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rev3-59 次女のやるべきこと

 水柱が上がっていた。


 城から海のある港まではそれなりに距離がある。


 だというのに、その水柱はとても大きかった。


 高さだけでも雲に届きそうなほどなのに、その幅も凄まじい。なにせ窓枠から見切れてしまうほどだった。遠近法を考えるに、下手したら幅だけでもキロ単位あってもおかしくないかもしれない。


 そんな水柱が突然立ち上った。


 街中がどうなっているのかなんて、もはや考えるまでもなかった。


「いったい、なんなんだ、あれは」


 いきなり立ち上った水柱。その正体はいまのところまるでわからない。


 海底火山の噴火とかだろうか。


 でも、ルクレからはそんな話を聞いたことはない。


 となると、ありえないことだけれど、生物かなにかの仕業だろうか。


 この場合は魔物だろうか。


(魔物というと、真っ先に思い浮かぶのはアレだな)


 魔物と考えて真っ先に思いついたのは、エンヴィーで遭遇した竜のことだった。


 レアに一蹴された影響で、大して印象は強くないのだけど、たしかバアルと名乗っていた魔竜だった。


 登場自体は非常に派手で、見た目もだいぶおっかなかったが、相対したのがレアだったから、どうにもかませ犬というイメージが根付いている。


 だが、冷静になって振り返ると、あの魔竜に当時の俺が勝てたかどうかは非常に怪しい。レアにとってはただの食材でしかなかったけれど、相手していたのが俺だったら、きっと簡単にひねり潰されていただろう。


 かませというイメージがあるのも、相対していたのが規格外のレアだったからで、当時の俺はそれなりに実力がある程度だった。そんな俺があの魔竜に勝てるかと言われたら、すぐに頷くことはできない。


 あの水柱はその魔竜を連想させてくれる。


 いまでも勝てるかどうかと問われたら、勝てると自信を持って言うことはできない。


 当時よりかは善戦というか、戦いと言える程度にはやり合えるという自信はあるけれど、絶対に勝てるとまでは言い切れない。


(……もし、あの魔竜だったら)


 背筋を嫌な汗が伝っていく。


 絶対に勝てるとは言えない相手とやり合う。


 そう考えるだけで背筋が震える。


 一度すべてを失った。


 もう失うものなどなにもないし、失うことなど怖くない、と言い切れればいいのだけど、残念ながらそう言い切ることはできなかった。


 街中はいまごろ大騒ぎになっているだろうに、いまだにベッドですやすやと眠り続けているベティ。そういうところは大物だなぁとしみじみと思う。


 ただ、大物であっても、その中身はまだか弱い子供だった。……不意討ちだったとはいえ、数十人はいた盗賊をひとりでぶちのめした子をか弱いと言っていいのかはちょっと怪しいが、それでも俺にとってはか弱い娘だった。


 そんなベティがいる手前、失うことが怖くないなんてことはとてもじゃないけれど言えない。


 それにこの国では大切な人が、ルクレがいる。


 ルクレとは数日後に挙式をする予定だけど、そのルクレを失うことも十分にありえる。


 レクレはこの国の元女王だ。海王とやらに王権を譲っているそうだけど、政務はすべてルクレが執り行っているから、いまだ女王として彼女が立っていると言ってもいい。


 そのルクレはこの非常事態に矢面に立たなければならない。それが王としての役目だからだ。


 その最中に悲劇が待ち受けているかもしれない。


 その可能性を否定することはできなかった。


 そうならないためには、俺がルクレとベティを守らなきゃいけない。


 当時とは違い、レアはいない。


 強いて言えば、ルリがいるけれど、ルリでさえあれと戦って必ず勝てるかはわからない。


 実力的に言えば、ルリはレアを超えた規格外の存在だが、ネックなのは制限時間があるということ。


 その制限時間内でアレに勝てるかどうか。


(……不安要素だらけだな)


 戦力不足とまでは言わないが、確定要素がほぼないという不安だらけの状況だった。


 さらに不安要素を加えるとすれば、あの水柱があの魔竜だとは限らないということもある。

 あの魔竜はとても大きかった。


 だが、俺の記憶がたしかならば、あの水柱はあの魔竜のそれよりもはるかに大きい。サイズだけで言えば、下手すれば十倍くらいはあるかもしれない。サイズと実力が比例すると仮定したら、あの水柱の主はあの魔竜の十倍の実力があるのかもしれない。


 いや、十倍であればまだましか。


 下手したら十倍どころの騒ぎではないかもしれない。


 そんな相手と戦って守りたい者を守る。


 はたして、いまの俺にそんなことが──。


「なに不安がっているんだ」


 ──できるだろうか。そう思っていた矢先だった。


 プロキオンが若干呆れたような口調で言ったんだ。


 見れば、その口調同様に呆れた顔のプロキオンが俺を見つめていた。


「不安がっているって言われても、あんなでかい水柱を立てる奴だぞ? そんなの──」


「そんなことは関係ない」


 俺の不安を一蹴するように、プロキオンははっきりと切り捨てくれた。その言葉に空いた口が塞がらなくなってしまう。でも、プロキオンはまたもはっきりと言い切った。


「おまえが不安になったらダメだろう」


「そんなこと言われても」


「そんなことも、こんなこともない。おまえは不安になったらダメなんだ」


 顔を近づけて睨み付けるような視線を向けるプロキオン。いや、半ば睨み付けていると言ってもいい。怯えはしないけれど、その視線はとても懐かしい。シリウスも時折こんな視線を向けていたことがあったなと思うと、胸が痛かった。でも、その痛みを顔には出さずに、いまだに睨み付けてくるプロキオンを見やる。


「おまえ、あの女王様をお嫁さんにするんだろう? じゃあ、おまえは王配さんになるんだ。その王配さんが不安がったらダメだ。だって、王配さんって軍の役職に就くことが多いんだろう? つまり将軍さんになるんだろう?」


「まぁ、そういうことになるのかな?」


 すべての王配がそうなるとは限らないけれど、妻である王を支えるために軍事でかなりの力を持つというパターンは多い。実際俺も王宮騎士団の団長をあてがわれる予定だった。ただの騎士団ならともかく、王宮騎士団の団長となれば、将軍と言っても差し支えはないはずだ。


「だったら、おまえは不安になったらダメなんだ。少なくとも顔に出したらダメ。だって、将軍さんは部下を鼓舞しなきゃいけない。部下に不安を抱かせちゃいけないんだ」


 プロキオンの言葉に正直言葉を失った。


 内容は若干幼い部分はあれど、言っていることは正しかった。上に立つ者が不安そうにしていたら、下の人間が力を発揮できるわけがない。上に立つ者の仕事は下の人間が力を発揮しやすいようにする、つまりは下の人間に不安がらせないようにすること。それが上に立つ者の仕事だった。


 なのに上に立つべき俺が不安に駆られてしまったら、士気に大きな影響が生じるところだった。


 ここがルクレとの居室の中でよかったとしみじみと思う。情けないところを見せずにすんだのだから、プロキオンには頭が上がらない。


「……そうだな、ありがとう、助かったよ」


「がぅ。わかったならいい。それに」


「それに?」


 プロキオンは俺から視線を外し、ベッドで眠るベティの頬を撫でていた。その目は俺に向けるものよりもはるかに穏やかで優しかった。


「おまえは将軍さんだけじゃなく、この子のパパなんでしょう? だったら部下以上に、この子にそんな姿を見せちゃダメだと思う」


 また言葉を失ってしまった。その通りだとしみじみと思う。


 部下への信頼も大事だが、それ以上に娘を心配させることはしたくなかった。


 上に立つ者としても、パパとしても失格だった。


「……そうだな。俺が不安になったら、ベティが不安になるよな」


「うん。だから、おまえは不安になっちゃダメ。なってもいいけれど、顔にも態度にも出したらダメだ。脳天気になれとまでは言わないけれど、自信があるように見せないとダメだ」


 プロキオンの視線がまた鋭くなる。


 その言葉をしっかりと受け止めながら思ったのは、この子はシリウスとは違うってことだ。

 シリウスであれば、こんな発破を掛けてくれることはなかった。シリウスが掛けてくれる言葉は若干きつめだった。ただ、その一方で俺を全面的に肯定してくれていた。


 しかし、プロキオンの言葉はきつくはないが、俺の尻を蹴り上げて発破を掛けてくれていた。シリウスも時折してくれはしたが、基本的に俺を肯定していたシリウスでは、ここまで発破を掛けることはなかった。


 それを踏まえてもやはりプロキオンはシリウスとは違う。


 違うけれど、そのありようはとてもありがたい。


 シリウスの肯定がいらないというわけじゃない。肯定されることも必要ではあるが、プロキオンのように否定をしながらも発破を掛けるという行為もまた必要なものだと思う。組織で言えば、シリウスが右腕たるナンバー2だとしたら、プロキオンは左腕、ナンバー3のするべきことと言えばいいんだろうか。


 もっと言えば汚れ役の仕事というところかな。シリウスを長女としたら、次女がプロキオンというべきか。長女にはできないことをする次女。


 非常にありがたくもあり、負担の掛かる大変な立場だった。


 それだけに厚遇してあげるべきだ。


 具体的には──。


「プロキオン」


「がぅ?」


「ありがとうな」


 ──これと言ったものが思いつかなかったので、ハグしてあげることにした。


 すると、なぜかプロキオンは固まってしまった。


 よく見ると耳の先まで真っ赤になっている。


 熱でもあるのかな。


「プロキオン?」


「な、なんでもない! 私はここでこの子を見ているから、おまえはあの女王様のところに行ってこい!」


 プロキオンが叫ぶ。


 なんだか怒らせてしまったみたいだった。


 どうしてだろうと思いつつも、言われる通り居室を後にして、ルクレの元へと向かうことにした。


「ベティを頼む」と一言言って俺は城の廊下を走り、ルクレのいるであろう執務室へと急いだのだった。

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