rev3-50 めざめ
「──アルスベリア?」
「そう、アルスベリアのお姉さんです。まぁ、あなたから見たら、とっても昔の、それこそ数十世代、いや百いくかな? まぁ、とっても昔のおばあちゃんと思ってくれればいいですよ」
ニコニコと笑いながら、とんでもないことを言い出す女性こと自称アルスベリアさん。
私自身の家名を知ったのは、つい先日のことだけど、それでも私とお姉ちゃんの家名であるアルスベリアは自分の名前だとこの人は言っている。
仮にそうだとしたら、どれほど昔の人なのかって話になってしまう。
この人は、もしかしたら百世代くらい前かもしれないと言っていたけれど、それだとどう考えても神代くらいの年代になってしまう。
いや、神代でもおそらく初期にあたるくらいの年代かもしれない。
神代が終わったのは、だいたい千年くらい前。本当に百世代も前だったら、千年なんて軽く超えてしまうほどの昔。大昔という言葉でさえ足りないレベル。
それこそ超古代と言っても差し支えがないほど。
そんな昔の人がなんで目の前にいるのかがわからない。
というか、なんでこの人、ここにいるんだろうか。
「そこが気になるの? さっきも言ったけれど、開かずの扉が開きかけていたからだよ? 私の巫女としての力であれば、いくらでも覚醒してもらってもいいんだけど、今回の方は目ざめられると大いにまずいのですよ」
アルスベリアさんは、若干軽い口調のまま、とても真剣な顔で言い切っていた。
真剣な顔で言い切ってはいるのだけど、言っている内容はなんとも抽象的なものだった。嘲笑的すぎて、どうまずいのかがまるでわからない。
ただ、その真剣さゆえに相当にまずいことなのだろうなぁとは思う。うん、どうまずいのかはやっぱりわからないままだけども。
「大いにまずいのですか?」
「ええ、大いにまずいのですよ。それこそ、はちゃめちゃにまずいですねぇ」
「そうですか、はちゃめちゃにねぇ」
うん、語彙力よと言いたくなる。
見た目はとっても美人さんなのに、この中身の残念さはなんなんだろうか。そういえば、お姉ちゃんも言動がなんだか残念臭がするし、母さんも母さんでなんだかんだで残念臭がしていたなぁ。……あれ、これってもしかして血筋の特徴だったり?
いやいやいやいや! まさか、そんな、ねぇ? 私は完璧な美少女ですから。お姉ちゃんや母さん、そして目の前にいるアルスベリアさんみたく残念なところなんて皆無の、まさに完全無欠の超絶美少女で──。
「自分で完全無欠の超絶美少女と言い切れるところこそが、残念じゃない?」
「──かはぁっ!?」
──まさかのカウンターをいただいてしまった。
咽せてしまうのも無理もない。それほどの威力だった。
そんな私を見ても、アルスベリアさんはおかしそうに笑うだけ。
心を読んだのか、それともまた口に出ていたのかは定かではないけれど、どうやら残念と思ったことを怒っている様子はない。初対面の相手から残念と思われたというのに、かなり不躾だったというのに怒っていない。この人はどうやら相当に懐が深い人のようだった。
もし、私がこの人のように、初対面の相手から残念美少女だと言われたら、少し腹が立ちそうなものなのに。いまのところ、そんな様子を見せていないということは、それだけこの人の器と私のそれとでは、比較できない差があるということなのかもしれない。
「そりゃぁ、事実だし? ゼスティとレスティだけじゃなく、レイアにも散々「残念美人」って言われていたからいまさらだもの」
ふふふ、とアルスベリアさんは笑っている。その笑顔は毒気がないというか、こちらの毒気を抜くと言いますか。まぁ、とにかく用心深く構えているのが馬鹿らしくなるくらいに、とても親しみのあるものだった。
「それに相手があなたみたいに、かわいい孫娘であれば、なおさら怒る気なんてなくなっちゃいますよ。おばあちゃんは孫に甘いものなのですよ」
そう言って、アルスベリアさんは私の頭を優しく撫でてくれた。頭を撫でられるなんて何年ぶりだろう。
アヴァンシアでレンさんが抱きしめてくれたとにも撫でて貰ったとは思うけど、あのときは正直感情がいっぱいになりすぎていたから、よく憶えていないし、アルスベリアさんのとはまるで違っていた。
レンさんのは慰めるという意味合いが強かった。泣きじゃくる私を落ちつかせるためのもの。
対して、今回のアルスベリアさんのは、慰めるとか、そういうことじゃなくて、その、なんと言いますか、甘やかすためのものというか、褒めるためのものというか。はっきりと言うと、小さな子供に対してするものというか。
例えるなら、レンさんがベティちゃんにしているみたいな? 要は愛情をこれでもかと詰め込んでいると言いますか。子供の頃であれば、嬉しいけれど、成長したら気恥ずかしくなるものですね、はい。
その気恥ずかしくなるものを、私は現在されているわけですよ。
払いのけることは簡単なんだけど、好意を無碍にするのは憚れる。それになんだかとっても心地よくて、払いのけるという行動自体を選択できなかった。いや、そんな選択肢さえ存在していないというか。
「ふふふ、アンジュは本当にいい子だねぇ。かわいいだけじゃなく、いい子とまで来た。ふふふ、おばあちゃんはとっても嬉しいですよ?」
「や、やめてください、恥ずかしい」
「ん~? なにを恥ずかしがっているの? いいじゃない。少しくらい。16歳なんてまだまだ子供の範疇なんだから、恥ずかしがらずに甘えてもいいんだよ?」
「こ、子供じゃないです。もう成人ですし」
「そうだねぇ。でも、私から見ればまだ子供だもの。たとえもう働いていたとしても、私にとっては孫娘であることには変わらない。それはあなたのお母さんであるディアナから見ても同じだと思うよ。あの子にとって、あなたはいつまで経っても娘だものね」
にこやかに笑うアルスベリアさん。言っていることは事実なのかもしれないけど、それでもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしかった。
とはいえ、言ったところで聞いて貰えないのでは、どうしようもないわけですが。
「とはいえ、あまりやりすぎても嫌われちゃうよねぇ。おばあちゃんとしては、あなたに嫌われるのは嫌だからねぇ」
名残惜しむように私の頭をもう一度撫でてからアルスベリアさんの手が離れた。その瞬間、私の口からは私の意思を反するような声が、「ぁ」と小さな声が漏れていた。まるで手が離れるのを惜しんでいるように。
その声を聞いてアルスベリアさんはおかしそうに笑うだけで、なにも言わなかった。それがかえって恥ずかしいのだけど、アルスベリアさんはなにも言わずにニコニコと笑い続けていた。
「さて、かわいい孫娘とのふれ合いはここまでにして。さっさと扉を開いちゃいましょうかねぇ」
でも、それもその一言で終わりを告げた。ただ、言っている内容がちょっとおかしい。
「扉っていいんですか?」
「ん? なにが?」
「だって、扉というのが開きかけていたから、閉じに来たんですよね?」
そう、アルスベリアさんは私の扉が開きそうになったから、慌てて閉じに来た。なのに、その閉じた扉を開くというのは、大いに矛盾している。それを指摘すると、アルスベリアさんは「あぁ、そのこと」と納得されていた。
「大丈夫、大丈夫。扉は扉でも開かずの扉じゃない方だから。あのド腐れ蛇さんがご所望の扉を開いてあげるだけ。あのド腐れ蛇さんも困った子だねぇ。知らなかったとはいえ、よりにもよっての方を選びやがるうえに、私のかわいい孫娘を精神世界で散々いたぶってくれたしねぇ。……ちょっとお灸を据えてあげにゃならんよねぇ」
アルスベリアさんの笑顔の質が変わった。いままでのがなんだかお日様みたいな燦々とした笑顔だったとすれば、いまの笑顔はその真逆、底が見えないほどの真っ暗闇みたいな恐ろしい笑顔だった。ぶっちゃけ怖いです。
「まぁ、お灸を据えるって言っても、私の力に目ざめれば、すぐにでも達成することになるけどねぇ。下手したら、あの蛇さん、精神崩壊するかもだけど」
「せ、精神崩壊って」
いったいどれほどのお灸を据えるつもりなのやら。この人はやっぱり怖い人なんだなぁとしみじみと思った。
「あぁ、違う、違う。私が手を下すわけじゃないよ。あの子の目的が成就するということは、同時にあの子はあの子自身のいままでの行いを顧みることになるからだよ。その結果が精神崩壊ってこと」
アルスベリアさんはあっけらかんに言い切った。その言葉の意味はなんとなくだけど、私にも理解することはできた。そしてそれは私の懸念が当たっていたということでもあった。
「……やっぱり、リヴァイアサン様は」
「……アンジュの思っている通り、だよ。違いがわずかだからこそ、その違いに気づけなかった。ううん、その違いを交換してしまったがゆえの悲劇か。悪意なんて欠片もなく、あるのはただの好意からの善意だけ。その行動がまさかの悲劇を生むことになってしまった。レイア自身がとびっきり優しい子だっただけに、その血筋の子もとびっきりの優しさを受け継いでいた。その優しさが徒になるなんて皮肉だねぇ」
アルスベリアさんの目が細められた。細められた目はとても悲しそうに歪んでいる。その悲しさが伝播したのか、私の胸も強く締め付けられるようだった。
「……その悲劇を終わらせるためにも、アンジュ。私の力を、開放の巫女の力を目ざめさせます。その力を以て悲劇を終わらせてあげてね」
アルスベリアさんは笑っていた。いままで浮かべていた笑顔のどれとも違う笑顔。どこまでも透き通った笑顔。なんの悪意も感じられない。透明な笑顔。それこそ作り物と言ってもいいような、それでいてどこか神聖ささえ感じられるものだった。
「さぁ、目ざめなさい。我が血族の娘よ。その血に眠る力を以て、悲しき罪からの解放を成し遂げなさい」
その声はとても遠い。いや、遠ざかっていく。遠ざかっていく声を聞きながら、私は意識をゆっくりと手放していった。




