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rev3-57 真実

「──うそだ」


 リヴァイアサン様が呟いた。


 どれほど無言の時間を貫いたのか。


 時計などない大蛇殿ではわからないけれど、そう長くはなかった。


 でも、その長くはないはずの時間が、途方もなく長い時間のように感じられるほど、場の空気は重たくなっていた。


 リヴァイアサン様の目の前にいるのは、曰くレリアーナさんという方の子孫だった少女の遺体。その遺体に宿ったレリアーナさん、のはずだった。


 けれど、そのレリアーナさんははっきりと宣言した。自分はレリアーナではなく、双子の妹であるレイアーナなのだ、と。


 その一言にリヴァイアサン様は、言葉を失っていた。


 なにも言い返せない言葉だったのか。


 いや、言い返す言葉が見つからなかったのか。


 どちらであるのか。それともどちらでもないのか。


 私にはわからなかった。


 リヴァイアサン様がどれほどの困惑の中にあるのかは私にはわからない。


 理解しようとしても、千年という時の中で、ずっと信じ続けてきたものが、いきなり足場から崩れ落ちる。


 その衝撃がどれほどのものなのかは、私には想像さえもできない。


(……私、なんでリヴァイアサン様の心配をしているんだろう?)


 ふと、なんで私がリヴァイアサン様の心配しているのかと疑問を抱いた。


 リヴァイアサン様が、私にしたことを思えば、心配なんてする必要はない。


 この人は神獣なんて聖なる存在じゃない。


 私にはただの悪魔としか思えない。


 あくまでなければ、鬼畜だ。


 それくらいの存在でなければ、あんな非道を笑いながら行えるわけがない。


 しかもその非道を、私だけではなく、ルクレティア陛下やその母君様、いや、その何代も前の女王陛下や姫君様たちは受け続けてきた。


 その非道を思えば、心配なんてする必要はない。


 むしろ、いまの姿を見て溜飲を下げても当然とも言える。


 いままでの非道の報い。


 当然の結果だと言えるはずなのに。


 私はなぜかリヴァイアサン様の心配をしていた。


 体を小さく震わせるその姿が、あまりにも頼りなく、そしてあまりにも哀れに思えたから。

 そう、いまのリヴァイアサン様の姿は、哀れの一言に尽きる。


 明確に言えば、いまのリヴァイアサン様は道化だ。


 自分の望みのために、いろんなものを代償にしてきたというのに、最後の最後でその望みに手が届かなかった。


 いや、手が届いたと思ったのに、掴んだ地面が崩れてしまった。


 手が届かなかったのであれば、まだ諦めもつく。


 けれど、手が届いたはずだったのに、不運が起きた結果、望みを手に入れることはできなかった。


 それは到底受け入れられるものじゃない。


 ほんのわずかな違いが、残酷なほどに明確な差を生じさせてしまった。


 その姿はあまりにも哀れだ。


 口すがない言い方をするのであれば、あまりにも滑稽だ。


 それゆえにいまのリヴァイアサン様は道化としか言えない。


 それはきっとリヴァイアサン様自身も理解されていること。


 そんな中の沈黙。


 その沈黙を破ったのが、先ほどの言葉。か細い声での「うそだ」という一言だった。


「うそだ。うそだ。うそだ!」


 リヴァイアサン様は髪を振り乱しながら叫ぶ。その言葉にレリアーナ、いや、レイアーナさんはとても悲しそうに首を振る。


 でも、リヴァイアサン様はまた「うそだ」と叫ぶだけだった。


「僕は信じない! 君はレイアーナじゃない! レリアーナだ! だって、だって! あのとき、僕の目の前にいたのはレリアーナじゃなかった! レイアーナだった! レリアーナであれば、顔に火傷があるはずだ! でも、彼女にはそんなものはなかった! だからあのとき、あの場所にいたのはレイアーナだったんだ!」


 リヴァイアサン様は必死だった。


 必死に縋るようにして、レイアーナさんの肩を掴んでいる。


 けれど、レイアーナさんが頷くことはない。彼女はただ首を振り、「私はレリアーナではありません」と現実を突き付けてくる。その突き付けられた現実に、リヴァイアサン様はまた体を震わせて「うそだ」と呟いた。


 堂々巡りの様相を経てきたおふたりのやりとり。そのやり取りに終止符を打ったのは、やはりリヴァイアサン様だった。


「なんで、なんで、そんな嘘を吐くんだ、レリアーナ! そんなに、そんなに僕のことが嫌いなのか!? 誰との間とも知れない子を産んだレイアーナを、いまの王族の元となった子を産んだレイアーナを僕があんな目に遭わせたことに怒っているからなのか!?」


 リヴァイアサン様が告げた一言に、レイアーナさんは反応した。


「あんな目、とは?」


「知らないのか? レイアーナは、いまも生きている。まぁ、醜悪な姿としてだけどね。死ぬこともない姿で、魔物のホエールとしていまも意味もなく海洋を漂っている。当然の報いだけどね。だって、君の振りをして僕の前に現れたんだ。本当なら、彼女が産んだとかいう子供も同じ目に遭わせてやりたいところだったけれど、血筋が途絶えるのは問題だと思ったからやめてやった。それがいまの王族の元になったのは、驚いたけどね」


 あははは、とリヴァイアサン様は力なく笑っていた。笑うというよりも半分泣いていると言う方が正しいのか。


 でも、その姿よりも、その言葉の方が問題に思える。


 いや、問題というよりも、より哀れに思えてきた。


 リヴァイアサン様が「レイアーナ」と呼ぶ女性が産んだ子供。


 リヴァイアサン様曰く、いまの王族の元となった方。


 その子供を「レイアーナ」さんは産んだ。


 誰との間の子供なのかはわかっていない。


 それを伝える前に、リヴァイアサン様が激高されたのは、話の流れからして明かだった。


 そしてその結果、「レイアーナ」さんは魔物のホエールになり、いまも海洋を漂う形で生き続けている。


 その言葉を聞き、レイアーナさんは「……なんてことを」と悲しみに暮れていた。


 頑なにホエールとなった方を「レイアーナ」さんだと信じるリヴァイアサン様。いや、そうしないと心を保てないのかも知れない。


 だって、あまりにも悲劇すぎる内容だから。


 それこそ心を病んでしまってもおかしくないほどの内容だった。


 もし私が同じ立場であったら、心を病むどころか、精神が崩壊しかねないことだった。


 その瀬戸際にリヴァイアサン様は立っている。


 いや、立っているところじゃない。


 もうリヴァイアサン様はその瀬戸際さえも超えてしまっていた。


 もうご自身でも薄々と理解しているだろうに。


 それでも認めようとされていない。


 その姿は、道化のそれとしか私には思えてならなかった。


 自身の破滅に気づくことなく、喚き続ける哀れな道化としか。


 いまのリヴァイアサン様を救うには、突きつけることだけ。


 この千年間のご自身の過ちを、糺してあげること。


 それだけがいまのリヴァイアサン様にできる救いだった。


 その救いのための一手を、レイアーナさんは泣きながら行った。


「……リヴァイアサン様。あなたはなんてことをされてしまったのですか」


「なんてことだって!? 僕は当然のことを──」


「いいえ、あなたはご理解なさっておられません。ご自身のなされたことが、あまりにも罪深いことを。そもそもあなたはあの日を迎えれるまでのことを覚えておられますか?」


「あの日の前のこと?」


 レイアーナさんの言葉に、怪訝に顔を顰めるリヴァイアサン様。その様子を眺めながらレイアーナさんは続けた。


「覚えておられませんよね。なにせ、あの日あなたは寝起きでしたから」


「寝起き?」


 レイアーナさんの言葉を遮るようにして、私は疑問を口にしてしまった。その疑問にレイアーナさんは私を見つめてから「ええ」とだけ頷きました。


「あの日、私がこの国を出奔する直前まで、リヴァイアサン様は眠られていました。神獣様はどなたもですが、一度眠ると数年間は眠り続けることはざらにあるのです。私たちがおそば付きだったときも何度か一年ほど眠り続けられたことがありました。ですが、そのときは、普段よりも長く眠られておられて、五年もの間眠られておられました」


「五年も」


「ええ。ですが、その程度は永劫の時を生きるリヴァイアサン様にとっては誤差の範疇のようなもの。リヴァイアサン様にとってみれば、ほんの一時のうたた寝のようなものだったのでしょう。ですが、それはあくまでもリヴァイアサン様やそのほかの神獣様方であればの話。人間にしてみれば、五年はとても長いものです。それこそ子供が産まれ、ある程度まで成長できる程度には、です」


 レイアーナさんの言葉を聞いて、私はある答えにたどり着いてしまった。


 私は最初「レイアーナ」さんをホエールにしてしまったことを悲劇だと思っていた。


 ですが、その悲劇さえも超えてしまっていた。


 レイアーナさんが告げた子供のくだり。


 それが意味することは、ひとつだけ。


 あまりにも悲しすぎる現実だった。


 でも、そのことにリヴァイアサン様は気づいていない。


 気づかずに、「なんのことを言っているんだ」と言うのみ。


 さらなる過ちがあったことに気づいていない。


 でも、無理もない。


 本来ならありえないこと。


 だけど、神獣様という存在であるからこそありえてしまった悲劇だった。


 その悲劇をレイアーナさんは突き付けた。


「……リヴァイアサン様。その子のことを覚えておられますか?」


「なんだと?」


「……あなた様の言う「レイアーナ」が産んだ子のことを覚えておられますか?}


「……少しだけだ。どこの誰と間に産まれた子のことなど、僕にはどうでも──」


「では、話をされたことは?」


「あぁ? 一応何度か話をしてやったことはあるが」


「左様ですか。あの子は母を失っても、お父様とはわずかでも触れ合えたのですね」


「……は?」


 レイアーナさんの言葉にリヴァイアサン様が硬直する。言われた意味を理解できないでいるようだった。


「いま、なんて?」


 リヴァイアサン様の表情が抜け落ちた。


 疑問や困惑、怒り。そんないろいろな感情に彩られていたお顔が、いまや感情などなにもなくなってしまっている。


「……あなたの言う「レイアーナ」が産んだ子の名前は覚えておられますか?」


「名前?」


「ええ。あの子の名前は両親の名前を少しずつ分けてつけられたものです。その名は「リリア」でした」


「リリア」


「ええ。あなたの言う「レイアーナ」が産み、彼女とあなたの名前から名付けられた子ですよ」


「……は?」


「……はっきりと申し上げますと、リリアはあなたとあなたの言う「レイアーナ」の、私の姉のレリアーナとあなたの間のできた子。あなたの実の娘なのです」


 レイアーナさんの言葉に、リヴァイアサン様は両膝を突いた。


 これでもかと目を見ひらきながら、力なく崩れ落ちたのだった。

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