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rev3-54 再会と忠告と

 日が暮れていく。


 王宮騎士団の訓練もすでに終わっていた。


 いつものように最敬礼とともに見送られて、いまはルクレとの居室で窓際まで椅子を動かして、群青色とオレンジのまだら模様空をぼんやりとひとりで眺めていた。


 普段であれば、ルクレがそばにいるけれど、結婚式を数日後に控え、招待状を送った国々からの国賓が続々と到着していた。その国賓との会合で一日缶詰になるということで、今日は朝に別れたっきり、ルクレと会っていなかった。


 ベティは、現在ベッドの上ですやすやとお昼寝の真っ最中だ。そろそろ起こしておかないと夜寝れなそうだけど、ベティの場合、夕方まで寝ても夜も眠れる子なので、まだ寝かせておいても問題はない。


 そんなわけで、俺はいまひとり居室の中でぼんやりとしていた。


 ぼんやりとしながら、夕焼けと群青色の双方の顔をした空をぼんやりと眺めていた。


 まだら模様という言葉で真っ先に思いつくのは、シリウスのことだった。


 正確に言えば、まだウルフだった頃の、娘というよりかはペットという扱いをしていた頃のシリウスだ。


 あの頃はシリウスが女の子であることを知らず、白と黒のまだら模様の毛並みが、まるで夜空のようだったから、シリウスという女の子らしくない名前を付けてしまった。


 シリウスが女の子であることを知ったのは、あの子が人化できるようになってからだし、あの子を娘と思うようになったのもそれからだ。


 それまではかわいいペットという扱いをしていた。


 家族ではあるけれど、娘という感覚はなかった。


 そのペット扱いだった子が、かけがえのない存在へとなっていた。


 いまの空は色は違えど、まだら模様というところが、シリウスを連想させてくれる。まだ娘だと思っていなかった頃のあの子の姿を、鮮明に思い出させてくれる。


「……シリウス」


 名前を告げる。告げたところで、あの子が返事をしてくれることはない。


 あるわけがない。


 だって、あの子はもうどこにもいない。


 俺を助けるために、俺の目の前であの子は死んでいった。


 スカイディアを道連れにする形で、あの子は命を手放した。


 永遠にこの世界からいなくなってしまった。


 遺品さえない。


 ギルドは建物ごと消滅したそうだから、あの子の部屋にあった物もすべて消滅してしまっている。


 だから遺品などあるわけがない。


 唯一あるのは、唯一あの子がこの世界にいたという証拠は、この右目だけ。


 この右目だけが、あの子を感じられる。


 あの愛おしい子が、この世界にいたんだと。たしかにこの世界で時を刻んでいたのだと教えてくれる。


 仮面を外し、そっと右目を覆う。


 そうしたところで、あの子のぬくもりを感じることはない。


 元はあの子の目だったとしても、そこにあの子のぬくもりが宿っていることはない。


 覆ったところで、伝わってくるのは自分の体温だけだった。


「……ばぅ」


 アンニュイな気分に浸っていると、背後から声が聞こえてきた。


 ルクレとともに眠る天蓋付きのベッドでお昼寝中だったベティだった。


 ベティはむにゃむにゃと口元を動かしていた。


 なにかを探しているのか、手をあちらこちらへと所在なさげに彷徨わせている。


「おとー、さん」


 手を彷徨わせていたベティが、少しだけ眉間に皺を寄せながら俺を呼んだ。


 どうやら探していたのは、俺のようだった。


 怖い夢を見ているわけではないのだろう。


 怖い夢を見るときは、何度も何度も鳴く。


 まるで恐怖を遠ざけようと必死に吼えているかのように。


 でも、今日は一回しか鳴いていない。


 そういうときに見ているのは、楽しい夢のようだった。


 眉間に皺は寄っているけれど、その表情は穏やかであるから、楽しい夢を見てくれているのだろう。


「なんだい、ベティ」


 窓際から離れて、ベッドまで歩み寄り、いまだ彷徨わせている手を、そっと両手で包み込む。


 すると眉間に寄っていた皺がなくなり、晴れやかな笑顔を見せてくれる。愛らしい笑顔だった。


「……かわいい」


 ぼそっと思わぬ声が聞こえてきた。


 俺の声じゃない声。その声に慌てて視線を向けると、すぐそばでじっとベティを見遣るプロキオンがいた。


「……は?」


 あまりの展開に唖然となってしまった。


 だが、唖然となっている俺を尻目に、プロキオンは眠るベティの頬をつんつんと人差し指で突っついていた。


「……この子、かわいい。妹にしたい。ちょーだい」


 ずいっと俺に顔を近づけて、プロキオンは目をきらきらと輝かせていた。


 その様子からして、どうやら本気で言っているようだった。


「いや、なに言ってんの?」


 いきなりの再会もあるけれど、それ以上に言っていることが暴走している。


「だから、この子ちょーだい」


「ちょーだいって、そんな軽く」


「だって、私が欲しいから」


「暴君じみたわがままだな」


 あまりにもきっぱりと言い切るプロキオン。


 その態度はまさに暴君である。


 とはいえ、大切な愛娘を「はい、どうぞ」なんて言えるわけがあるまい。


 たとえ、相手がシリウスを思い浮かべさせる相手だったとしてもだ。


 まぁ、それはそれとしてだ。


「なんで、ここにいるんだ?」


「がぅ? だって、おまえが招待状を出したから」


「ルシフェニアにも出していたのか?」


「だから、私はここにいる。まま上は忙しいし、じじ上はそれ以上に忙しい。暇だったのはおば上だけ。私はその護衛」


 えっへんと胸を張りながら、なんとも言えないことを言うプロキオン。おば上と言われて思いつくのはイリアだけど、イリアはすでにこの城にいるから違うとすると、思い当たるのは、あの馴れ馴れしい女だった。


「えっと、アリアだっけ?」


「そう、アリアおば上。あ、おば上って言ったら怒られるんだった。えっと、アリアおねーちゃん上だ」


「……言いづらくない?」


 なんだ、おねーちゃん上って。普通に姉上でええやん。そう思ったのはどうやら俺だけではないようだ。当のプロキオンも「だって」と若干拗ねたように言う。


「おねーちゃん上って、地味に言いづらいのに、おねーちゃん上が「そうじゃないとやー」ってベッドの上で手足バタバタするから。仕方がないからおねーちゃん上って言っている」


「なに、その子供みたいなわがまま」


 あの裏山で相対したときの、狂気ましましの姿との乖離がひどすぎる。でも、時折イリアに昔の話を聞いたときも、はっきりと「まぁ、妹は子供ですから」と言っていたから、妥当と言えば、妥当なのか?


「がぅ。私もそう思う。面倒くさいけれど、まま上の妹だから仕方ない。おば上でもいいのに、なんでおば上じゃ嫌なのか、全然わからない」


「……年齢的な意味合いで、「おば上」は嫌なんだろう」


「がぅ? なんで? おば上なのは事実だぞ」


「事実であっても、まだ若いのにおばさん扱いは嫌なんだろうさ」


「がぅ? よくわからない」


 プロキオンはいまいち理解できないようだ。


 背丈とは裏腹に産まれて間もない子なのだから、その反応も理解できる。


「ところで」


「なに?」


「なんでここにいるの?」


「さっきも言った。おねーちゃん上の護衛として」


「いや、それはわかっているけれど、その護衛の仕事をほっぽりだして、なんでここにいるのかと」


 護衛であるのであれば、ちゃんと護衛対象の側にいなきゃ話にならない。なのにプロキオンはその護衛対象から離れてしまっている。護衛の役目放棄しているとしか思えなかった。


「だって、おねーちゃん上が「もう自由にしていていいよ」って言ったから。部屋に戻ろうとしたら、おまえの匂いがしたから辿ってきたの」


「自由にしていいよって。それ護衛の意味ある?」


「私もそう思ったけれど、おねーちゃん上はお仕事あるから。ここの元女王様と会っている」


「ルクレと?」


「うん。名代ってことで、お話するんだって言っていた」


「なるほど」


 ルシフェニアの名代という国賓であれば、たしかにルクレとの会合は必要か。


 その会合にも本来ならプロキオンも参加しておくべきなのだけど、見た目は大人だけど、中身は幼いプロキオンには退屈すぎると考えたうえでの、放出なのだろう。アリアとかいうのも案外いろいろと考えているようだ。


 しかし、まさかルシフェニアにも招待状を送っているとは思ってもいなかった。


 ルシフェニアの本当の姿を知らなければ、現存する国でも最古に近い、あの国に招待状を送るというのはわからないわけでもない。


 だが、まさかその名代の護衛としてプロキオンが来るとは思わなかったけども。


「ねぇ、あの元女王様がおまえのお嫁さんになるの?」


「え? あぁ、そうだけど」


「ふぅん」


 プロキオンはなぜか俺をじっと見つめながら、しきりに頷いていた。いったいなんだろうと思っていると、またプロキオンは顔をずいっと近づけてきた。


「あの人、すごく優しい匂いがした。きっとすごくいい人だ」


「……そうだな。優しい人だよ、ルクレは」


「うん。あの人がまま上になる、この子がちょっと羨ましい。……きっといつもそばにいてくれるだろうし」


 そう言って、プロキオンはベティを見遣る。その目には嫉妬もあるけれど、それ以上に羨望の色が見えた。その色を見て取ったとき、気づけばプロキオンの頭を撫でていた。


 払われるかと思ったけれど、プロキオンは「がぅ~」と少し唸ってからぐりぐりと俺の手に頭を押しつけてくる。シリウスそっくりではあるけれど、やっぱりシリウスとは違う。シリウスよりも子供っぽいところがある。


 だからと言って、シリウスじゃないと拒絶する気にはなれない。シリウスの双子の妹のように俺には思えてならない。


「ねぇ、ひとついい?」


「なんだ?」


「……あの人、すごく優しい匂いがする。でも、一緒に蛇の臭いがする。それに」


「それに?」


「目が少しだけ濁っていた。……もともとすごく優しい人なのに、どこかおかしい。気を付けてあげた方がいい。具体的にどうしろって言われたら困るけど」


 頬を染めたプロキオンが忠告をしてくれた。


 だが、言われた意味がよくわからなかった。


「蛇の臭い? ルクレから?」


「うん。隠しているけれど、蛇の臭いがした。それもとても古くて、怖い蛇の臭い」


「怖い、蛇」


 とても古くて怖いという言葉で思いついたのはリヴァイアサン様だった。


 この国にはリヴァイアサン様の社である大蛇殿があるから、ルクレともそれなりの関係を持っているだろうけれど、そのリヴァイアサン様の匂いがルクレからするというのはどういうことだろうか? それにルクレの目が濁っているというのもよくわからない。


「……あの人のことが大切なら、ちゃんと守れ。じゃないと大変なことになるかも──」


 プロキオンがさらなる忠告をしてくれようとした、そのとき。


 地鳴りのような音と共に目の前のすべてが大きく揺れ始めた。


 壁も天井もプロキオンとベティさえも揺れている。俺はとっさにベティとともにプロキオンを抱きすくめる。


 プロキオンが「がぅ!?」と慌てる声が聞こえたが、あえて無視した。そうしてベティごとプロキオンを抱きすくめたと同時に、窓の外から大きな柱のようなものが、海上に立ち上る大きな水柱を目にしたんだ。

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