと言いたい。


 もっとよく考えろと言いたかった。


 だけど、その言葉を口にすることはできない。


 いや、できるけれど、その言葉を向けるべき人は、もういない。


 もう顔を合わせることもできない。


 言葉だって交わせない。


 でも、声は聞こえる。


 あの人の、姉様の厳しくも暖かな声が。


 私なんかに無償の愛を注いでくれる、あの声が。


 こうなる前まではわからなかった。


 わかっているつもりでしかなかった。


 あの人がどれほどに私を愛してくれていたのか。


 あの人と永遠に会えなくなってようやく理解できた。


 あまりにも遅すぎた。

 

 どうして、もっと。もっと早く気づいてあげられなかったのか。


 もっと早く気づいていれば、その愛に応えてあげられた。


 私も愛していると伝えられた。


 なのに、その機会は永遠に失われてしまった。


 私がその愛に気づけなかったからだ。 


「……ごめんなさい、姉様」


 もう会うことも叶わないあの人に、姉様に心の底からの謝罪をする。


 でも、どれほど謝罪を告げても、姉様に届くことはない。


 だって、姉様はもう──。


「アスラン」


「……ご用命でしょうか?」


 ──姉様のことを考えていると、我が君のお声が響く。


 顔を上げると、我が君が眠たそうな目で私を見つめていた。


「……いや、特に用事はない」


「では、なにかございましたか?」


「……うむ。そなたが悲しそうにしておるのでな。少しのぅ」


「……左様でしたか。お気になさらなくても」


「いや、我のせいであるからのぅ。……ああするしかなかったが、もしかしたら、ほかに方法があったのではないかとな。もう少し時間を掛ければ、いや、もういくらかの時間があれば、もっと別の方法があったのではないかと思うのだ」


 我が君は、深い皺の刻まれたまぶたを、重たそうにしながら、悔恨だらけの目で私を見つめている。


「……いえ、我が君。こうするしかありませんでした。これ以上の方策はなかった。そう思います」


「……だが、アスランよ」


「いいのです。姉様はここにいるのです。ゆえにお気になさらないでください」


「……すまぬ」


「そのお言葉だけで十分でございます」


「そう言ってくれるか。ありがとう、アスラン」


「……どういたしまして」

 

 我が君が笑う。


 その笑みに私も笑みを返すと、我が君のまぶたがゆっくりと下がっていく。


「我が君。あまりご無理は」


「……そうさのぅ。起きたばかりだというのに、もう眠たくなってきてしもうた。歳を重ねすぎたのぅ」


「無理もありますまい。転生をされておられないのですから」


「……そうだな。姉上たちや妹どもは何度かしておるが、我は一度もしておらぬ。さすがにそろそろ限界だのぅ」


「そろそろ転生をされては?」


「……そうしたいところだがなぁ。この体は母君からの贈り物であるからのぅ。たとえあの方から愛されていなかったとしても、この体があの方に用意してくれたものであることはたしかなのだ。その身をどうして捨てられる? たとえ、どれほど老いさらばえ、稼働限界を超過しようとも、我には捨てることはできぬ」


「……我が君」


「それに、そろそろ神子がお越しになられる。それまで保ってくれればよい。……次代を担う者を見つけることもできたしのぅ?」


「……その件でしたら、もう何度も」


「だが、我は転生をするつもりはないのだ。次代の四の座はそなたに任せるしかない」


「ですが」


「……まぁ、よい。まだ時間はある。それほどたっぷりとあるわけではないが、いつか決めてくれればよい」


 そう言って、我が君はゆっくりとまぶたを下ろされていく。


「……アスラン。少し眠らせて貰うぞ」


「はい。ごゆっくりお休みくださいませ。我が君」


「うむ。またのぅ、アス、ラン」


 我が君の言葉が途切れ、それから静かな寝息が聞こえてくる。


 私なんかは比べようもないほどの巨体。だけど、その体は皺だらけ。肌のところどころに皹もある。その正体を知らなければ、老体の魔獣としか思えない。けれど、この方は魔獣ではない。最も尊き獣。六柱のひとつにして、大地を司りし方。


「ごゆっくりお眠りくださいませ、ベヒモス様。よい夢を」


 皺だらけのお顔にそっと触れながら、ベヒモス様の快眠を願う。できれば、幸せな夢を見て欲しい。そう祈りを捧げながら私は避けられない旦那様との再会が、できるだけ先延ばしになって欲しいと思った。


(……できることなら、できることであれば、もうお会いすることなく、この国を去ってください、旦那様)


 それがありえない願いだとわかっている。それでもそう願わずにいられなかった。


 その願いがベヒモス様の最後の望みを踏みにじることになったとしても。


 旦那様が「巨獣殿」にお越しにならないことを祈ってしまう私がたしかにそこにはいた。そんな自分の変化に物悲しさを抱きながら私は、ベヒモス様のそばに控え続けたのだった。

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